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【7】

【後】酒は万病の薬

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 ガジンはすぐに空になったカップを特別な酒で満たした。昼間から飲むそれはいつもより味を深く感じさせ、酔いのまわりも早くなる。ふんわりと身体が温まってきた頃、ガジンがふと口を開いた。

「結局…男はね、女がいないと駄目なんですよ」
「なんだよ急に。もう酔っ払っちまったのか?まぁ、女がいないと駄目っつーのは王家一族をあげて賛同するけどな」
「確かにファールン王家と女性の間には切っても切れない縁と深い深い溝がありましょうなぁ。……でも、今の殿下なら、刹那的なお付き合いとそうでないお相手…一緒に過ごす時間の質の差はおわかりになるのでは?」

 少し意地悪そうに片眉を上げると、フォルカーは面白く無さそうに視線を外した。

「口では偉そうなことを言っていても……もろくてね。腕っぷしばかり強くても、結局ここが、ね」

 ガジンはトントンと指先で胸元を叩いた。

「女は感情的だと言われ男から軽視されることもある。私は…女のそれは男にはない強さだと思う時があるんですよ。子を思う母親なんて良い例だ。自らの胎内で十月十日、人としての形を作り命がけで産み落とす。……ご存知ですか?戦場で数千数万と死んでいく男の数より、出産で死ぬ女の方が多いんです。死産、流産を加えれば、妊娠・出産という行為がどれだけ命がけのことなのか…おわかりになるでしょう」
「……それでも、それ以外に増やす方法は無いだろ。男が代わってやることもできん」
「ええ、勿論。特に労働従事者達は生きていくのにどうしても人手必要になる。それも事実です。しかし子が無事生まれたとしても二歳まで育つのは二割。更に残りから三割は成人前に死んでしまう。……母親という生き物は我が子に何かれば周りが見えなくなるほど取り乱し、荒波にも燃え盛る火の中にも飛び込んでしまうものです。そう…身体だけじゃない、心まで壊してしまうことだって珍しくない。自分自身を壊してしまうほど強い強い力の持ち主なのですよ」
「――……。自分が壊れちまったらどうしようもねぇ。残されたモンだっていい迷惑だ」

 そう言って眉根を寄せるフォルカーにガジンは笑った。

「貴方のお母上も…母性の強い女性だった。貴方だけでなく、エルゼ殿やクラウス殿、城へ遊びに来る子供達を愛しておられた」
「――……」
「ポルトもきっと…そんな女性へとなるんでしょうなぁ。あの子は世話好きな子だから……」
「母上と投獄犯を一緒にすんじゃねーよ」
「シュテファーニア様もお若い頃はよくお父上に牢に入れられていたと聞きますが……」

 母国では城で暴れると刃物だけでなく椅子や机まで振りますことも少なくなかったシュテファーニア母親は、城に飾ってある調度品をよく巻き添えにしていた。当然のように怒った父王の命令により投獄という名のお仕置きをされていたそうだ。
 幾度となく放り込まれた彼女は、最終的に牢の見取り図まで描けるようになり、それを見た王妃が見たこともない通路が足されていることに気がつく。後に囚人達がコツコツと何代にも渡ってこっそり掘り進めた脱獄通路であることがわかり、ちょっとした騒ぎになった……と以前母の侍女をしていたモンソンから聞いたことがある。
 その血が半分自分にも流れていることを思い返し、フォルカーは微妙に複雑な気分になった。

「まぁ……、あの阿呆が女らしいと言えばそうか。頑張って男っぽくしようとはしていたけど、根っからの女だったな」
「ほぉ?何か心あたりでも?」

 筋張った手がくっと酒を呷る。最後の一滴が流れていくのを感じながら、見上げた天井の木目をぼんやりと見た。

「心当たりか……。あるぞ。山程な……。甘いモンとか小麦粉で作ったものとか好きだった。パンとかパイとか。蜂蜜ミルクなんてどれだけ俺がくれてやったか……。新しい服を買ってやった時は、最初不思議そうな顔をしてたけど、ずーっと眺めてた。あれは相当気に入ったんだろう。……あぁ、体型を気にしてたりすることも多かった。俺が他の女と遊んでるとすぐ怒ってた。ヤキモチ焼くし…そういうところは面倒で……」
「ポルトがヤキモチを?」
「そーそー。ったく、俺のこと大嫌いとか言う位ならほっとけっつーの」
「……そうですか、ポルトが……」

