後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

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第三章 帰還

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 石畳の勾配、門をくぐる回数、鼻を刺す香の匂い。
 小蘭には、連れて来られたのが、商人たちの寄り合い、〝行〟の長の屋敷だとすぐに分かった。

「止まれ!」
 
 連行してきた兵が、声高に命令する。
 
「座れ。頭を下げろ! 違う違う、床までつけるんだよ、こうやってなあ」

(ぐっ)

 大人しく命令に従っているのに、左右の兵士に乱暴に後頭を押さえつけられ、小蘭は、冷たい石畳にしこたま額をぶつけられた。

(痛い、額割れたかも)

 目隠しの奥で睨みつけるも、その視線が届くはずもない。
 下品な笑い声が、四方から沸き起こった。

 ただ、その額の痛みに対し、心は妙に静かだった。
 けれど、蒼龍のほうはどうだろう。彼が自分よりも酷い目に遭わされてやしないかと、小蘭は横に意識を向けた。

 連行中のひどい罵声や暴力にも、彼は声すら上げなかった。
 女兵長、紅蛾の前で見せた演技も、通用しないと知るやいなや、早々に諦めたのだった。

 自分はいい、せめて蒼龍だけでも。
 そんな気持ちで、さっきから考えてはいるけれど、小蘭には何も思いつかない。

 自分には、日鳳のような知恵も、碧衣のような弁舌もない。縄で縛られた今、小蘭に残されたのは、ただ隣で息をしていることだけだった。
 得意な行動力と運動力も、身体を縄で縛られては、使いようがない。
 何とかして……でも、どうやって。

「控え!」
 考えるうちに、野太い大声が広間に響き渡った。
 周囲のざわめきが一気におさまり、それまで満ちていた笑いが、息を殺した。

「礼!」

 視界を遮られる中で、小蘭はほかの五感を研ぎ澄ました。

 重々しく響く数人の足音に続き、ひときわ重たい具足の金属音。

 どうやら、紅蛾の言っていた「都の偉い将軍」様のお成りだ。

 正面で、重たい椅子が軋み、そこが、この場の頂点なのだと悟る。
 靴音も、腰を下ろす音も、やけに早い。

「表を上げろ!」
 ほどなくして、先ほどと同じ野太い声がした。

 小蘭が頭を上げようとすると、
罪人おまえはまだだ」
 にやついた声とともに、縄を持つ兵士に再び後頭部を押さえつけられる。

 頭上から、喜色を隠しきれない甲高い声が聞こえてきた。

「将軍様、この紅蛾、極秘に仕入れた情報により、『蒼龍皇子』を捕らえてまいりました!」

「……」
 重々しい沈黙の後、ふたつの咳払いと、気怠げな声が頭上に聞こえた。

「ふーむ……では、そなたは。この者が誠に皇帝を弑し、逃亡していた『蒼龍』だというのだな?」
 
(違う!)
 小蘭が上げようとした頭を、また押さえつけられた。

「ははっ、間違いございません」
 畏まった紅蛾の返事に、ガチャリと鎧の金属音。

「こやつ、卑怯にも行商人を装い、女とボロ小屋に逃げ隠れておりました」

「ほう」
 軽蔑したような相槌とともに、重たい金属音が近づいてくる。
 
 靴音が、隣の蒼龍の前で止まった。

「ふむ、これがか。う~む、太子にしては、随分と薄汚れているな……少し臭い。……ん? これはどうしたことだ。無傷で捕らえよと申したはずだが」

 その声には、責める響きよりも、苛立ちに近いものが混じっていた。

 耳の傷のことだろう。
 将軍様が、蒼龍の姿を眺め回しているようだ。

 紅蛾が、懸命に言い訳した。

「そ、それは……捕らえる時の乱闘の最中についたものでございます。その、こちらも部下が十数人、負傷しております」

「ふうん。つまり貴様の隊は、たった一人を相手に、そのような体たらくだったということか」

「い、いえっ、そうではなく……そ、そうです! それこそが彼が太子である証。蒼龍太子は武闘会で優勝するほどの腕前。それに、この者が所持していた剣は、こちらでございます」

 紅蛾は、蒼龍から取り上げた剣を将軍様に献じたようだった。
 
(何よ。言われなけりゃ、自分のものにする気だったくせに)

 心の中で舌を出す小蘭の横で、とうとう、将軍の最後通告が発せられた。

「……まあよいわ。それでは面を確認する。顔を上げよ」

 ぐいっ。今度は、乱暴に前髪を掴まれ、顔を引き上げられた。

「目隠しとくつわを」

「ぷ、ああっ」
 猿轡が外されて、新鮮な空気が一気に肺を満たした。
 目の覆いを取られた瞬間、白い光が、刃のように瞼を切り裂いた。

 それでも何とか横を振り向き、無理やり片方の目を開くと。

 ――え?

 何と蒼龍は、目を見開いて口をあんぐりと開け、バカみたいな顔で目の前に立つ将軍を見上げている。

 これは一体どういうことなの? まさか、この局面を変な顔で乗り切る気かしら。
 そんなのが通用するとは思えないが。
 
(仕方ない、なら私も!)

 蒼龍に合わせて思い切り顎をしゃくらせた時、彼が小さく呟くのを聞いた。
 
白虎バイフー……」
 
 目の前で、頭からすっぽり赤い外套を被っている大男――将軍様は、わずかに兜帽とぼうを目深に引いた。
 
 白虎? それ、蒼龍あなたの偽名じゃなかったっけ?
 それよりも、「将軍」は、面識がある男なのだろうか。
 
 絶体絶命の状況の中。
 小蘭の疑問はそのままに、面通しが淡々と進められていく。
 
「うん、うん、間違いないな」
 蒼龍の目の前にいる将軍は、顎に手を当てながら、重々しくうなずいた。

「そ、それでは!」
 紅蛾が興奮した声を上げる。

「ああ、間違いない。ご苦労だったな。では改めて――」
 
 広間が、一瞬、息を詰めた。

 その沈黙を、将軍の声が切り裂いた。

「罪人を、拘束せよ!」
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