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しおりを挟む高校一年生、十五歳。笹野佳樹(ささの・よしき)はゴリゴリの異性愛者であった。
しかし。親父の時代――20年前から30年前ならいざしらず、いまどき「同性は恋愛対象外」だなんて考えは「身長170㎝以下の男には人権がない」とか「Aカップは人権ない。Bでギリ。Cから一般的」と同じレベルの非道徳的な思想だった。
とは言え。思うのは自由ってヤツで。佳樹はそのような危うい考えを持ちながらも人前では一切、口にも態度にも出さない事でそれ関係の揉め事とは縁遠い毎日を平穏無事に過ごしてきた。
十年後か二十年後か分からないがきっと将来も「好きになった相手がたまたま女性だった」などと言いながら異性と結婚をするのだろう。
漠然とそんなふうに考えていたのだが……。
「笹野の事、好きなんだけど。俺と付き合ってくれない?」
試練は唐突にやってきた。
朝の通学路。周囲には他に誰も居なかった。
一緒に登校する約束はしていないのにここのところよく会うなあとは思っていた友達の牛尾理央(うしお・りお)に「笹野の事、好きなんだけど。俺と付き合ってくれない?」と佳樹は恋愛的交際を申し込まれてしまった。何でだ。
「あー……と」
佳樹は言葉に詰まってしまう。
牛尾理央は佳樹と同じ高校に通う友達で、クラスでも一番か二番か三番目には仲が良かった。
入学からまだ四ヶ月程度の付き合いだが理央は「うっそーん。ドッキリでした」てキャラじゃない。この告白を誰かに強要されているような顔もしていない。
本気の本気で理央は佳樹に愛の告白をしていた。
その想いの熱さは佳樹にもちゃんと伝わっていた。
「悪いけど。同性は恋愛対象外なんで」なんて冗談でも口にする事は出来ない。
ましてやそれが本心ならば尚の事はばかられる。
真剣に想いを伝えてくれた相手に「チビは無理」だとか「貧乳は去れ」とか言えるほど佳樹は外道キャラでも真性の外道でもなかった。
笹野佳樹は柔道で高校に入学したマッチョなスポーツマンだ。
出来る限り穏便に、そして完全にお断りしなければと混乱中の頭を更に回転させた結果、佳樹の口から出た告白の返答は、
「少し……考えさせてくれ」
であった。
「おっけー。待ってるから」
そう言い残して理央は走り去っていった。
一人残されてしまった佳樹は、理央の後ろ姿を見送りながら「ああ……」と早くも後悔し始めていた。
悪手だった。佳樹は文字通り頭を抱える。
「待ってる」と言った後、理央はへへへとばかりにはにかんでいた。
理央に無駄な期待を抱かせてしまったかもしれない。
完全異性愛者を自負する佳樹は同性の牛尾理央と恋人関係になるつもりは1ミリも無いのに。その場ですぐに断るべきだったのに。
とっさの事だったとは言え、ただただ問題を先送りしてしまった。
その場をしのいでしまった。
不用意な発言だった。
悪いけれども同性である理央とのお付き合いは出来ない。佳樹にとってそれは決定事項であって、あとはどのように断れば角が立たないだろうかという話だったのに。
「最悪だ……」
気を持たせるような言い方になってしまっていただろうか。佳樹の「少し……考えさせてくれ」に対して「おっけー。待ってるから」と言った理央の顔は明るかった。
無理に明るく振る舞っているようには見えなかった。
「……どうすんだ。何て言って断わりゃ良いんだ……」
牛尾理央は良い奴だった。
「いいひと」か「わるいひと」かは見る側の主観によるみたいな事を発行部数1億部以上の超人気漫画でも描かれていたが、牛尾理央は佳樹にとって「良い奴」だった。
佳樹は頭を悩ませる。
「……嫌な奴だったら良かったんだが」
理央からの交際の申し込みを断るにあたってはどうにかして「同性だから」以外の理由を絞り出さないといけない。
しかし。これがなかなか思い付かない。見付からない。
