14 / 33
14/33
しおりを挟む次の日の朝。教室に入った大輔は宮下ワタルの姿を認めて、
「おはよう」
と声を掛けた。
「……今の真田君から?」
「珍しい……」
「誰に言った? 長崎さんじゃなかったよね?」
周囲のクラスメートたちは少しだけざわついたが大輔は特に気にしなかった。
教室とはそんなところだろうと大輔は思っていた。授業中でもなければ生徒たちは気ままに喋ったり、喋らなかったりするものだ。気まぐれなその波の押し引きをいちいち気にしても仕方がない。
交流の全く無いクラスメートたちから陰で「孤高」だの「一匹狼」だのと称されて何故か一目も二目も置かれているという事実を真田大輔本人は知らないでいた。
「あ。おはよう」
宮下ワタルが笑顔を見せる。
「病院は行ったか?」
「うん。受付時間ぎりぎりだったけど診てもらえたよ。体も頭も問題は無いって」
「そうか。良かった」
大輔は宮下ワタルの肩に手を置いて、それから自分の席へと向かった。
(……これにて一件落着だな。)
大輔は彼の表層だけを見てそう結論付けてしまったが、それはあながち間違いでもなかった。
宮下ワタルの心を徐々に蝕んでいたもの、生きる気力を削いでいたものは「空気」だった。明確に理解はしていなかったが宮下ワタル本人も「なんとなく」死にたいと思ったと言葉にしていた。
この教室内に充満していた「空気」――クラスメートたちが醸し出す「空気」だ。
このクラスに於ける宮下ワタルの扱いは自然と悪かった。いや、良くなかっただけとも言える。立場も低い――と言うよりは「高くはなかった」という具合だ。
クラスメートの誰も意識して積極的に彼の事をいじめていたわけではなかった。が皆、無意識的に深層心理的に宮下ワタルの事を侮っていた。下に見ていた。
一番最初のきっかけは何だったのだろうか。恐らくだが些細な事だったのだろう。大きな出来事があったならば、もっとはっきりとした分かり易いいじめとなっていたはずだ。
たった今、宮下ワタルはクラスの皆に認められている真田大輔から挨拶をされて、挨拶を返した。おどおどもせず、さもそれが普通の事であるかのような態度で。
昨日までの宮下ワタルと今の宮下ワタルでは背筋の伸びが違っていた。今日の宮下ワタルは堂々としていた。
それを見て「宮下のくせに」と思うクラスメートは居なかった。
彼ら彼女らは宮下ワタルという人間を自然と見下してはいたのだが誰にもその自覚は無かったのだ。
だからこそ宮下ワタルが急に背筋を伸ばしても、それを気に食わないと反発したり目の前の事実を受け入れられないというような事も無かった。
宮下ワタルの変化に抵抗する事無く反応して、皆が醸し出す「空気」も変わった。彼ら彼女らはまた自然と無自覚に宮下ワタルを見直していた。
稀有な例かもしれないが宮下ワタルの場合には「背筋を伸ばして堂々とする」事が問題解消に至る正解の一つであったようだ。
現在のこの「空気」ならば宮下ワタルが生きる気力を削がれる事はないであろう。
こうして宮下ワタルの一件はここに落着を迎えていた。
「おはよう」
と声を掛けられて、自分の席についていた大輔は顔を上げる。
「長崎か。おはよう」
「ええ。長崎の知世よ」と知世は何故か偉そうに胸を張ってから、
「……宮下君、大丈夫そうね?」
と小声でささやいた。
「ああ」と大輔は頷く。
「これでようやく」
「これでやっと」
二人は口を揃えて、
「世界を巻き戻さないで済むな」
「好きにリセットできるわね」
反対の言葉を口にした。
「……あ?」
「え……?」
険しい顔の大輔ときょとんとした顔の知世が見詰め合う。
「……そうだ。この前はこの話の途中で」
「宮下君が落ちてきたのよね」
大輔は「世界を巻き戻すな」と自分の要求を告げた事ばかりを強く記憶していて、知世がまだ了承していなかった事を失念していた。
「でもリセットしすぎると私の寿命が減るとかはウソだったんでしょ。真田君ももうリセットの原因は私だってわかったんだから自分の頭がおかしくなったとか思わないで済むわけだし」
知世も知世で自分の事ばかりで、前に「もう大丈夫だったりしない? これからは急にリセットされても『あ、また長崎がやったな』くらいに」と話した際に大輔から返された「思えないな」の一言を忘れてしまっているようだった。
「…………」
「…………」
互いに互いをまた軽く見合った後、
「……昼休みか放課後にまたちゃんと話そう」
「そうね……」
二人は離れた。自分の席に座っていた大輔はそのまま、知世も自席へと向かった。
そのすぐ後だ。
「……真田くん」
大輔は隣の席の川村久美子に話し掛けられた。それは珍しい事だった。
大輔と川村久美子は席こそ隣同士だったがこれまでに交流はというと皆無だった。シャーペンの芯や消しゴムの貸し借りをした事も無かった。その理由の大概は大輔が心を凍らせていたせいだ。無になっていたからだ。
それが長崎知世との邂逅によって大輔は「無」から人間に戻った。
隣の席の川村久美子も話し掛け易く――とまでは言わないが、話し掛けられなくはなくなった。
「ん。何だ?」
大輔は普通の顔を彼女に向ける。無でもなければ睨みもしない。
「あの……変なこと聞いちゃうけど。真田くんと長崎さんて付き合ってるの?」
「……は?」
何の話だ。どうしてそうなるんだ。大輔は眉間に深いシワを寄せる。
長崎知世とは共有している秘密もあるし宮下ワタルの件では一緒に頭を悩ませたりもした戦友だ。共犯者だ。そういった意味では気が置けない間柄とも言えるが、付き合う付き合わないの次元ではなかった。
大輔は、
「何の話だ。どうしてそうなるんだ」
思った事をそのまま口に出した。それ以外には言い様が無かった。
「え……どうしてって。昨日の休み時間に急に長崎さんを呼び出して……今日も仲が良さそうだったから。……告白が成功しちゃったのかなって」
昨日は長崎知世を問い詰める為、また宮下ワタルの命を救う為に何度も何度も――知世が言うところの「リセット」をしていたが、それによって巻き戻される前の世界の事を何一つも覚えていない大輔と知世以外の人間にとってのいわゆる「正史」での真田大輔は、南河敏夫の財布が紛失した件を見事に解決してみせた長崎知世に「二人だけで話したい事があるんだが後で時間もらえるか?」と声を掛けて、放課後に分厚いマットを皆と一緒に運んで、校舎の三階から飛び降りた宮下ワタルを助けていた。
五時間目の英語の授業中にいきなり知世を糾弾したりした事や宮下ワタルの自殺を阻止する為に開いた作戦会議などは無かった事になっていた。
大輔や知世にしてみれば十分に濃密な時間を共に過ごした結果であったが他の人間からすれば「一日足らずで仲良くなった」イコール「愛の告白をして成功したに違いない」と考えたのだろう。そう読むのも分からなくはないが、
「違う」
と大輔は明確に否定した。
「え。じゃあ、やっぱり、ふられたの?」
「それも違う。そもそも告白なんかしていない」
「え……」と川村久美子は言葉を失ってしまった。
そんなに驚く事なのか? 大輔は苦笑いを浮かべた。
0
あなたにおすすめの小説
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
名称不明なこの感情を表すために必要な2万文字。
春待ち木陰
青春
高校一年生の女の子である『私』はアルバイト先が同じだった事から同じ高校に通う別のクラスの男の子、杉本と話をするようになった。杉本は『私』の親友である加奈子に惚れているらしい。「協力してくれ」と杉本に言われた『私』は「応援ならしても良い」と答える。加奈子にはもうすでに別の恋人がいたのだ。『私』はそれを知っていながら杉本にはその事を伝えなかった。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
ネタバレ ~初めての夜が明けたら15年前の朝でした。~
春待ち木陰
恋愛
私は同性のももが小学生の頃からずっと好きだった。29歳の夜、初めてももと結ばれた。夜が明けると私は15年前の女子中学生に戻っていた。ももとはクラスメイトで親友。私はこの当時本来の私よりも更にももの事が好きになっていたが、中学生のももはまだ私の事を友達としか思っていない。ももが私を好きだと言ってくれるのはそれから15年も先だ。再びあの夜を迎える為に私は「15年前」と同じ道筋を辿ろうと考えていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる