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第三章 帰還
92 鬨の声
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白虎が日鳳を降ろした、そのほぼ同時に。
ドォンッ!
ひときわ大きな打撃音が、広間の床を揺るがした。
「よう、久ぶりだなあ、童」
見れば、入り口の真ん中に、大槍を構えた大男が、仁王立ちしていた。
「玄武!」
目を丸くした小蘭の元に、玄武は笑いながらやって来た。
「ウーハハハ、どうも儂は、また童のお守りらしいぞ」
「玄武殿すみません、実は……痛っっ!」
折り目正しく礼をする日鳳の背を、玄武はパーン、と叩いた。
「そういう堅苦しいのはなしだって、いつも言ってるだろうが、日鳳」
「こ、小僧……」
張り手のせいで、ガクガク膝を震わせる日鳳に頓着せず、玄武は豪快に笑った。
「ウハハハハ。その癖、『気合いで城を抜けてこい』なんて無茶振りをするんだからな、この男は、真面目なんだか、大胆なんだかよう分からん」
半ば涙目になりながらも、何とか日鳳は持ち直した。
「護りの要、玄武殿にお頼みします。小蘭妃をお護りし、何があろうと――必ず、都までお連れください」
玄武は、フンと大きく鼻を鳴らした。
「なあに、退屈な宮廷生活にゃ、飽き飽きしてたところよ。……まあ、お前に呼び出された時には、戦で大暴れしてやろうと思っていたんだが」
「玄武殿、この任務は、戦の手柄よりもっと大切な……は ぶっ」
日鳳の言葉は、今日三発目の平手打ちに潰された。
「分かっとるわい。いちいちうるさい! 儂は元々、護衛専門だ。儂が一度だって、失敗したことがあるか?」
「ない!」
白虎がすかさず合いの手を入れる。
「……かたじけない」
ドン。胸を張って大槍を構え、床を打ち鳴らした玄武。
彼に目礼すると、日鳳は小蘭に向かって膝を着いた。
「小蘭妃。先程のご無礼、お許し下さい。つまりその…私は、貴女のために――太子の方は、必ず我々が都へお連れしますから……!」
しかし彼は、それ以上言葉を続けることが出来なかった。小蘭の胸に、抱きすくめられてしまったからだ。
「ごめんね日鳳。あなたがそこまで考えてくれてるなんて――分かってなかった。私、皆とまた会えるように、精一杯やるわ! だから――」
「……」
ぎゅうっ。
小蘭は、すっかり固まってしまった日鳳を、いっそう強く抱き締めた。
「どうか――みんな無事でいて」
ちょい、ちょい。
すると、小蘭の肩のあたりに、しきりにちょっかいをかけてくるものがある。
「もう、時間が無いのは分かってる! でも、あとちょっとだけ……白虎?」
振り返った小蘭の目に、必死に笑いを堪えている白虎が映った。
「ぶっ……奥方見て、胸」
彼は、片手で口を抑えながら、もう片方で小蘭の下を指差した。
つられて覗くと、
「……ダメ……ムリ」
日鳳が、ゆっくり小蘭の胸から剥がれ落ち、鼻血を吹きだした。
「ひゃっ! 日鳳、だ、大丈夫? しっかりして……」
「なあ、今度はあっち。見て」
抱き起こそうとする小蘭に、さらに白虎は反対側を指差した。
すると。
彼の指す方向から、荒々しく軍靴の音を響かせて、蒼龍が近づいてくる。
「どけっ」
蒼龍は、二人の間に割って入ると、日鳳を睨みつけた。
「何をしている?」
低い声。
「あ……いやその」
「ちっ、俺だってまだなのに――こら、目を逸らすな」
「あ……はは」
「ぶはっ、ぎゃーっはっは」
とうとう我慢しきれず、腹を抱えて笑う白虎に、顔を引き攣らせている小蘭。
その声に、辺りに重苦しく垂れ込めていた黒い霧が、いつの間にか消し飛んでいた。
*
「じゃあ、気をつけてな」
「うん、蒼龍も」
蒼龍に先立ち、出発する小蘭は、玄武の前に跨がった。
