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前編
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ラグレー公爵令嬢のベアトリスはなぜか一度死んだ記憶を持っている。
一度目の人生は幼い頃に決まった最愛の婚約者と結婚した。夫が自分を愛していなくても妃として大切に慈しんでくれたおかげで幸せな生活を送っていた。ただ隣国との戦争がはじまってから、穏やかな夫の顔に影が宿り、民を慈しむ王であった夫は失われていく命に苦しんでいた。ベアトリスは一人になると、表情が抜け落ち虚空を見つめる夫をこっそりと見ていた。そして出陣した夫の帰りを待つことなくベアトリスは病にかかり亡くなる。享年22歳。
ベアトリスは脳裏に浮かんだ光景に驚きながらも頬を抓ると痛い。最愛の婚約者の最後の顔を思い浮かべ夜空の星を見上げポタリと涙を一粒こぼした。
ベアトリスは最愛の人の悲しい顔は見たくない。そのためなら自分が隣にいなくても構わない。
16歳のベアトリスは決意した。
そして頭の中の記憶を呼び起こし策を立てる。
ただどんなに考えても一人で成し遂げるのは難しい。両国に戦争がおきないようにするために協力者をつくるために動き出す。
ベアトリスはすでに王子と婚約している。まず一番最初にやることは・・。
ベアトリスの妹シンシアはお茶に招かれ、姉の突然の申し出に目を丸くする。シンシアは手に持つカップをそっと置いて、微笑みながらお茶を飲むベアトリスを見つめる。
「お姉様、本気ですか?」
「ええ。私は殿下との婚約を破棄したい。私はシンシアに殿下の婚約者になってほしいの。姉から妹に代わっても家としては問題ないわ。ただお父様達にお話する前にシンシアの気持ちを聞きたくて」
「お姉様は殿下のこと慕ってますよね?」
「もちろんよ。でも殿下にとって必要なのは私ではないの。シンシアなら殿下とも親しいわ。私よりもよっぽどお似合いよ」
「お姉様、まずは殿下に相談されたらいかがですか?」
「殿下はお忙しいから全て終わったらでいいわ。それに後ろ盾さえ変わらないなら気にされないわ」
シンシアを見つめるベアトリスの瞳に迷いもなく、冗談には聞こえない。すでに決意を固めているベアトリスの言葉に困惑しながら、嫌われ役は押し付けることを決める。
「お姉様、殿下からの申し出であればお受けします。ですが一度ゆっくりお話なされませ。お父様達に話す前に私に先に教えてくださいね」
ベアトリスはシンシアの了承の言葉に安堵し微笑む。聡明な妹なら愛しい王子のことを支えてくれる。そして王子なら大事な妹を幸せにしてくれるとも信じられた。ベアトリスが思い描く幸せな未来のために本人にとっては重要な一歩を踏み出したつもりである。
***
ベアトリスはいつもは至福の時間である王子とのお茶会の席に座り王子を待っていた。この席も今日で最後かと感傷に浸りながら。
王子はいつも笑顔で自分を待っている婚約者の顔が強張っていることに気付き向かいに座り優しく問いかける。
「ベア、なにかあったのか?」
「殿下、お願いがありますの」
「なにかな?」
ベアトリスは記憶と違い暗い顔をしていない優しい顔で自分を見つめる王子に微笑み、決意をさらに固めて口を開く。
「婚約者を私ではなくシンシアにしていただきたいのです」
「え?」
「もちろん手続きも国王陛下へのお話も私がします」
「ベア、もう一度言ってくれる?」
「手続きは私にお任せください」
王子は自分を慕っているはずの婚約者の言葉が聞き間違えでないと認識し、動揺を見せずに笑みを浮かべる。
「私は君を怒らせることをしてしまったかい?」
「殿下はそのようなこと致しません」
「まさか、好きな男ができたのか」
「私は殿下をお慕いしています」
王子はふわりと微笑むベアトリスに優しく言葉をかける。
「事情を聞かせてくれないか?」
「私は殿下の幸せのために生涯を捧げます」
「どうして婚約を破棄したいの?」
「殿下の幸せのためです」
「なら、そのままで」
「いけません。殿下、私はたくさんの幸せをいただきました。ですから今度は私の番です。シンシアは優秀です。身内贔屓に聞こえますが、きっと殿下のお役に立つと存じます」
「殿下申し訳ありません」
「私は失礼します」
ベアトリスは礼をして席を立ち、退室した。
王子はいつも幸せそうな顔で自分を出迎えるベアトリスの顔が強張っているので心配した。ベアトリスの憂いはどんなことでも排除するつもりの王子は、とんでもないことを言い出したベアトリスに困惑している。そしていつもなら自分が呼び出されても、用がすむまで、いつまでも待ち優しい言葉で労わってくれる婚約者の行動に言葉を失う。二人のお茶会の席で初めてベアトリスの背中を見送り、側近を呼び出しベアトリスのことを調べるように命じた。王子を呼びにきた家臣は冷たい瞳の王子に怯えながらも平静を装い用件を伝えた。
***
ベアトリスは王子との婚約者についての話し合いが終わったので次の行動に移っていた。
ベアトリスは父に隣国への留学を願ったが、婚約者の変更のようには上手くはいかなかった。
「ベアトリス、公務があるから許可できない」
「お父様、私よりもシンシアのほうが相応しいと思います」
「どういうことだい?もう王妃教育も終えただろう」
「私は殿下にふさわしくありません」
「理由は?」
「私では殿下をお幸せにできません」
ラグレー公爵は娘の言い分がわからなかった。ベアトリスは王家や貴族、民からの評判は良く、婚約への異議申し立ても一切囁かれていなかった。
「シンシアならできるというのか」
「はい。私の妹は美人で聡明で優しく、器も」
「シンシアへの賞賛はいい」
公爵はベアトリスが妹と王子への賞賛を始めたら止まらないことをよく知っていた。
「国王陛下には私が謝罪に伺います。お父様、お願いします」
「殿下はなんと?」
「なにもおっしゃりませんでした。殿下にとっては私でもシンシアでもどちらでもいいのです」
ラグレー公爵は娘と話すことを諦め王子に直接聞くことにした。ここまで話の通じない娘は初めてだった。
「留学は許可できない。まだベアトリスが殿下の婚約者だ。今まで通り公務に励みなさい」
「かしこまりました」
ベアトリスは部屋に帰り悩んでいた。
予定ではすでに、婚約破棄されて留学準備をすすめているはずだった。
戦争回避がベアトリスの目標である。そのためには隣国に行き、叶うなら隣国の王太子の婚約者におさまりたい。
穏便な婚約破棄なら醜聞にはならない。婚約者は無理でもどうにか近づいて、親しくなるつもりだったが隣国に行かなければ話にならない。
これからのことを部屋で悩んでいると、ラグレー公爵夫人と医師が部屋に入ってきた。
ベアトリスは気分は悪くないが強引に診察され、医師はベアトリスの全身を診察して首を横に振る。
「お嬢様のお体に異常は見られません」
「おかしくなったのは頭かしら?」
真顔で自分を見る母親の言葉にベアトリスは困惑する。
「お母様?」
「貴方の様子がおかしいから、」
「はい?」
「今まで一度も不満なんて言わなかったじゃない。あとは時を待つだけなのに。王妃教育もせっかく終わったのに」
「お母様、私は今までの日々に不満はありません。殿下を想いながら学ぶことは幸せでした。」
公爵夫人は王子のためと、努力を惜しまず弱音も不満も言わずに、いつも笑顔を絶やさない娘を誇りに思っていた。婚約破棄したいと言った愛娘は王子のことを話すときに浮かべる幸せそうな微笑みを浮かべているので嫌っているようには見えない。
「ならどうして、突然そんなことを」
「殿下の幸せのためです。殿下と婚約破棄しても家の役に立つ縁談を結んでみせますのでお任せください」
「ベアトリス、本気なの?」
「はい。私は殿下のために婚約破棄します。そして新たに利のある婚約を結びます」
「お母様は婚約破棄が必要な理由が見えないわ」
「お母様、未来とは不確かなものですわ」
