1 / 31
01「お姉さまとお呼びなさい。あなたはわたくしの妹――ですのよね?」
しおりを挟む春の長期休暇、その最終日。学院の再開を明日に控えた夜の風呂場にて、テルマはひとつの素晴らしき思い付きを実現させようとしていた。
「まだかしら。もうすぐかしら」
広い湯船の真ん中で胸まで浸かりながら待ち遠しげに呟いていたテルマの耳に、
「テルマさまぁ~……」
おどおどとした声がようやく届けられた。テルマは、
「来ましたわねッ」
と立ち上がりかけて「おっと」と気を取り直す。んんッと咳払いをひとつして、
「『テルマさま』ではありません」
いかにも威厳ありげに偉そうに、落ち着き払っているかにみえる態度を装いながら湯けむりに浮かぶ人影に声を掛ける。
「わたくしの事は『お姉さま』とお呼びなさいといつも言っているでしょう」
「ですが……わたしは親も無い孤児で。テルマさまは公爵家のご令嬢で」
「出自など関係ありません。胸をお張りなさい。わたくしが公爵家の令嬢ならば今のあなたもまた公爵家の令嬢です」
「テルマさま……」
吐息まじりの呟きはまるで小動物の鳴き声のようで、テルマの庇護欲というか母性のようなものがおおいに刺激されてしまう。くぅ~……ッ。
この控えめが過ぎる、いつまで経っても懐き切ってはくれない少女との親睦をより深める為にテルマは「公爵家の娘として恥ずかしくないように入学前に磨き上げる」だの「姉として学院の先輩として秘密の心得を伝授する」などと適当な理由を取って付けて強引に、半ば無理矢理に彼女と二人きりでの入浴を提案したのだった。
「『お姉さま』とお呼びなさい」
口調で威厳は保ちながらもテルマの声色は柔らかかった。
「……はい。お姉さま」
と呼ばれて緩みかかる頬に力を込めながらテルマは、
「いつでそうしているつもり? 早くいらっしゃい。風邪を引いてしまうわよ」
微妙な距離で立ち止まっていたまま動かない人影に近くに来るよう促す。
「はい……」
真っ白で分厚い湯けむりから浮き出るようにゆっくりとその姿を現した長い金髪の少女は、平らな胸元を細い腕でもって申し訳程度に隠しつつもタオルやらを腰に巻いたりはしていなかった。生まれたままの姿だ。
湯船の中で待つテルマも当然、同じ姿だ。――この国の人間の髪の色は黒、栗毛、金、赤、銀、白と様々であったが血の繋がっていない「姉妹」であるテルマとクラウディウスの髪色が同じ「金色」であった事は恐らく幸せな偶然であった。
これまでは常にそばに居た専属メイド等の手前もあって互いに遠慮や萎縮があったと思うが今のこの場では他に誰の目も耳も無い二人きりだった。
文字通りの裸の付き合いで心の方も開いてもらい、テルマは彼女と解り合いたい。もっとちゃんと仲良くなりたいと考えていた。
テルマは自身の理想である頼れる姉然とした余裕のある笑みをこしらえて、少女を迎える。
「堂々となさいな。クラウディウス。あなたはわたくしの妹――」
――だと思っていたのに。
「え……?」
テルマのすぐ目の前にまで来られて、はじめて分かった。湯けむり越しでは確認が出来なかったその股間には公爵令嬢として生まれたテルマがまだまだたったの十五年ながらもその人生でただの一度も見た事がなかった異物が小さいながらも確かにぶら下がっていた。
見た事はない。見た事はないが知識として知ってはいた。
「……あなた。それ、おち――」
ぽろっとその名称を口に出しかけてしまったところでようやく、はっと気が付いたテルマの顔が真っ赤に染まる。一瞬の内だった。
「あ、はい」と口を開いたクラウディウスが、
「わたしまだ」
発した言葉を掻き消すように、
「きゃーッ!」
公爵令嬢の絹を引き裂くような大絶叫が広い風呂場内にこだました。
「お姉さま?」と状況を全く理解していない顔でクラウディウスが立ち止まる。
「ど、どうされました? あの、わたし何か」
怯えるようにテルマの顔色を伺ってくる。その表情は明らかに弱々しくて、当然のように悪意の欠片も感じ取れなかった。
いつものクラウディウスだ。テルマの妹だ。
「な、何でもありません」
妹を前にした姉は精一杯の虚勢で応えた。がその顔はまだ真っ赤なままだった。
「ですが」と心配を続ける妹に姉は、
「わたくしの事よりも」
と強めの口調で話を進めようとする。
「クラウディウス。あなた、男でしたの?」
高位貴族らしからぬストレートな物言いだった。教育係に聞かれていれば叱られてしまいそうな言葉遣いだったが今のこの場にはテルマとクラウディウスの二人だけ。言質を取られにくい代わりに分かりづらい貴族言葉では誤解の素になろうと敢えて、テルマははっきりと尋ねたのだった。……想像だにしていなかった事態に頭が働いていないわけではない。という事にしておいてほしい。姉の威厳を保つ為にも。
「はい?」
とクラウディウスは小首を傾げる。可愛らしい。……そう。可愛らしいのだ。
股間の異物をこの目で見ていなければ、とてもではないがクラウディウスを男性だなんて思えなかっただろう。股間の異物を見てしまった後の今でさえあれは見間違いだったのではないかとこの目の方を疑いたくなってしまう。
クラウディウスは現在十二歳だったがそれは少年期特有の中性っぽさでもなくて、「彼女」は完全に女性的だった。もっと言えば可憐な少女的だった。あざとさが無いのだ。少なくともテルマには感じられない。