これから小蘭は、玄武と少数の護衛とともに、蒼龍達とは別ルートで王都を目指す。
「計画では、蒼太子の率いる本体は今夜。小蘭様は二日後に到着のご予定です」
日鳳が説明した。
今の姿を、目に焼き付けておきたい。
自分へ向く黒い瞳をじっと見つめる小蘭に、蒼龍はすっと目を細めた。
「どうした? 言っておくが、接吻はしないぞ? 今生の別れみたいになるからな」
「違うっ」
いつもと変わらない口調に、怒りながらも小蘭は、どこか胸に温かいものを感じている。
もう、大丈夫。
不思議と心は軽やかだった。
「それより……もし無事に帰る事が出来たら……今ここにいる皆に、また会いたい。一日は、騒いではしゃいで、皆で喜び合いたい」
「ああ分かった、約束しよう」
蒼龍は、小蘭が胸に提げている黒曜石を掌に掬い上げると、そっとそれに口付けした。
「では、頼んだぞ、玄武」
「ああ、任せておけ! 行くぞ童」
「蒼龍、王都で!」
「ああ」
小蘭が馬のたてがみを掴むと、玄武が手綱をぐいと引いた。
軽くつま先で腹を蹴ると、大きく前足を上げて嘶いた。
赤馬が、前だけを向いて駆け出した。
「小蘭……また会おう」
出立を見届け、蒼龍はさっと踵を返した。
青の外套を翻し、兵たちが整列して待つ外庭へと向かう。
「てめえら、鎮まれっ」
白虎が咆哮を上げると、水を打ったように場が静まった。
雛壇代わりの石畳。その中央に立った瞬間、蒼龍に視線が集中した。
蒼龍は、たっぷりと間をもたせた。
誰ひとり、息をする音すら立てない。
「時は来た――」
蒼龍は、眼下の兵士、一人一人に目線を移してゆく。
「父帝を弑し、王座を穢した逆臣、曹。
天の下に、その名を許すな。――討て!」
ワアアアーッ!
鬨の声が蒼天に響き、山全体の空気が震えた。
蒼龍の宣戦布告の声と、蜂起を告げる鬨の声を、小蘭ははるか遠くの馬上で聞いた。
その音に、小蘭は密かに黒曜石を握りしめた。それが彼女と蒼龍を繋ぐ、ただ一つの証であるかのように。
ああ、ついに始まった。
蒼龍のお母様。どうか――皆を守って。
ドォンッ!
ひときわ大きな打撃音が、広間の床を揺るがした。
「よう、久ぶりだなあ、童」
見れば、入り口の真ん中に、大槍を構えた大男が、仁王立ちしていた。
「玄武!」
目を丸くした小蘭の元に、玄武は笑いながらやって来た。
「ウーハハハ、どうも儂は、また童のお守りらしいぞ」
「玄武殿すみません、実は……痛っっ!」
折り目正しく礼をする日鳳の背を、玄武はパーン、と叩いた。
「そういう堅苦しいのはなしだって、いつも言ってるだろうが、日鳳」
「こ、小僧……」
張り手のせいで、ガクガク膝を震わせる日鳳に頓着せず、玄武は豪快に笑った。
「ウハハハハ。その癖、『気合いで城を抜けてこい』なんて無茶振りをするんだからな、この男は、真面目なんだか、大胆なんだかよう分からん」
半ば涙目になりながらも、何とか日鳳は持ち直した。
「護りの要、玄武殿にお頼みします。小蘭妃をお護りし、何があろうと――必ず、都までお連れください」
玄武は、フンと大きく鼻を鳴らした。
「なあに、退屈な宮廷生活にゃ、飽き飽きしてたところよ。……まあ、お前に呼び出された時には、戦で大暴れしてやろうと思っていたんだが」
「玄武殿、この任務は、戦の手柄よりもっと大切な……は ぶっ」
日鳳の言葉は、今日三発目の平手打ちに潰された。
「分かっとるわい。いちいちうるさい! 儂は元々、護衛専門だ。儂が一度だって、失敗したことがあるか?」
「ない!」
白虎がすかさず合いの手を入れる。
「……かたじけない」
ドン。胸を張って大槍を構え、床を打ち鳴らした玄武。
彼に目礼すると、日鳳は小蘭に向かって膝を着いた。
「小蘭妃。先程のご無礼、お許し下さい。つまりその…私は、貴女のために――太子の方は、必ず我々が都へお連れしますから……!」