「頑固ね。貴方のことだから、私が言わなくてもわかってるでしょ?」
「もちろん家の不利にならないように努めます」
公爵夫人の言葉が愛娘に伝わっていなかった。
公爵夫人は現実を理解できていないわからずやな娘に教えることを諦め、現実に向き合わせることにして「がんばりなさい」と言葉を残し退室した。現実の厳しさをしるのも大事な経験とラグレー公爵夫人は娘を突き放した。
***
王子はベアトリスの調査報告書を読んでいた。
変わった行動もなくベアトリスに近づく男の影もない。王子はベアトリスのことは誰よりも大事にしてきたつもりだった。自分を慕ってくれているベアトリスから婚約破棄したいと言われるなんて夢にも思っていなかった。
夢なら覚めてほしくすでに何度か部下を訓練に誘い、厳しくしごき、痛みに苦しんでいたので現実だった。
途方に暮れている王子を気にせずシンシアは両手でバンと机を叩いた。
「殿下、お姉様に何をしたんですか!?」
「シンシア、やめなさい」
シンシアは大好きな姉の頼みなら何でも叶えたい。ただベアトリスが王子のことを慕っているのを知っているので素直に頷けなかった。そして目の前の王子のことも姉以上によく知っていた。
「お父様、私はお姉様に幸せになっていただきたい。いつまでもお姉様から与えられてばかりの殿下に不満を持つのは仕方ありません」
「言葉や態度にすることが苦手な者もいるんだよ」
「殿下がはっきりしないからです。お姉様にばかり愛の言葉を捧げさせて、自分は見惚れて微笑むだけなんて。お姉様も趣味が悪い!!」
王子は目の前で自分を睨む将来の義妹が出会った時から不思議でたまらなかった。王子にとってベアトリスは女神だがシンシアは魔女。
「本当にベアトリスの妹なんだよな?」
「当然です。血という切れない絆で結ばれてます。甲斐性のない殿下より、他の方のほうがお姉様を幸せにしてくれるかしら」
「シンシア、不敬だ。やめなさい。殿下、恥ずかしながら娘は頑固で。隣国に留学したいと。いつまで、宥めておけるか私にはわかりません。娘からの初めてのお願いが留学とは…」
ラグレー公爵も困惑していた。公務に励んでいるベアトリスは時間があると、ずっと読書をしていた。そして真剣に読んでいるのは隣国の文献ばかり。毎日隣国の分厚い歴史書を読み込んでいるとも報告を受けていた。
ベアトリスは真っ直ぐな性格で一度決めたら突き進むところがあることを父はよく知っていた。
「ベアはどこに」
「護衛騎士を口説きにいくとおっしゃってましたよ」
ベアトリスは有言実行である。
王子は慌てて立ち上がり部屋を出ていく。
二人は自分達のことなど目に入らずに、ベアトリスを探しに走り去る王子をあきれた顔で見送った。
「お父様、どう思われますか?」
「ベアの目にはフィルターがかかっているから、どんな殿下も素敵と言うだろうな」
「本当にお姉様が他の方との縁談に踏み切ったら殿下はどうされるのかしら…」
「殿下がベアを選んだのは私情だ。まず婚約破棄していただけるとは思えない」
***
公務を終えたベアトリスは騎士団の見学をしていた。
どうしても自分に忠誠を誓う騎士がほしかった。
ただ優秀な騎士は王子のために残しておきたいので騎士団の中でも、お荷物とされている存在を探していた。
真剣な顔で騎士を物色しているベアトリスに騎士団に所属する幼馴染のトマが近づき肩を軽く叩いた。
「ベア、何してんだ?」
「驚いた。休憩?」
「まぁな」
「トマ、騎士団でお荷物で役に立たない騎士はいないかしら?」
「は?」
「将来の見込みのない騎士がほしいの。教えてくれるだけでいいから」
トマはベアトリスが突拍子もないことを言うのには慣れている。
外面は完璧だが、内面は夢見心地で変わっていることもよく知っている。そしてその夢見心地なところを溺愛している人間達も。
「騎士団にはいない。なんのために試験があるんだよ」
「そうなの…。どこにいけばいいの?」
「公爵に内緒で出かけたいなら俺が護衛してやるよ」
「トマは優秀だから駄目。私のための騎士が欲しい。もちろん給金は払うわ」
「いずれは近衛に囲まれた生活が約束されるベアには必要ないだろうが」
「どうしても欲しいの。どこに行けば出会える?」
王子の婚約者の近くにそんな弱くて怪しい者はおけない。騎士団を束ねる父を持つトマは妥協案を出すことにした。
「うちの騎士を一人やるよ」
「トマの家の騎士は優秀だから駄目」
「弱い騎士は護衛として役に立たないだろうが」
騎士団には目当ての騎士がいないことがわかったので、ベアトリスは立ち上がる。トマに会ったおかげで、貴重な時間を無駄にしないですんだと上機嫌に笑う。騎士団が駄目なら実は次の候補があった。
「もういいわ。じゃあ頑張ってね。私はこれで」
「ベア!?」
ベアトリスはトマの咎める声は聞こえないフリをして立ち去った。残された時間はあと2年。
急いで準備を整えないといけないベアトリスには貴重な時間を無駄にする余裕はない。トマが上機嫌で手を振って立ち去った幼馴染を心配そうに見送り訓練に戻ると、王子が騎士団に顔を出した。王子の視線を受けてトマが近づく。
「トマ、ベアを見なかったか?」
「ベアは帰りましたよ」
「ベアが誰と話していたかわかるか?」
「俺ですけど」
ベアトリスとトマが親しいことを知っている王子はトマの肩に手を置いて冷たい声を出す。
「ベアに口説かれたのか?」
「はい?」
「ベアに口説かれて手を出してないだろうな!?」
「殿下落ち着いてください。ないですよ。俺達は単なる幼馴染で、ベアに手を出すほど女に困ってません。でも妙なことを言ってましたね」
「妙?」
「将来性のない騎士がどうしても欲しいと。あいつが欲しがるなんて初めてですね」
「なんで・・」
能天気に笑っているトマに王子は顔色を悪くしていた。自分の婚約者が全くわからなかった。
王子はベアトリスの願いなら全力で叶えたい。いくらでも騎士を用意した。ただベアトリス自身が騎士を欲しがるなど不愉快で、もしも口説いていたらその男を地獄を見せるつもりだった。自分だって、口説かれたことはない。物騒な顔をしている王子を見つけた侍従はため息をつく。
「殿下、こんなところにいていいんですか?執務が終わらなければ、明日のお茶会には行かせませんよ」
侍従の声に我に返った多忙な王子は大人しく執務に励むことにした。いつものベアトリスとの恒例のお茶会の時間を潰されないように、仕事を終わらすことを選んだ。
***
ベアトリスは王子とのお茶会をシンシアに任せていた。ベアトリスの中では、いずれ婚約者でなくなることがわかっていたので、シンシアと交流を深めてもらうことが優先である。
ベアトリスには王子との幸せな思い出がたくさんあるので、愛しい王子に会えなくても平気だった。そして楽しいお茶の時間よりもやるべきことがあった。
ベアトリスは侍女の私服を借りて、町娘を装い騎士の養成所に来ていた。
目的は半年に一度の騎士養成所の入学試験。
入学試験の模擬戦は公衆の前で行われるが受験者の家族が応援にくる程度で、そこまで人が集まるものではない。
静かに試験の様子を眺めていたベアトリスは3戦目で気付いてしまった。
武術についての知識のないベアトリスには剣の腕などわからず誰が見込みのない者なのか全くわからなかった。
勝者も敗者も強そうである。重たい剣を軽々と持ち上げるだけで力のないベアトリスは感心してしまう。
「あの子可哀想に」
目の前では珍しい髪の色を持つ少年が大柄な青年に圧勝をしていた。
少年を哀れんだ目で見る夫人にベアトリスは声をかけた。
「奥様、どうしてですか?」
「お嬢ちゃんは知らないのか。今日の試験官は外人嫌いなんだよ。どんなに腕があっても合格しないだろうね」
「まぁ!?あんなに強いのに」
「養成所を出ないと騎士として認められないだろう。運がなかったね」
ベアトリスは少年には申し訳ないが神に感謝した。
騎士になれずに埋もれてしまうなら、自分が拾ってもいいとベアトリスは考えた。
