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第三章 帰還
102 月下、ふたり
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さて。
爆竹の音とともに始まった乞巧節の宴は、天の川が濃くなる頃、最高潮を迎えていた。
小蘭は、あの日の仲間たちとともに、起死回生の生還を喜び合った。
酒も入り、気分も上がると、あちこちで武勇伝や、自慢話が繰り広げられている。
そして、なんといっても今夜は七夕、別名を愛情節。
夜も深まると、後宮内のあちこちで恋の駆け引きが始まった。
ただし、太后様の嫌う下品なものは厳禁だ。あらかじめ『打首にする』などという過激な触れ書きが出回っている。
無礼講ということで、蒼龍や小蘭、首脳陣のいる輪にも、大勢が酒を注ぎに来た。
そして……その半分以上は、新帝や重臣狙いの妃や宮女たちだ。
程なくして、懐かしい顔ぶれがやって来た。
「小蘭」
「碧衣、尚真! 久しぶり……尚真、どうしたのその格好」
「どう? すごく可愛いでしょう」
「いやぁ、どうって言われても……ねえ」
胸元が、開きすぎている。
その率直な感想をぼかし、三人で話に花を咲かせて――などと考えた小蘭が甘かった。
挨拶が済んだと思ったら、尚真は、すうっと二人から離れて蒼龍へと近づいて行ってしまった。
「蒼龍陛下……私を覚えていらっしゃいますか? あの、火事の時の」
「ああ、いつも小蘭とよく一緒にいた子だな。覚えているとも」
「嬉しい、覚えていてくださったのね!」
胸をくっつけるようにして、蒼龍の腕に組み付いた尚真。
その様子を、少し離れた所にいた碧衣と小蘭は、呆れ顔で眺めていた。
「……何、あれ」
「さあ。ああいうの見る度に私、あいつの友達やめようって思うんだけど」
碧衣が、苦り切って呟いた。
尚真は、こと色恋に関しては、妙に張り合ってくる節があった。
それでも、どこかズレていて憎めない彼女とは、ずっと仲良くやってきたのだが。
蒼龍のこととなると、話は別だ。
――何よ蒼龍の奴、鼻の下伸ばしちゃって。
さっきから、まんざらでもなさそうな蒼龍が、小蘭には面白くない。
こういう場では、蒼龍はわざと軽い。女との距離もためらわない。
それが女の側に、どれだけの期待を持たせるかも知らないで。
ホラ、今だって。尚真のベタな色仕掛けを、押しのけようともしていない。
〝正妃〟〝側妃〟といえど、生物上の女としての土俵では平等だ。
そっち方面の〝女の戦い〟に、小蘭はまるで自信がない。
そんな小蘭の胸の内もお構いなく、尚真は蒼龍に迫り寄る。
「そういえば私、最近遠い東の国の舞踏を覚えたんです。見てくれます? ちょっと、恥ずかしい格好になっちゃうんですけど」
「え、ええっと……それは」
しなだれかかる尚真に、さすがに小蘭の目を気にしはじめた蒼龍。
すると。
「よう、飲ってるか」
ふたりの間を割るように、白虎が顔を出した。
蒼龍が、さっと横にずれると、真ん中にどっかりと座り込む。
尚真が、あからさまに顔を歪めた。
「白虎、どこへ行ってたんだよ。……あれ、日鳳は一緒じゃないのか」
「ああ、ちょっと連れ回してたら、途中で逃げられられた」
「お前があんまり虐めるからだろう。お前……そろそろ本気で怒られるぞ」
「はーっはっは。何を抜かす。日鳳だって、そろそろ身を固めないといかんのに、一人では声すら掛けられん。嫁さん探しを手伝ってやってたんだよ」
豪快に酒を飲み干すと、白虎は、横で頬を膨らませている尚真に目をやった。
「おや? ああそうだ、あんた、舞踏を披露してくれるんだって? 酒の余興にやってくれよ。何なら、俺が相手をしてやるぜ?」
蒼龍の肩に手を回しつつ、豪快に笑う白虎に、尚真の顔が、段々赤みを帯びてきた。
そして。
「もう、結構です!」
顔を真っ赤にして怒り、どこかへ行ってしまった。
「ありがとう、白虎。助かった」
「ん、何のことだ? そろそろ女には飽きてきたか。俺に身を委ねてみるか」
「そんなことは、断じてない!」
くす、小蘭は小さく笑う。
尚真には申し訳ないが、いい気味だと思った。
これまでも、幾多の妃が酒を注ぎにやってきたものの、今のように、白虎が壁になってくれる場面があった。
本当は、蒼龍が私だけを見てくれたら嬉しいのだけれど……。
立場上そうもいかないことも、自分が嫉妬を丸出しにできないことも、もう分かっている。
皆が飲んでいる「お酒」というのも、小蘭は飲んだことがない。
気分が楽しくなるらしいが、『皇帝の子を産む身体には、毒ですから』と、春明から禁じられた。
皇帝、皇后という立場で、失ったものも、確かにあるのだ。
尚真は怒ってどこかへ行ってしまったし、碧衣も、いつの間にか居なくなっていた。
皆の笑いが響くほどに、胸の奥が静かになる。
漂う酒気に、顔が火照りだしていた。
――これも毒になるのかもしれない。
小蘭はそっと輪を抜けた。
人気の少ない方へ向かうと、自然、明かりが暗くなった。
晴天の夜空には、天の川が大きく横たわっている。
夜気が、肌に気持ちいい。
意外にも、こんなに暗く静かな外れにも、まだあちこちに人が居た。
その多くが、祭りの喧騒を抜け出てきた二人組。皆、どこか幸せそうだ。
柳の木陰から、密やかな男女の会話が聞こえてきた。
「……あの時は必死だったのさ。槍なんて持ったのも初めてで、目を瞑って一生懸命振り回しただけだった」
「凄い、勇敢なのね…でも、よかったわ。貴方が無事で」
あれは、昼に回廊で出会った女官・水蓮だ。若い兵士と談笑している。
(良かった、上手くいきそうだわ)
小蘭は、気づかれないよう通り過ぎた。
少し、二人が羨ましい。
もし自分と蒼龍があの女官と兵士だったら。
普通に出会って、普通の恋ができたのだろうか。
本当は、不安で仕方がない。
これからも、きっと簡単ではない。
尚真のように、蒼龍の寵愛を得ようと躍起になる妃たちもいる。
ちっぽけなプライドに縋り、余裕ぶってはみるけれど、内心はいつもはらはらしてる。
物思いに耽りながら歩いていた小蘭は、いつの間にやら、例の李園のところまで来ていた。
半月が、静かに桃林を照らしている。
小蘭は、吸い寄せられるようにそちらへ向かった。
入口に立ち、月光に白く浮かぶ樹木を見上げる。
ここは……
かつて蒼龍と黎妃様が逢瀬のたびに訪れていたという場所だ。
何となく、蒼龍に出会った日を思い出していた。
初めて出会った日の蒼龍は、月の光に照らされて美しく、けれど、どこか尖って見えた。
思えばひどい出会い方だったけれど、あれが無ければ、自分たちの進む未来はなかった。
私が彼を望む限り、ここに行き着くしかなかったのだ。
ならば私は、今いる場所で咲くしかない。
迷ってもいい。
怖くてもいい。
それでも、彼の隣で生きていく。
小蘭が大きく伸びをした時。
「こら! ここで何をしているっ」
急な怒声に、小蘭は、ぎくりと肩を揺らした。
だが。
「『この桃苑は皇家のもの。許可なき者の侵入には、十打擲の刑が加えられるのだぞ』でしょ?」
それが誰だかは、もう分かっている。
「――何だ、バレてたのか」
小蘭が振り向くと、蒼龍が笑いながら近づいてくる。
「いつからいたの?」
「君がふらっと抜けた時。どんどん奥に進んでいくから、いつ声を掛けようかと思ったぞ。……一人歩きは危険だ、もう側妃の小蘭じゃないんだからな」
「……ごめん。気を付ける」
蒼龍は、小蘭を軽々抱き上げて、額どうしを寄せあった。
「まあ、いいよ。俺がいるから。……どうしたんだ、難しい顔をして」
「お酒の匂いで酔っただけ。蒼龍だって、主役が抜けたら困るんじゃない?」
