後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

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第三章 帰還

86 紅蛾、牙を剥く

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 蒼龍と小蘭は、縄を打たれ、紅い女の前に並んで正座させられた。

「なんだ何だ、朝っぱらから……」
 騒ぎを聞きつけ、わらわらと出てきた村人たちを、末端の兵士たちが蹴散らす。

「こら、見せ物ではないぞ。家に戻れっ」
「ひえっ」
 蜘蛛の子を散らすように人々は消えた。
 それでも石の家の窓は、いっせいに閉じられはしなかった。

 さっきの女兵士が、蒼龍から奪った剣を片手で回しながら、ふたりの前をぶらついている。
 
 ジャキッ。
 やがて、蒼龍の前に止まると、彼女は切先を突き付けた。

「皇家の紋章……ふふん、ただの行商人が持つには、大層な代物だ」

「……ふん、そこいらに出回ってる偽物レプリカだよ」
「おい、誰が喋っていいと言った?」
「――!」
 
 彼女は、突きつけた剣を、蒼龍の右耳の付け根に下ろした。
 血が一筋、顎から滴る。

「ひいぃっ……」

 ついでのように、隣に並べられていた陳さんが、悲鳴をあげた。
 彼は、それだけでもう、頭を抑えガタガタ震えている。
 女は眉を顰めると、蔑むように、その頭に唾を吐いた。

「ちっ、情けない小男。お前はもう用済みだよ、さっさと去れ!」
 
 毬みたいに、陳さんの尻を蹴り上げると、
「ひ、ひええーっ」
 陳さんは情けない悲鳴をあげながら、転がるように逃げていった。

「さぁて、と」
 再び、蒼龍を振り返る。
 
「しかし、いい男ぶりだねえ」
 女は、血の匂いに吸い寄せられるように、うっとりと顔を近づけた。
 蒼龍は不貞腐れたように視線をそらす。

「……ふん、つまらない。贅沢に育てられた割には、我慢強いじゃないか。ホラホラ、いい声で鳴いておくれ。でないと耳がちぎれちゃうよ?」

「やめ……モガッ」

 思わず叫んだ小蘭の口は、後ろにいた兵士によって塞がれた。女が指をひとつ上げると、後ろの兵士が、猿轡さるぐつわをかませる。
「そっちの小猿は……お口の癖が悪いようだからね」
「――!」

「あの……紅蛾ホンヴェア様、そろそろ」
 隣に控えていた老兵が、彼女にそっと耳打ちをした。
 だが、彼女は聞く耳を持たない。
 
 刹那。

 血の流れる彼の耳に、噛みついた。

「ぐ……ああっ」

 たまらず声を上げる蒼龍。彼女はそのまま、周囲の血をなめ回した。

 ――ひっ。
 小蘭は思わず目を閉じた。猿轡の下で、舌が冷たく痺れていた。

「や、やめろ……」
「うふん、いいねえ、その表情」
 彼女は唇の端を歪め、血を舌で拭った。

「なあ……アンタ、父親を殺したんだって? おキレイな顔してさ。実は、腹の中は真っ黒なんだねぇ」

「何の話だ? 俺はただの……ぐあぁっ」

 彼女は、蒼龍の耳を、ちぎらんばかりに引っ張った。歯を食いしばって耐える蒼龍の耳元で、昏く囁く。

「ねえ……どうやってあんたの居所を知ったと思う? こないださ、検問で捕えた、間抜け面の行商人に吐かせたのさ」

 ――松露のことだ!
 小蘭は、思わず蒼龍の方を見たが、蒼龍は前を向いたまま。目を合わせようとはしない。

 紅蛾が続ける。

「最初は眉唾だったが……あんたを見て確信したよ。王家の剣技にこの体躯、間違いない」
 ねっとり絡みつくような視線。
 毒の言葉を吐きながら、それを撒き散らすように、紅蛾はふたりの周囲を回る。
 
