暗闇の記憶~90年代実録恐怖短編集~

MITT

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第五話「海の手」⑤

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「……やれやれ、結局今夜は獲物も一匹、要らない貸しも作っちまったし……あんな所でひっくり返ったから、身体が磯臭い……風呂入りてぇよ」

 言いながら、服の匂いを嗅ぐと何とも磯臭い匂いがした。
 注文を取りに来たウェイトレスさんが嫌そうな顔をしてた訳が解った。
 
 もっとも、この匂いはちょっとしたトラウマになりそうだった。
 とりあえず、帰ったら、このサマーパーカーは洗剤倍量で念入りに洗濯するとしよう……。

「ふふふ、なんならラブホでも行って、二人でシャワーでも浴びるかい?」

 冗談のつもりだろうけど、サラッととんでもないことを口にして、いたずらっぽい笑みを浮かべる姉さん。

 危機一髪を共に乗り越えた……吊り橋効果って奴なのか、いつもより姉さんが美人に見えるような気がして、ガラにもなくドキマギしてしまう。
 
 けど、そこら辺はお互い様で、案外、今ならコロッと落とせるんじゃなかろうか? そんな邪な考えも頭をよぎる。

「……とても魅力的な提案だけど、遠慮しておくよ。まぁ、なんにせよ……」

 さすがに、これは真面目に言っとかないとな。
 一度言葉を切って、姿勢を正して、灰峰姉さんを真っ直ぐ見つめる。
 
「な、なんだい、そんな改まって……」

「……ありがとうございました! おかげで、無事に戻ってこれたよ……姉さんは命の恩人だ」

 そう言って、テーブルに額を付けて、頭を下げる。
 
「いやいやいや、あれは私も悪かったんだって……ああ、その……ごめんなさい」

 そう言って、頭を下げる灰峰姉さん。
 勢い良すぎて、ゴインとか言ってるけど、そこら辺もお互い様だっての。
 
 どっちが頭を上げるか、根比べ……と思ってたら、ウェイトレスさんがやってくると、困惑したように、パフェを持ったまま佇んでいた。
 
「え、えっと……ジャンボチョコレートパフェは、どちら様で? それと、お客様……ご気分でも悪くなりましたか?」

 慌てて、そろって頭を上げると灰峰姉さんが手を挙げる。
 
「ごゆっくり、どうぞ……」

 引き気味な感じのウェイトレスさんを見送ると、嬉しそうに灰峰姉さんがパフェに手を付ける。

 軽く千円近くする手痛い出費だけど、アレは間違いなく相当やばかった。
 
 命の借りが千円もしないパフェとか、安っぽい話ながら、俺達には、そんなもので十分なのかも知れなかった。
 
「……海の手ね。結局、あれはなんだったんだい? あの様子から察するに、相当強烈な奴っぽかったけど。あんな形で実害を被りそうになったのはさすがに、前代未聞だったよ」

 これだけは聞いておくべきだと思ったので、聞いておく。
 この世ならざるものは、基本的に無害……それが俺にとっての前提だったのに、あんなもんが居るなんて、その前提がおかしくなる。
 
 と言うか、冗談じゃないってのが、本音だった。

「だねぇ……加護持ちの見延に怯んでる様子が無かった。いや、加護があったからこそ、完全に捕まらなかったのかも。君の加護は、海の怪異にはあまり効かないのかも知れないね。だから前にも言っただろ、過信は禁物だって」

「相性問題ってやつか。俺、山が見えない所に行くと落ち着かなくなるし、なんか知らないけど、水平線恐怖症みたいなのがあるんだよな。それもやっぱり関係あるのかね」

「たぶんね。山神由来ともなると、海のモノとは相性が悪いのかもしれないね。まぁ、海のモノの相手は海の神様にでも頼るのがベストだ。古来、港や漁師、釣り人の守り神ってのは、住吉様って言われてるからね。私も今度、住吉神社にでも行って、お守りでも買ってこようかなって思ってるよ」

