後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

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第二章 華燭

53 約束の口づけ

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 それからの小蘭は、何かと忙しかった。
 目を覚ましたと知れ渡り、見舞い客が押し寄せたのだ。

「ゴメンなさい、協力しないと、天ゞてんてんちゃんを殺すぞって脅されて……だから私!」

 天ゞてんてんちゃんとは、尚真が国から連れてきた、獅子狗シーズーの名前だ。

「いいよもう。必死で助けようとしてくれたって聞いたから。こっちこそゴメン、悩んでたの知ってたのに」
「わ、私……う、うわぁ……んっ」
「ち、ちょっと、落ち着いて」

 泣き出した尚真をようやく追い返したと思ったら、お次は婆やや仲のいい女官や妃が、しまいにはあの雲流までが枕元に現れた。
 
「頼むよぉ。バレたらオレ、殺されちまう……!」
 
 その後も、ひっきりなしに人が訪れ――それは、春明が夕食を運んでくるまで延々と続いた。

 だが。

「ねえ、先生」
「少し疲れましたか。さあ、あとはゆっくり休んで」

 枕元に置かれた卵粥が、何とも言えない芳香を漂わせ、小蘭の食欲を刺激する。

「ううん、たくさん寝たから平気よ」

 一匙を口に含むと、えも言われぬほどの甘みが広がる。
 しばらくそれを味わった後、小蘭はおもむろに切り出した。

「あの……私が眠ってる間、蒼龍は来た……?」
「ふふ、気になりますか?」

 茶を入れる手を止め、春明が柔らかく微笑んだ。
 
「べ、別に! そういうわけじゃないんだけど。助けてもらったお礼くらいは……さ」

「ご安心なさい。蒼太子は、あなたを忘れていませんよ?昨日も一昨日も来られましたし。……ただ、今は少し忙しいのでしょうね」
 先生の顔が、ふと曇った。

「何か……あったの?」
 一瞬、春明が何かをためらったように見え、小蘭は首を傾げた。
 
「いえ、大したことではありません。何なら、あなたが目覚めたと、伝令をやりましょうか。きっと、飛んできますよ?」
「い、いいっ! 大丈夫、いらないっ」
 
 からかう口調は、もういつもの春明と変わらない。
 小蘭は、目の前の粥にがっつくことで、胸のざわつきを誤魔化した。

 それから更に二日が経った、真夜中――

(小蘭、小蘭)
「うん、うるさいな……何」

(起きろ、俺だ)
「うーん……何よもう……え、蒼龍!」

 揺り起こされ、無理やり開いた寝ぼけ眼に、青藍せいらんの衣装が映った。

「蒼龍!」
 小蘭は蒲団を跳ねのけて起き上がった。

「どうしたの、こんな真夜中に。どうやって入ってきたの? 火傷とかしなかった? 忙しいの終わったの?」

 小蘭の慌てふためいた様子を、蒼龍はただ黙って微笑みながら見下ろしている。

「ねえ、蒼――」

 と、朱色の格子窓から、にわかに白い月が顔を出した。
 月光が、憂いを帯びた切ない微笑みを照らし出す。
 
 そこにあるのは、失うかもしれなかった恐怖からようやく解放された安堵、後悔、再び逢うことが叶った喜び。
 
 まるで夢幻ゆめまぼろしのような美しさに、小蘭が思わず息を止めたその刹那。

「良かった、生きてて」
 
 蒼龍の腕が、小蘭をふわりと包み込む。
「何するのよっ」
 普段なら、悪態をついて突き放す場面だ。
 でも、今宵はどうしたことか、ひとつとして声にならない。

 ドクン、ドクン。

 重なり合った胸の音が、同調シンクロしてさらに大きく振れている。
 二人はしばらくそのままでいた。

 やがて蒼龍は、ゆっくりと小蘭の身体を離すと、顎にそっと指をかけ、おもむろに口を塞いだ。

「よかった、本当に」
「蒼――」

 いつもなら、軽く合わせて終わる口づけ。
 だが、今夜、蒼龍はさらに唇を開かせて、深く口づけた。
 それは、いつものふざけ合いの「おやすみの口づけ」とは違う接吻キス
 
 あたかも三年前、初めて出会った夜に、蒼龍が自分を黎妃様と間違えてそうしたような。
 でも今宵のは、黎妃の身代わりにではない、確かに、蒼龍皇子が小蘭自身にくれたもの。
 
 最初のうちはぎこちなく、頑なだった小蘭も、いつしかそれをうっとりと受け入れていた。
 なんて甘くて切なくて、そして哀しいんだろう。
 
 そんな二人を、淡く白い月光が柔らかに照らし出す。

 もう、後戻りは出来ない。そう思うと、少しだけ怖い。
 それでも手放したくないと、小蘭は、錦糸青藍の裾を握りしめた。
 ――私はもう、この温もりを知ってしまったから。
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