16 / 17
第1章
小さな反乱
しおりを挟む
私と宿禰様は運命共同体。そう決意を固めたあの日から、またひと月が過ぎていた。
とにかく色々試してみようということで、あれからすぐに私達は動き出していた。
宿禰様は、外へ出られない代わりに、金に糸目をつけず書物を与えてもらえる。その特権を利用して、私たちは古今東西の書を集め、答えを探し求めていた。
ついでに言うと、猫っかぶりもやめた。
これは、ある朝の出来事。
「ええっ。今、何と仰いました?」
「はい、ですから、少し外を歩きませんかと」
声を高くして驚く宿禰様に、私はにこりと微笑んだ。
「この間、読んだ本にあったのです。日光には、悪しき力を浄化する力があるんですって。ね、試してみましょうよ」
「で、でも、この姿で外に出るのは……ちょっと」
実は、その書を読んだ時にはもう決めていた。
知られれば、きっとお義母様に叱られる。
――それでもこれは、誰に許されなくても、やらなければならないことだと。
「ふふ、ご安心ください。そう仰ると思い、いいものを準備して参りました。ほら!」
私は、今朝来る時に袖に隠していたそれを、宿禰様の前に差し出した。
「え、それって子どもの」
「そう、お面です。先日村の祭りのために里帰りをしていたタミちゃんがね、お土産に貰ってきてくれたの」
「ぷっ、しかもそれ、蛙の面じゃないですか」
「ふふっ、こうして見るとなかなか愛らしいお顔でしょう。夕暮れ時にこれを着けて頭巾を被れば、意外に目立ちませんわ。気分転換にもなりますし。何より……楽しいでしょう、ね?」
「確かにそれは楽しそうですが、しかし……」
もじもじと下を向いて躊躇う宿禰様に、私はさらに膝を詰めた。
「以前、宿禰様は仰いましたわ。『僕は日光は平気なのです』と。こんな真っ暗なところに引きこもっていれば、直るものも直りません。お姿を元に戻す前に、本物の病にかかってしまいます」
「むむ……。しかし、父や母が何というか。もし面が外れたら? きっと世間を驚かせるし、僕は見せ物になりたくはない。そうなれば、権藤家の恥だと母はきっと――」
「宿禰様」
「わわっ」
私は彼の鼻先まで顔を寄せ、ぐいっと膝元まで詰め寄った。焦って仰け反った彼は、勢いで尻もちを付きながら、そのまま後ろにずり下がる。
逃げ腰の彼に、私はさらに詰め寄った。
「いいですか? そんな弱気ではこの呪いには勝てませんわ。今に身体を動かす力もなくなって、本物の〝痩せ蛙〟になってしまいましてよ」
「やだなあ、陽毬さんったら上手いこと言って。そんなことで僕を乗せようったって、そうは問屋が卸さない――」
「宿禰様っ」
「はいっ」
つい大きな声を上げ、迫る私に、宿禰様はぴんと背を伸ばした。
「は、お話は分かりましたから……少し離れてください」
「ダメ。〝参ります〟というまで離れませんっ」
詰将棋のように隅に追い詰め、さらににじり寄った私に、宿禰様はとうとう大声を上げて降参した。
「もうっ、分かりました! 参ります、参りますからあ!」
「うふふっ、ありがとうございます」
約束どおりに離れてやると、宿禰様はほっと息を吐きながら急いで体勢を直す。
立ち上がるのに手を差し出すと、遠慮がちに手を取った。
ひんやりと滑らかな肌の感覚は、慣れてくると案外心地よい。
「そうと決まれば早速。今日の夕刻、水浴びの前に参りましょう。幸い、お天気は雨。人通りも少ないですし、初日にはちょうどいいですわ、ね?」
「うう……性急なんだから」
「何ですって?」
「な、何でもありません!」
悪口とあらば、聞き逃す私ではない。
彼はたまらず、ぎゅっと目を閉じながら、高い声を上げた。
夫婦になってから初めての外出。ふたりで街を歩けるだなんて夢みたい。せっかくだから、いつも着ている紺の作務衣では味気ない。
すっかり嬉しくなった私は、ウキウキしながら宿禰様の箪笥を探り、羽織や着物を見繕っていた。
さすが、見栄っ張りのお義母様の見立てだろうか。加賀友禅に竺仙の江戸小紋、箪笥の中はどれもこれも一流品だ。
ふと横を見ると、私にすっかりしてやられた宿禰様が、文机に向かいつつも、何やらぶつぶつ言っている。
「全く……いくらこの身体だからって。仮にも男女がふたりきり、僕だって一応、若い男子なんですよ? 陽毬さんには、少し警戒心が足らなさすぎる……」
「何か仰いました?」
「わわわっ、な、何でもありませんっ」
二、三の衣装を手にして後ろに立つと、宿禰様は慌ててしまって文字を書き損じた。紙の上を墨汁が斜めに走る。
「……あの、僕がさっき言ったこと、心配しないでくださいね。ありがたいことにこの身体になって以来、僕は異性に疾しい気持ちを感じたことがなく。だから――」
「はい? あ、あら大変。宿禰様、書きものが真っ黒になってますわ!」
「え? わ、わわわわっ」
その後は、ふたりそろって大慌てとなってしまった。
昼餉を終え、宿禰様は、いつもと変わらずお客様を迎えている。
私もまた、いつもと同じに隣の部屋に控えて書を開く。
でも今日は、夕刻が近づくたびに、胸がそわそわ、どきどきする。
和箪笥の上をちらりと見れば、朝に選んだ加賀友禅の着物、その上には、蛙の面。
胸の奥が少しだけ震えているのを、私は見ないふりをした。
とにかく色々試してみようということで、あれからすぐに私達は動き出していた。
宿禰様は、外へ出られない代わりに、金に糸目をつけず書物を与えてもらえる。その特権を利用して、私たちは古今東西の書を集め、答えを探し求めていた。
ついでに言うと、猫っかぶりもやめた。
これは、ある朝の出来事。
「ええっ。今、何と仰いました?」
「はい、ですから、少し外を歩きませんかと」
声を高くして驚く宿禰様に、私はにこりと微笑んだ。
「この間、読んだ本にあったのです。日光には、悪しき力を浄化する力があるんですって。ね、試してみましょうよ」
「で、でも、この姿で外に出るのは……ちょっと」
実は、その書を読んだ時にはもう決めていた。
知られれば、きっとお義母様に叱られる。
――それでもこれは、誰に許されなくても、やらなければならないことだと。
「ふふ、ご安心ください。そう仰ると思い、いいものを準備して参りました。ほら!」
私は、今朝来る時に袖に隠していたそれを、宿禰様の前に差し出した。
「え、それって子どもの」
「そう、お面です。先日村の祭りのために里帰りをしていたタミちゃんがね、お土産に貰ってきてくれたの」
「ぷっ、しかもそれ、蛙の面じゃないですか」
「ふふっ、こうして見るとなかなか愛らしいお顔でしょう。夕暮れ時にこれを着けて頭巾を被れば、意外に目立ちませんわ。気分転換にもなりますし。何より……楽しいでしょう、ね?」
「確かにそれは楽しそうですが、しかし……」
もじもじと下を向いて躊躇う宿禰様に、私はさらに膝を詰めた。
「以前、宿禰様は仰いましたわ。『僕は日光は平気なのです』と。こんな真っ暗なところに引きこもっていれば、直るものも直りません。お姿を元に戻す前に、本物の病にかかってしまいます」
「むむ……。しかし、父や母が何というか。もし面が外れたら? きっと世間を驚かせるし、僕は見せ物になりたくはない。そうなれば、権藤家の恥だと母はきっと――」
「宿禰様」
「わわっ」
私は彼の鼻先まで顔を寄せ、ぐいっと膝元まで詰め寄った。焦って仰け反った彼は、勢いで尻もちを付きながら、そのまま後ろにずり下がる。
逃げ腰の彼に、私はさらに詰め寄った。
「いいですか? そんな弱気ではこの呪いには勝てませんわ。今に身体を動かす力もなくなって、本物の〝痩せ蛙〟になってしまいましてよ」
「やだなあ、陽毬さんったら上手いこと言って。そんなことで僕を乗せようったって、そうは問屋が卸さない――」
「宿禰様っ」
「はいっ」
つい大きな声を上げ、迫る私に、宿禰様はぴんと背を伸ばした。
「は、お話は分かりましたから……少し離れてください」
「ダメ。〝参ります〟というまで離れませんっ」
詰将棋のように隅に追い詰め、さらににじり寄った私に、宿禰様はとうとう大声を上げて降参した。
「もうっ、分かりました! 参ります、参りますからあ!」
「うふふっ、ありがとうございます」
約束どおりに離れてやると、宿禰様はほっと息を吐きながら急いで体勢を直す。
立ち上がるのに手を差し出すと、遠慮がちに手を取った。
ひんやりと滑らかな肌の感覚は、慣れてくると案外心地よい。
「そうと決まれば早速。今日の夕刻、水浴びの前に参りましょう。幸い、お天気は雨。人通りも少ないですし、初日にはちょうどいいですわ、ね?」
「うう……性急なんだから」
「何ですって?」
「な、何でもありません!」
悪口とあらば、聞き逃す私ではない。
彼はたまらず、ぎゅっと目を閉じながら、高い声を上げた。
夫婦になってから初めての外出。ふたりで街を歩けるだなんて夢みたい。せっかくだから、いつも着ている紺の作務衣では味気ない。
すっかり嬉しくなった私は、ウキウキしながら宿禰様の箪笥を探り、羽織や着物を見繕っていた。
さすが、見栄っ張りのお義母様の見立てだろうか。加賀友禅に竺仙の江戸小紋、箪笥の中はどれもこれも一流品だ。
ふと横を見ると、私にすっかりしてやられた宿禰様が、文机に向かいつつも、何やらぶつぶつ言っている。
「全く……いくらこの身体だからって。仮にも男女がふたりきり、僕だって一応、若い男子なんですよ? 陽毬さんには、少し警戒心が足らなさすぎる……」
「何か仰いました?」
「わわわっ、な、何でもありませんっ」
二、三の衣装を手にして後ろに立つと、宿禰様は慌ててしまって文字を書き損じた。紙の上を墨汁が斜めに走る。
