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第01話

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 廃部寸前の美術部を隠れ蓑にして、安藤草太は趣味のイラストを描いていた。その内容は若い男性の裸が主で性行為やそれに準ずる行為を表しているものもあった。

 その事実を知っていたのは、男性同士の恋愛や性的行為を好ましく思う、いわゆる腐仲間の女子美術部員が二人だけだった。はずなのだが、

「へえ。これが噂の。わ。結構、エグいね」

 今、他に誰も居ない放課後の教室で床に正座している草太の目の前で、草太の机に腰掛けた同級生の稲葉史彰が三人目の鑑賞者となっていた。

「あの。噂というのは」

 おずおずと尋ねた草太に稲葉史彰が答えた。

「うん。俺の裸やら、俺と見知らぬどっかの誰かさんとのセックスやらが大人気って話を聞いてさ。盗撮でもされたのかと思ったら、君が描いてたんだね」

 そうなのだ。草太の描いているイラストの全てが稲葉史彰をモデルにしているわけではなかったが、その大半は彼だった。

 細身で高身長、肩幅は広めで、背筋も伸びていた。頭も小さい稲葉史彰は絵に描くと非常に映える存在だったのだ。そして、何よりも彼はイケメンだった。爽やか系の正統派といったところか。癖の無い顔付きは文化部系の女子には特に大人気だった。

 同級生ながら明らかに上位と下位というカーストの差に怖じけて、草太は今の今まで彼と会話どころか挨拶を交わした事もなかったが、ココロの中では稲葉史彰を「観賞用」の符号で呼ぶなどして、その仕草や表情をつぶさに観察してきた。

 そんな「観賞用」に御本人様をモデルとした耽美画を鑑賞されてしまう事になるとは、サイアクだ。

「ハイ。ワタクシノシワザ二ゴザイマス。マコト二モウシワケゴザイマセンデシタ」

 草太は自ら床に額を擦り付ける。自分はサイアクな事をしでかしてしまった。

 話には聞いた事があっても、実際に「本人バレ」を経験するのは今回が初めての事だった。罪悪感は当然だが、自業自得とは言え今後の事を思うと恐怖感も半端ない。実在の人物をモデルとした「生モノ」の作成は禁断の果実だったと今更ながらに思い知らされる。

 モデルを不快にさせない程度、デッサンの練習だと言い張る事の出来る程度のイラストに留めておくべきだったのだ。が、後悔は先に立たない。

「何で俺なの?」

 平伏している草太の後頭部に降り注がれた稲葉史彰の声は、怒っていないようにも聞こえたが、彼は怒りを内に秘めるタイプなのだろうか。もしくは怒りの限界を越え過ぎていて、逆に表面には出ていないのか。

