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第03話

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 あれから数週間が過ぎた。

 あの日のあの時、史彰がした提案の通りに稲葉史彰と安藤草太の二人は放課後や週末のデートを重ねていた。一回こっきりではなかった。

 数週間を掛けて、回数も重ねて、ゆっくりと二人は「デート」なるものを堪能していった。

 待ち合わせから経験をして、遅れた、待たせた、ゴメン、大丈夫、早く来ちゃったから、こちらこそゴメンと申し合わせたみたいな気遣い合いも経て、歩き出す。

 歩く速度を幾ら緩めようとも、途中で立ち止まろうとも、何故か当然のように半歩から数歩後ろから付いてこようとする安藤草太をどうにか説き伏せ、隣りに置いて、二人で並んで道を行く。

 二人で並んで歩くとなると、今度は車道側の取り合いが始まった。お互い、口には出さずに、曲がり角を曲がった際や横断歩道を渡った直後に相手の目を盗むみたいにして、さっとその道の内側に入り込もうとし合った。

 最初の頃こそ、顔を見合わせて笑い合ったりともしたのだが、そんな事をやり合い過ぎてしまった挙げ句、ついには、安藤草太が車道に大きくはみ出して、本当に車に轢かれかけてしまうというような事があった。

 その事をきっかけに史彰は車道側の取り合い対策として、安藤草太と手を繋ぐ事を決めた。自分が車道側に立った時に手を繋いでしまえば、ある程度ではあるものの、物理的に安藤草太を外側に置き続けられる。

 手を繋ぐ事を決めて、決めたは良いものの実行にはなかなか移せなかったり、いざ手を繋ごうとするとタイミングやら状況やら雰囲気やらその他の偶然やらに阻まれて繋ぐに繋げなかったりと色々ありつつも、やっとこさで手を繋いだと思ったら「知り合いを見掛けた気がした」という理由で急に手を勢い良く離されてしまったり、安藤草太に手を離されてほんのちょっとだけ傷付いてしまったという事実を隠そうとしてみたり、しばらくが経ってからその事を見破られたりと稲葉史彰と安藤草太の二人は自分達でも驚いてしまうくらいにピュアな付き合いを積み重ねていた。

 セックスはあの日以来していなかった。

 安藤草太の描こうとしているものがエロ漫画ではないのなら、安藤草太のなろうとしているものがエロ漫画家ではないのなら、史彰が安藤草太とセックスをする理由は無かった。セックスをする必要が無かった。

 全ては取材だった。

 アレもコレもソレも、安藤草太が漫画を描く為には必要な事だった。史彰は、安藤草太が漫画家になる為の手助けをしていたのだ。そのつもりだった。

 今の関係は安藤草太が恋愛漫画を描く為のものではあったが、一つの事実として、史彰と安藤草太の二人はそれなりに濃い時間を共有していると思われるのに、未だ、安藤草太は「気が付いていない」ようだった。

 嬉しいような、悲しいような。

 誇らしいような、やっぱり、悲しいような。

 史彰の壮大な勘違いでもなければ、稲葉史彰と安藤草太の二人は今から五年も前に出会っていた。お互いに小学生だった頃の話だ。通っていた小学校は違っていたが、塾が一緒だった。

 その塾に通う小学生達の間で安藤草太は「漫画家」として有名だった。

 オリジナルの漫画を描いては友達に読ませて、楽しませていた。褒められていた。「将来はプロの漫画家になる」と公言していた安藤草太の言葉を疑う者はその周辺に一人として居なかった。

 史彰とは「友達の友達」といった距離感だったが面識はあって、安藤草太の描いた漫画を読ませてもらった事も勿論、あるし、あるどころか、史彰は安藤草太が描いた漫画の大ファンでもあった。

 安藤草太にしてみれば、史彰など、数多くいたファンのうちの一人でしかなくて、「稲葉史彰」という人間を認識していなかったとしても不思議は無いと思えるくらいに当時の安藤草太の周りには、彼の描く漫画のファン達が溢れていた。

 結果的に当時の最期の作品となってしまった安藤草太の「力作」は男性同士の恋愛モノで、実に衝撃的な漫画だった。自身の性的指向や嗜好に思い悩み始めていた頃であった稲葉史彰は、目からウロコが落ちる思いで安藤草太の「力作」を読み上げた。