「なんか、俺の場合だと喧嘩しそうだな。日吉様と住吉様ってどうなんだろね。どことなく名前似てるけど」

「意外と、問題ないんじゃないかな? 町田の森野の方に住吉神社があるんだけど、あそこって山王様と住吉様が隣り合わせで、一緒に祀られてるんだよ。意外と神様同士、縁が深いんじゃないかな……。どのみち、近所なんだし、せっかくだから、君もまとめてお礼参りでもすると良いんじゃないかな」

「なるほどねー。しかしまぁ、神頼みとは……なんとも無力なんだね。俺達は……」

「まぁ、あの手の訳の判らない物の怪の相手ともなると、神頼みってのが一番だよ。宗教じみたことは言いたくないけど、神様への感謝は、常に忘れない方がいい。実際、港の中……堤防の中までは、あれは追ってこなかったからね……。あの様子だと、港の中だけ結界を張って、避け付けないようになってたのかも知れないね。案外、港のどこかに住吉様あたりの分社でもあったんじゃないかな?」

 結界……あんなモノがいるようなところなら、あってもおかしくはないか。
 実際、岡山の方に行くと、至る所に由来の良く解らないお堂やら、お地蔵様とかが至る所にある。
 
 例の山王様だって、鳥居自体は山の麓にあって、神社自体は長い階段を延々登った先にある。
 先祖代々の墓場もその鳥居の内側にあるので、山自体を神域化してるのは、間違いなかった。

 結界ってのは、要は境界線なんだ。

 向こう側とこちら側を区切る……そう言うものだ。
 
「結界とか……実際に、効果が出てたとなると、過去になんかあったんだろうね……。海ってのは、なんともおっかないとこだね……」

「そうだね……大磯って、江戸時代には宿場町があって、意外と歴史ある土地柄なんだよ……。もっとも、本格的な港が作られたのは、戦後になってからだし、あの様子だと港湾部限定……。沖の堤防の方には加護は及んでなかったし、浜辺も同様……何とも中途半端な代物だったみたいだね」

「なんと言うか……そうなると、後世の人達が見様見真似とかそんな感じで作った守り神みたいなのが、たまたま加護として機能してるとかそんなのだったりするのかもしれないね……。それでも、あれのおかげで命拾いしたのは事実だから、少しくらいは感謝してもバチは当たらないか」

「そうかもしれないね。けど、実際……大磯港って堤防での転落事故がよく起きてて、去年もあの堤防で何人か死んでるし、ロングビーチでの事故も多いんだよ。あの辺って、実は死人が出ない年のほうが珍しいんだ……まぁ、それも納得かな」

 雑学キング……そう言ってもいいくらいには、彼女の知識は豊富だった。
 ちなみに、彼女は仲間内の浪人組で真っ先に予備校を卒業して、大学入学を果たしていた。
 
 姉さんや一個下の俺らの世代ってのは、第二次ベビーブームの山の頂点に位置する世代で、大学入試ともなると、競争率がインフレ起こしてめちゃくちゃになってた時代だった。

 5倍、6倍は当たり前……120倍とか意味のわからない倍率の学部すらもあって、一桁台の倍率なら、それだけで楽勝って思えてくるくらいには、激しい競争率になっていて、俺なんかも早いうちに大学進学は諦めて、金さえ払えば誰でも入れる専門学校の道を選んだクチだった。
 
 そんな中、まるっきり、勉強なんかしないで、毎日俺らと遊び呆けていたのに、他の真面目に勉強してた奴らを差し置いて、ちゃっかり大学合格……何とも理不尽な話だった。

「そうか……だから、堤防の階段に登るなって言ってたのか。と言うか、なんでそんな事になってたんだかね……。いくらなんでも、年中あんな調子って訳じゃないんだろ?」

「うん、あの時も言ったけど、多分、昨日か一昨日くらいに、あの辺りで人死が出たんだろうね……。そして、おそらく死体も上がらなかった。そう言う事故が起きると……夜ともなれば、近辺の海は魔界も同然になる。何故だか解るかい?」