「――皇帝殺しの蒼龍皇子」
 ぴくり。
 蒼龍の身体が、小さく反応する。
 
 その名を、彼女は甘く転がした。
 周囲の兵が、小さく息を呑んだ。

 周囲の反応を楽しむように、彼女は続けた。

「……何でも、親子で同じ女を取り合ったんだって? そんな下らない理由で親殺し――」
 
(何ですって!)
 小蘭は、猿轡をはめられたまま喉の奥で声を上げた。
 後ろに回された蒼龍の指が、震えている。
 
 ――お願い、蒼龍、そんな挑発に乗らないで。
 
 心の内で願いつつ、小蘭は紅蛾を睨みつけた。

「そんな輩に、国なんて治められない。そうだろう?」

「……」
 蒼龍は、青い顔をして、ぶるぶると震え始めた。
 紅蛾はさらに挑発した。

「だから、我らが曹様が立ち上がったのさ。正義のために」

 彼女はうっとりと血のついた唇を舐めながら、さも愉快そうに目を細めている。

 周囲の兵士たちは、誰一人として近寄ろうとしなかった。紅蛾の足元だけが、不自然に空いている。

 ――無茶苦茶よ、そんなの!
 でも、お願い蒼龍、どうか堪えて。
 
 口に出せない悔しさが、心の底から込み上げてくる。

 と、蒼龍がへにゃりと表情を緩めた。
 瞳に宿っていた強い光が消えてゆく。

 と思ったら、目に涙を溜め、シクシクと泣き出した。

「なあ、綺麗な姐さん、どうか勘弁しておくれよ…皇帝だの曹様だの、誰に間違われたのか知らねえが、俺はホントに、ここに商売しに来ただけなんだって!」

 そわそわと忙しなげに身体を動かし、いかにも惨めっぽく呻いた。
「俺、難しいことは分かんねえ。何かの間違いなんだよこれは! 女房と俺を、はやく家に返しとくれよ」

「フン、何を今更。さっきの剣技、間違いなく王族のものだ。それに、その肚力や威圧感は、普通の行商人に身につくもんじゃない」

「剣だって、見よう見まねだ。だって、国境付近にゃ山賊がわんさか出るだろう? 自分で身を守るしかねえ。……今だって、女房の前でカッコつけただけ……ホントは、痛くて怖くてたまんねえんだよお~」

 そう言って鼻水すら垂らし、泣いている蒼龍に、小蘭は、感心を通り越して、半ば呆れていた。
 
 まさか、あそこまでやるなんて。
 
 紅蛾と呼ばれた女兵長も、少し嫌そうに、一歩距離を置いている。

「ふ、フン。今更遅いわっ。……無傷で捕えろって言われてるから、今は、これくらいにしてやるが」

「そ、それがようございます紅蛾様。ささ、早く護送の準備を」

 側近の老兵が諭すと、周りも心底ホッとした表情を浮かべた。
 しかし。

「まあ、嘘がバレるのも時間の問題さ。お前らはこれから、都の偉~い将軍様に、面通しをしていただくんだ」
 
「ふふん、どんなに探しても見つからなかったのを捕まえたわけだから、褒美はきっとたんまりだろうねえ」
 彼女は、腰を折って蒼龍の顔を覗き込んだ。
 
「そうだ、あたしはアンタらの身柄を貰おう。女房の方は……そうだねえ。お前の目の前で部下の玩具にしてやろう」
 紅蛾は、小蘭を嬲るように、真っ赤な紅の口元をゆっくりと引いた。
 
「そいつをたっぷり鑑賞した後は、旦那とあたしのお楽しみさ。耳か、目か……どこから削ごうかねえ」
 
 紅蛾は、楽しげに指を折り、ゾッとするような笑いを浮かべた。
 
 やがて、蒼龍にも猿轡さるぐつわがかまされた。
 ふたりの視界に、黒布が落とされる。寸前に、赤い裳裾がゆらりと揺れ、腰の佩環がカチャリと鳴った。

「さあ、立て!」

 縄で乱暴に引っ張り上げられ、よろけながら立ち上がる。
 周りは一分の隙もなく、兵士が固めている。
 ふたりは、街の人たちが前から縄で引っ張られ、後ろから足を蹴られながら、慣れた街道を進んでいった。

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