ロストール伯爵家の幸せ家族計画

ひづき

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「新しい愛人も、新しい婚外子も、いない」

 ロバートの口から搾り出された返事は苦々しい。信じられるか否かは別として。アメリアはロバートの横顔を注視した。

 実父は母から愛人について言及されると怒鳴り散らかしていた。父は母に対して何をしても許されると信じて疑わず、母に対して申し訳無さなど微塵も見せず、謝罪も一切口にしていなかった。もちろん、アメリアがいない場所では違った可能性もあるが、アメリアの中にある夫婦像はそのようなものだ。対してロバートが声を荒らげる姿というものは見たことがない。

 ───この人は、父とは違う。

 当たり前のことを改めて認識すると、アメリアの肩の力が自然と抜けていく。敵か味方かで分けるなら、夫は敵だと思っていた。その気持ちが揺らぐ。揺らいで、でも味方だとも思えなくて。アメリアは小さな溜め息をついた。

「そう、ですか…。分かりました」

 この人を信じても良いのだろうか、信じたいと、少しだけ思う。

「かーさま、だいじょぶよ」

 ロバートに抱えられたままのクラッドが目を擦りながら呟いた。その目は薄っすらと赤い光を帯びている。その光を見ていると泣きたくなるから不思議だ。

「クラッド…」

「ぼくがいるから、かーさまはだいじょぶ」

「あら、頼もしい。そうね、家族三人でならお出かけしてもいいわ」

「そうか。じゃあ結婚記念日に晴れたらピクニックに行こう」

「ほんと!?やったー!!」

 眠かったはずのクラッドは大きく目を見開いて驚き、喜ぶ。





 実に平和で平穏な日常。

 身構えても何も起こらない日々が年単位で続いたからアメリアは油断した。油断してしまった。

 キャアアア、と。耳をつんざくような悲鳴をアメリアが聞いたのはロバートが仕事に行くのを玄関で見送った直後のこと。何があったのかと使用人達と共に声のあった方へ駆け出す。

 既に何人かが集まり「血が止まらない」「医者を」「気をしっかり」などと叫んでいる。中庭の花壇の前、クラッドが背中から血を流して倒れている。その手には花が握られていた。アメリアは何が起こっているのか分からず、呆然と立ち尽くす。視線を移せば金髪の、まるで亡霊のような女が庭師や侍従に取り押さえられている。女は抵抗する意欲などないらしい。血に濡れた手を震わせ、焦点の合わない目で歪に笑っている。

「奥様、この女が坊っちゃんをやったんだ!」

 庭師のご老人が忌々しいと憎しみを籠めて告げるが、我が家の別邸の主と化している愛人様は気にとめず、ただ笑っている。

 クラッドから失われていく体液を前に、アメリアは頭を抱えた。私がしっかりしなくては、私があの子を助けなくては、そう思うのに視界が霞む。

「アメリア」

 仕事に出掛けたはずの夫に呼ばれた気がした。



 □ □ □ □ □



「あの悪魔がロバート様を変えてしまった。私はロバート様を守っただけ。どうして分かってくださらないの?まだ悪魔に洗脳されているのね。貴方達も被害者なのでしょう!なんてこと!もっと早くにこうしておけば───」

 犯人の女は妄言を繰り返す。

「次はあの女を───」

 かつて情をかけた女が、長男のクラッドを刺し、次は妻であるアメリアの命を狙っている。ロバートはそこまで聞けば充分で、最早用はないと、尋問室の盗み聞きをする為に存在する隣の小部屋を後にした。

「伯爵様、ご子息は一命を取り留めたそうです」

 騎士からの囁きに頷く。

「処分は待て。被害者であるクラッドの意見を聞いてからにする」

「承知しました」

 これが自分の愚かさが招いたことだと、ロバートは知っている。妻にも息子にも、どう謝罪しても許されることではない。



 ロバートには、知っているのに知らないふりをしてきたことが多々ある。

 例えば愛人の産んだ娘が自分の子でないこととか。

 子供の頃に罹患した熱病の後遺症で、自分は子供を望めない身体だとか。

 息子のクラッドの目が時折赤く光ることとか。

 妻のアメリアがロバートに向けていた警戒心がようやく解れ始めていることとか。

 どうしてクラッドがロバートに瓜ふたつなのか、それだけはよく分からない。時々目が赤く光るだけで、それ以外はどこからどう見ても人間の子供だし、ロバートに瓜ふたつなのに、笑うと目尻がアメリアそっくりになるのだ。可愛くないわけがない。諦めていた我が子が存在する、まさに奇跡だ。これでアメリアに少しでも不貞の気配があれば、ロバートに良く似た遠縁の男が父親だと決めつけていただろう。護衛から聞いても、執事から聞いても、侍女から聞いても、アメリアはむしろ引き篭もりがちであり、他人との交流をろくに持っていない。一度だけ彼女を社交に誘ったことがある。彼女の抑圧された心や閉鎖的な人間関係を心配してのことだったが、本人に鼻で笑われてしまったのは予想外だった。

 ロバートが一目惚れをし、権力と財力を駆使して無理やり手に入れた最愛の人。それがアメリアだ。アメリアには当時順調に進んでいた縁談があったし、彼女に恨まれて当然だと思い、無理に愛さなくていい、自分は彼女から愛されないはずだとロバートは彼女を気遣ったつもりだった。例え彼女が愛人を作っても、自分の手元にさえいてくれれば構わないというアピールのつもりで愛人を別邸に住まわせていたし、子供ができなくても気負わなくて良いように、愛人の子供も別邸に住まわせ、養子の候補も見繕っていた。

 そんな、ロバートなりにアメリアを気遣っての行動が全て誤りだったと今更気付いた己の愚かさが憎くて堪らない。愛息子が傷ついてから知るなど、阿呆の極みだ。

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