「……次の獲物を求めて、色んな良くないモノが集まってくる。血に飢えたサメのように……?」

「うん、そう言う事だよ……海難事故で、死体が上がらないとなると、それは海のモノに生贄を捧げたも同然となる。そうなると、二匹目のドジョウを狙って、海のモノ達が集まって来てしまうんだ。広い海で遺体の捜索とか、はっきり言ってかなり無理があるんだけど、それでも必死になって探すのは、遺族への配慮ってだけじゃないんだ。そもそも、港だって船がぎっしりあっただろ? あれは、漁師達が一斉に漁を控えてたから、ああなってたんだ。本来、あの時間なら皆、沖に出てるってのが、普通なんだよ」

「……漁師達にとっては、丸一日漁を休みなんて、それだけでも大損……だよなぁ。けど、敢えてそうするとなると、何か古くから伝わる言い伝えでもあったのかもしれないね……。それか誰か、抜け駆けしてヤバイ目にあったとか……」

「多分、そう言うことだったんだろうね。だから、ホントはあの無人の港を見た時点で、さっさと引き上げるべきだったんだ。けど、やっぱりどうしても、すんなりと引き下がれなくてね……釣り人の性ってヤツだよ。本当に君には悪い事をしてしまったよ……」

 夜明けもそう遠くないのに、まるで人の気配のしない漁港。
 
 ずらりと並んだ漁船……台風が近づいてて、海が荒れてたからってのもあったけど、漁師ってのは割とゲンを担ぐし、信心深い人たちも多い。
 
 だからこそ、昔からの言い伝えを律儀に守って、大人しくしてた。
 
 そんな中……獲物を求めて海の怪異が網を張ってた所にノコノコ踏み込んだ。

 ……もちろん、確証なんて無い。
 
 灰峰姉さんの話もあくまで、憶測に過ぎない……けれども、当たらずも遠からず、そんなところのような気もする。

 世の中、良く解らない事が多すぎる……。
 
 姉さんが、強く引き止めなかったのは……単純に自分も釣りたかったって、それだけなんだろう。
 釣り人ってのは、難儀なもんで、魚を釣るためなら、平気で命がけで……とかやらかしたりする。
 
 毎年のように台風来てるような日に、釣り人が高波に流されたとかニュースでやってるけど。

 あれって、クロダイ釣りの人達がほとんど。
 
 クロダイってのは、滅多に釣れない、海釣りの王様みたいな魚なんだけど、台風なんかで海が荒れてるような時こそ、大物が釣れるってんで、命をかけてでも狙いに行く……そんな酔狂な人は全くもって、珍しくない。

 それにしても、この手の話は、毎度毎度、なんとなくスッキリしないまま、なんとなく終わると言うのが多いのだけど、今回は珍しく少しはスッキリしたような気がした。
 
 もちろん、答えなんて出てないも同然なのだけど……こんな風にいくらかでも、憶測が成り立つだけ、幾分かマシだ。
 
 だけど、多分……今回、無事に生きて帰れたのは、僥倖以外の何物でもなかった。
 
 加護があって、霊感持ちの同行者がいた……こんな好条件ですら、命からがらだったのだ。

 あれは多分、神様レベルのとんでもないヤツだった。
 
 あんなもの……シャレにならん。

「……気にしないでいいよ。なんだかんだで、こうやって無事に戻れたんだ。ああ、悪いけど、ちょっとタバコ吸うよ」

 灰峰姉さんも慣れたもので、返事代わりに、ニコリと微笑むと、どうぞどうぞとばかりに手のひらを向けると、自分は美味しそうにパフェを一口、口にして、嬉しそうに頬に手を当てる。
 
 こうやってると、ごく普通の女の子みたいに見える……。

 それなりに、可愛らしい格好でもして、大人しくしてれば、十分美人……昔から、言われてたことだけど、いつになってもこの人の残念美人っぷりは、変わらなさそうだった。
 
 俺は無言で、コーヒーを口にすると、タバコに火をつけた。
 
 紫煙が立ち上り、香ばしい匂いを立てる。
 フィリップモリスの煙を深く吸い込むと、ささくれだってた気分も落ち着いてくる。
 
 ああ、日常に帰ってきた……改めて、そう思った。
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