 史彰はその漫画を素直に面白いとも感じたのだが、史彰以外の読者達は皆、その漫画を「気持ち悪い」だの「つまんねえ」だのと罵った。

 それまでの大絶賛から、てのひらを返したかのような酷い否定っぷりだった。

 取り上げた漫画をババ抜きのジョーカーみたいな扱いで回し合って、「返せよ」と騒ぐ安藤草太をしまいには仲間内からハブくようにまでなってしまった。

 安藤草太とは「友達の友達」でしかなかった史彰は、自身の性格もあって、独りとなってしまった安藤草太に手を差し伸べたりや、ただ声を掛けたりも出来ないまま、小学校を卒業する時期を迎えて自然と塾も辞めてしまった。

 中学校も別々だった二人は、セックスをしたあの日が本当に久し振りの再会だったのだ。五年ぶりの会話がアレだった。

 安藤草太の描いた「力作」は、あの当時、性に関して悩んでいた稲葉史彰に一つの道を示してくれた。

 また図らずもではあったろうが、それを声高に叫ぶ事の危険性も教えてくれた。

 それらのせいもあって、中学校に上がった史彰はそれまでに思い込んでいた自身の考え方を大きく改める事になる。

 まずは大前提として「幸せになる道は存在している」という事を知得した。

 安藤草太の描いた漫画の登場人物達はそれを体現していた。

 自分の指向や嗜好が一般的ではなかったとしても、未来永劫の不幸が確定しているわけじゃない。

「皆」や他の誰かに認めてもらわなくても自分や自分達で勝手に幸せになれば良い。

 邪魔だけされなければ、応援をしてもらう必要は無かった。

 自分の性的な感覚を誰かに知られている必要も無い。知らしめる必要は更に無い。

 性的にストレートな連中だって「異性が大好き!」とか「エッチしたい!」だのとおおっぴらに宣言しながら生活しているわけでもなし。同じ事。同じ事。

「ドMだから噛まれたい」とか「フェチだから裸に靴下だけを着けた異性とセックスしたい」とかの欲望的願望を隠す事とは少しだけ違う。極々普通で当たり前の事ではあっても、その感覚を公にする事自体が世間には疎まれがちだという話だ。

「異性が大好き!」なのは結構だが、それを周知徹底させようとするな。「エッチがしたい!」の当然の事だろうがそれを叫ぶな。聞かされるという事が不愉快なのだ。

 中学生になったばかりの稲葉史彰が考えたに日本国の法律も同じような事を言っている。表示に関し、モザイクを掛けたりや黒色で塗り潰したりとしなければいけない性器を皆が持って、使って、生きている。性器自体が悪ではなくて、それどころか、日本国では性器を象った御神体を祀っている神社なんかも少なくはないというような扱いだ。

 それと同じく、稲葉史彰が自身の性的な感覚を秘する事は、その想いが悪いモノで自身にとっても後ろめたさのようなものがあるわけでは決してなく、そのモノ自体は神社に祀りたくなるくらいに素敵なものだが、それを露骨に表してしまうという事がよろしくはないのではないかという社会通念的な判断だった。

 そんなこんなで史彰は中学校に入ると同時に擬態を始めた。大袈裟に聞こえるかもしれないが、ただ皆がなんとなく適当にしている事を史彰は強く意識してみたというだけで本当に特別な事ではなかったはずだ。

 史彰も最初から上手に出来ていたわけではなかったが、幸運にも素材には恵まれていたらしい。表情や口調の見直しやダイエットに筋トレと、その幸運を上回る努力もしてきたつもりだったから、今や完璧とも言えるようなその擬態が誰にも、安藤草太にすら、見破られていないらしい事は成果の証明であり、してきた努力が認められているみたいで単純に嬉しかったり、誇らしかったりもしていた。

 が、何故だろうか、悲しいような気持ちもあった。

 史彰が今の学校の今のクラスで安藤草太の存在に気が付いて、彼があの安藤草太だという事を知って、最初に思ったのは、

「彼も擬態しているんだ」

 という事だった。

 同じ塾に通っていた頃は、安藤草太が自称していたペンネームしか知らなかった。「安藤草太」という「彼」の本名を史彰は知らなかった。

「安藤草太も擬態している」と思うよりも先にその存在を認識してしまっていれば、史彰が「彼」の本名を知っていさえしたら、クラスメートになれた直後から今度こそ普通の友達になれていたのかもしれないが、今更の話だ。

 稲葉史彰も、安藤草太も、それぞれがそれぞれの幸せの為に擬態しているのなら、迂闊には近付かない方がお互いの為だとも思った。顔見知りで、史彰にしてみれば、安藤草太の描く漫画のファンでもあったが、ちゃんとした「友達」だったわけじゃあなかった。実際、彼の本名も知らない程度の付き合いだったわけなのだから。

 偶然にも同級生となって、同じ教室で過ごすようになり、お互いの擬態の奥にある本来としての存在に先に気が付いたのは安藤草太の方だと史彰はしばらくの間、思い込んでいた。
 
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