試験官のことはいずれ処罰しないといけないが今は騎士の確保優先である。
ベアトリスは異国の少年が出て来るのを待っていた。他の男に声をかけられても、大事な人を待ってるのでと穏やかにあしらい、ベアトリスは目の前の男を無視して、目的の人物を見て駆けていく。
「待って」
異国の少年はベアトリスの声に足を止めた。
美少女の待ち人を見て、振られた男が近づく。
「姉ちゃん、待ち人はそいつか?」
ベアトリスは少年が逃げないように腕を抱いた。
「はい。私の大切な方です」
「趣味が悪い」
「あら?私はこの国で一番趣味が良い自信がありましてよ」
「そいつは試験に落ちた才能なしだぜ」
「試験官の見る目がないだけです。私の騎士を侮辱するのは許しません」
「姉ちゃんなら美人で引く手数多だろう。そんな欠陥品を」
「私、侮辱は許しませんと言いました。私は弱い女です。ですが、貴方を裁く権利も持ってましてよ。荒事は好みません。最後の忠告です。私達の事は気にせず、立ち去っていただくことを望みます」
ベアトリスが冷たい空気を出して、冷笑を浮かべる。
男は寒気がして立ち去っていった。ベアトリスは邪魔者がいなくなったので、戸惑う異国の少年を連れて近くのカフェに向かった。今のベアトリスは町娘であり誰も公爵令嬢とは気づかない。異国の少年は強引なベアトリスにされるがままだった。
「騎士様、お金は心配しないで。お時間をいただくお礼に御馳走します。お好きなものを頼んでください」
「え?」
「苦手なものはありますか?」
「特には」
ベアトリスは注文する様子のない少年を見て、軽食とお茶とケーキを注文する。
「騎士様に相談がありますの」
「俺は騎士じゃないんだけど」
「見事な試合でした。私は剣の腕などわかりませんが貴方が強いことはわかりました」
「俺は見込みがないって」
「それは試験官の目が節穴だったのです。貴方は立派な騎士になります。私が保証いたします」
「君に保証されても」
「貴方が生涯騎士として生きることを望むなら、その道をご用意します。他にできることがあるなら、この国に害がなく、犯罪に手を染めない限りはどんな願いも叶える努力を致します。ですから貴方の6年を私にいただけませんか?」
「話が全然わからないんだけど」
「騎士としてあなたを雇いたいんです。うちはお金持ちなので給金も弾みます」
「なんで俺がいいの?」
少年は目を輝かせて絶賛する美少女に困惑していた。
ベアトリスは試験に落ち、この国の騎士になれないからとは言えなかった。
「私は自分の直感を信じてます。模擬戦をずっと見た中で貴方が一番印象的でした。それに私と共にいれば箔がつきます。絶対に貴方の将来に役に立つと思います。長い人生の中の6年間を私に捧げていただけませんか?私は貴方がどうしても欲しいんです!!お願いします」
「頭をあげて。話が飲み込めない。まず誰?」
少年は頭を下げる美少女に困惑しながら警戒していた。自信満々な町娘に力があるように見えなかった。
人目を引きたくないベアトリスは頭を上げて、少年の耳に顔を近づけそっと囁いた。
「ここでは目立つので内緒にしてください。申し遅れました。ラグレー公爵家のベアトリスと申します。ベアとお呼びください」
ベアトリスは驚く顔の少年にラグレー公爵家の家紋のハンカチを見せた。
「なんで、そんな方が俺なんかを」
「私には貴方が必要なんです。やりたいことがあるんです。そのためには、私の騎士が必要なんです」
「何をやらせたいの?」
「私の護衛とお使いと剣術指導を。私は剣を持つことを許されませんので」
少年は貴族の裕福な令嬢が自分を求める理由がわからず、事情を話せば離れていくことも知っていた。
「俺は記憶がない。傍に置いて、記憶が戻れば君を殺すかもしれない」
真剣な顔で話す少年にベアトリスはふわりと微笑む。
「それならそれで仕方ありません。私の見る目がなかっただけです。でも犯人が貴方だと見つからないように処理してください。私を殺せば死罪。自殺にみせかけてくれるなら遺書でも書いておきましょう。できれば殺す前に一言相談してほしいものですが」
「え?恐ろしくないのか?俺は自分のことがわからない」
「人は死ぬときは死ぬんです。恐れても何も得られません。私は前に進むことを望みます」
少年は凛としたベアトリスの瞳に吸い込まれそうだった。
目が覚めたら教会にいた。何も思い出せなず、剣を持ったら、体が勝手に動いた。異国人で記憶のない少年に向けられるのは奇異と同情の視線ばかり。いつまでも教会に世話になるわけにもいかず、何をするにもお金が必要なため、騎士養成所の試験を受けた。ただ試験官や周りのやつらは自分を蔑みの視線で聞くに堪えない言葉を話すだけ。
ベアトリスの視線は不快でなく、突然の褒め言葉に困惑しても同情も憐れみも感じない。居心地が良いのは初めてだった。
「雇われてやるよ」
「衣食住はお任せください。二人の時は敬語も敬称もいりません。人目があるときだけ気をつけてください。なんてお呼びすれば?」
「好きに呼んで」
「では、カルロと呼びましょう。さて、本当は祝杯をあげたいのですが、今はお茶で我慢してください。足りなかったら好きなものを頼んで。命令です」
カルロとなった少年は当然のように自分に命令する人物になぜか不快に感じない。空腹だったカルロは遠慮なく注文した。ベアトリスは、記憶喪失のわりに綺麗な所作で食事をするカルロを見ながら、ケーキを口に運ぶ。期待外れの味に眉を潜めるベアトリスを見てカルロは笑う。
「ベア、気に入らないなら俺が食べるよ」
「いいんですか?」
「腹が膨れればなんでもいい」
「ありがとうございます」
心底ほっとした顔をするベアトリスにカルロは自分の雇い主が愉快な人間だと知った。愉快に笑ったのは初めてだった。ベアトリスは薄い紅茶を飲みながらカルロの育成と父の説得を考えていた。そして物足りなそうなカルロに笑い、騎士に人気の定食屋に移動しよく食べるカルロを楽しそうに見つめていた。思考がまとまり久しぶりの一歩前進にベアトリスは極上の笑みを浮かべて微笑んだ。
***
王子はいつものサロンに行くとシンシアが待っていたので落胆した。王子は執務をすませ、ベアトリスとの癒やしのお茶会のはずだった。
「ベアは?」
「お姉様に代わってほしいと頼まれました。殿下と親睦を深めてきてと素敵な笑顔で送りだされましたわ」
「私はベアに会いたかったのに」
王子は定期的に婚約者と二人でお茶をする日を決めていた。多忙な二人が会える月に3回の貴重な時間だった。
恒例の二人のお茶の時間にベアトリスが現れなかったのは初めてだった。
「お姉様はいまだに殿下の婚約者なので、他の公務はこなしてますが私的なお茶会は参加しなくてもいいと。私だって殿下とお茶なんてしたくありません。でもお姉様に頼まれたら断れません。義務を果たしたので私はお暇してもよろしいでしょうか」
立ち上がったシンシアに王子は慌てて声をかけた。
「ベアは今日はどうしているんだ?」
「殿下に話す必要性は感じられません。可愛いお姿で出かけていきましたよ。私のお姉様はどんな服でも着こなすのです」
「どんな服装?」
「教えませんわ。私が髪を結いましたの。三つ編み姿のお姉様は可愛らしく、失礼しました。これ以上は減りますので、お話できません」
うっとりとベアトリスの姿を思い浮かべていたシンシアは余計なことを話していることに気づいて言葉を止め、王子は忌々しそうにシンシアを見て吐き捨てた。
「本当になんで純真なベアの妹がこうなったんだ・・・」
「どっかの王子が私からお姉様を引き離そうとしたからです。私の至福の時間を邪魔して」
「一緒に暮らしているシンシアと違って俺は時々しか会えないんだ。譲れよ」
「3日に1回会いにきてた人間の言葉とは思えません。変装してお姉様に近づいて、お姉様の理想を聞き出して、理想通りの演出で出会って・・」
「夢を叶えてあげたかったんだ。丁度絵本の王子と同じ外見だったしな」