「もういいさ。これからの時間は、宮中に住む皆が主役だ。俺もちょっと飲みすぎた。少しここで休んでいくか」
蒼龍は、小蘭を草原に降ろすと、その横に寝そべった。
「懐かしいな、小蘭が初めてここへ来たのは、確か、出会って間もない頃だったか」
「そう、私が先生の所に隠れてた時。子どもの恰好で立ってたら、蒼龍が番人のフリで脅かして。なんて奴だって思ったわ」
「はは、違いない」
夜空を見上げていた蒼龍が、小蘭のほうに目をやった。
「でも、次に来た時は違ってた。あの時は、君のほうから『俺の子を産む』と宣言を……」
「わーっ、待った! それは言わない約束でしょ?」
「冗談。まあ、どちらからでも、別にいいよな。おかげで今、こうしていられるんだから。……さあ、教えろよ、何考えてた?」
「うーん、そうね。……両手に花を抱えながら、お酒を注がれていい気になってる、亭主の浮気の心配とか?」
「……い、いやその。さっきのは別に、決して変な気持ちではなく。ただその、男女とも分け隔てないようにだな」
ちょっとだけ意趣返しだ。
あたふたと説明し始める蒼龍に、小蘭は小さく笑った。
「う、そ。……蒼龍は偉いなと思って。ちゃんと「皇帝」をしてるもの。私は……「正妃」にも「皇后」にもちゃんとなれるか分からない」
柔らかな草の台地に目を伏せた小蘭。
眉を寄せ、真剣な顔で見つめていた蒼龍が、盛大に笑いだした。
「ははは、……あーっはっは」
「な、何よ、人が真剣に落ち込んでるってのに、笑うことないじゃない!」
半身を起こし、抗議する小蘭。
蒼龍は、まだ引き笑いをしながら、目じりを指で拭った。
「悪い悪い。……何だ、そんなことか」
「そんな事って!」
蒼龍は、身を乗り出した小蘭の背中を、優しく撫でた。
「俺だって同じだ。毎日そんな悩みだらけさ。あれで良かったのか、失敗していないか、日鳳や白虎、重臣どもにも見限られるんじゃないか……」
蒼龍は、ふっと息を吐く。
「でも、そんな事を考えたってしょうがない。俺は、俺のようにしかやれないのだから」
蒼龍は少しだけ、口の端を上げた。
「いいじゃないか、もし「ちゃんと」やれなかったら、また二人で行商人でもやろうぜ。その時は、俺が君に付き合うからさ」
「蒼龍」
言った後、蒼龍は、小蘭に顔を隠すようにして起き上がった。
「……そうだ!」
わざと大きな声を上げ、小蘭のほうを振り返る。
「小蘭はもう、李園の果実を食ったことがあるか?」
「ううん。何かタイミング悪くって」
「そうか残念、すごく甘いのにな。あ……待てよ。俺、一本だけ、早く実がなる樹を知ってるんだ。もしかすると、一つぐらいあるかもしれない――ちょっと待ってろ 」
立ち上がった蒼龍は、林の少し奥まで入り、するすると木に登っていった。
ややあって。
「あったあった」
彼は大きな桃の実をひとつ、大事そうに持ってきた。
「幸運だ。こんなに甘い香りを出してるのに、烏にも啄まれずに残っていた。……そら」
月光を受け、白く輝くその果実は、産毛に蜜を光らせながら、小蘭の両手で輝いている。
小蘭は、それを慎重に口に含んだ。
そして――。
「本当だ……すっごく甘い」
パッと目を輝かせ、蒼龍に微笑みかけた。
「ふうん、よかったな。……どれ、味見」
「蒼……」
ふいに、小蘭の唇を柔らかいものが覆った。
それはとても優しい口づけ。
月明かりの逆光に、出会った夜の記憶がふと小蘭の頭を掠める。
ああそうだ、あの日、私は間違われて――。
「俺の愛しい……小蘭」
重なる唇から、小さな囁きがはっきりと聴こえてきた。
不意打ちに、目を見開いたままだった小蘭も、やがては目を閉じ、その交わりを深めていった。
――ああ、そうか。
始めから、間違われてはいなかったんだ。
折り重なる二人の影を、柔らかな月明かりが、いつまでも照らし続けている。
桃は毎年実をつける。
嵐が来ても、枝が折れても。
