猫の嫁入り

るの

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猫の嫁入り

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結婚?出産?私には縁のない話だわ。
半ば不貞腐れながら、文子は心の中で毒づいた。
営業先のお客さんに結婚しなさいと意味の分からない説教を受けた帰り道。
どうして三十路過ぎて結婚をしていないと憐れんだ目で見られるわけ?独身貴族最高なんですけど。
住宅街を歩いていると、文子の目の前を猫が横切る。そして猫はすこし遠くから文子を眺めていた。

「なに、あんたも馬鹿にしてるの」

猫にまで八つ当たりなんて惨めだわ、と、猫に話しかけたことを後悔しながら再び歩き出した。しかし猫は一定の距離を保ってついてくる。しばらく無視していた文子も、彼女の家の前までついてこられてはそのまま家の中に入ることを憚られた。

「なによ」
「にゃー」

んなー、んなー、と猫は何かを訴えるように鳴く。
愛らしい鳴き声は文子にとって殺し文句だった。

「分かった、分かったわよ。あんた、ちゃんと野良猫なんでしょうね」

そう言いながら猫を抱き、家の中へ入った。
週末、文子は猫を病院に連れていき検診やワクチンをした。病気は持っていない猫だったため翌週には去勢して首輪をつけた。

「今日からあんたはわたしの子よ。ちゃんと懐きなさいよね」

実はかなり動物好きである文子は、構いすぎるため動物に嫌われやすかった。しかし猫は文子にしっかりと懐き、どこへ行くにも文子のそばを離れなかった。文子は猫に名前をつけ、猫のために定時で仕事に帰るようになった。

「愛する妻子が帰りを待つ旦那の気持ちが分かるわあ」

コンビニでちゅーるとチューハイを買い、今日も猫に会うために早足で帰る。今では文子にも少し分かる。結婚をして大切なひとを持ちなさいと言った、あのお客さんの言葉が。

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