「その絵本を贈ったのは殿下でしょうが。全然優しくて穏やかな陽だまりのような人間じゃないのに。純真なお姉様を騙して」
「ベアにとって優しくて陽だまりのような人間であれるように努力するよ」
「化けの皮が剥がれて怯えられればいいですのに」
「そんなへまはしない」
「お姉様に自分の気持ちも伝えられないのに?私は失礼します」
シンシアは王子のことなど気にせず立ち去った。ベアトリスは気付いていないが二人は仲が悪かった。
王子はベアトリスに会いたくても二人での公務の予定はなく、シンシアは王子が自分から会いにいけばいいと気付いていたがわざわざ教える優しさはない。
***
ラグレー公爵はベアトリスの願いにまた固まった。
「お父様、記憶喪失の少年を保護しました。剣の腕が確かなので私の騎士にします。使用人宿舎を一部屋貸してください。給金は私がお支払いします」
「ベアトリス、彼は安全なのか?」
「はい。お父様達に決して危害を加えないと約束してあります。もしも彼がラグレー公爵家に害をもたらすなら私の命で償います。反対されたら家を出る覚悟もあります。お傍においてもよろしいでしょうか?」
「ベア、お前はまだ殿下の婚約者だ。不誠実なことはしていないか?」
「私の心は殿下のものです。それに子供に手を出す趣味もありません」
「ベア、彼は子供には見えないが・・」
「成人しているようには見えません。未成年は子供です。使用人宿舎の一室を与えても構いませんか?」
「わかったよ。好きにしなさい」
「ありがとうございます。」
ベアトリスが家出をして、保護した騎士と出ていけば大問題である。ベアトリスの不在を知った王子が軍を派遣して捜索する姿が頭をよぎりラグレー公爵は娘の提案を受け入れた。
ベアトリスはカルロを侍女に任せ、自室に戻りトマに手紙を書いた。
ベアトリスに騎士の指導はできないためトマに休みの日にカルロの指導を頼むことを計画していた。
やることを終えたベアトリスは部屋に訪ねてきた妹と一緒にお茶を楽しむ。
王子が元気な様子を聞いて、幸せそうに微笑むベアトリスの考えていることがシンシアにはわからない。誰よりもわかりやすかったベアトリスの変化にラグレー公爵家は困惑し適応していなかった。
***
トマはベアトリスにカルロを紹介されて困惑していた。
休みの日に呼び出されて見知らぬ異国の少年を紹介されれば戸惑うものである。ベアトリスは同じ言葉を繰り返した。
「トマ、私の騎士です。指導をお願いします」
「ベア?」
ベアトリスはカルロに聞こえないようにトマに囁く。
「試験官の私怨で試験を落とされたんです。それなら私がもらってもいいかなって。カルロには内緒にしてください」
トマは幼馴染が念願の騎士を見つけたことを察した。
確かに自分が将来性をないことを買われて雇われたとしればやる気がなくなる。
幼馴染に騙された可哀相な少年の面倒を見ることを受け入れたトマは今日もベアトリスが王子とのお茶会をシンシアに押し付けてここにいることは気付いていなかった。
剣を合わせると、トマはカルロに負けた。
トマは実力者を落とした試験官に呆れ、武門侯爵家として放っておけない案件に顔を顰める。ベアトリスはトマが負けるとは思わなかったが、カルロの事情を聞いて動いてくれるだろう幼馴染に笑った。もちろんカルロの指導が一番だけど、養成所のことも考えていた。ただベアトリスが動くよりもトマが動く方が適任だった。久しぶりに思った通りに事が運び上機嫌なベアトリスが二人の様子を眺めていた。騎士は手に入ったので次に必要なのは隣国の王子との出会いだったが父からの留学の許可がまだおりなかった。
「カルロが強いのは知ってたけど、トマより強いなんて思わなかった」
「まだまだです」
「素直に賞賛は受け取って。当分トマに預けるから行儀作法や騎士としての教養を学んで。私はカルロが帰ってくるのを楽しみに待ってるね。カルロがいないと困るからできるだけ頑張って」
「はい。ご期待にそえるように」
「私の騎士だもの。気負わなくていいわ。トマ、なにかあれば連絡を。いじめたら許さないから覚えておいて」
「そんなことしない。むしろ俺が教えを乞いたい。金はいらない」
「ちゃんと指導料を払うわよ」
「幼馴染のたのみだからな」
「トマの気持ちが良いところ好きだわ。なんで婚約者ができないのか。私が紹介しても断るし」
「俺はまだいい。女にかける時間があるなら剣を振りたい」
「まだまだ子供ね。邪魔をしないように退散するわ。カルロまたね」
ベアトリスは二人に手を振って立ち去った。
夜には夜会があるのでそろそろ帰らないといけなかった。
***
ベアトリスは夜会の準備を整え、部屋を出ると王子がいたので礼をした。ベアトリスは久しぶりの愛する王子に花のような笑みを浮かべた。
「ごきげんよう。殿下」
自分にいつもと変わらない笑みを浮かべられた王子は安堵していた。
「ベア、せっかくだから一緒に行こうと迎えにきた」
「殿下が顔を出すほどのものとは思えませんが」
「いや、いくつか用があって」
「かしこまりました。よろしくお願い致します」
ベアトリスは王子の差し出される手に、微笑んで自分の手を重ねる。
そっと二人の様子を見ていたシンシアはベアトリスに会うために予定を無理やり調整した王子の言葉に失笑する。ベアトリスに会いたかったとさえ言えないヘタレ王子に。
王子は馬車の中でも、いつもと様子が変わらないベアトリスに安堵していた。ベアトリスの瞳は愛しそうに自分を見つめている。王子にとって二人っきりの時間はすぐに終わりをつげ、会場についてしまった。参加する予定がなかった王子の参加に主催者は慌てていたが王子は笑顔で押し通した。
ベアトリスは挨拶を終えても自分の傍を離れない王子に困惑していた。
「殿下、私は一人で大丈夫です。どうぞご用をすませてください」
「いや、」
自分に遠慮している王子の優しさにベアトリスは微笑んで手を放した。
「私はバルコニーで休んでます。いってらっしゃいませ」
ベアトリスは王子が傍にいたいことなど気付かずに、一人で立ち去った。
ベアトリスが去ると、王子は令嬢に囲まれる。ベアトリスは王子が好きでも独り占めしたいとは思わず、政略結婚なので、わきまえていた。
「ベアトリス嬢、お一人ですか?」
「ええ」
「殿下とはいえ、こんな美しい婚約者を放っておくとは感心しませんね」
「お上手ですわ。殿下は魅力的な方ですもの。仕方ありません」
「寛大な心をお持ちですね。殿下が他のご令嬢に心を奪われても言えますか?」
「殿下を支えてくださる方なら歓迎いたします」
ベアトリスは慣れていた。自分を追い落としたい者がいることも。それに一度目の人生で夢は叶ったのでもう十分だった。隣にいることを望まず最愛の王子の顔が曇らないように願うだけだった。
夜会の終わりまで王子は解放されなかった。ベアトリスはワインを飲みながら、話しかけられる貴族と談笑を交わし、夜会が終わるのを待っていた。
王子が一度も自分に近寄らず、社交をこなしているベアトリスを複雑そうに見ていたことなど全く気付かない。
王子は帰りの馬車の中で平静な顔を取り繕う。
「ベア、最近は君がわからないんだ」
「どうされました?」
「どうしてお茶会に来なくなった?」
「私よりもシンシアとの時間の方が有意義だと思いましたの。私の妹は聡明で話上手ですから」
「私はベアと過ごしたい」
「あのお茶会は人目もありません。気を使われなくていいのです」
「私はベアがいいんだ」
「お気遣い不要です。私は婚約者でなくなっても殿下のために尽くします」
「私はベアと一緒に国を守りたい」
「殿下、私では力不足なのです。貴方は私と一緒になると不幸になります。ベアの心は殿下のものです。ベアは殿下のためなら命も惜しくありません。殿下の幸せを心よりお祈りしております」
王子は慈愛に満ちたベアトリスの顔に見惚れていた。馬車が着いたので、ベアトリスは降りて礼をして王子を見送った。王子が気付くとベアトリスはいなかった。
王子はベアトリスの言葉が頭から離れなかった。