「稲葉サンが格好良過ぎて、つい、ペンが走ってしまいました」

 本当だ。おべんちゃらではなかった。

「ふうん」と適当な感じで頷かれた後も稲葉史彰による尋問は続いた。

「イラストばっかりみたいだけど。漫画にはしないんだ?」

「えっと。フィクションが描けなくて、ですね」

「これはフィクションじゃないの? 俺の裸とかセックスとか見た事があるの?」

「単体のイラストは描けるんですけど。ストーリーを描く事が、その、自分の妄想を公開するみたいで恥ずかしくて」

「ノンフィクションなら描けるんだ?」

「描けるとは思いますけど、ノンフィクションは描いても面白くないといいますか。俺程度の身の回りの現実では描くほどの事は起こらないといいますか」

 草太はずっと下を向いたままに答えていた。しかし、

「ふうん。でも、それで漫画家になれるの? 安藤は漫画家になるんでしょ?」

 思いもよらぬ言葉を掛けられて、草太は「え?」と反射的に顔を上げてしまった。

 確かに、安藤草太は漫画家になる事が小学生の頃からの夢だった。だが、その夢は小学校を卒業して以降、誰にも言ってはいなかった。

「何でそんな事、知ってるんですか?」と言おうとした草太の口は、

「んッ?」

 唐突に塞がれてしまった。

 何だ。何でだ。どうなってるんだ。草太は混乱してしまう。

 今現在、草太の口を塞いでいるモノは、なんと、稲葉史彰の口だった。

 コレはオカシイ。アリエナイ。コレこそ、自分の妄想なのか。稲葉史彰に超絶激怒されている現実から逃避して無意識の内に妄想へと逃げ込んでしまったのだろうか。

 混乱し続ける草太を現実に引き戻したのは、にゅるりと草太の口腔に侵入を試みてきた稲葉史彰の舌だった。

「うわッ」

 と草太は身体ごと大きく後ろに離れる。驚いた。

「な、ななな」と声を震わせる草太に対して、

「四十九?」

 稲葉史彰は余裕を見せてきた。掛け算の九九じゃない。

「何してんですかッ」

「キス」

 この温度差よ。恥ずかしさの為か、それとも怒りか、はたまた、驚きか、自分でもその理由が分かっていないまま、ただ顔を真っ赤に熱くしている草太と、その反対に何とも涼しげな微笑みを浮かべて、事も無げに振る舞う稲葉史彰の二人である。

「ノンフィクションなら描けるんでしょ」

 微笑んでいる目を更に細めて稲葉史彰は言った。悪戯っぽい笑顔だった。

 ついさっき、ノンフィクションなら描けなくはないとは思うが、如何せん、草太の身の回りでは描くほどの事は起きないと説明をしたばかりだったのだが、

「面白い現実をプレゼントしてあげるから。漫画に描きなよ」

 それ故に起こされたキョウコウなのだろうか。

「ちょ、ちょっと待って」

 後ずさる草太の首に稲葉史彰の左腕が回される。

 細身だけれども骨ばってはいなくて、がっちりと力強く押さえられているのに固い痛みは感じなかった。

 草太の制止は無視をして、稲葉史彰は草太の口に自らの口を押し付けてきた。

 口と口の凹凸を合わせるみたいに角度を付けて、まるで隙間の無いようにと草太の口をぴったりと塞いできた。

「んーッ。ふーッ。ふーッ」

 急に鼻での呼吸を強制されて、息苦しさから草太は頭がぼうっとしてきた。

 逃げようにも今回は文字通りに首根っこを押さえられていて身動きも出来ない。

「んー。んー。んん。ん」

 これが酸欠というものだろうか。ついには込めていた力が抜けてしまい、半開きとなった草太の口の中に稲葉史彰の舌が入り込む。

 草太は、慌てて自分の舌を引っ込めて、どうにか、喉の方へと逃がそうとするが、稲葉史彰はお構い無しに草太の口腔内を舐め回し始めた。上顎、歯の裏、頬の内側を舌先で弄ぶ。

 何だコレ。何だコレ。何だコレ。何だコレ。何だコレ。

 生まれてこの方、唇を触れ合わせるだけのキスもした事がなかった草太は、唐突に仕掛けられた、あまりにもなディープキスに頭がオカシクなりそうだった。

 不意に、ちゅーッと強く吸われて、草太はくらっと一瞬、目眩を覚える。

 気が付けば、爽やか系の正統派イケメンが目の前にあった。キスの最中は近過ぎてよく見えていなかった顔だ。つまりは草太の口がようやっと解放されたという事か。

「はあ、はあ、はあ。ゴホッ。はあ、はあ」

 草太は途中で咳き込みながらも荒い呼吸を繰り返す。

 荒い呼吸を整えるというよりは、むしろ、酸欠気味な脳みその為にも荒っぽかろうが何だろうが早く早く呼吸をしてやらなければといった感じだった。

「はあ、はあ、はあ」から「ふう」へと草太の呼吸に荒さが無くなるのを待ち構えてでもいたのか、

「おわッ?」

 どうにか呼吸も収まってきたかと思われた次の瞬間、草太の視界がぐるりと回る。いや、回されたのか。

「頭、打ってないよね?」

 教室の薄汚れた天井を背景に微笑むイケメンが見えている事で、草太は自分が稲葉史彰に押し倒された事実を理解した。
 
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