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05「姉妹、一晩会わざれば」
しおりを挟む――朝。昨日で春の長期休暇が終わり、本日から学院が再開される。
学院は「学院」であって固有の名詞は無かった。
古く王族によって設立され、現在は国が管理、経営をしている公的な機関である。
授業には座学と実技の二種類があり、座学では主に貴族社会に通ずる常識を学び、実技では魔力に関する全ての事を実践形式で身に付けさせられる。
学院の座学は知識を深めるというよりも貴族間の共通認識を図る為にあった。こういった行為は失礼にあたるだとか、こういった態度は敬っている証であるとかを学ぶのだ。簡単に言えば、毒見役の使用人に対して「主人よりも先に食べるとは何事か」と間違った怒りを理不尽にぶつけてしまったりしないようにといった勉強だった。
学年別に分かれて順に学び進める座学とは違って、実技は年齢も身分も度外視した習熟度別授業となる。何故ならば「魔力自体は全ての人間が有しているがそれを自由に操れる者はそう多くない」からであった。多少でもすでに魔力を操れる者やその素質を認められた者は魔力行使の上達を目的に、そうでない大多数はいつか訪れるかもしれない非常事態時に自身の魔力を暴走させないよう、教師の魔力に触れて体を慣れさせるといった荒療治に近い方法で学ぶ。厳しい授業だった。……もしかしたら精神鍛錬の意味合いもあるのかもしれない。
就学の対象となる生徒は貴族の子息・息女で十二歳になった年から十七歳になる年までの五年間が在籍の期間となる。
例外的に交流のある諸外国から留学生が招かれる事もあるが、それも他国の貴族であって平民が学院に通う事はなかった。
クラウディウスのように平民から見出された聖女候補は、聖女と認定された場合、必然的に王家を始めとする上級貴族社会との関わりが深くなる為、学院での座学講習は必須となっていた。重要であった。
その為、平民から見出された聖女候補は、見出した貴族が養子に迎えるという形で責任を持ってこの学院に通わせる事が習わしとなっていた。
だからと言って「養子だから聖女候補」と短絡的に決め付けられてしまうわけでもなかった。
聖女云々とは無関係に子供が居ない貴族が他家の子供を養子に迎える事自体はよくある話で、クラウディウスがアムレート公爵家に迎えられた養子という事は聖女候補なのだなと即座に連想される事はなかった。
実子のテルマェイチが居るなかで新たに養子を迎えるという行為も、それが男児であれば跡継ぎ候補であろうと思われるだけ、また女児ならば養子とした後で他家へと嫁がせる事でそちらとの縁を深めようという政略結婚的な観点から、それもまたよくある話と思われるだけであろう。
半年前に公爵家の養子となったばかりで貴族社会の常識にはまだまだ疎いであろうクラウディウスでも講習が主の座学では悪目立ちのしようもないであろうから、残る実技の授業で聖属性の魔力を暴発させる等して耳目を集めたりさえしなければ彼女が聖女候補だと思われてしまう事はないだろう。
「――そうね」
テルマは頷いた。パジャマから学院の制服へとロウセンに着替えさせられながら。
「クラウディウスには申し訳ないけれども入学式では少しだけ力を抑えてもらって。実技の授業はわたくしと同じものを受けられるようにして。授業ではわたくしがフォローをするようにすれば」
聖女候補だとバレて、聖女だと認められて、慣例として王族に嫁いだところ、実は男性であったとバレて、それはもう大騒ぎになって、その責任をアムレート公爵家が取るというような事にはならないで済む――はずだ。
「学院に向かう前に。まずはクラウディウスと話をしましょう」
そう呟いて自室を出たテルマだったが、
「お姉さまっ。お体の具合はいかがですか? あ、おはようございますっ」
姉の起床を廊下で待ち構えていたらしきクラウディウスと顔を合わせるや否や、
「クラウ――ッ!?」
朝の挨拶を返す事も忘れて一歩、二歩、三歩と後ずさってしまった。
「――ロウセン」