 ガジンが目を細める。

「なんだ?」
「……いえ、何にでも遠慮がちな子だったので」
「おい、顔がおじーちゃんになってるぞ」
「実際、孫位の歳でしたからな。はっはっは」

 年々色素を失っていく青い目がカップに残ったワインを眺める。しわの入った手でゆっくりと左右に傾けると水面が静かに揺れた。

「お前から見て…ポルトの行動はどう見えた?」
「どう…と仰いますと?」
「役職連中からスパイだのなんなのと言われててな。俺は騙されているんだとさ。……今までのあいつの行動、俺達を油断させるための…演技だと思うか?」
「まさか」
「即答かよ」

 苛立ちはしないが、もう少し考えてから答えて欲しかった。少なくとも自分は、この疑問に延々と縛られ続けていて、忘却という方法でしか解決はできないと思っているのだから。
 しかし老人は悩める若者を前に然程のゆらぎも見せない。 

「ポルトは二年ほど殿下と一緒におられるのでしょう?無理を続けていればどこか身体にあらわれるものです。瞳孔、汗、呼吸、筋肉……、個人差はありますがね。殿下はポルトのこれまでの言動が全て嘘だったと、そう思っていらっしゃるんですな?」
「実際本人がそう言ってたからな」
「でも納得されていらっしゃらない。だから今もそうやって思い悩んでいると……。ほぅほぅ、なるほど」
「な…っ、ち・違うぞ!?女なんて掃いて捨てるほどいるんだ。なんであんな男女に……!もうどうでも良い奴じゃねぇか」
「何故です?」
「あん?」

 ガジンはカップに残っていた酒を空けて、ふぅと軽く息をつく。

「何故彼女に固執するのか…もう一度よくお考えなさい。そして整理するんです。感情的になってはいけません。あくまで理性的に」
「――理性的に…ね。感情的な力は自分を壊しちまうからか?」
「思考が単調になるうえに、思考が早すぎて見落としてしまうものが多くなる。向く方向を変えるにしても相当の力が必要になりますしな」

 別に感情的になっているつもりはないが。フォルカーはむすっとした顔を見せた。

「もう彼女は貴方の目の前から姿を消したんです。本当に気にしていないのならば、何故目の下にそんなクマをつくっておられるので?」
「………。お嬢さん達が離してくれないからじゃない?」
「そんな逢瀬を毎夜繰り返されるのは何故ですか?……よくお考えなさい。何も持たず、着の身着のまま、日中外にいるだけでも凍えそうになる季節にあの子は出ていった。今頃きっと貴方を傷つけたことを悔やんでいるかもしれません。もしこれまでのことを恨んでいるのなら、それで良しとすれば良いのでは?」
「――……。どうかな?狐の皮でも剥いで新しい上っぱりの一枚や二枚、作ってしのいでるかもしれねぇぜ?ま、それでも文無し家無しには変わりねぇけど」

 昼は獲物を求めて雪原を彷徨い、夜は岩陰で凍えているだろう。ザマァだ。

(俺様を裏切るからそういうことになるんだ。カールトンと二人で仲良く震え……あれ?)

 突如脳内に不思議なビジョンが現れる。
 粉雪がちらつく寒い寒い夜。年頃の若い男女が二人、石壁に身を寄せ合っている。目の間で燃えている焚のはき火だけで、勿論十分な暖など取れない。しかし、そこにいる二人の表情には些細な不憫さも無かった。

『ポルト、震えているな。もっとこっちへこい』

 何故かキラキラ男子に脳内変換されたカールトンがポルトの肩をぐっと抱き、引き寄せた。雪で濡れた髪を頬に一筋つけたポルトが小さく声を上げ、よく鍛えられた厚い胸元へよろめく。程良い熱を持ちゆっくり上下するそこへ頬を寄せると優しい鼓動が聞こえた。

『兄様…温かい……』

 何故かキラキラ女子に脳内変換されたポルトが頬をほんのりと染める。

殿下邪魔者はもういないです。これからはゆっくりと…二人の時間が過ごせる。……やっと…やっとですね』
『あの男は今頃一人で震えているだろうさ。その場しのぎの女性を抱いて、その日その日を生きているのだろう』
『お気の毒な魂……』
『ここには高い城壁も大きな暖炉も無い。それでも俺達には…そう、こうやって雪が舞っているくらいが丁度良い』

 二人のまわりを謎の薔薇がブワッと取り囲む。キラキラとした発光体が浮きまくり、さながらそこだけ天国のようだ。

『兄様……』
『ポルト……』

 二人はじっと見つめ合い…そして――……

「ぬあぁぁああぁぁぁああああ!!!それはぁああぁゆるさぁあああんっっっっっっ!!!!」

 持っていたカップを全力で暖炉にぶつけた。立ち上がった勢いついでに、長椅子に並べてあったクッションに思い切り拳を叩きつける。中に入っていた羽毛と藁が被害を訴えるようにハラハラと舞い上がった。そんな王子の突然の乱心っぷりにガジンは椅子から転げ落ち、軽く腰を打つ。

「いたたた……。で…殿下っ?いかがされましたっ?」
「どーにもこーにも!!」
「っ???」

 ガジンの姿を見て自分を諌める。

(まてまてまて!!なんつー妄想をしてんだ、俺は……!!落ち着け……。落ち着け、俺……!)

