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後編
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ベアトリスは夜会で知り合った隣国の大使と交流を深めていた。
留学が無理なら訪問すればいいだけである。ただ残念ながらベアトリスにはそんな時間がなかった。過去最大の多忙な日々だった。
王妃に頻繁に呼び出され、なぜかドレスの採寸をされ、王家の社交に連れまわされていた。
ベアトリスは渡された来賓客のリストにも戸惑っていた。国王陛下の生誕祭はしばらく前に終わった。こんなに来賓が多いパーティは考えられなかった。疑問を口にする暇もなく、時間に追われていた。終わったはずなのに王妃教育と言われ、パーティーの食事や装飾の打ち合わせに出るのも不思議で仕方なかった。そして、誰もパーティーの概要は教えてくれない。ただ国と王子にとっての一大イベントと言われれば、ベアトリスには完璧な用意をする以外の選択肢は残されていなかった。
トマはベアトリスを見つけて声をかけた。
「ベア、おめでとう」
「トマ、なにが?」
「もうすぐ婚儀だろう?」
「誰の?」
「ベアと殿下の。忙しくてボケたのか?」
「嘘・・・・」
固まっているベアトリスにトマは本気で言っていることを察した。
「おまえ、知らなかったのか?」
「来賓客のリストは頭にいれました。準備も滞りなく進んでおります。ただなんのパーティーが行われるかはわからなかったんです。婚姻は私が18歳になったらというお話だったのに。どうしよう」
トマはベアトリスに知らせずに婚礼の準備が進められてるとは思わなかった。
途方にくれる幼馴染にトマはかける言葉がわからず、本気で困惑しているベアトリスの肩を叩いた。
「嬉しくないのか?」
「私は殿下と婚姻する予定はありませんでした」
今日の幼馴染から出てくる言葉は想定外のものばかりだった。トマとしては、幸せそうに微笑んで感謝を告げられる予定だった。
「どうする気だったんだよ」
「隣国に嫁ぐように動く予定でした」
「え?」
「隣国の王太子の籠をもらえるように頑張るつもりだったのに・・・」
トマはベアトリスの言葉に真っ青になる。
王子がそんなことを許すようには思えなかった。ベアトリスの幼馴染として何度も王子の嫉妬を受けてきたトマはこの言葉が王子に届かないことを祈るばかりだった。
「もう最終手段しかありません。カルロは今は侯爵邸よね…」
「最終手段って?」
トマの願いは届かない。トマが声の主を探ると冷たい目をした王子がいた。
王子は気配を消すのが上手かった。
「お父様に内緒で隣国に行ってきます。あとはシンシアに任せます。カルロをありがとう。私、行ってくる」
決意して、顔をあげて踵を返したベアトリスは王子を見つけて礼をした。
「ごきげんよう。殿下。私はこれで失礼します」
「ベア、話をしようか」
「え?」
王子は強引にベアトリスは抱き上げる。
トマは困惑しているベアトリスを心配して念のため口を開いた。
「殿下、婚姻前です。節度をお守りください。皮剥がれてますよ」
王子は自室にベアトリスを連れていき、人払いをした。
王子の冷たい雰囲気に耐えきれず、全ての使用人が出て行った。ベアトリスの前だけでは穏やかな王子は使用人にとっては違っていた。
ベアトリスは目の前に座る王子をじっと見つめた。
「殿下、婚姻前の男女が二人きりなど許されません。」
王子は必死に平静を装い穏やかな顔を作った。
「もうすぐ婚姻するから大丈夫だよ。ベア、隣国で何をしようとしてたんだい?」
ベアトリスは柔らかい笑みを浮かべた。
「殿下の幸せのために必要なことです」
「隣国の王太子に寵を求めることが?」
「はい。精一杯努力します」
「私の婚約者なのに?」
「シンシアがいます。」
「残念ながら、招待状にはベアトリス・ラグレーとの婚姻と書いてあるんだが」
「え?」
「国のためを思うならベアは私と婚姻するしかないんだよ」
「私は殿下と一緒にいるわけにはいきません」
王子は穏やかな顔を向ける婚約者の言葉を受け入れる気はなかった。
「ベア、もう少し詳しく話してくれないか。どうして私の幸せが隣国の王子とベアが結ばれることなんだい?」
「私、最近前世の記憶を思い出しました」
「前世の記憶?」
「私は殿下と婚姻して幸せな日々を送っておりました。ですが隣国との戦争がはじまり、殿下はお一人になるといつも暗いお顔をされていました。私は何もできませんでした。ですから、そのようなことがないように隣国との戦争が起きないように努めます。本命は王太子妃ですが無理なら愛妾でも構いません。戦争を止められるように動きます。もしも防げないなら私が殺します。ですから、私は殿下と婚姻するわけにはいきません」
聡明と言われる王子も理解に苦しむ内容だった。
ただベアトリスは嘘も冗談も言わない。王子を見つめる瞳には迷いはなかった。
「ベアは私の傍を離れても平気なのか?」
「私は幸せをたくさんいただきました。思い出だけで十分ですわ。今度は私がお返しする番です」
王子は優しく微笑みながら言われた言葉に心をえぐられていた。
ベアトリスの思い描く未来に王子がいないことを受け入れている最愛の婚約者に平静を保てなくなった。
「その思い出は私とベアのものじゃない」
「どちらも私の愛する殿下には代りありません。殿下、私がお守りします。ですから私のことは忘れてください」
王子はベアトリスの言葉を受け入れたくなかった。
トマとの話を聞いただけでも嫉妬で狂いそうだった。婚儀まで離宮に軟禁してもいいかと頭をよぎった。なけなしの理性が仕事をした。ベアトリスに怯えられるのは避けたかった。
「私の幸せを願うなら傍にいてくれないか」
「できません」
迷うことない即答だった。
ベアトリスから拒否の言葉など、聞いたことがほとんどなかった。軟禁という言葉がまた頭に浮かんだ。
離宮は整えていたが泣いて怯えるベアトリスの顔が浮かんで保留にした。
とりあえず、ベアトリスの前世の記憶について考えてみることにした。