根拠の無いただの印象ながら、クラウディウス本人に何らかの思惑があって女装をしていたとは考えにくかった。悪意は勿論、テルマを騙すつもりも何も無かったのではないか。
きっと止むに止まれぬ事情があるのだろう。
「あの……」
と重たそうに口を開いたクラウディウスの次の言葉を、
「ええ。聞かせて頂戴。何でも」
テルマは余裕ぶった表情でゆったりと待ってやったがその心情は推して知るべし。
「……すみません。わたしまだオチンチンが取れてなくて……」
「……はい?」とテルマはクラウディウスの顔を見た。彼女は申し訳なさそうに俯いていた。冗談を言っているような表情ではなかった。
テルマの聞き違いだろうか。
「え……と。クラウディウス? もう一度、言っていただけるかしら?」
「あ、はい。すみません。わたしはまだオチンチンが取れていないので。お姉さまに裸を見られる事は少し恥ずかしいです」
そう言いながらもクラウディウスがその細い腕で隠しているのは真っ平らな胸の方だけで下半身は丸出しにされていた。区別は難しいながらどうも羞恥心というよりは照れのような感情を抱いているように感じられた。……オチンチンを見られる事が恥ずかしいというよりはオチンチンが「まだ」付いているという事実が知られてしまった事を恥ずかしがっているようだった。
「……『まだ』?」
テルマは思わず呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
【完結】追放された転生聖女は、無手ですべてを粉砕する
ゆきむらちひろ
ファンタジー
「祈るより、殴る方が早いので」
ひとりの脳筋聖女が、本人にまったくその気がないまま、緻密に練られたシリアスな陰謀を片っ端から台無しにしていく痛快無比なアクションコメディ。
■あらすじ
聖女セレスティアは、その類稀なる聖なる力(物理)ゆえに王都から追放された。
実は彼女には前世の記憶があって、平和な日本で暮らしていたしがないOLだった。
そして今世にて、神に祈りを捧げる乙女として王国に奉仕する聖女に転生。
だがなぜかその身に宿ったのは治癒の奇跡ではなく、岩をも砕く超人的な筋力だった。
儀式はすっぽかす。祈りの言葉は覚えられない。挙句の果てには、神殿に押し入った魔物を祈祷ではなくラリアットで撃退する始末。
そんな彼女に愛想を尽かした王国は、新たに現れた完璧な治癒能力を持つ聖女リリアナを迎え入れ、セレスティアを「偽りの聖女」として追放する。
「まあ、田舎でスローライフも悪くないか」
追放された本人はいたって能天気。行く先も分からぬまま彼女は新天地を求めて旅に出る。
しかし、彼女の行く手には、王国転覆を狙う宰相が仕組んだシリアスな陰謀の影が渦巻いていた。
「お嬢さん、命が惜しければこの密書を……」
「話が長い! 要点は!? ……もういい、面倒だから全員まとめてかかってこい!」
刺客の脅しも、古代遺跡の難解な謎も、国家を揺るがす秘密の会合も、セレスティアはすべてを「考えるのが面倒くさい」の一言で片付け、その剛腕で粉砕していく。
果たしてセレスティアはスローライフを手にすることができるのか……。
※「小説家になろう」、「カクヨム」、「アルファポリス」に同内容のものを投稿しています。
※この作品以外にもいろいろと小説を投稿しています。よろしければそちらもご覧ください。
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。
ぽんぽこ狸
恋愛
気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。
その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。
だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。
しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。
五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。
ワンチャンあるかな、って転生先で推しにアタックしてるのがこちらの令嬢です
山口三
恋愛
恋愛ゲームの世界に転生した主人公。中世異世界のアカデミーを中心に繰り広げられるゲームだが、大好きな推しを目の前にして、ついつい欲が出てしまう。「私が転生したキャラは主人公じゃなくて、たたのモブ悪役。どうせ攻略対象の相手にはフラれて婚約破棄されるんだから・・・」
ひょんな事からクラスメイトのアロイスと協力して、主人公は推し様と、アロイスはゲームの主人公である聖女様との相思相愛を目指すが・・・。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる
街風
ファンタジー
「お前を追放する!」
ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。
しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる