上手なお口で結べたら

春待ち木陰

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 俺が所属している歴史研究部の活動日は火曜日と木曜日の週に二日だけだった。

 今日は金曜日。初夏の日が暮れるよりも前に下校した俺は帰宅後にまた家を出て、なんとなく近所をふらふらと歩き回っていた。

「……ゴリは柔道部に入ったとか言っていたよな」

 歴史研究部のような、まったりとした文化部系とは違ってバリバリの運動部である柔道部は毎日、活動をしているだろうし、前にゴリも「帰ったら、メシ食って、風呂入って、気絶する感じ。テレビとか見なくなったわ」などと言っていたから、一日の活動時間も長いのだろう。もうそろそろ日が暮れるかというような今の時間に柔道部部員のゴリがこの辺りをうろついているわけはなかった。

 頭では理解しているのに、自然と目が探してしまう。……重症だな。

 この辺りは俺の自宅の近所であると同時にゴリや前歯やリンゴやまつ毛の自宅の近所でもあった。短パンの家はもう少しだけ離れた場所にある。

 まだ部活中であろうという「時間帯」さえ除けば、この辺りをゴリが今の俺と同じようにふらふらと出歩いていたとしても不自然ではなかった。

 ……このまま歩き回り続けて日が暮れるのを待ち、ネックとなっている「時間帯」をクリアするのか?

「考えるまでもない」

 時間の無駄だ。

「帰るか……」と息を吐いた俺の背中に、

「あれ? ツリ目?」

 と聞き慣れた声が掛けられた。

「お――」

 と俺は振り返る。そこに居たのは制服姿の、

「リンゴ?」

 だった。

「―――だははははははははッ!」

 リンゴの姿を目に映した次の瞬間、俺は大笑いをしてしまった。

「スカート、似合わねえ!」

 相手がリンゴ以外だったら絶対に言わない、言えない言葉を俺は投げ付ける。デリカシーの欠片も無い。昨今のテレビ業界だったらコンプライアンス違反で放送を自粛されてしまいそうな言葉だった――が俺とリンゴの間柄だ。

 リンゴは、

「うるせーよ!」

 片膝を持ち上げてから放つ、押し込むような重い前蹴りを俺の腹に入れやがった。

「おげ――ッ」と俺は後方に軽く吹き飛ばされた後、仰向けに倒れる。

 ……丸顔でほっぺたの赤かったリンゴが数ヶ月程度、見ない内にちょっとした「女子」になっていてビックリしてしまった。その凶暴さは相変わらずのようだが。

「アホリンゴ」

「青りんごみたいに言うな。あだ名の由来に矛盾がしょーずるだろうが」

 定番の遣り取りだ。

「蹴るなら殴れよ。スカートで蹴ったらパンツが見えるぞ」

 俺はのっそりと地面から起き上がりながら注意してやる。リンゴは、

「パンツぐらい。見られて減るもんでもないし。別に良いだろ。あたしのパンツ程度じゃ見世物にして金が取れるような価値も無いしな。隠す労力の方が高いわ」

 俺の背中をバシバシとはたいて付いた砂を落としてくれながら唇を尖らせていた。

「リンゴは下校中か?」

「見れば分かるだろ。登下校以外に制服なんか、はかねーよ」

 制服を「着る」ではなくて「穿く」とリンゴは表した。リンゴが制服の何処を見ているのかが良く分かる。スカート嫌いも相変わらずのようだった。

「それにしたら早くないか? まだ五時前か過ぎた頃だろ。リンゴは野球部に入ったとか聞いたけど。……やっぱりクビになったのか?」

「おい、コラ。やっぱりって何だよ」

 ゴリから聞いた話だ。リンゴは女子ながら男子しか居ない野球部に所属していた。ゴリやリンゴの通う中学校には女子野球部が無かった。存在している野球部は「男子野球部」ではなくて「野球部」だった。俺――ツリ目やゴリや前歯といった「あだ名仲間」以外にも普通に男友達が多いリンゴは彼らを味方に付けて半ば強引にその「野球部」に入部してしまったという。……昔からだ。リンゴには「自分が女子である」という自覚が非常に薄かった。ただ「男になりたい」とか「女である事に違和感」といった気持ちは無いらしい。単に「まだまだ子供」だという事なのだろう。