王子は戦争がおこっても、自分の顔が絶望に染まるとは考えられなかった。両親が死んでも暗い顔などしない自覚があった。もしもベアトリスの話が本当で自分が絶望するとして思い当たるのは一つだけだった。
「ベア、前世で私は君の元に帰ってこれたかい?」
「私は殿下のことを待てずに病で命を落としました」
王子の中で辻褄があった。ベアトリスが不治の病に侵されていたら絶望する自信がある。
「きっと私はベアが病にかかったから暗い顔をしていたんだよ。戦争は必要な時もある。戦争くらいで気持ちが揺らぐなら王にはなれない」
「殿下、ありえません。私は大事にしていただきましたが、義務です」
堂々と言うベアトリスの言葉に王子はまた心をえぐられた。彼女の話では婚姻していた。
一度も婚約者に想いを告げたことはなく、ベアトリスが自分の想いに全く気付いてないことも気づいていた。ベアトリスに近づく男は排除した。国内ではベアトリスに近づくと王子の逆鱗に触れると言われるほどに。シンシアのヘタレとあざ笑う顔を頭をよぎった王子は見たくもないイメージを打ち消し、ベアトリスの手を握る。
「ベア、私は君を愛しているよ」
「はい?」
「ずっとベアに甘えていた。私は君のように気持ちを言葉にするのが得意ではない。これからも傍にいてほしい。戦争を防ぎたいなら手を回すよ」
ベアトリスは一度も想いが叶うことなど考えたことはなかったため困惑していた。
「え?」
王子は困惑している婚約者に優しい笑みを浮かべる。ただし目が笑っていないが混乱しているベアトリスに気付く余力はなかった。
「でも残念ながらベアには私と婚姻するしか選択肢はないけど」
「殿下、私はあと6年で死にます」
「未来はかわるものだ。決まっていることなどなにもない」
「お傍にいてもよろしいのでしょうか」
「ベアがいれば幸せだよ。私はベアといる時間が一番好きだから」
「私も殿下との時間が一番です」
「私と婚姻してくれるかい?」
ベアトリスだって一緒にいられるならいたい。でも頷くのが怖かった。自分の大好きな陽だまりみたいに暖かく微笑む王子にどうすればいいかわからなかった。自分の頬に手をあてる暖かい手の持ち主の顔が絶望に染まらない方法がわからなかった。
「ベア?」
「怖いんです。このまま貴方がまた」
王子は初めて不安に揺れるベアトリスの瞳を見つめ、頬に添えていた手を顎に滑らせゆっくりと顔を近づける。互いの吐息が感じられるほど近づく瞬間に勢いよく扉が開き王子の動きが止まる。
「お姉様、この冷血王子は慈悲の心など持ち合わせていません。殿下、お姉様から不埒な手を放してください」
「なんで!?」
「トマから連絡があり駆けつけました。お姉様の貞操の危機と」
シンシアは王子の手を振り払いベアトリスを抱きしめる。
「お姉様、シンシアがおります。そんな悲しい顔をしないでください」
王子はベアトリスの顔がシンシアの胸に押し付けられ隠れているので、不機嫌を隠さず睨む。
人払いして勇気を振り絞り必死に作ったいい雰囲気を壊したシンシアを。
「なんでここに入れた」
「自分の手札を教えるほど愚かではありません」
「シンシア、私より貴方の方が殿下に」
「ベア、ないから。シンシアと結婚なんて俺には不幸の始まりだから」
「俺?」
聞き覚えのない一人称と話し方の違いにベアトリスは首を傾げる。
「お姉様、この男はソンです」
「ソンって昔うちによく迷い込んでた?」
「シンシア!?」
「この男は狡猾な男です」
シンシアの言葉にベアトリスがクスクスと笑う。
「ソンが殿下のわけないわよ。全然似てないもの。ソンは行商人になるために他国をまわってるはずよ。欲しい物を手に入れるって意気込んでいたもの。あのわんぱくなソンと似つかないわ。殿下は犬に追いかけられても泣かないもの。でもシンシアがそこまでソンと仲良かったとは。私は二人が仲がよくないと思ってたわ」
「私のお姉様をとる男は嫌いです」
「シンシアはいくつになっても可愛いわ」
頬を膨らませる妹にベアトリスは優しく笑い頭をゆっくり撫でる。
王子はベアトリスの様子にごまかせそうだと安心した。
子供の頃の情けない自分が同一人物とは思われたくない。
変装してお忍びをしていた頃に、犬に追いかけられた王子を助けてくれたのがベアトリスだった。
情けない自分に無垢な笑顔で笑いかけて手当をしてくれたベアトリスに心を奪われた。
そのあともソンとして迷い込むふりをして近づいた。シンシアとベアトリスの取り合いの喧嘩をするといつも優しく微笑んで嗜め抱きしめてくれた。シンシアがいない時は膝枕をして本を読んでくれることもあり年下の少女に甘えるのはくすぐったくても、至福の時間だった。
ただソンにとってベアトリスは特別でもベアトリスには違った。ソンに見せる顔は領民の子供に向ける顔と同じで面白くなかった。そんな時に自分の婚約者選びの話が浮かび上がった。母にどうしても特別になりたい女の子がいると相談すると楽しそうに計画をしてくれた。母は自分にそっくりな王子がでてくる絵本をベアトリスに贈るように提案した。ベアトリスは初めて読む色鮮やかな絵本に心を奪われた。絵本の話にうっとりして夢中で読んでいた。それから母と一緒に理想の出会いや王子を演出した。王妃は荒くれ者の王子が好きな子のために変わっていく様子に微笑んだ。ベアトリスの憧れの王子は文武両道でいつも穏やかで笑顔を浮かべていた。母親が王太子として相応しい王子像を絵本に書かせたとは気づいていなかった。
ただ二人の演出がすごすぎて、ベアトリスには曇ったフィルターを身に付けてしまった。幼いベアトリスには王子と王妃の策略に抗うすべはなかった。
王は二人の勢いに負けて婚約の手続きを整えた。王としては他国の姫を指名するつもりだったが荒くれ者の息子が王太子として相応しくなるなら構わないかと王妃に説得されて諦めた。
エグレー公爵家は恐れ多いと断ったが、王妃と王子に頭を下げられたら断れなかった。
そして外堀を埋めた後に、王子はベアトリスとの運命的な出会いを果たした。数日後、婚約者として王子と再会したときに、ベアトリスは恋に落ちた。王妃の書いた脚本通りに進み、王子は頬を染めて自分を見つめるベアトリスにご満悦だった。
「シンシア、ベアと二人にしてほしいんだが」
「婚前に二人っきりなど許されません。どうしてお姉様との婚姻を無理やり早めたんですか!?」
王子はエグレー公爵家には内密にして婚姻の準備を進めていた。
シンシアに妨害されないために。
「私がベアと1日も早く夫婦になりたかった。教会に相談に行けば方法があったから。ベアも私と一緒にいたいと言ってくれている」
「お姉様、こんな男でよろしいんですか」
「シンシア、殿下に失礼よ」
「空気を読んで、二人にしてくれ」
「嫌です。婚儀は延ばせないので、それまでは私がお姉様と一緒にいます」
「私は嫁いでもシンシアの姉であることには変わりはないわ」
王子はベアトリスの言葉に目を輝かせた。
「ベア、婚姻してくれるのか!?」
ベアトリスには頷くしか選択肢が残されていない。
「ここまで準備を整えたら中止は国の威信に関わります」
「最低」
「シンシア、殿下へ無礼よ。帰りましょうか」
「ベア、婚儀が終わるまでは国を出たりしないか?」
「え?」
ベアトリスの首を傾げる様子に王子は決断した。最近のベアトリスの行動は王子の予測を超えていた。
「まだ準備がおわらないんだ。離宮を用意してあるから儀式が終わるまで泊まってくれないか?」
「え?」
「仕事が忙しくて、手伝ってほしい」
「かしこまりました」
シンシアは王子を睨む。
「シンシアも泊まればいい。護衛をつけるから。公爵夫妻も招いていい。ただ王宮から出る時は護衛の兼ね合いで連絡が欲しい」
シンシアは王子が姉を離宮に閉じ込めて、婚儀から逃げないようにしたいことを察した。
ベアトリスは公務で王宮に泊まることもあったので疑問もなく頷く。本当は家に帰りたくても、公務が優先だった。
***
ベアトリスは離宮で生活していたが泊まるほどの忙しさには思えなかったので、王子がつけた護衛騎士に家に帰ることを伝えると真っ青な顔で引き留められていた。
「ベアトリス様、御考え直しを」
「いえ、もう今日の執務もすみました。私は帰ります。護衛は不要ですよ」
「殿下より、御身をお守りし決してお傍を離れるなと」
護衛騎士は王子の命令に逆らえば、自分達の首が飛ぶと思っていた。
真っ青な顔の騎士にベアトリスは心配になった。
「具合が悪いのでしたらお休みください」
慈愛に満ちた笑みを浮かべるベアトリスを王子は静かに見ていた。王子は穏やかな顔を作って入室した。
「ベア、どうした?」
「殿下、騎士を休ませたいのですが・・・・」
「そうだね。具合が悪い時は休んだほうがいい。別の騎士を手配しよう。ゆっくり休んでくれ」
「お世話になりました。ゆっくり休んでくださいませ」
騎士は王子のさっさと立ち去れという視線を受けて、青い顔で礼をして退室した。
王子はベアトリスが心配そうに騎士の背中を見送っており、自分よりも騎士を気にかけているのが気に入らなかった。
「ありがとうございました。私に護衛はいりません。一段落つきましたし、帰りますわ」
「ベア、儀式の確認をしたいんだが、夜しか時間がとれないんだ。だから泊まってくれないか?」
「かしこまりました。お体に気をつけてください」
「ああ。また夜に」
ベアトリスは婚儀の日まで公爵邸に帰ることは許されなかった。
そして忙しさに追われ、気付くと婚儀の日を迎えていた。
王子はベアトリスに婚姻の祝いに贈り物を尋ねるとカルロを自身の忠臣として傍におきたいと願われた。カルロはベアトリスの騎士として表面的には快く受け入れられていた。
王子の婚姻祝いに訪ねた隣国の王太子がカルロを目に止めて驚き肩を掴んだ。
「お前、なんでここに」
ベアトリスはカルロに詰め寄る王太子に笑みを浮かべて近づく。
「王太子殿下、申しわけありません。なにか粗相がありましたか?」
「いや、彼はどうして」
「事情がありまして。彼をご存知ですか?」
「ああ。よく知っている」
ベアトリスは王太子に近づき耳にそっと囁く。
「事情があります。どのようなご関係ですか?」
「弟だ」
「まぁ!?宴の後に別室をご用意致します。お時間を」
ベアトリスが隣国の王太子と顔を近づけて親しそうに話す様子を見た王子が慌てて腰を抱き寄せて引き剥がす。
「ベア、なんの話をしてるんだい?」
「私事です。殿下のお耳に入れることではありません。」
「言えないこと?」
「今のところは。殿下はどうされましたの?」
「いや、」
「私は大丈夫ですので、どうぞ行ってらっしゃいませ」
王子は隣国の王太子にベアトリスを近づけたくないため、強引にエスコートして、ダンスに誘う。
ベアトリスはよくわからなかったが、微笑んで誘いを受けダンスを踊る。そのあと王子はベアトリスを離すことなく社交をこなしていた。不思議に思いながらも最愛の王子のエスコートにベアトリスは甘え幸せそうに微笑む姿に王子の顔が緩んでいた。
夜会が終わると、初夜の用意のため王子と別れたベアトリスは隣国の王太子をカルロと共に訪ねた。
「夜分に申し訳ありません」
「こちらこそ、すまない」
「お話する前に、彼に危害を加えないと約束していただけますか?」
「もちろん約束する。事情を話してくれないか」
ベアトリスがカルロを見ると静かに頷く。
「彼は記憶がありません。剣の腕が素晴らしいので、私が雇いました」
「記憶がないだと!?」
驚いた顔の王太子にベアトリスは静かに頷く。
「はい」
王太子は思考を巡らせた後カルロを静かに見つめた。
「今の生活に不満はあるか?」
「ありません」
「君は私の異母弟だ。国に帰って王族として生きる道もある。どうしたい?」
ベアトリスは黙り込むカルロの顔を覗き込み微笑みかける。
「カルロ、私のことは気にせず好きなように答えなさい。命令よ」
カルロがベアトリスに命令されたのは2度目だった。カルロはベアトリスの顔を見つめる。
「ベア、俺の契約期間は6年。その後は更新する気はないの?」
「私はカルロが側にいてくれると、助かるけど、生きてるかわからないわ。私、22歳で亡くなる気がするのよ」
「は?」
カルロはサラリと言われた言葉に目を丸くする。