しかし彼は、それ以上言葉を続けることが出来なかった。小蘭の胸に、抱きすくめられてしまったからだ。
「ごめんね日鳳。あなたがそこまで考えてくれてるなんて――分かってなかった。私、皆とまた会えるように、精一杯やるわ! だから――」
「……」
ぎゅうっ。
小蘭は、すっかり固まってしまった日鳳を、いっそう強く抱き締めた。
「どうか――みんな無事でいて」
ちょい、ちょい。
すると、小蘭の肩のあたりに、しきりにちょっかいをかけてくるものがある。
「もう、時間が無いのは分かってる! でも、あとちょっとだけ……白虎?」
振り返った小蘭の目に、必死に笑いを堪えている白虎が映った。
「ぶっ……奥方見て、胸」
彼は、片手で口を抑えながら、もう片方で小蘭の下を指差した。
つられて覗くと、
「……ダメ……ムリ」
日鳳が、ゆっくり小蘭の胸から剥がれ落ち、鼻血を吹きだした。
「ひゃっ! 日鳳、だ、大丈夫? しっかりして……」
「なあ、今度はあっち。見て」
抱き起こそうとする小蘭に、さらに白虎は反対側を指差した。
すると。
彼の指す方向から、荒々しく軍靴の音を響かせて、蒼龍が近づいてくる。
「どけっ」
蒼龍は、二人の間に割って入ると、日鳳を睨みつけた。
「何をしている?」
低い声。
「あ……いやその」
「ちっ、俺だってまだなのに――こら、目を逸らすな」
「あ……はは」
「ぶはっ、ぎゃーっはっは」
とうとう我慢しきれず、腹を抱えて笑う白虎に、顔を引き攣らせている小蘭。
その声に、辺りに重苦しく垂れ込めていた黒い霧が、いつの間にか消し飛んでいた。
*
「じゃあ、気をつけてな」
「うん、蒼龍も」
蒼龍に先立ち、出発する小蘭は、玄武の前に跨がった。
これから小蘭は、玄武と少数の護衛とともに、蒼龍達とは別ルートで王都を目指す。
「計画では、蒼太子の率いる本体は今夜。小蘭様は二日後に到着のご予定です」
日鳳が説明した。
今の姿を、目に焼き付けておきたい。
自分へ向く黒い瞳をじっと見つめる小蘭に、蒼龍はすっと目を細めた。
「どうした? 言っておくが、接吻はしないぞ? 今生の別れみたいになるからな」
「違うっ」
いつもと変わらない口調に、怒りながらも小蘭は、どこか胸に温かいものを感じている。
もう、大丈夫。
不思議と心は軽やかだった。
「それより……もし無事に帰る事が出来たら……今ここにいる皆に、また会いたい。一日は、騒いではしゃいで、皆で喜び合いたい」
「ああ分かった、約束しよう」
蒼龍は、小蘭が胸に提げている黒曜石を掌に掬い上げると、そっとそれに口付けした。
「では、頼んだぞ、玄武」
「ああ、任せておけ! 行くぞ童」
「蒼龍、王都で!」
「ああ」
小蘭が馬のたてがみを掴むと、玄武が手綱をぐいと引いた。
軽くつま先で腹を蹴ると、大きく前足を上げて嘶いた。
赤馬が、前だけを向いて駆け出した。
「小蘭……また会おう」
出立を見届け、蒼龍はさっと踵を返した。
青の外套を翻し、兵たちが整列して待つ外庭へと向かう。
「てめえら、鎮まれっ」
白虎が咆哮を上げると、水を打ったように場が静まった。
雛壇代わりの石畳。その中央に立った瞬間、蒼龍に視線が集中した。
蒼龍は、たっぷりと間をもたせた。
誰ひとり、息をする音すら立てない。
「時は来た――」
蒼龍は、眼下の兵士、一人一人に目線を移してゆく。
「父帝を弑し、王座を穢した逆臣、曹。
天の下に、その名を許すな。――討て!」
ワアアアーッ!
鬨の声が蒼天に響き、山全体の空気が震えた。
蒼龍の宣戦布告の声と、蜂起を告げる鬨の声を、小蘭ははるか遠くの馬上で聞いた。
その音に、小蘭は密かに黒曜石を握りしめた。それが彼女と蒼龍を繋ぐ、ただ一つの証であるかのように。
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