ここで咲くと決めた木のように、私も。
甘い桃の香りだけが、夜に残った。
【終幕】
爆竹の音とともに始まった乞巧節の宴は、天の川が濃くなる頃、最高潮を迎えていた。
小蘭は、あの日の仲間たちとともに、起死回生の生還を喜び合った。
酒も入り、気分も上がると、あちこちで武勇伝や、自慢話が繰り広げられている。
そして、なんといっても今夜は七夕、別名を愛情節。
夜も深まると、後宮内のあちこちで恋の駆け引きが始まった。
ただし、太后様の嫌う下品なものは厳禁だ。あらかじめ『打首にする』などという過激な触れ書きが出回っている。
無礼講ということで、蒼龍や小蘭、首脳陣のいる輪にも、大勢が酒を注ぎに来た。
そして……その半分以上は、新帝や重臣狙いの妃や宮女たちだ。
程なくして、懐かしい顔ぶれがやって来た。
「小蘭」
「碧衣、尚真! 久しぶり……尚真、どうしたのその格好」
「どう? すごく可愛いでしょう」
「いやぁ、どうって言われても……ねえ」
胸元が、開きすぎている。
その率直な感想をぼかし、三人で話に花を咲かせて――などと考えた小蘭が甘かった。
挨拶が済んだと思ったら、尚真は、すうっと二人から離れて蒼龍へと近づいて行ってしまった。
「蒼龍陛下……私を覚えていらっしゃいますか? あの、火事の時の」
「ああ、いつも小蘭とよく一緒にいた子だな。覚えているとも」
「嬉しい、覚えていてくださったのね!」
胸をくっつけるようにして、蒼龍の腕に組み付いた尚真。
その様子を、少し離れた所にいた碧衣と小蘭は、呆れ顔で眺めていた。
「……何、あれ」
「さあ。ああいうの見る度に私、あいつの友達やめようって思うんだけど」
碧衣が、苦り切って呟いた。
尚真は、こと色恋に関しては、妙に張り合ってくる節があった。
それでも、どこかズレていて憎めない彼女とは、ずっと仲良くやってきたのだが。
蒼龍のこととなると、話は別だ。
――何よ蒼龍の奴、鼻の下伸ばしちゃって。
さっきから、まんざらでもなさそうな蒼龍が、小蘭には面白くない。
こういう場では、蒼龍はわざと軽い。女との距離もためらわない。
それが女の側に、どれだけの期待を持たせるかも知らないで。
ホラ、今だって。尚真のベタな色仕掛けを、押しのけようともしていない。
〝正妃〟〝側妃〟といえど、生物上の女としての土俵では平等だ。
そっち方面の〝女の戦い〟に、小蘭はまるで自信がない。
そんな小蘭の胸の内もお構いなく、尚真は蒼龍に迫り寄る。
「そういえば私、最近遠い東の国の舞踏を覚えたんです。見てくれます? ちょっと、恥ずかしい格好になっちゃうんですけど」
「え、ええっと……それは」
しなだれかかる尚真に、さすがに小蘭の目を気にしはじめた蒼龍。
すると。
「よう、飲ってるか」
ふたりの間を割るように、白虎が顔を出した。
蒼龍が、さっと横にずれると、真ん中にどっかりと座り込む。
尚真が、あからさまに顔を歪めた。
「白虎、どこへ行ってたんだよ。……あれ、日鳳は一緒じゃないのか」
「ああ、ちょっと連れ回してたら、途中で逃げられられた」
「お前があんまり虐めるからだろう。お前……そろそろ本気で怒られるぞ」
「はーっはっは。何を抜かす。日鳳だって、そろそろ身を固めないといかんのに、一人では声すら掛けられん。嫁さん探しを手伝ってやってたんだよ」
豪快に酒を飲み干すと、白虎は、横で頬を膨らませている尚真に目をやった。
「おや? ああそうだ、あんた、舞踏を披露してくれるんだって? 酒の余興にやってくれよ。何なら、俺が相手をしてやるぜ?」
蒼龍の肩に手を回しつつ、豪快に笑う白虎に、尚真の顔が、段々赤みを帯びてきた。
そして。
「もう、結構です!」
顔を真っ赤にして怒り、どこかへ行ってしまった。
「ありがとう、白虎。助かった」
「ん、何のことだ? そろそろ女には飽きてきたか。俺に身を委ねてみるか」