「……『なんとなく』で断るわけにもいかねえよな。そんな断り方をしたら異性愛者だって疑われる。そんで。疑われたら最後、きっと俺が異性愛者だって事はバレる」
その性癖を口や態度に出さないようにはしていた佳樹だったが別にその事を上手に隠せていたわけではなかった。単に黙っていただけだ。
友達やら先輩やら先生やらといった周囲の人間の誰の頭にも「笹野佳樹は異性愛者かもしれない」だなんて考えが無かっただけだ。そんな目で見ていなかったから気が付かなかっただけであって、改めてそんな目で見てみれば「やっぱり」と納得されてしまうに違いない。
元来、佳樹は嘘や隠し事が得意な方ではなかった。
「牛尾の嫌なところ……。嫌いなところ……。ムカつくところ……」
朝からずっと理央の事を考え重ねるもマイナスな部分が何一つ思い浮かばない。
牛尾理央は良い奴なのだ。むしろ、
「……何でそんな牛尾が俺の事を好きになるんだ。俺の何処を好きになったんだ?」
と佳樹は吠えたい。分からない。佳樹には何もかも分からない。分からない。
前の問題の答えも出ていないのに新たな疑問が生まれてきてしまった気がする。
「頭痛え……」
いつも以上に身が入らないまま授業は一限目、二限目、三限目、四限目と過ぎて、あっと言う間に昼休み。
考えに考えて、悩みに悩んで一つだけ、
「他に好きな人がいる」
理央からの告白を断る良さげな口実を思い付いたが、
「いや。駄目だな。異性愛者って事を隠す為に嘘で嘘を塗り固めるような事はしない方が良いだろう。てか俺には無理だ。多分。ツッコまれたらすぐにボロが出る」
佳樹に好きな人は居なかった。
結局、何の解決案も浮かばないまま無情にも時間だけが経過してしまった。
大袈裟に言えば一秒でも早く、少なくとも今日中にはしっかりと断りたいと思っていたのに。良い考えが全く浮かばない。
「告ってくれた相手が牛尾でさえなければ。牛尾に相談するような案件なんだがな」
軽く頭を掻きつつ深めの溜め息を吐いたところで、
「笹野ー。何やってんだ。早く来いよ」
「メシにしようぜー」
佳樹は友達の上村と高橋に声を掛けられる。
「ん、ああ。悪い。ぼーっとしてた」
とっさに誤魔化してしまった佳樹だったが、まあ、仕方が無い。
この程度は別に「嘘」でもないだろう。
友達だと思っていた相手に告白をされただのその告白は断ろうと思っているだの、実は異性愛者だのといった話は、言い触らすようなものでも簡単に吐露出来るようなものでもなかった。
「メシの時間に笹野が『ぼーっと』? 何だよ、どうした、天変地異の前触れか? 午後からは降り注ぐ大槍にご注意くださいか? やべえな。俺、今日は鉄傘、持ってきてねえぞ。……あ。カバンに折りたたみ鉄傘、入ってたかも」
「うるせえな。俺にも『ぼーっと』くらいさせろ。てか『今日は』て何だよ。鉄傘を持ち歩いてる日があるのかよ。折りたたみ鉄傘って何だよ。てか『鉄傘』て何だよ」
「ははは。すげえな。笹野。寝不足なのによくそんなに頭が回るな。んで。昨夜だか今朝だかに何かメジャーとかプレミアで注目の試合なんかあったっけか?」
「何で寝不足の原因がスポーツ観戦の一択なんだよ。てか寝不足じゃねえんだけど。ただ単に、ぼーっとしてただけだから」
クラスでの佳樹は基本的に四人組だった。佳樹も含めて全員が男だ。
入学当初、話の流れで駅裏のラーメン屋に入った四人のニンニク臭い付き合いが、それから四ヶ月が過ぎた今もしっかりと増し増しで続いていた。
「スポーツの生中継以外で夜更かし、もしくは早起きをする意味が分からない」
「お前はな」
「腹が減り過ぎてんだけじゃねえの。ジャイアント・笹野だし。燃費、悪いもんな」
「うるせえっての。たまには、ぼーっとくらい誰でもするだろうがよ」
そして、
「あはは。確かに。天気も良いしな。今日は日当たりの良い笹野の席の方で食う?」
その四人の中には牛尾理央も居た。
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