ベアトリスが本気で自分から離れるつもりと気付き強硬手段に出ることにした。
一度目の人生は幼い頃に決まった最愛の婚約者と結婚した。夫が自分を愛していなくても妃として大切に慈しんでくれたおかげで幸せな生活を送っていた。ただ隣国との戦争がはじまってから、穏やかな夫の顔に影が宿り、民を慈しむ王であった夫は失われていく命に苦しんでいた。ベアトリスは一人になると、表情が抜け落ち虚空を見つめる夫をこっそりと見ていた。そして出陣した夫の帰りを待つことなくベアトリスは病にかかり亡くなる。享年22歳。
ベアトリスは脳裏に浮かんだ光景に驚きながらも頬を抓ると痛い。最愛の婚約者の最後の顔を思い浮かべ夜空の星を見上げポタリと涙を一粒こぼした。
ベアトリスは最愛の人の悲しい顔は見たくない。そのためなら自分が隣にいなくても構わない。
16歳のベアトリスは決意した。
そして頭の中の記憶を呼び起こし策を立てる。
ただどんなに考えても一人で成し遂げるのは難しい。両国に戦争がおきないようにするために協力者をつくるために動き出す。
ベアトリスはすでに王子と婚約している。まず一番最初にやることは・・。
ベアトリスの妹シンシアはお茶に招かれ、姉の突然の申し出に目を丸くする。シンシアは手に持つカップをそっと置いて、微笑みながらお茶を飲むベアトリスを見つめる。
「お姉様、本気ですか?」
「ええ。私は殿下との婚約を破棄したい。私はシンシアに殿下の婚約者になってほしいの。姉から妹に代わっても家としては問題ないわ。ただお父様達にお話する前にシンシアの気持ちを聞きたくて」
「お姉様は殿下のこと慕ってますよね?」
「もちろんよ。でも殿下にとって必要なのは私ではないの。シンシアなら殿下とも親しいわ。私よりもよっぽどお似合いよ」
「お姉様、まずは殿下に相談されたらいかがですか?」
「殿下はお忙しいから全て終わったらでいいわ。それに後ろ盾さえ変わらないなら気にされないわ」
シンシアを見つめるベアトリスの瞳に迷いもなく、冗談には聞こえない。すでに決意を固めているベアトリスの言葉に困惑しながら、嫌われ役は押し付けることを決める。
「お姉様、殿下からの申し出であればお受けします。ですが一度ゆっくりお話なされませ。お父様達に話す前に私に先に教えてくださいね」
ベアトリスはシンシアの了承の言葉に安堵し微笑む。聡明な妹なら愛しい王子のことを支えてくれる。そして王子なら大事な妹を幸せにしてくれるとも信じられた。ベアトリスが思い描く幸せな未来のために本人にとっては重要な一歩を踏み出したつもりである。
***
ベアトリスはいつもは至福の時間である王子とのお茶会の席に座り王子を待っていた。この席も今日で最後かと感傷に浸りながら。
王子はいつも笑顔で自分を待っている婚約者の顔が強張っていることに気付き向かいに座り優しく問いかける。
「ベア、なにかあったのか?」
「殿下、お願いがありますの」
「なにかな?」
ベアトリスは記憶と違い暗い顔をしていない優しい顔で自分を見つめる王子に微笑み、決意をさらに固めて口を開く。
「婚約者を私ではなくシンシアにしていただきたいのです」
「え?」
「もちろん手続きも国王陛下へのお話も私がします」
「ベア、もう一度言ってくれる?」
「手続きは私にお任せください」
王子は自分を慕っているはずの婚約者の言葉が聞き間違えでないと認識し、動揺を見せずに笑みを浮かべる。
「私は君を怒らせることをしてしまったかい?」
「殿下はそのようなこと致しません」
「まさか、好きな男ができたのか」
「私は殿下をお慕いしています」
王子はふわりと微笑むベアトリスに優しく言葉をかける。
「事情を聞かせてくれないか?」
「私は殿下の幸せのために生涯を捧げます」
「どうして婚約を破棄したいの?」
「殿下の幸せのためです」
「なら、そのままで」
「いけません。殿下、私はたくさんの幸せをいただきました。ですから今度は私の番です。シンシアは優秀です。身内贔屓に聞こえますが、きっと殿下のお役に立つと存じます」
「殿下申し訳ありません」
「私は失礼します」
ベアトリスは礼をして席を立ち、退室した。
王子はいつも幸せそうな顔で自分を出迎えるベアトリスの顔が強張っているので心配した。ベアトリスの憂いはどんなことでも排除するつもりの王子は、とんでもないことを言い出したベアトリスに困惑している。そしていつもなら自分が呼び出されても、用がすむまで、いつまでも待ち優しい言葉で労わってくれる婚約者の行動に言葉を失う。二人のお茶会の席で初めてベアトリスの背中を見送り、側近を呼び出しベアトリスのことを調べるように命じた。王子を呼びにきた家臣は冷たい瞳の王子に怯えながらも平静を装い用件を伝えた。
***
ベアトリスは王子との婚約者についての話し合いが終わったので次の行動に移っていた。
ベアトリスは父に隣国への留学を願ったが、婚約者の変更のようには上手くはいかなかった。
「ベアトリス、公務があるから許可できない」
「お父様、私よりもシンシアのほうが相応しいと思います」
「どういうことだい?もう王妃教育も終えただろう」
「私は殿下にふさわしくありません」
「理由は?」
「私では殿下をお幸せにできません」
ラグレー公爵は娘の言い分がわからなかった。ベアトリスは王家や貴族、民からの評判は良く、婚約への異議申し立ても一切囁かれていなかった。
「シンシアならできるというのか」
「はい。私の妹は美人で聡明で優しく、器も」
「シンシアへの賞賛はいい」
公爵はベアトリスが妹と王子への賞賛を始めたら止まらないことをよく知っていた。
「国王陛下には私が謝罪に伺います。お父様、お願いします」
「殿下はなんと?」
「なにもおっしゃりませんでした。殿下にとっては私でもシンシアでもどちらでもいいのです」
ラグレー公爵は娘と話すことを諦め王子に直接聞くことにした。ここまで話の通じない娘は初めてだった。
「留学は許可できない。まだベアトリスが殿下の婚約者だ。今まで通り公務に励みなさい」
「かしこまりました」
ベアトリスは部屋に帰り悩んでいた。
予定ではすでに、婚約破棄されて留学準備をすすめているはずだった。
戦争回避がベアトリスの目標である。そのためには隣国に行き、叶うなら隣国の王太子の婚約者におさまりたい。
穏便な婚約破棄なら醜聞にはならない。婚約者は無理でもどうにか近づいて、親しくなるつもりだったが隣国に行かなければ話にならない。
これからのことを部屋で悩んでいると、ラグレー公爵夫人と医師が部屋に入ってきた。
ベアトリスは気分は悪くないが強引に診察され、医師はベアトリスの全身を診察して首を横に振る。
「お嬢様のお体に異常は見られません」
「おかしくなったのは頭かしら?」
真顔で自分を見る母親の言葉にベアトリスは困惑する。
「お母様?」
「貴方の様子がおかしいから、」
「はい?」
「今まで一度も不満なんて言わなかったじゃない。あとは時を待つだけなのに。王妃教育もせっかく終わったのに」
「お母様、私は今までの日々に不満はありません。殿下を想いながら学ぶことは幸せでした。」
公爵夫人は王子のためと、努力を惜しまず弱音も不満も言わずに、いつも笑顔を絶やさない娘を誇りに思っていた。婚約破棄したいと言った愛娘は王子のことを話すときに浮かべる幸せそうな微笑みを浮かべているので嫌っているようには見えない。
「ならどうして、突然そんなことを」
「殿下の幸せのためです。殿下と婚約破棄しても家の役に立つ縁談を結んでみせますのでお任せください」
「ベアトリス、本気なの?」
「はい。私は殿下のために婚約破棄します。そして新たに利のある婚約を結びます」
「お母様は婚約破棄が必要な理由が見えないわ」
「お母様、未来とは不確かなものですわ」
「頑固ね。貴方のことだから、私が言わなくてもわかってるでしょ?」
「もちろん家の不利にならないように努めます」
公爵夫人の言葉が愛娘に伝わっていなかった。