 わかりやすく息を吸って、吐いて……呼吸と脈を整える。できるだけ迅速に。

「殿下?」
「今理性的になるから!ちょっと待て!」
「は・はい……」

 何処かの馬鹿な男のように、追いかけてその足元にすがって泣きつけばいいのか?お断りだ。全ては今更。どうしようもないし、どうこうするつもりもない。結局は時間が解決するしか無いことだ。
 テーブルの上にある酒瓶を掴みぐいっと傾ける。口の端から流れた筋を手の甲でぐいっと拭った。

「殿下……」
「なんだよっ」
「どうしてそれ程お怒りに?」
「別に怒ってなんかねぇよっ。ちょっとイラつきはしてるが、すぐに収まるっ」
「何故感情が高ぶってしまうのか、その根には何があるのか……深くご自身を見つめるのです。治療と同じです、原因がわかれば収め方もわかるというもの」

 ガジンの言葉にくっと奥歯を噛み、もう一度酒を呷って空っぽにしてやった。
 何故固執するのかだと?それは怒りが収まらないからだ。
 何故怒りが収まらないのかだと?これでもかというほど目をかけてやった。それなのに裏切られたからだ。
 この状況に「なーんだぁ、そっかぁ」なんて阿呆面下げてニコニコしていろとでも言うのか?
 
 信じていたんだ。心から。あいつだけは側にいて欲しいと、そう願うほどに。
 半身を失くしたかのような空虚感がずっとまとわりついて取れない。
 何人の女性と盃を交わしても、身体を重ねても、刹那的な満足感しか得られない。
 飢えにも似たそれ・・は、こびり付いた醜い染みのようにいつまでも消えない。

 小さく感情を爆発させるように「くそ……っ」と舌打ちをする。

 文句があるならもっと早く言ってくれれば良かったのだ。
 あんなに近くにいたのに。ずっと隣にいたのに。
 激しく言い合える程の仲だった。いくらだって出来ただろう。
 何故しなかった?何故あんな形で別れなくてはいけなかった?
 どうせ同じ結末を辿る運命だったとしても、もっと違う方法だってあったはずだ。
 
 運命を分岐した牢での瞬間……剣を交えた時のことを思い出す。
 裏切りの言葉を散々ぶつけられ、渦巻く激情を押さえきれずに剣先を彼女の心臓へ向けた。
 彼女にも見えていたはずだ。でも避けようとも防ごうともしなかった。
 押し寄せる濁流に身を任せるように……瞳を閉じた。

(馬鹿野郎……!何故そんな結末を選んだ……!何故俺にそんなことをさせようとした……!?)

 あの光景を思い出すと身体が熱くなる。
 あれが演技だと?
 その問に全身が『否』と訴える。
 間違いなく彼女は命がけだった。命を賭けてまで――

「殿下?どうされました?」

 フォルカーは突然黙り込む。

(――……一体何をするつもりだった?) 
 
 徒に命を捨てるようなことをする奴だとは思えない。
 視覚、聴覚、全ての感覚を遮断させるように下を向くと頭を両手で覆う。

(――考えろ。思い出せ)

 理性的に。瞬間の言葉に捕らわれるな。二年近く一緒にいた。見続けてきたその全てが嘘だなんて思えない。記憶を掘り起こせ。彼女の心の欠片を探し出せ。

「――……っ……っ……!」

 一見気弱にも見える少女は、時に身分も体格も格上の相手にも牙をむく。荒々しい言葉を使い、身分も年齢も厭わず叱咤する。以前チェストの中でメイドと隠れていた時も、ガジンの助手に医術書を渡した時も、ロイター卿に食い下がった時も。そして……最後のあの時も。
 幾度となく反芻し、分析し、気がついた。その叫びは一度も自己に向けられたことはない。
 「不満があったなら、何故言ってくれなかった?」、そんな目線で考えてはわからないのだ。
 ふっと道に小さな灯火が輝いたかのように視界が開ける。

(あいつ……誰の為に吠えた?)

 刹那の激情に手綱を握られていた時ですら、ブレない信念のようなものが確かにあの娘にはあった。
 今までを思えば、他人を傷つける為に動くことなどしない。命をかけたのなら尚更だ。

 一体誰を、何を『守ろう』としていたのか。
 そこにきっと全ての答えがある。
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