「そんなことは、断じてない!」
くす、小蘭は小さく笑う。
尚真には申し訳ないが、いい気味だと思った。
これまでも、幾多の妃が酒を注ぎにやってきたものの、今のように、白虎が壁になってくれる場面があった。
本当は、蒼龍が私だけを見てくれたら嬉しいのだけれど……。
立場上そうもいかないことも、自分が嫉妬を丸出しにできないことも、もう分かっている。
皆が飲んでいる「お酒」というのも、小蘭は飲んだことがない。
気分が楽しくなるらしいが、『皇帝の子を産む身体には、毒ですから』と、春明から禁じられた。
皇帝、皇后という立場で、失ったものも、確かにあるのだ。
尚真は怒ってどこかへ行ってしまったし、碧衣も、いつの間にか居なくなっていた。
皆の笑いが響くほどに、胸の奥が静かになる。
漂う酒気に、顔が火照りだしていた。
――これも毒になるのかもしれない。
小蘭はそっと輪を抜けた。
人気の少ない方へ向かうと、自然、明かりが暗くなった。
晴天の夜空には、天の川が大きく横たわっている。
夜気が、肌に気持ちいい。
意外にも、こんなに暗く静かな外れにも、まだあちこちに人が居た。
その多くが、祭りの喧騒を抜け出てきた二人組。皆、どこか幸せそうだ。
柳の木陰から、密やかな男女の会話が聞こえてきた。
「……あの時は必死だったのさ。槍なんて持ったのも初めてで、目を瞑って一生懸命振り回しただけだった」
「凄い、勇敢なのね…でも、よかったわ。貴方が無事で」
あれは、昼に回廊で出会った女官・水蓮だ。若い兵士と談笑している。
(良かった、上手くいきそうだわ)
小蘭は、気づかれないよう通り過ぎた。
少し、二人が羨ましい。
もし自分と蒼龍があの女官と兵士だったら。
普通に出会って、普通の恋ができたのだろうか。
本当は、不安で仕方がない。
これからも、きっと簡単ではない。
尚真のように、蒼龍の寵愛を得ようと躍起になる妃たちもいる。
ちっぽけなプライドに縋り、余裕ぶってはみるけれど、内心はいつもはらはらしてる。
物思いに耽りながら歩いていた小蘭は、いつの間にやら、例の李園のところまで来ていた。
半月が、静かに桃林を照らしている。
小蘭は、吸い寄せられるようにそちらへ向かった。
入口に立ち、月光に白く浮かぶ樹木を見上げる。
ここは……
かつて蒼龍と黎妃様が逢瀬のたびに訪れていたという場所だ。
何となく、蒼龍に出会った日を思い出していた。
初めて出会った日の蒼龍は、月の光に照らされて美しく、けれど、どこか尖って見えた。
思えばひどい出会い方だったけれど、あれが無ければ、自分たちの進む未来はなかった。
私が彼を望む限り、ここに行き着くしかなかったのだ。
ならば私は、今いる場所で咲くしかない。
迷ってもいい。
怖くてもいい。
それでも、彼の隣で生きていく。
小蘭が大きく伸びをした時。
「こら! ここで何をしているっ」
急な怒声に、小蘭は、ぎくりと肩を揺らした。
だが。
「『この桃苑は皇家のもの。許可なき者の侵入には、十打擲の刑が加えられるのだぞ』でしょ?」
それが誰だかは、もう分かっている。
「――何だ、バレてたのか」
小蘭が振り向くと、蒼龍が笑いながら近づいてくる。
「いつからいたの?」
「君がふらっと抜けた時。どんどん奥に進んでいくから、いつ声を掛けようかと思ったぞ。……一人歩きは危険だ、もう側妃の小蘭じゃないんだからな」
「……ごめん。気を付ける」
蒼龍は、小蘭を軽々抱き上げて、額どうしを寄せあった。
「まあ、いいよ。俺がいるから。……どうしたんだ、難しい顔をして」
「お酒の匂いで酔っただけ。蒼龍だって、主役が抜けたら困るんじゃない?」
「もういいさ。これからの時間は、宮中に住む皆が主役だ。俺もちょっと飲みすぎた。少しここで休んでいくか」
蒼龍は、小蘭を草原に降ろすと、その横に寝そべった。
「懐かしいな、小蘭が初めてここへ来たのは、確か、出会って間もない頃だったか」
「そう、私が先生の所に隠れてた時。子どもの恰好で立ってたら、蒼龍が番人のフリで脅かして。なんて奴だって思ったわ」
「はは、違いない」
夜空を見上げていた蒼龍が、小蘭のほうに目をやった。
「でも、次に来た時は違ってた。あの時は、君のほうから『俺の子を産む』と宣言を……」
「わーっ、待った! それは言わない約束でしょ?」
「冗談。まあ、どちらからでも、別にいいよな。おかげで今、こうしていられるんだから。……さあ、教えろよ、何考えてた?」
「うーん、そうね。……両手に花を抱えながら、お酒を注がれていい気になってる、亭主の浮気の心配とか?」
「……い、いやその。さっきのは別に、決して変な気持ちではなく。ただその、男女とも分け隔てないようにだな」
ちょっとだけ意趣返しだ。
あたふたと説明し始める蒼龍に、小蘭は小さく笑った。
「う、そ。……蒼龍は偉いなと思って。ちゃんと「皇帝」をしてるもの。私は……「正妃」にも「皇后」にもちゃんとなれるか分からない」
柔らかな草の台地に目を伏せた小蘭。
眉を寄せ、真剣な顔で見つめていた蒼龍が、盛大に笑いだした。
「ははは、……あーっはっは」
「な、何よ、人が真剣に落ち込んでるってのに、笑うことないじゃない!」
半身を起こし、抗議する小蘭。
蒼龍は、まだ引き笑いをしながら、目じりを指で拭った。
「悪い悪い。……何だ、そんなことか」
「そんな事って!」
蒼龍は、身を乗り出した小蘭の背中を、優しく撫でた。
「俺だって同じだ。毎日そんな悩みだらけさ。あれで良かったのか、失敗していないか、日鳳や白虎、重臣どもにも見限られるんじゃないか……」
蒼龍は、ふっと息を吐く。
「でも、そんな事を考えたってしょうがない。俺は、俺のようにしかやれないのだから」
蒼龍は少しだけ、口の端を上げた。
「いいじゃないか、もし「ちゃんと」やれなかったら、また二人で行商人でもやろうぜ。その時は、俺が君に付き合うからさ」
「蒼龍」
言った後、蒼龍は、小蘭に顔を隠すようにして起き上がった。
「……そうだ!」
わざと大きな声を上げ、小蘭のほうを振り返る。
「小蘭はもう、李園の果実を食ったことがあるか?」
「ううん。何かタイミング悪くって」
「そうか残念、すごく甘いのにな。あ……待てよ。俺、一本だけ、早く実がなる樹を知ってるんだ。もしかすると、一つぐらいあるかもしれない――ちょっと待ってろ 」
立ち上がった蒼龍は、林の少し奥まで入り、するすると木に登っていった。
ややあって。
「あったあった」
彼は大きな桃の実をひとつ、大事そうに持ってきた。
「幸運だ。こんなに甘い香りを出してるのに、烏にも啄まれずに残っていた。……そら」
月光を受け、白く輝くその果実は、産毛に蜜を光らせながら、小蘭の両手で輝いている。
小蘭は、それを慎重に口に含んだ。
そして――。
「本当だ……すっごく甘い」
パッと目を輝かせ、蒼龍に微笑みかけた。
「ふうん、よかったな。……どれ、味見」
「蒼……」
ふいに、小蘭の唇を柔らかいものが覆った。
それはとても優しい口づけ。
月明かりの逆光に、出会った夜の記憶がふと小蘭の頭を掠める。
ああそうだ、あの日、私は間違われて――。
「俺の愛しい……小蘭」
重なる唇から、小さな囁きがはっきりと聴こえてきた。
不意打ちに、目を見開いたままだった小蘭も、やがては目を閉じ、その交わりを深めていった。
――ああ、そうか。
始めから、間違われてはいなかったんだ。
折り重なる二人の影を、柔らかな月明かりが、いつまでも照らし続けている。
桃は毎年実をつける。
嵐が来ても、枝が折れても。
ここで咲くと決めた木のように、私も。
甘い桃の香りだけが、夜に残った。
【終幕】
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