後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

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第三章 帰還

101 開かれた門の下で

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 その五日後。
 即位の儀が執り行われ、蒼龍は皇帝に、小蘭は皇后に任命された。
 皇帝自ら霊峰を踏破したという噂は都中を駆け巡り、玉座に並ぶ若い顔ぶれを見た人々は、今度こそ世が変わるのだと、胸の内で囁き合った。
 
 そんな喧騒も、ようやくひと段落した七月のこと。

 後宮では、宮女や宦官が総出で走り回っていた。
 本日夕刻からの、乞巧節――七夕の宴のためだ。

 普段は閉じたっきりの後宮の門が、今日だけは開かれる。
 それだけで、忙しく立ち働く彼女たちの笑い声も、一段高いものになった。
 
 そんな中、東宮と北宮を繋ぐ渡り廊下では、ふたりの女官が飾り付けの手を止めて、お喋りに興じていた。

「にしたって、新皇帝も思い切ったことをなさったものだわ。たった一日とはいえ、後宮を士官や使用人の全てに開放するだなんて」
「前代未聞よね、あの大后さまがよくお許しになられたものだわ」

「何でも、七夕伝説にちなんで、出逢いの場とするんですって。先帝様の妃たちにも、チャンスを与えるのだとか」
「えー、やだ! それじゃあ、目ぼしい男は奪われてしまう」
 笹を柱に結んでいた手が止まり、枝がぶらんと傾いた。

「まあ……あの方たちも気の毒な境遇よね。同盟の証だから、国には帰せない……」
「でも、だからって、自分で伴侶を決める、だなんて。新帝様も、甘いこと」
 
「それでも、新帝様狙いの妃はウジャウジャいるわ。うちの尚真様なんて、もう“狙い”を隠す気もない」
 笹に結び目をつくりながら、片方が肩をすくめると、もうひとりが非難の声を上げる。
 
「えー! 尚真様って確か、正妃様のお友達じゃなかった?」
「そうよ。朝っぱらから、『水晶、新帝様は、どの色がお好きかしら~?』ですって。我が主ながらイヤになっちゃう」

「でもさ。私たちにだって、お目に留まるチャンスはあるのよ? どうする、一発狙ってみる?」

「……あ~、私はいいわ。実はもう……狙ってる人がいるのよ」
「うそ、誰よ!」
「うふふ、秘密」
「何よ、勿体ぶって。……まあ確かに、私も新帝様は重たいわ」

「――ねえ、何の話?」

 急に後ろから声がかかり、女官たちはびくんと肩を上げた。慌てて手を動かし始める。

「も、申し訳ありませんっ、もうすぐ準備が終わりますから」
「あ、いいのよ。ちょっとお願いがあって来ただけだから」

 鷹揚な声に振り向くと、そこには、ざるを抱えた小蘭が、にこにこしながら立っていた。

 忽ち、女官たちの顔から緊張が消える。

「なーんだ、小蘭様じゃないですか。……てっきり女官長様がチェックにきたのかと」
「そうですよ、この辺りをうろついてると、また怒られちゃいますよ」

「うん、さっき巻いてきたから、大丈夫よ。『威厳を持て』だなんて言われても、急には変われないもの。……それよりさ、私の短冊、飾り付けさせてよ」
 見ると笊には、沢山の短冊が入っている。
 ぴょんぴょん飛び跳ね、竹の枝を取ろうとする小蘭を、彼女たちは慌てて止めた。

「ちょっと、危ないですから、私たちが付けてあげますよ。借してください」
「あ、ちょっと待っ……」

 小蘭から笊を取り上げ、短冊の願いを見た女官たちは目を見合せた。

「え、何これ。『桂瑶 素敵な人が現れますように』?」
「『楊奎 媽媽の病が癒えますように』?」
「『水蓮 朱門と上手くいきますように』……やだ、これあんたのことじゃない、水蓮。朱門って誰? もしかして、さっき言ってた」
「あっ……それは、その」

「もう、返してっ」
 小蘭は、笊をひったくるように抱え込んだ。

「小蘭様、私の名前、覚えて下さってたんですか……あの、朱門のことも」
「まだ全部じゃないけど……いずれは、覚えようと思ってる」
 小蘭は、低い声でポツリと言った。
 二人の頬が、ふっと緩んだ。

「……さて、飾り付けできましたよ。見てください、この出来栄え」

 小蘭は辺りを見回した。

 赤青黄色……色とりどりの雪洞が、軒下で風に揺れながら、今宵の出番を待っている。

「すごいわ……本当に。にしても、準備が速いのね。始まるのは、日没からだっていうのに」
 
「ええ、初めて後宮が外に開かれる、歴史的な日ですから。今からは、自分たちの準備です。私たちも、気合を入れて飾らなくっちゃ」

「あ、そうか。ごめんね、引き止めちゃって。それと……この前の“お願い”、助かったわ」
「ええ、あれくらいのことでしたら、いつでも」

 女官たちに手を振ると、小蘭は、長い回廊をゆっくりと歩き出した。
 
 ――『戻ったら、皆で無事を祝うの。一日だけはずっと騒いで、はしゃいで、喜び合いたい』
 出陣前の約束を、蒼龍はきちんと覚えていてくれた。
 
 そのうえ、『どうせなら皆とも分け合いたいわ』 なんて言った私の冗談を、蒼龍は本気にしたらしい。
 それが嬉しくて、少し怖い。
 
 太后様からは『その代わり、小蘭あなたが場の全責任を持つのよ』と、釘を刺され、背筋が伸びた。

 門が開く――それは、この国が少しだけ揺らぐということ。
 急に、肩に重いものがのしかかって来た気がした。

 ……。

 凛麗は、生きている。
 ただしその身は自由ではなく、後宮のどこかに軟禁されているのだとか。
 ――それでいい、と私は思うことにした。

 寺で暮らす黎妃様のもとでは、今日も小さな命が息をしている。
 あの碧の瞳の強い光を、私は何故か忘れられない。

 そして、私。
 『皇后』なんて呼ばれていても、相変わらず、私は私のままだ。
 ただ、守るものが増えたのだけは確かだ。

 小蘭は、ふと足を止めた。
 
 シャラ……。
 笹の葉が風に揉まれ、短冊飾りがはためいている。
 ひとつも落ちぬようにと、小蘭は目を細めた。

 空を見上げると、そろそろ太陽が傾いてきていた。
 遠くの稜線に沈む頃、今夜の祭りが始まるのだ。

 ――いけない、私も準備をしなくっちゃ。さっきの二人に負けていられない。
 
 小蘭は、北宮へ向かって駆け出した。
 ――今夜はきっと、賑やかになる。
 ただ、その賑やかさには、ほんの少し混じる苦味のことを、まだ知らないでいた。
 
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