公爵夫人は現実を理解できていないわからずやな娘に教えることを諦め、現実に向き合わせることにして「がんばりなさい」と言葉を残し退室した。現実の厳しさをしるのも大事な経験とラグレー公爵夫人は娘を突き放した。
***
王子はベアトリスの調査報告書を読んでいた。
変わった行動もなくベアトリスに近づく男の影もない。王子はベアトリスのことは誰よりも大事にしてきたつもりだった。自分を慕ってくれているベアトリスから婚約破棄したいと言われるなんて夢にも思っていなかった。
夢なら覚めてほしくすでに何度か部下を訓練に誘い、厳しくしごき、痛みに苦しんでいたので現実だった。
途方に暮れている王子を気にせずシンシアは両手でバンと机を叩いた。
「殿下、お姉様に何をしたんですか!?」
「シンシア、やめなさい」
シンシアは大好きな姉の頼みなら何でも叶えたい。ただベアトリスが王子のことを慕っているのを知っているので素直に頷けなかった。そして目の前の王子のことも姉以上によく知っていた。
「お父様、私はお姉様に幸せになっていただきたい。いつまでもお姉様から与えられてばかりの殿下に不満を持つのは仕方ありません」
「言葉や態度にすることが苦手な者もいるんだよ」
「殿下がはっきりしないからです。お姉様にばかり愛の言葉を捧げさせて、自分は見惚れて微笑むだけなんて。お姉様も趣味が悪い!!」
王子は目の前で自分を睨む将来の義妹が出会った時から不思議でたまらなかった。王子にとってベアトリスは女神だがシンシアは魔女。
「本当にベアトリスの妹なんだよな?」
「当然です。血という切れない絆で結ばれてます。甲斐性のない殿下より、他の方のほうがお姉様を幸せにしてくれるかしら」
「シンシア、不敬だ。やめなさい。殿下、恥ずかしながら娘は頑固で。隣国に留学したいと。いつまで、宥めておけるか私にはわかりません。娘からの初めてのお願いが留学とは…」
ラグレー公爵も困惑していた。公務に励んでいるベアトリスは時間があると、ずっと読書をしていた。そして真剣に読んでいるのは隣国の文献ばかり。毎日隣国の分厚い歴史書を読み込んでいるとも報告を受けていた。
ベアトリスは真っ直ぐな性格で一度決めたら突き進むところがあることを父はよく知っていた。
「ベアはどこに」
「護衛騎士を口説きにいくとおっしゃってましたよ」
ベアトリスは有言実行である。
王子は慌てて立ち上がり部屋を出ていく。
二人は自分達のことなど目に入らずに、ベアトリスを探しに走り去る王子をあきれた顔で見送った。
「お父様、どう思われますか?」
「ベアの目にはフィルターがかかっているから、どんな殿下も素敵と言うだろうな」
「本当にお姉様が他の方との縁談に踏み切ったら殿下はどうされるのかしら…」
「殿下がベアを選んだのは私情だ。まず婚約破棄していただけるとは思えない」
***
公務を終えたベアトリスは騎士団の見学をしていた。
どうしても自分に忠誠を誓う騎士がほしかった。
ただ優秀な騎士は王子のために残しておきたいので騎士団の中でも、お荷物とされている存在を探していた。
真剣な顔で騎士を物色しているベアトリスに騎士団に所属する幼馴染のトマが近づき肩を軽く叩いた。
「ベア、何してんだ?」
「驚いた。休憩?」
「まぁな」
「トマ、騎士団でお荷物で役に立たない騎士はいないかしら?」
「は?」
「将来の見込みのない騎士がほしいの。教えてくれるだけでいいから」
トマはベアトリスが突拍子もないことを言うのには慣れている。
外面は完璧だが、内面は夢見心地で変わっていることもよく知っている。そしてその夢見心地なところを溺愛している人間達も。
「騎士団にはいない。なんのために試験があるんだよ」
「そうなの…。どこにいけばいいの?」
「公爵に内緒で出かけたいなら俺が護衛してやるよ」
「トマは優秀だから駄目。私のための騎士が欲しい。もちろん給金は払うわ」
「いずれは近衛に囲まれた生活が約束されるベアには必要ないだろうが」
「どうしても欲しいの。どこに行けば出会える?」
王子の婚約者の近くにそんな弱くて怪しい者はおけない。騎士団を束ねる父を持つトマは妥協案を出すことにした。
「うちの騎士を一人やるよ」
「トマの家の騎士は優秀だから駄目」
「弱い騎士は護衛として役に立たないだろうが」
騎士団には目当ての騎士がいないことがわかったので、ベアトリスは立ち上がる。トマに会ったおかげで、貴重な時間を無駄にしないですんだと上機嫌に笑う。騎士団が駄目なら実は次の候補があった。
「もういいわ。じゃあ頑張ってね。私はこれで」
「ベア!?」
ベアトリスはトマの咎める声は聞こえないフリをして立ち去った。残された時間はあと2年。
急いで準備を整えないといけないベアトリスには貴重な時間を無駄にする余裕はない。トマが上機嫌で手を振って立ち去った幼馴染を心配そうに見送り訓練に戻ると、王子が騎士団に顔を出した。王子の視線を受けてトマが近づく。
「トマ、ベアを見なかったか?」
「ベアは帰りましたよ」
「ベアが誰と話していたかわかるか?」
「俺ですけど」
ベアトリスとトマが親しいことを知っている王子はトマの肩に手を置いて冷たい声を出す。
「ベアに口説かれたのか?」
「はい?」
「ベアに口説かれて手を出してないだろうな!?」
「殿下落ち着いてください。ないですよ。俺達は単なる幼馴染で、ベアに手を出すほど女に困ってません。でも妙なことを言ってましたね」
「妙?」
「将来性のない騎士がどうしても欲しいと。あいつが欲しがるなんて初めてですね」
「なんで・・」
能天気に笑っているトマに王子は顔色を悪くしていた。自分の婚約者が全くわからなかった。
王子はベアトリスの願いなら全力で叶えたい。いくらでも騎士を用意した。ただベアトリス自身が騎士を欲しがるなど不愉快で、もしも口説いていたらその男を地獄を見せるつもりだった。自分だって、口説かれたことはない。物騒な顔をしている王子を見つけた侍従はため息をつく。
「殿下、こんなところにいていいんですか?執務が終わらなければ、明日のお茶会には行かせませんよ」
侍従の声に我に返った多忙な王子は大人しく執務に励むことにした。いつものベアトリスとの恒例のお茶会の時間を潰されないように、仕事を終わらすことを選んだ。
***
ベアトリスは王子とのお茶会をシンシアに任せていた。ベアトリスの中では、いずれ婚約者でなくなることがわかっていたので、シンシアと交流を深めてもらうことが優先である。
ベアトリスには王子との幸せな思い出がたくさんあるので、愛しい王子に会えなくても平気だった。そして楽しいお茶の時間よりもやるべきことがあった。
ベアトリスは侍女の私服を借りて、町娘を装い騎士の養成所に来ていた。
目的は半年に一度の騎士養成所の入学試験。
入学試験の模擬戦は公衆の前で行われるが受験者の家族が応援にくる程度で、そこまで人が集まるものではない。
静かに試験の様子を眺めていたベアトリスは3戦目で気付いてしまった。
武術についての知識のないベアトリスには剣の腕などわからず誰が見込みのない者なのか全くわからなかった。
勝者も敗者も強そうである。重たい剣を軽々と持ち上げるだけで力のないベアトリスは感心してしまう。
「あの子可哀想に」
目の前では珍しい髪の色を持つ少年が大柄な青年に圧勝をしていた。
少年を哀れんだ目で見る夫人にベアトリスは声をかけた。
「奥様、どうしてですか?」
「お嬢ちゃんは知らないのか。今日の試験官は外人嫌いなんだよ。どんなに腕があっても合格しないだろうね」
「まぁ!?あんなに強いのに」
「養成所を出ないと騎士として認められないだろう。運がなかったね」
ベアトリスは少年には申し訳ないが神に感謝した。
騎士になれずに埋もれてしまうなら、自分が拾ってもいいとベアトリスは考えた。
試験官のことはいずれ処罰しないといけないが今は騎士の確保優先である。
ベアトリスは異国の少年が出て来るのを待っていた。他の男に声をかけられても、大事な人を待ってるのでと穏やかにあしらい、ベアトリスは目の前の男を無視して、目的の人物を見て駆けていく。