あたかも風呂上がりのように顔を上気させて額に汗までにじませていたテルマに声を掛けられたロウセンがそっと開け止めていたドアを閉める。間に一枚の華美な板を挟んでこちらにテルマとロウセン、あちらにクラウディウスと分かれてしまった。――クラウディウスの斜め後ろにはきちんと彼女の専属メイドであるキルテンの姿もあったがテルマの目には全く入っていなかった。
「あれ? お姉さま? お忘れ物ですか?」
閉じられたドアの向こうから困惑気味なクラウディウスの声が届く。
「ご、ごめんなさいね。クラウディウス。少し……待って。いえ。あの、先に食堂へ行っていてくださると……」
しどろもどろにテルマは応える。普段のテルマからは考えられぬというか、彼女があろうと心掛けている理想の「姉」像からは掛け離れた対応となってしまっていた。
しかもその声は出している本人が思っている以上に弱々しくて、華美なだけで防音機能は無いはずのドア一枚にほとんど阻まれてしまっていたのだった。
「えっ? なんですかっ? お姉さまっ?」
「あ……その……ええと……」
忙しなく目を泳がせて、大きく動揺してしまっている主人に代わり、
「――キルテン」
ロウセンが声を上げた。張り上げたような大声ではなかったがドア一枚くらいなら間にあろうとも全く問題にならないような非常に通る声だった。
「テルマお嬢様は遅れて参ります。クラウディウス様をお先に食堂へお連れして貰えますか」
語尾に疑問符は付いていなかった。丁寧な口調ではあったがそれは先輩メイドから後輩メイドへの指図であった。すぐに、
「承知しました。お先にお連れ致します」
ドアの向こうからキルテンの返事が届いた。こちらもまた良く通った声だった。
「――というわけですので。さあ。参りましょうか。クラウディウス様」
キルテンは年下の先輩メイドから指図された事自体には特に何か感じるという事も無い様子で、望まれた仕事を素直に遂行する。
「あ、あのっ。お先に食堂でっ、お待ちしてますっ」
ドア越しの大声が徐々に遠ざかっていく。キルテンに文字通り背中を押されながらも声を張り上げたりとしているのだろうか。……淑女らしからぬ行動だった。
「ふふ」とテルマは思わず笑ってしまった。
クラウディウスはクラウディウスだった。
昨夜の風呂場では、顔を合わせてほどなくテルマが気を失ってしまったせいで交流らしい交流は皆無だったが、昨日までと比べると今朝のクラウディウスは明らかに積極的であった――空回りしてしまっている感は強かったが。
「親睦をより深める為に」とテルマが企てた「裸の付き合い」大作戦はどうやら完全なる失敗には終わらなかったようである。それがテルマの望んだカタチやベクトルであるかどうかはさておき、とりあえずポジティブな効果はあったようだった。
「見たわよね、ロウセン。凄い変わり様だわ。遠慮ばかりだったあの子が……部屋に押し掛ける勢いだったわ」
「クロウディア様にしてみれば、テルマ様は昨夜に倒れられたままですから。心配をしてくださったようですね」
「ええ。ええ。クロウディアは元から優しい子よ。でも前までだったら幾ら心配でも部屋の前までは来ないでしょう?」
「それは……そうだったかもしれませんね」
ロウセンが同意してくれた。
「んふふ」とテルマは満足気にほくそ笑む。
「『男子、三日会わざれば刮目して見よ』なんて故事成語もあるけれど。別に男性に限らず人間なんてキッカケさえあれば一晩で劇的に変わってしまうものよね」
額の汗はすでに引いていたが顔はまだ赤い。誰かと比べるものでもないがこちらも決して淑女らしくはない早口で、更に言えば知識をひけらかすような物言いも下品で褒められたものではなかった。
「そう思わない? ねえ? ロウセン?」
テルマェイチ・アムレート様は妙に興奮されていた。妙に。そのお姿を前に、
「キッカケさえあれば一晩で……――確かに。そのようですね」
ロウセンは目を伏せて、静かに答えた。
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