「部活にこだわらなくても。野球がやりたいんだったら少年野球のチームとかに入ったらいいんじゃないのか? 少年野球なら多くはないけど女子も普通に混ざってるだろ」

「あー……。野球がやりたいっていうか『野球部に入ってみたかった』て感じだからなあ。――てか別に野球部はクビになってねーっての」

「そうなのか? じゃあなんでこんな時間帯に」

 無意識だったが。俺の方こそ「時間帯」にこだわってしまっていたようだった。

 ……リンゴが居るならゴリも居ておかしくはないとか思ってしまっていた。

「それこそ『あー……』て感じだぜ。聞いてくれよ。アホ過ぎる話。野球部の三年が万引きで捕まってさ、しばらくの間、部活停止だとさ。連帯責任て、なんだそりゃ」

 あっけらかんと「万引き」という「犯罪」を語るリンゴに対して、

「リンゴ……朱に交わって赤く染まるなよ?」

 俺は眉間に深いしわを寄せてしまった。リンゴは、

「ん……?」

 と軽く考えた後、

「あはははははッ」

 大きく笑った。

「心配すんなよ。同じ部活の先輩っていってもあたしは付き合いの無い連中だから」

「そうは言っても野球はチームスポーツだろう。ポジションが別だとしても」

「ポジションどころか。そいつら完全な幽霊部員だから。ぶっちゃけ、あたしなんか会ったことも無えかもしんねーし。知らねえけど。てか記憶に無い」

「幽霊部員?」

「そ。ウチの中学は何かしらの部活には入ってなきゃあダメで帰宅部は不可なわけ。んでその連中は一応、野球部に所属はしているものの部活には顔も出さないサボりの常習、幽霊部員で。そんな顔と名前も一致しないような連中との連帯責任て何なんだよ、バーカって話だぜ。マジで」

 リンゴが肩をすくめる。俺はふッと息を吐き出した。

「そっか。じゃあ良かったな。リンゴ」

「ん? 何が」

「帰宅部が不可のその規則なら。幾ら暴れても野球部をクビにはならなそうで」

「うるせえ」とリンゴは腰を切り返しながら拳を突き出した。俺の左胸に強い衝撃が加わった。

「――うごッ!?」

 余りに強過ぎて吊り橋効果は期待できそうにないインパクトだった。

 ……それにしても律儀な奴だ。

 さっきの今で前蹴りから正拳突きに変えてくれやがった。

「それはそうと。久し振りだよな」

 胸に手を当ててうずくまる俺の姿などはまるで見えていないかのように、リンゴは懐かしげに語り出した。……この野郎。

「卒業式から……じゃねえか。春休みにも遊んだか。中学校に入って以来か」

「ああ……。……だから三ヶ月ぶりくらいになるのか」

 息も絶え絶えに俺は返した。

「三ヶ月! 一年の四分の一だぞ。季節一個分だ」

「……何だそりゃ。独特の感性を発揮しやがって……」

「ずっと一緒だったのになあ。そんなに顔を合わせなかった事、無かったよなあ」

 リンゴは「あーあ。人間、変わっていくもんなんだなあ。しんみりするよなあ」と全くしんみりはしていないような口ぶりで言った。俺は、

「……何かあったのかよ? さっきの万引き云々とは別件か? 聞いてやるよ」

 明らかに何かを聞いてほしそうだったリンゴに水を向けてやった。急に色気付いた短パン辺りに愛の告白でもされたのか?

「ゴリの話」

 とリンゴは言った。

「えッ?」と俺は少しばかり過剰な反応を示してしまった。どきりと胸が鳴った。

「ん? 何だ。ツリ目。ゴリから何か聞いてるのか?」

 リンゴが俺の目を見た。俺はリンゴの目を見返していた。

 ……どうやら。ゴリとしたキスの件がバレているというわけではなさそうだった。

「いや。特には何も聞いてないと思うけど。……ゴリがどうかしたのか?」

 俺の問いにリンゴは予期せぬ答えを突き出してきた。

「ん、ああ。ゴリな……あの野郎。最近、カノジョが出来たっぽいぞ」

「え……?」

 と俺はリンゴの言葉に前蹴りよりも正拳突きよりも強い、何倍も何倍も強い衝撃を胸に受けてしまった。

 ゴリにカノジョが出来た……?


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