「待って」
異国の少年はベアトリスの声に足を止めた。
美少女の待ち人を見て、振られた男が近づく。
「姉ちゃん、待ち人はそいつか?」
ベアトリスは少年が逃げないように腕を抱いた。
「はい。私の大切な方です」
「趣味が悪い」
「あら?私はこの国で一番趣味が良い自信がありましてよ」
「そいつは試験に落ちた才能なしだぜ」
「試験官の見る目がないだけです。私の騎士を侮辱するのは許しません」
「姉ちゃんなら美人で引く手数多だろう。そんな欠陥品を」
「私、侮辱は許しませんと言いました。私は弱い女です。ですが、貴方を裁く権利も持ってましてよ。荒事は好みません。最後の忠告です。私達の事は気にせず、立ち去っていただくことを望みます」
ベアトリスが冷たい空気を出して、冷笑を浮かべる。
男は寒気がして立ち去っていった。ベアトリスは邪魔者がいなくなったので、戸惑う異国の少年を連れて近くのカフェに向かった。今のベアトリスは町娘であり誰も公爵令嬢とは気づかない。異国の少年は強引なベアトリスにされるがままだった。
「騎士様、お金は心配しないで。お時間をいただくお礼に御馳走します。お好きなものを頼んでください」
「え?」
「苦手なものはありますか?」
「特には」
ベアトリスは注文する様子のない少年を見て、軽食とお茶とケーキを注文する。
「騎士様に相談がありますの」
「俺は騎士じゃないんだけど」
「見事な試合でした。私は剣の腕などわかりませんが貴方が強いことはわかりました」
「俺は見込みがないって」
「それは試験官の目が節穴だったのです。貴方は立派な騎士になります。私が保証いたします」
「君に保証されても」
「貴方が生涯騎士として生きることを望むなら、その道をご用意します。他にできることがあるなら、この国に害がなく、犯罪に手を染めない限りはどんな願いも叶える努力を致します。ですから貴方の6年を私にいただけませんか?」
「話が全然わからないんだけど」
「騎士としてあなたを雇いたいんです。うちはお金持ちなので給金も弾みます」
「なんで俺がいいの?」
少年は目を輝かせて絶賛する美少女に困惑していた。
ベアトリスは試験に落ち、この国の騎士になれないからとは言えなかった。
「私は自分の直感を信じてます。模擬戦をずっと見た中で貴方が一番印象的でした。それに私と共にいれば箔がつきます。絶対に貴方の将来に役に立つと思います。長い人生の中の6年間を私に捧げていただけませんか?私は貴方がどうしても欲しいんです!!お願いします」
「頭をあげて。話が飲み込めない。まず誰?」
少年は頭を下げる美少女に困惑しながら警戒していた。自信満々な町娘に力があるように見えなかった。
人目を引きたくないベアトリスは頭を上げて、少年の耳に顔を近づけそっと囁いた。
「ここでは目立つので内緒にしてください。申し遅れました。ラグレー公爵家のベアトリスと申します。ベアとお呼びください」
ベアトリスは驚く顔の少年にラグレー公爵家の家紋のハンカチを見せた。
「なんで、そんな方が俺なんかを」
「私には貴方が必要なんです。やりたいことがあるんです。そのためには、私の騎士が必要なんです」
「何をやらせたいの?」
「私の護衛とお使いと剣術指導を。私は剣を持つことを許されませんので」
少年は貴族の裕福な令嬢が自分を求める理由がわからず、事情を話せば離れていくことも知っていた。
「俺は記憶がない。傍に置いて、記憶が戻れば君を殺すかもしれない」
真剣な顔で話す少年にベアトリスはふわりと微笑む。
「それならそれで仕方ありません。私の見る目がなかっただけです。でも犯人が貴方だと見つからないように処理してください。私を殺せば死罪。自殺にみせかけてくれるなら遺書でも書いておきましょう。できれば殺す前に一言相談してほしいものですが」
「え?恐ろしくないのか?俺は自分のことがわからない」
「人は死ぬときは死ぬんです。恐れても何も得られません。私は前に進むことを望みます」
少年は凛としたベアトリスの瞳に吸い込まれそうだった。
目が覚めたら教会にいた。何も思い出せなず、剣を持ったら、体が勝手に動いた。異国人で記憶のない少年に向けられるのは奇異と同情の視線ばかり。いつまでも教会に世話になるわけにもいかず、何をするにもお金が必要なため、騎士養成所の試験を受けた。ただ試験官や周りのやつらは自分を蔑みの視線で聞くに堪えない言葉を話すだけ。
ベアトリスの視線は不快でなく、突然の褒め言葉に困惑しても同情も憐れみも感じない。居心地が良いのは初めてだった。
「雇われてやるよ」
「衣食住はお任せください。二人の時は敬語も敬称もいりません。人目があるときだけ気をつけてください。なんてお呼びすれば?」
「好きに呼んで」
「では、カルロと呼びましょう。さて、本当は祝杯をあげたいのですが、今はお茶で我慢してください。足りなかったら好きなものを頼んで。命令です」
カルロとなった少年は当然のように自分に命令する人物になぜか不快に感じない。空腹だったカルロは遠慮なく注文した。ベアトリスは、記憶喪失のわりに綺麗な所作で食事をするカルロを見ながら、ケーキを口に運ぶ。期待外れの味に眉を潜めるベアトリスを見てカルロは笑う。
「ベア、気に入らないなら俺が食べるよ」
「いいんですか?」
「腹が膨れればなんでもいい」
「ありがとうございます」
心底ほっとした顔をするベアトリスにカルロは自分の雇い主が愉快な人間だと知った。愉快に笑ったのは初めてだった。ベアトリスは薄い紅茶を飲みながらカルロの育成と父の説得を考えていた。そして物足りなそうなカルロに笑い、騎士に人気の定食屋に移動しよく食べるカルロを楽しそうに見つめていた。思考がまとまり久しぶりの一歩前進にベアトリスは極上の笑みを浮かべて微笑んだ。
***
王子はいつものサロンに行くとシンシアが待っていたので落胆した。王子は執務をすませ、ベアトリスとの癒やしのお茶会のはずだった。
「ベアは?」
「お姉様に代わってほしいと頼まれました。殿下と親睦を深めてきてと素敵な笑顔で送りだされましたわ」
「私はベアに会いたかったのに」
王子は定期的に婚約者と二人でお茶をする日を決めていた。多忙な二人が会える月に3回の貴重な時間だった。
恒例の二人のお茶の時間にベアトリスが現れなかったのは初めてだった。
「お姉様はいまだに殿下の婚約者なので、他の公務はこなしてますが私的なお茶会は参加しなくてもいいと。私だって殿下とお茶なんてしたくありません。でもお姉様に頼まれたら断れません。義務を果たしたので私はお暇してもよろしいでしょうか」
立ち上がったシンシアに王子は慌てて声をかけた。
「ベアは今日はどうしているんだ?」
「殿下に話す必要性は感じられません。可愛いお姿で出かけていきましたよ。私のお姉様はどんな服でも着こなすのです」
「どんな服装?」
「教えませんわ。私が髪を結いましたの。三つ編み姿のお姉様は可愛らしく、失礼しました。これ以上は減りますので、お話できません」
うっとりとベアトリスの姿を思い浮かべていたシンシアは余計なことを話していることに気づいて言葉を止め、王子は忌々しそうにシンシアを見て吐き捨てた。
「本当になんで純真なベアの妹がこうなったんだ・・・」
「どっかの王子が私からお姉様を引き離そうとしたからです。私の至福の時間を邪魔して」
「一緒に暮らしているシンシアと違って俺は時々しか会えないんだ。譲れよ」
「3日に1回会いにきてた人間の言葉とは思えません。変装してお姉様に近づいて、お姉様の理想を聞き出して、理想通りの演出で出会って・・」
「夢を叶えてあげたかったんだ。丁度絵本の王子と同じ外見だったしな」
「その絵本を贈ったのは殿下でしょうが。全然優しくて穏やかな陽だまりのような人間じゃないのに。純真なお姉様を騙して」
「ベアにとって優しくて陽だまりのような人間であれるように努力するよ」
「化けの皮が剥がれて怯えられればいいですのに」
「そんなへまはしない」
「お姉様に自分の気持ちも伝えられないのに?私は失礼します」
シンシアは王子のことなど気にせず立ち去った。ベアトリスは気付いていないが二人は仲が悪かった。
王子はベアトリスに会いたくても二人での公務の予定はなく、シンシアは王子が自分から会いにいけばいいと気付いていたがわざわざ教える優しさはない。
***
ラグレー公爵はベアトリスの願いにまた固まった。
「お父様、記憶喪失の少年を保護しました。剣の腕が確かなので私の騎士にします。使用人宿舎を一部屋貸してください。給金は私がお支払いします」
「ベアトリス、彼は安全なのか?」
「はい。お父様達に決して危害を加えないと約束してあります。もしも彼がラグレー公爵家に害をもたらすなら私の命で償います。反対されたら家を出る覚悟もあります。お傍においてもよろしいでしょうか?」
「ベア、お前はまだ殿下の婚約者だ。不誠実なことはしていないか?」
「私の心は殿下のものです。それに子供に手を出す趣味もありません」
「ベア、彼は子供には見えないが・・」
「成人しているようには見えません。未成年は子供です。使用人宿舎の一室を与えても構いませんか?」
「わかったよ。好きにしなさい」
「ありがとうございます。」
ベアトリスが家出をして、保護した騎士と出ていけば大問題である。ベアトリスの不在を知った王子が軍を派遣して捜索する姿が頭をよぎりラグレー公爵は娘の提案を受け入れた。
ベアトリスはカルロを侍女に任せ、自室に戻りトマに手紙を書いた。
ベアトリスに騎士の指導はできないためトマに休みの日にカルロの指導を頼むことを計画していた。
やることを終えたベアトリスは部屋に訪ねてきた妹と一緒にお茶を楽しむ。
王子が元気な様子を聞いて、幸せそうに微笑むベアトリスの考えていることがシンシアにはわからない。誰よりもわかりやすかったベアトリスの変化にラグレー公爵家は困惑し適応していなかった。
***
トマはベアトリスにカルロを紹介されて困惑していた。
休みの日に呼び出されて見知らぬ異国の少年を紹介されれば戸惑うものである。ベアトリスは同じ言葉を繰り返した。
「トマ、私の騎士です。指導をお願いします」
「ベア?」
ベアトリスはカルロに聞こえないようにトマに囁く。
「試験官の私怨で試験を落とされたんです。それなら私がもらってもいいかなって。カルロには内緒にしてください」
トマは幼馴染が念願の騎士を見つけたことを察した。
確かに自分が将来性をないことを買われて雇われたとしればやる気がなくなる。
幼馴染に騙された可哀相な少年の面倒を見ることを受け入れたトマは今日もベアトリスが王子とのお茶会をシンシアに押し付けてここにいることは気付いていなかった。
剣を合わせると、トマはカルロに負けた。
トマは実力者を落とした試験官に呆れ、武門侯爵家として放っておけない案件に顔を顰める。ベアトリスはトマが負けるとは思わなかったが、カルロの事情を聞いて動いてくれるだろう幼馴染に笑った。もちろんカルロの指導が一番だけど、養成所のことも考えていた。ただベアトリスが動くよりもトマが動く方が適任だった。久しぶりに思った通りに事が運び上機嫌なベアトリスが二人の様子を眺めていた。騎士は手に入ったので次に必要なのは隣国の王子との出会いだったが父からの留学の許可がまだおりなかった。
「カルロが強いのは知ってたけど、トマより強いなんて思わなかった」
「まだまだです」
「素直に賞賛は受け取って。当分トマに預けるから行儀作法や騎士としての教養を学んで。私はカルロが帰ってくるのを楽しみに待ってるね。カルロがいないと困るからできるだけ頑張って」
「はい。ご期待にそえるように」
「私の騎士だもの。気負わなくていいわ。トマ、なにかあれば連絡を。いじめたら許さないから覚えておいて」
「そんなことしない。むしろ俺が教えを乞いたい。金はいらない」
「ちゃんと指導料を払うわよ」
「幼馴染のたのみだからな」
「トマの気持ちが良いところ好きだわ。なんで婚約者ができないのか。私が紹介しても断るし」
「俺はまだいい。女にかける時間があるなら剣を振りたい」
「まだまだ子供ね。邪魔をしないように退散するわ。カルロまたね」
ベアトリスは二人に手を振って立ち去った。
夜には夜会があるのでそろそろ帰らないといけなかった。
***
ベアトリスは夜会の準備を整え、部屋を出ると王子がいたので礼をした。ベアトリスは久しぶりの愛する王子に花のような笑みを浮かべた。
「ごきげんよう。殿下」
自分にいつもと変わらない笑みを浮かべられた王子は安堵していた。
「ベア、せっかくだから一緒に行こうと迎えにきた」
「殿下が顔を出すほどのものとは思えませんが」
「いや、いくつか用があって」
「かしこまりました。よろしくお願い致します」
ベアトリスは王子の差し出される手に、微笑んで自分の手を重ねる。
そっと二人の様子を見ていたシンシアはベアトリスに会うために予定を無理やり調整した王子の言葉に失笑する。ベアトリスに会いたかったとさえ言えないヘタレ王子に。
王子は馬車の中でも、いつもと様子が変わらないベアトリスに安堵していた。ベアトリスの瞳は愛しそうに自分を見つめている。王子にとって二人っきりの時間はすぐに終わりをつげ、会場についてしまった。参加する予定がなかった王子の参加に主催者は慌てていたが王子は笑顔で押し通した。
ベアトリスは挨拶を終えても自分の傍を離れない王子に困惑していた。
「殿下、私は一人で大丈夫です。どうぞご用をすませてください」
「いや、」
自分に遠慮している王子の優しさにベアトリスは微笑んで手を放した。
「私はバルコニーで休んでます。いってらっしゃいませ」
ベアトリスは王子が傍にいたいことなど気付かずに、一人で立ち去った。
ベアトリスが去ると、王子は令嬢に囲まれる。ベアトリスは王子が好きでも独り占めしたいとは思わず、政略結婚なので、わきまえていた。
「ベアトリス嬢、お一人ですか?」
「ええ」
「殿下とはいえ、こんな美しい婚約者を放っておくとは感心しませんね」
「お上手ですわ。殿下は魅力的な方ですもの。仕方ありません」
「寛大な心をお持ちですね。殿下が他のご令嬢に心を奪われても言えますか?」
「殿下を支えてくださる方なら歓迎いたします」
ベアトリスは慣れていた。自分を追い落としたい者がいることも。それに一度目の人生で夢は叶ったのでもう十分だった。隣にいることを望まず最愛の王子の顔が曇らないように願うだけだった。
夜会の終わりまで王子は解放されなかった。ベアトリスはワインを飲みながら、話しかけられる貴族と談笑を交わし、夜会が終わるのを待っていた。
王子が一度も自分に近寄らず、社交をこなしているベアトリスを複雑そうに見ていたことなど全く気付かない。
王子は帰りの馬車の中で平静な顔を取り繕う。
「ベア、最近は君がわからないんだ」
「どうされました?」
「どうしてお茶会に来なくなった?」
「私よりもシンシアとの時間の方が有意義だと思いましたの。私の妹は聡明で話上手ですから」
「私はベアと過ごしたい」
「あのお茶会は人目もありません。気を使われなくていいのです」
「私はベアがいいんだ」
「お気遣い不要です。私は婚約者でなくなっても殿下のために尽くします」
「私はベアと一緒に国を守りたい」
「殿下、私では力不足なのです。貴方は私と一緒になると不幸になります。ベアの心は殿下のものです。ベアは殿下のためなら命も惜しくありません。殿下の幸せを心よりお祈りしております」
王子は慈愛に満ちたベアトリスの顔に見惚れていた。馬車が着いたので、ベアトリスは降りて礼をして王子を見送った。王子が気付くとベアトリスはいなかった。
王子はベアトリスの言葉が頭から離れなかった。
ベアトリスが本気で自分から離れるつもりと気付き強硬手段に出ることにした。
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