ベアトリスはクスクスと笑いながらカルロの肩を叩く。
「女の勘よ。先のことは気にしないで。これからも側にいてくれるなら心強いわ。でも戦争は嫌だから、殿下が貴方を取り戻すために手段を選ばないというなら手放すわ。私の我儘で国を危険にさらせないわ」
「さすがに弟のために戦争はおこさないよ。」
「安心しましたわ。これからもよいお付き合いができることを願います」
「こちらこそ。君はここにいて、大丈夫なのか?」
「そろそろ戻りませんといけませんね。カルロ、私は大丈夫だから今日は自由に過ごして」
「かしこまりました」
「貴方の心のままに選んで。私はどんな選択も快く受け止めるわ」
ベアトリスはカルロを残して礼をして部屋から退室し、足早に自室へ向かう途中で王子に会った。
王子はベアトリスの姿がなく探していた。まさか隣国の王太子の部屋の廊下で見つけるのは嫌な予感しかしなかった。
「どこにいた!?」
ベアトリスはいつも落ち着いている王子が慌てる様子に驚いても本当のことは言えないので微笑んで口を開く。
「お散歩をしていただけですよ」
「誰と?」
「カルロと一緒でしたが疲れてるようなので今日はもう下がらせました」
「隣国の王太子と会ってたのかと」
「王太子殿下に何かご用ですか?」
「いや、なんでもないならいいんだ。見つからないから心配しただけ」
「ご心配いただきありがとうございます」
「ベア、なにがあっても私の側から離れないでくれないか。私の幸せはベアなんだ」
「殿下、私は殿下の妃になりました。精一杯努めます」
王子は全く伝わってないことを察した。
ベアトリスは自分を好いてくれても、距離が遠かった。
言葉にするのは苦手でも少しずつ変わっていこうと決めていた。ベアトリスの前世の話が本当なら自分は全く彼女に気持ちを伝えてこなかった。シンシアもベアトリスも変わらないなんて思われないように。ベアトリスが死なないように世界中の薬を取り寄せるためには戦争なんてする無駄な時間はなかった。王子はベアトリスが死なないように力を尽くすことを決めた。
またカルロはベアトリスの側にいることにした。兄に戻りたくなったらいつでも帰ってこいと言われたが6年後に死ぬと思うのと朗らかに笑うベアトリスを放っておけなかった。それに自分を必要としてくれるのはベアトリスだけ。なによりもベアトリスとの時間は中々楽しかった。
「カルロ、最近殿下の様子がおかしいんだけど、大丈夫かな?」
「は?」
「なんとなくなんだけど」
「なら気のせいじゃないか?」
「そうよね」
「ベア、俺と二人になって平気なの?」
「だって、近衛の前だと猫かぶらないとだもの。カルロがいるから離れてもらった。疲れた」
カルロは庭園の木陰で自分の肩に体を預けて眠るベアトリスを好きにさせることにした。
嫉妬に狂う男は見ないフリ。ベアトリスの寝不足はその男のせいでもあった。
「距離が近すぎないか」
「私は妃殿下の騎士ですから。」
「トマは仕方ないけど、他にも現れるとは」
「ベアが戸惑ってますよ。その二面性中途半端すぎますよ」
「妃殿下だ」
「申し訳ありません。気をつけます。執務はよろしいんですか?」
「休憩だ」
「殿下が抱き上げると起きるので、私が運びますよ」
ベアトリスがぼんやりと目を醒ました。
「なに?」
「なんでもない。まだ寝てなよ。公務の時間に起こすから」
「うん」
再び眠ったベアトリスとカルロの様子を王子は忌々しそうに見ていた。ベアトリスがカルロに信頼をおくのはおもしろくなかった。ベアトリスのお願いに負けて、カルロを側に置くことを許したことを後悔していた。
***
シンシアは姉の前では穏やかな王子が影で嫉妬に狂っていることに気付いていた。おかげで姉が連日寝不足。風の噂で姉が早死にすると聞き、王子のせいではないかと思い始めていた。
「殿下、嫉妬に狂ってお姉様を抱き潰すのやめてください。連日寝不足で足腰フラフラ、いい加減にして下さい」
「ベアが可愛いから」
「そんなの当然ですよ。体によくありません。抱く前にやることがあると思いますよ」
王子はシンシアの言葉に控えることにした。
それに確かに一理あった。
「おかえりなさいませ。殿下」
「ああ。何してたの?」
「星を見てました」
「ベア、もし私が君の知る王子ではなかったらどうする?」
ベアトリスは王子の言葉に不思議に思いながらも答えは決まっていた。
「私はどんな殿下も愛してますわ」
「君の好きな理想の王子じゃなくても?」
「もう理想の王子様に憧れるほど子供ではありません。それに理想と現実は違います。私が愛しているのは、殿下だけです。物語の王子様には温もりはありませんもの」
「私が嫉妬に狂ったただの男でも?」
「いささか想像できませんが、私の心は殿下のものです」
「名前で呼んでほしい」
「ハリソン様?」
「ベア、出会ってからずっと好きだった。愛してるんだ。ずっと君の特別になることだけを考えていた」
「殿下?」
ベアトリスは突然甘い言葉を言い出した王子に頬が赤くなっているのがわかった。どうしようもなく恥ずかしかった。
「殿下、おやめください。私、おかしくなりそうです」
王子は自分の言葉に赤面する妻を抱きしめ自重するのは明日からにすることにした。
***
ベアトリスは前世との違いに戸惑っていた。それでも、王子が幸せそうに見えたので、これでいいかと思った。王子は国の医学の発達に全力を注ぎ余計な執務が増えないように戦争を起こさないように外交にも力を入れた。
ベアトリスは時々子供のようになる王子も変わらず愛していた。
ただ王子は自分がソンということを打ち明けることはなかった。
前世とは違ってもベアトリスは幸せな日々を過ごしていた。
王子はベアトリスが手に入ったことに安堵しても、満足はできなかった。ヘタレ王子は妻の前では穏やかな夫を演じていた。王子が冷酷な判断をしようとも、ベアトリスの自分への慈愛に満ちた愛情が変わらないと知ってからは少しずつ嫉妬を表現するようになる。
シンシアやカルロはベアトリスの王子への曇ったフィルターが剥がれないことが不思議だった。
王妃は自分の筋書き通りの結末に微笑んでいた。そして、脚本通りに動く息子で遊ぶ趣味はかわらなかった。
留学が無理なら訪問すればいいだけである。ただ残念ながらベアトリスにはそんな時間がなかった。過去最大の多忙な日々だった。
王妃に頻繁に呼び出され、なぜかドレスの採寸をされ、王家の社交に連れまわされていた。
ベアトリスは渡された来賓客のリストにも戸惑っていた。国王陛下の生誕祭はしばらく前に終わった。こんなに来賓が多いパーティは考えられなかった。疑問を口にする暇もなく、時間に追われていた。終わったはずなのに王妃教育と言われ、パーティーの食事や装飾の打ち合わせに出るのも不思議で仕方なかった。そして、誰もパーティーの概要は教えてくれない。ただ国と王子にとっての一大イベントと言われれば、ベアトリスには完璧な用意をする以外の選択肢は残されていなかった。
トマはベアトリスを見つけて声をかけた。
「ベア、おめでとう」
「トマ、なにが?」
「もうすぐ婚儀だろう?」
「誰の?」
「ベアと殿下の。忙しくてボケたのか?」
「嘘・・・・」
固まっているベアトリスにトマは本気で言っていることを察した。
「おまえ、知らなかったのか?」
「来賓客のリストは頭にいれました。準備も滞りなく進んでおります。ただなんのパーティーが行われるかはわからなかったんです。婚姻は私が18歳になったらというお話だったのに。どうしよう」
トマはベアトリスに知らせずに婚礼の準備が進められてるとは思わなかった。
途方にくれる幼馴染にトマはかける言葉がわからず、本気で困惑しているベアトリスの肩を叩いた。
「嬉しくないのか?」
「私は殿下と婚姻する予定はありませんでした」
今日の幼馴染から出てくる言葉は想定外のものばかりだった。トマとしては、幸せそうに微笑んで感謝を告げられる予定だった。
「どうする気だったんだよ」
「隣国に嫁ぐように動く予定でした」
「え?」
「隣国の王太子の籠をもらえるように頑張るつもりだったのに・・・」
トマはベアトリスの言葉に真っ青になる。
王子がそんなことを許すようには思えなかった。ベアトリスの幼馴染として何度も王子の嫉妬を受けてきたトマはこの言葉が王子に届かないことを祈るばかりだった。
「もう最終手段しかありません。カルロは今は侯爵邸よね…」
「最終手段って?」
トマの願いは届かない。トマが声の主を探ると冷たい目をした王子がいた。
王子は気配を消すのが上手かった。
「お父様に内緒で隣国に行ってきます。あとはシンシアに任せます。カルロをありがとう。私、行ってくる」
決意して、顔をあげて踵を返したベアトリスは王子を見つけて礼をした。
「ごきげんよう。殿下。私はこれで失礼します」
「ベア、話をしようか」
「え?」
王子は強引にベアトリスは抱き上げる。
トマは困惑しているベアトリスを心配して念のため口を開いた。
「殿下、婚姻前です。節度をお守りください。皮剥がれてますよ」
王子は自室にベアトリスを連れていき、人払いをした。
王子の冷たい雰囲気に耐えきれず、全ての使用人が出て行った。ベアトリスの前だけでは穏やかな王子は使用人にとっては違っていた。
ベアトリスは目の前に座る王子をじっと見つめた。
「殿下、婚姻前の男女が二人きりなど許されません。」
王子は必死に平静を装い穏やかな顔を作った。
「もうすぐ婚姻するから大丈夫だよ。ベア、隣国で何をしようとしてたんだい?」
ベアトリスは柔らかい笑みを浮かべた。
「殿下の幸せのために必要なことです」
「隣国の王太子に寵を求めることが?」
「はい。精一杯努力します」
「私の婚約者なのに?」
「シンシアがいます。」
「残念ながら、招待状にはベアトリス・ラグレーとの婚姻と書いてあるんだが」
「え?」
「国のためを思うならベアは私と婚姻するしかないんだよ」
「私は殿下と一緒にいるわけにはいきません」
王子は穏やかな顔を向ける婚約者の言葉を受け入れる気はなかった。
「ベア、もう少し詳しく話してくれないか。どうして私の幸せが隣国の王子とベアが結ばれることなんだい?」
「私、最近前世の記憶を思い出しました」
「前世の記憶?」
「私は殿下と婚姻して幸せな日々を送っておりました。ですが隣国との戦争がはじまり、殿下はお一人になるといつも暗いお顔をされていました。私は何もできませんでした。ですから、そのようなことがないように隣国との戦争が起きないように努めます。本命は王太子妃ですが無理なら愛妾でも構いません。戦争を止められるように動きます。もしも防げないなら私が殺します。ですから、私は殿下と婚姻するわけにはいきません」
聡明と言われる王子も理解に苦しむ内容だった。
ただベアトリスは嘘も冗談も言わない。王子を見つめる瞳には迷いはなかった。
「ベアは私の傍を離れても平気なのか?」
「私は幸せをたくさんいただきました。思い出だけで十分ですわ。今度は私がお返しする番です」
王子は優しく微笑みながら言われた言葉に心をえぐられていた。
ベアトリスの思い描く未来に王子がいないことを受け入れている最愛の婚約者に平静を保てなくなった。
「その思い出は私とベアのものじゃない」
「どちらも私の愛する殿下には代りありません。殿下、私がお守りします。ですから私のことは忘れてください」
王子はベアトリスの言葉を受け入れたくなかった。
トマとの話を聞いただけでも嫉妬で狂いそうだった。婚儀まで離宮に軟禁してもいいかと頭をよぎった。なけなしの理性が仕事をした。ベアトリスに怯えられるのは避けたかった。
「私の幸せを願うなら傍にいてくれないか」
「できません」
迷うことない即答だった。
ベアトリスから拒否の言葉など、聞いたことがほとんどなかった。軟禁という言葉がまた頭に浮かんだ。
離宮は整えていたが泣いて怯えるベアトリスの顔が浮かんで保留にした。
とりあえず、ベアトリスの前世の記憶について考えてみることにした。
王子は戦争がおこっても、自分の顔が絶望に染まるとは考えられなかった。両親が死んでも暗い顔などしない自覚があった。もしもベアトリスの話が本当で自分が絶望するとして思い当たるのは一つだけだった。
「ベア、前世で私は君の元に帰ってこれたかい?」
「私は殿下のことを待てずに病で命を落としました」
王子の中で辻褄があった。ベアトリスが不治の病に侵されていたら絶望する自信がある。
「きっと私はベアが病にかかったから暗い顔をしていたんだよ。戦争は必要な時もある。戦争くらいで気持ちが揺らぐなら王にはなれない」
「殿下、ありえません。私は大事にしていただきましたが、義務です」
堂々と言うベアトリスの言葉に王子はまた心をえぐられた。彼女の話では婚姻していた。
一度も婚約者に想いを告げたことはなく、ベアトリスが自分の想いに全く気付いてないことも気づいていた。ベアトリスに近づく男は排除した。国内ではベアトリスに近づくと王子の逆鱗に触れると言われるほどに。シンシアのヘタレとあざ笑う顔を頭をよぎった王子は見たくもないイメージを打ち消し、ベアトリスの手を握る。
「ベア、私は君を愛しているよ」
「はい?」
「ずっとベアに甘えていた。私は君のように気持ちを言葉にするのが得意ではない。これからも傍にいてほしい。戦争を防ぎたいなら手を回すよ」
ベアトリスは一度も想いが叶うことなど考えたことはなかったため困惑していた。
「え?」
王子は困惑している婚約者に優しい笑みを浮かべる。ただし目が笑っていないが混乱しているベアトリスに気付く余力はなかった。
「でも残念ながらベアには私と婚姻するしか選択肢はないけど」
「殿下、私はあと6年で死にます」
「未来はかわるものだ。決まっていることなどなにもない」
「お傍にいてもよろしいのでしょうか」
「ベアがいれば幸せだよ。私はベアといる時間が一番好きだから」
「私も殿下との時間が一番です」
「私と婚姻してくれるかい?」
ベアトリスだって一緒にいられるならいたい。でも頷くのが怖かった。自分の大好きな陽だまりみたいに暖かく微笑む王子にどうすればいいかわからなかった。自分の頬に手をあてる暖かい手の持ち主の顔が絶望に染まらない方法がわからなかった。
「ベア?」
「怖いんです。このまま貴方がまた」
王子は初めて不安に揺れるベアトリスの瞳を見つめ、頬に添えていた手を顎に滑らせゆっくりと顔を近づける。互いの吐息が感じられるほど近づく瞬間に勢いよく扉が開き王子の動きが止まる。
「お姉様、この冷血王子は慈悲の心など持ち合わせていません。殿下、お姉様から不埒な手を放してください」
「なんで!?」
「トマから連絡があり駆けつけました。お姉様の貞操の危機と」
シンシアは王子の手を振り払いベアトリスを抱きしめる。
「お姉様、シンシアがおります。そんな悲しい顔をしないでください」
王子はベアトリスの顔がシンシアの胸に押し付けられ隠れているので、不機嫌を隠さず睨む。
人払いして勇気を振り絞り必死に作ったいい雰囲気を壊したシンシアを。
「なんでここに入れた」
「自分の手札を教えるほど愚かではありません」
「シンシア、私より貴方の方が殿下に」
「ベア、ないから。シンシアと結婚なんて俺には不幸の始まりだから」
「俺?」
聞き覚えのない一人称と話し方の違いにベアトリスは首を傾げる。
「お姉様、この男はソンです」
「ソンって昔うちによく迷い込んでた?」
「シンシア!?」
「この男は狡猾な男です」
シンシアの言葉にベアトリスがクスクスと笑う。
「ソンが殿下のわけないわよ。全然似てないもの。ソンは行商人になるために他国をまわってるはずよ。欲しい物を手に入れるって意気込んでいたもの。あのわんぱくなソンと似つかないわ。殿下は犬に追いかけられても泣かないもの。でもシンシアがそこまでソンと仲良かったとは。私は二人が仲がよくないと思ってたわ」
「私のお姉様をとる男は嫌いです」
「シンシアはいくつになっても可愛いわ」
頬を膨らませる妹にベアトリスは優しく笑い頭をゆっくり撫でる。
王子はベアトリスの様子にごまかせそうだと安心した。
子供の頃の情けない自分が同一人物とは思われたくない。
変装してお忍びをしていた頃に、犬に追いかけられた王子を助けてくれたのがベアトリスだった。
情けない自分に無垢な笑顔で笑いかけて手当をしてくれたベアトリスに心を奪われた。
そのあともソンとして迷い込むふりをして近づいた。シンシアとベアトリスの取り合いの喧嘩をするといつも優しく微笑んで嗜め抱きしめてくれた。シンシアがいない時は膝枕をして本を読んでくれることもあり年下の少女に甘えるのはくすぐったくても、至福の時間だった。
ただソンにとってベアトリスは特別でもベアトリスには違った。ソンに見せる顔は領民の子供に向ける顔と同じで面白くなかった。そんな時に自分の婚約者選びの話が浮かび上がった。母にどうしても特別になりたい女の子がいると相談すると楽しそうに計画をしてくれた。母は自分にそっくりな王子がでてくる絵本をベアトリスに贈るように提案した。ベアトリスは初めて読む色鮮やかな絵本に心を奪われた。絵本の話にうっとりして夢中で読んでいた。それから母と一緒に理想の出会いや王子を演出した。王妃は荒くれ者の王子が好きな子のために変わっていく様子に微笑んだ。ベアトリスの憧れの王子は文武両道でいつも穏やかで笑顔を浮かべていた。母親が王太子として相応しい王子像を絵本に書かせたとは気づいていなかった。
ただ二人の演出がすごすぎて、ベアトリスには曇ったフィルターを身に付けてしまった。幼いベアトリスには王子と王妃の策略に抗うすべはなかった。
王は二人の勢いに負けて婚約の手続きを整えた。王としては他国の姫を指名するつもりだったが荒くれ者の息子が王太子として相応しくなるなら構わないかと王妃に説得されて諦めた。
エグレー公爵家は恐れ多いと断ったが、王妃と王子に頭を下げられたら断れなかった。
そして外堀を埋めた後に、王子はベアトリスとの運命的な出会いを果たした。数日後、婚約者として王子と再会したときに、ベアトリスは恋に落ちた。王妃の書いた脚本通りに進み、王子は頬を染めて自分を見つめるベアトリスにご満悦だった。
「シンシア、ベアと二人にしてほしいんだが」
「婚前に二人っきりなど許されません。どうしてお姉様との婚姻を無理やり早めたんですか!?」
王子はエグレー公爵家には内密にして婚姻の準備を進めていた。
シンシアに妨害されないために。
「私がベアと1日も早く夫婦になりたかった。教会に相談に行けば方法があったから。ベアも私と一緒にいたいと言ってくれている」
「お姉様、こんな男でよろしいんですか」
「シンシア、殿下に失礼よ」
「空気を読んで、二人にしてくれ」
「嫌です。婚儀は延ばせないので、それまでは私がお姉様と一緒にいます」
「私は嫁いでもシンシアの姉であることには変わりはないわ」
王子はベアトリスの言葉に目を輝かせた。
「ベア、婚姻してくれるのか!?」
ベアトリスには頷くしか選択肢が残されていない。
「ここまで準備を整えたら中止は国の威信に関わります」
「最低」
「シンシア、殿下へ無礼よ。帰りましょうか」
「ベア、婚儀が終わるまでは国を出たりしないか?」
「え?」
ベアトリスの首を傾げる様子に王子は決断した。最近のベアトリスの行動は王子の予測を超えていた。
「まだ準備がおわらないんだ。離宮を用意してあるから儀式が終わるまで泊まってくれないか?」
「え?」
「仕事が忙しくて、手伝ってほしい」
「かしこまりました」
シンシアは王子を睨む。
「シンシアも泊まればいい。護衛をつけるから。公爵夫妻も招いていい。ただ王宮から出る時は護衛の兼ね合いで連絡が欲しい」
シンシアは王子が姉を離宮に閉じ込めて、婚儀から逃げないようにしたいことを察した。
ベアトリスは公務で王宮に泊まることもあったので疑問もなく頷く。本当は家に帰りたくても、公務が優先だった。
***
ベアトリスは離宮で生活していたが泊まるほどの忙しさには思えなかったので、王子がつけた護衛騎士に家に帰ることを伝えると真っ青な顔で引き留められていた。
「ベアトリス様、御考え直しを」
「いえ、もう今日の執務もすみました。私は帰ります。護衛は不要ですよ」
「殿下より、御身をお守りし決してお傍を離れるなと」
護衛騎士は王子の命令に逆らえば、自分達の首が飛ぶと思っていた。
真っ青な顔の騎士にベアトリスは心配になった。
「具合が悪いのでしたらお休みください」
慈愛に満ちた笑みを浮かべるベアトリスを王子は静かに見ていた。王子は穏やかな顔を作って入室した。
「ベア、どうした?」
「殿下、騎士を休ませたいのですが・・・・」
「そうだね。具合が悪い時は休んだほうがいい。別の騎士を手配しよう。ゆっくり休んでくれ」
「お世話になりました。ゆっくり休んでくださいませ」
騎士は王子のさっさと立ち去れという視線を受けて、青い顔で礼をして退室した。
王子はベアトリスが心配そうに騎士の背中を見送っており、自分よりも騎士を気にかけているのが気に入らなかった。
「ありがとうございました。私に護衛はいりません。一段落つきましたし、帰りますわ」
「ベア、儀式の確認をしたいんだが、夜しか時間がとれないんだ。だから泊まってくれないか?」
「かしこまりました。お体に気をつけてください」
「ああ。また夜に」
ベアトリスは婚儀の日まで公爵邸に帰ることは許されなかった。
そして忙しさに追われ、気付くと婚儀の日を迎えていた。
王子はベアトリスに婚姻の祝いに贈り物を尋ねるとカルロを自身の忠臣として傍におきたいと願われた。カルロはベアトリスの騎士として表面的には快く受け入れられていた。
王子の婚姻祝いに訪ねた隣国の王太子がカルロを目に止めて驚き肩を掴んだ。
「お前、なんでここに」
ベアトリスはカルロに詰め寄る王太子に笑みを浮かべて近づく。
「王太子殿下、申しわけありません。なにか粗相がありましたか?」
「いや、彼はどうして」
「事情がありまして。彼をご存知ですか?」
「ああ。よく知っている」
ベアトリスは王太子に近づき耳にそっと囁く。
「事情があります。どのようなご関係ですか?」
「弟だ」
「まぁ!?宴の後に別室をご用意致します。お時間を」
ベアトリスが隣国の王太子と顔を近づけて親しそうに話す様子を見た王子が慌てて腰を抱き寄せて引き剥がす。
「ベア、なんの話をしてるんだい?」
「私事です。殿下のお耳に入れることではありません。」
「言えないこと?」
「今のところは。殿下はどうされましたの?」
「いや、」
「私は大丈夫ですので、どうぞ行ってらっしゃいませ」
王子は隣国の王太子にベアトリスを近づけたくないため、強引にエスコートして、ダンスに誘う。
ベアトリスはよくわからなかったが、微笑んで誘いを受けダンスを踊る。そのあと王子はベアトリスを離すことなく社交をこなしていた。不思議に思いながらも最愛の王子のエスコートにベアトリスは甘え幸せそうに微笑む姿に王子の顔が緩んでいた。
夜会が終わると、初夜の用意のため王子と別れたベアトリスは隣国の王太子をカルロと共に訪ねた。
「夜分に申し訳ありません」
「こちらこそ、すまない」
「お話する前に、彼に危害を加えないと約束していただけますか?」
「もちろん約束する。事情を話してくれないか」
ベアトリスがカルロを見ると静かに頷く。
「彼は記憶がありません。剣の腕が素晴らしいので、私が雇いました」
「記憶がないだと!?」
驚いた顔の王太子にベアトリスは静かに頷く。
「はい」
王太子は思考を巡らせた後カルロを静かに見つめた。
「今の生活に不満はあるか?」
「ありません」
「君は私の異母弟だ。国に帰って王族として生きる道もある。どうしたい?」
ベアトリスは黙り込むカルロの顔を覗き込み微笑みかける。
「カルロ、私のことは気にせず好きなように答えなさい。命令よ」
カルロがベアトリスに命令されたのは2度目だった。カルロはベアトリスの顔を見つめる。
「ベア、俺の契約期間は6年。その後は更新する気はないの?」
「私はカルロが側にいてくれると、助かるけど、生きてるかわからないわ。私、22歳で亡くなる気がするのよ」
「は?」
カルロはサラリと言われた言葉に目を丸くする。
ベアトリスはクスクスと笑いながらカルロの肩を叩く。
「女の勘よ。先のことは気にしないで。これからも側にいてくれるなら心強いわ。でも戦争は嫌だから、殿下が貴方を取り戻すために手段を選ばないというなら手放すわ。私の我儘で国を危険にさらせないわ」
「さすがに弟のために戦争はおこさないよ。」
「安心しましたわ。これからもよいお付き合いができることを願います」
「こちらこそ。君はここにいて、大丈夫なのか?」
「そろそろ戻りませんといけませんね。カルロ、私は大丈夫だから今日は自由に過ごして」
「かしこまりました」
「貴方の心のままに選んで。私はどんな選択も快く受け止めるわ」
ベアトリスはカルロを残して礼をして部屋から退室し、足早に自室へ向かう途中で王子に会った。
王子はベアトリスの姿がなく探していた。まさか隣国の王太子の部屋の廊下で見つけるのは嫌な予感しかしなかった。
「どこにいた!?」
ベアトリスはいつも落ち着いている王子が慌てる様子に驚いても本当のことは言えないので微笑んで口を開く。
「お散歩をしていただけですよ」
「誰と?」
「カルロと一緒でしたが疲れてるようなので今日はもう下がらせました」
「隣国の王太子と会ってたのかと」
「王太子殿下に何かご用ですか?」
「いや、なんでもないならいいんだ。見つからないから心配しただけ」
「ご心配いただきありがとうございます」
「ベア、なにがあっても私の側から離れないでくれないか。私の幸せはベアなんだ」
「殿下、私は殿下の妃になりました。精一杯努めます」
王子は全く伝わってないことを察した。
ベアトリスは自分を好いてくれても、距離が遠かった。
言葉にするのは苦手でも少しずつ変わっていこうと決めていた。ベアトリスの前世の話が本当なら自分は全く彼女に気持ちを伝えてこなかった。シンシアもベアトリスも変わらないなんて思われないように。ベアトリスが死なないように世界中の薬を取り寄せるためには戦争なんてする無駄な時間はなかった。王子はベアトリスが死なないように力を尽くすことを決めた。
またカルロはベアトリスの側にいることにした。兄に戻りたくなったらいつでも帰ってこいと言われたが6年後に死ぬと思うのと朗らかに笑うベアトリスを放っておけなかった。それに自分を必要としてくれるのはベアトリスだけ。なによりもベアトリスとの時間は中々楽しかった。
「カルロ、最近殿下の様子がおかしいんだけど、大丈夫かな?」
「は?」
「なんとなくなんだけど」
「なら気のせいじゃないか?」
「そうよね」
「ベア、俺と二人になって平気なの?」
「だって、近衛の前だと猫かぶらないとだもの。カルロがいるから離れてもらった。疲れた」
カルロは庭園の木陰で自分の肩に体を預けて眠るベアトリスを好きにさせることにした。
嫉妬に狂う男は見ないフリ。ベアトリスの寝不足はその男のせいでもあった。
「距離が近すぎないか」
「私は妃殿下の騎士ですから。」
「トマは仕方ないけど、他にも現れるとは」
「ベアが戸惑ってますよ。その二面性中途半端すぎますよ」
「妃殿下だ」
「申し訳ありません。気をつけます。執務はよろしいんですか?」
「休憩だ」
「殿下が抱き上げると起きるので、私が運びますよ」
ベアトリスがぼんやりと目を醒ました。
「なに?」
「なんでもない。まだ寝てなよ。公務の時間に起こすから」
「うん」
再び眠ったベアトリスとカルロの様子を王子は忌々しそうに見ていた。ベアトリスがカルロに信頼をおくのはおもしろくなかった。ベアトリスのお願いに負けて、カルロを側に置くことを許したことを後悔していた。
***
シンシアは姉の前では穏やかな王子が影で嫉妬に狂っていることに気付いていた。おかげで姉が連日寝不足。風の噂で姉が早死にすると聞き、王子のせいではないかと思い始めていた。
「殿下、嫉妬に狂ってお姉様を抱き潰すのやめてください。連日寝不足で足腰フラフラ、いい加減にして下さい」
「ベアが可愛いから」
「そんなの当然ですよ。体によくありません。抱く前にやることがあると思いますよ」
王子はシンシアの言葉に控えることにした。
それに確かに一理あった。
「おかえりなさいませ。殿下」
「ああ。何してたの?」
「星を見てました」
「ベア、もし私が君の知る王子ではなかったらどうする?」
ベアトリスは王子の言葉に不思議に思いながらも答えは決まっていた。
「私はどんな殿下も愛してますわ」
「君の好きな理想の王子じゃなくても?」
「もう理想の王子様に憧れるほど子供ではありません。それに理想と現実は違います。私が愛しているのは、殿下だけです。物語の王子様には温もりはありませんもの」
「私が嫉妬に狂ったただの男でも?」
「いささか想像できませんが、私の心は殿下のものです」
「名前で呼んでほしい」
「ハリソン様?」
「ベア、出会ってからずっと好きだった。愛してるんだ。ずっと君の特別になることだけを考えていた」
「殿下?」
ベアトリスは突然甘い言葉を言い出した王子に頬が赤くなっているのがわかった。どうしようもなく恥ずかしかった。
「殿下、おやめください。私、おかしくなりそうです」
王子は自分の言葉に赤面する妻を抱きしめ自重するのは明日からにすることにした。
***
ベアトリスは前世との違いに戸惑っていた。それでも、王子が幸せそうに見えたので、これでいいかと思った。王子は国の医学の発達に全力を注ぎ余計な執務が増えないように戦争を起こさないように外交にも力を入れた。
ベアトリスは時々子供のようになる王子も変わらず愛していた。
ただ王子は自分がソンということを打ち明けることはなかった。
前世とは違ってもベアトリスは幸せな日々を過ごしていた。
王子はベアトリスが手に入ったことに安堵しても、満足はできなかった。ヘタレ王子は妻の前では穏やかな夫を演じていた。王子が冷酷な判断をしようとも、ベアトリスの自分への慈愛に満ちた愛情が変わらないと知ってからは少しずつ嫉妬を表現するようになる。
シンシアやカルロはベアトリスの王子への曇ったフィルターが剥がれないことが不思議だった。
王妃は自分の筋書き通りの結末に微笑んでいた。そして、脚本通りに動く息子で遊ぶ趣味はかわらなかった。
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