「……あの、僕がさっき言ったこと、心配しないでくださいね。ありがたいことにこの身体になって以来、僕は異性に疾しい気持ちを感じたことがなく。だから――」
「はい? あ、あら大変。宿禰様、書きものが真っ黒になってますわ!」
「え? わ、わわわわっ」
その後は、ふたりそろって大慌てとなってしまった。
昼餉を終え、宿禰様は、いつもと変わらずお客様を迎えている。
私もまた、いつもと同じに隣の部屋に控えて書を開く。
でも今日は、夕刻が近づくたびに、胸がそわそわ、どきどきする。
和箪笥の上をちらりと見れば、朝に選んだ加賀友禅の着物、その上には、蛙の面。
胸の奥が少しだけ震えているのを、私は見ないふりをした。
1
あなたにおすすめの小説
働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』
鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。
だからこそ転生後に誓った――
「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。
気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。
「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」
――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。
なぜか気づけば、
・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変
・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功
・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす
・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末
「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」
自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、
“やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。
一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、
実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。
「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」
働かないつもりだった貴族夫人が、
自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。
これは、
何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚
ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。
五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。
ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。
年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。
慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。
二人の恋の行方は……
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
大人な軍人の許嫁に、抱き上げられています
真風月花
恋愛
大正浪漫の恋物語。婚約者に子ども扱いされてしまうわたしは、大人びた格好で彼との逢引きに出かけました。今日こそは、手を繋ぐのだと固い決意を胸に。
氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁
瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。
彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる