俺の知らない大和撫子

葉泉 大和

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伍:いつも通りの大和撫子

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 ***

「それじゃあ、この前やった数学の小テスト返すぞー」

 数学の教師であり二年三組の担任でもある阿部先生――二十代半ばで感覚も高校生に近く、親しみやすいことから、松城高校に通う生徒はみんな阿部ちゃんと呼んでいる――がそう言うと、クラスの中で露骨な態度が滲み出た。嫌な顔をする者、実際に声を上げる者、頭を抱えて現実逃避をする者、ごく僅かに自信満々な表情を浮かべる人――いつも通りの日常だった。

 何も変わらない日常の中で、俺はふと左隣に視線を移す。
 隣の席には、今や学校で知らない者はいないほど有名になった更科さんがいた。

 更科さんはいつもと変わらず凛とした姿勢で、小テストが返却されるのを待っている。その姿はお淑やかで、優等生と表現するのが適しているだろう。

 しかし、更科さんが優等生とは違った裏の顔を持っていることを俺は知っている。

 俺は更科さんの服をチェックした。昨日、血の海の中にいたはずの更科さんの服には、一切汚れがなかった。もちろん顔や体にも傷一つ付いていない。

 改めて、更科さんの異次元な強さを実感する。

 あの路地裏の中、三人の不良を相手にしても一切の傷を付けることさえ許さない鬼神の如き強――

「――わ。諏訪悠陽!」
「は、はい!」

 突然大声で呼ばれたことにより、過去へ戻っていた意識は、強制的に現実に戻される。思わず裏声が出てしまうと、クラスからくすくすと笑う声が聞こえた。更科さんも口元を抑えながら笑っている。
 俺は顔が紅くなるのを抑え、名前が呼ばれた方を向いた。

「ほら、テストの返却だ」

 そこには、教卓の上から俺のテスト用紙をひらひらとさせながら、どこか呆れたような表情をした阿部ちゃんがいた。時折、テスト用紙から赤い数字がチラつく。

「――ってか、点数見えてるんですけど!」

 俺はようやくクラス中に点数が大公開されていることに気付き、急いで阿部ちゃんが待つ教卓まで行く。

「何度名前を呼んでも気付かないお前が悪い。平均点超えてるんだから恥ずかしがることないだろ?」
「そういう問題ではないと思うんですけどね……」

 阿部ちゃんのとんでもない理論に顔をしかめながら、差し出された答案用紙を受け取る。ちなみにこのクラスの平均点は六割に対し、俺は七割を取っていた。
 無難な点数だったことだけには、心からホッとする。

 答案用紙を無事に受け取った俺は、阿部ちゃんに背を向けて自分の席に戻ろうとした。

 しかし、阿部ちゃんからふと思い出したような声音で「あ、諏訪」と呼ばれたので、立ち止まり阿部ちゃんの方に振り向く。

「後ろの席だからって何してもいいわけじゃないからな」
「ど、どういう意味ですか……?」
「ん? 他の先生からも、お前が後ろの席をいいことに、授業中にしょっちゅう寝てるって逐一言われてるんだよ。なんか他にあるのか?」

 阿部ちゃんはニヤニヤと笑いながら言った。

 ……はめられた。

 俺はこれ以上阿部ちゃんと話すと墓穴しか掘らない気がして、

「はいはい、気を付けますよ」

 と吐き捨てるように言って、大人しく席に戻ることにした。

 席に戻る途中、更科さんはまだ口元を隠しながらくすくすと笑っていた。その仕草を見ると、昨日の出来事が夢のように思えてしまう。

 ……いや、騙されるな。俺は確かに、この目で更科さんのことを見たのだ。

 楽で安逸な方に流れようとする考えを断ち切るように、俺は首を横に振る。

 すると、不意に更科さんの答案用紙が見えた。百点満点だった。それだけでなく、点数の隣にはおまけに花丸もついていた。

 ――更科さんは腕っぷしが立つだけでなく、頭もよかった。

 俺しか知らない秘密。その一点を覗けば、まさに才色兼備を備えた優等生の鑑だろう。

 なら、何で更科さんはあんなにも喧嘩が強かったのだろうか。
自分の席に戻ると、答えの出ない問いに頭を悩ませた。

 過去何かあったのだろうか……。いや、これ以上深く突っ込むと、俺の高校生活が瓦解する。放っておくのが吉だ。いや、でも気にならないと言ったら嘘になるな。うーん。

 考えが行ったり来たりと、とにかく俺の脳内は大忙しだった。

「よし、これでテストの返却は全員終わったな。この中で百点は一人、更科だけだ」
「おぉぉ」

 阿部ちゃんの言葉に、クラスメイト皆が歓声を上げながら、更科さんの方を向いた。

 当事者である更科さんは、顔を紅くしながら俯いていた。戸惑うように、髪をかき上げ、耳に掛ける。

 その仕草に一部の男子生徒も、伝染するように顔をみるみる紅くさせた。いや、むしろ俺以外の男子生徒は顔を紅くしている。

 阿部ちゃんは淡々と腕時計を見て、

「さて、残りの時間は――」

 自分のノートを開いた。そのノートで、恐らく授業の進め方を確かめているのだろう。阿部ちゃんは次々にノートを捲っていく。

「あ、やべ」

 そして、ある地点でノートを捲る手が止まると、阿部ちゃんはしかめっ面を浮かべた。

「今日配る予定だった資料忘れて来ちまった。あー……、更科と諏訪――、悪いが、職員室に行って俺の机から資料持ってきてくれないか? 他の皆は、更科と諏訪が戻って来るまでテストの復習な」
「な、何でですか!」

 急に雑用係に任命された俺は、思わず椅子から立ち上がり、阿部ちゃんに反論する。

「ほら、更科はテスト満点だったから復習は必要ないだろ? んで、女子の更科が一人で持ってくるには結構量があるから、荷物持ち要員として、隣の諏訪。お前の出番だ」
「……それ、俺一人で十分じゃありません? わざわざ二人で行く必要ないですよね?」

 阿部ちゃんの言葉に、俺は突っ込みを入れる。資料を持ってくるだけなら、俺一人で行った方が逆に楽だ。
 それに、更科さんだってわざわざ三階から一階まで上り下りするのは大変だろう。

 そう思っていたのに――、

「はい、分かりました」
「え、ちょ」

 更科さんは俺の細やかな突っ込み――もとい細やかな配慮を無視して、席を立つと、職員室まで歩き始めた。

 ――俺、更科さんのことも案じて言ったつもりだったんだけど。

 面目を奪われた思いで、俺は更科さんが飛び出して行った廊下を見つめた。いや、実際に更科さんが一人で行動したことで、教室での俺の面目は完全に失われていた。

 一人席を立っている俺は、確実に教室から浮いている状況だった。
 周りの視線が痛い。

 ――更科さんの隣を歩けることへの嫉妬と、更科さんを一人で行かせようとすることへの怒り。

 それが惜しみなく視線に乗せて、俺に向けられている。

「はいはい、分かりましたよ。行けばいいんでしょ、行けば」

 俺は一度溜め息を吐くと、半ば投げやりに教室を飛び出して更科さんの後について行くことに決めた。これ以上立ち往生していたら、これからの高校生活の立場が更に崖っぷちになってしまう。
 扉に向かって歩き出す。

「それじゃ、分からないところがあれば遠慮なく聞いてくれ」

 背中から聞こえる阿部ちゃんの声とクラスメイト達の盛り上がる声が聞こえてくるが、俺は心に留めず、教室から出た。耳を塞ぐ代わりに、ポケットに手を入れる。これがせめてもの抵抗だ。

 廊下に出ると、更科さんはだいぶ遠くまで歩いていた。更科さんの姿が、豆粒ほどにしか見えなくなっている。
 俺は更科さんに見失わないように、やや駆け足で廊下を歩いた。廊下を走るなとは昔からよく言われているが、先生が見ていない上に生徒も歩いていない今なら、多少の駆け足は容認されるだろう。
 駆け足をした甲斐もあって、俺は更科さんが階段を下りる前には追い付くことが出来ていた。近くに来た俺のことを気にすることもなく、更科さんは背筋を伸ばして廊下を歩き続けている。

「――」
「――」

 どちらも言葉を交わすことなく、閑散とした空気の中、職員室に向かって黙々と歩く。同じ空間にいるはずなのに、同じ空気を吸っていない――そんな感覚だった。

 けれど、その方が俺的には助かった。

 俺は更科さんの一歩ほど後ろを、ゆっくりと歩く。歩きながら、ふと窓に目を向けた。青い空に、真っ白な入道雲が、絵画のように描かれていた。

 授業中の校舎というのは、どうしてこんなにも静かなのだろうか。聞こえるのは、先生の声、黒板とチョークが触れる音、自習中で生徒同士で騒いでいる教室もある。
 いつもその中にいることが当たり前の風景に、俺は一歩外から触れる。こういう時、普段と違った感情で見れるのが、どこか面白かった。優越感とも興奮とも違う、なんとも言えない想いがこみ上げている。

 しかし、その考えを強制的にシャットダウンさせるように、眩く差し込む太陽の光が視界を覆う。そして、その太陽独特の温かさは、どこか眠気を誘って来る。
 俺は大口を開けて欠伸をした。気が抜けているのか、欠伸と共に間抜けな声も漏れる。

 ふと前を歩く更科さんの姿を目に移す。更科さんは、俺のことを気にすることなく、堂々と歩いていた。

 更科さんの後ろ姿も凛々しく美しかった。太陽の光が、より更科茉莉という存在を映えるように演出している。
 こういう姿を見ると、やはり人々の噂通り、大和撫子という言葉が似合うと実感する。

 それなのに、昨日の出来事は何だったのだろうか。今更科さんに迫られたことを思い出そうとしたら、冷や汗一つまで鮮明に思い出すことが出来る。

 ――あの姿が、更科茉莉の本当の顔だということだろうか。

 悩んでも仕方ない。聞くには今が絶好のタイミングだ。

「あの、更科さん!」

 女子となかなか話す機会のない俺は、少し声が上擦る。
 更科さんは俺の方を振り向かずに立ち止まった。

「き、昨日のことなんだけどさ」

 俺は緊張しているのか、更科さんの後ろ姿を直視することが出来ず、下を向く。

「ちょっと聞きたいことが――」
「諏訪君?」

 俺の言葉は、初めて聞く更科さんの声音によって遮られた。いつもの人当たりの良い声と昨日の敵対心丸出しの声のちょうど中間くらいの声域だ。でも、どこか他を圧倒させるような威圧の籠った声だった。

 俺は名前を呼ばれたこともあり、下に向けていた顔を上へと向ける。

 いつの間にか振り向いていた更科さんは、笑顔だった。しかし、その笑顔は完璧に作られた笑顔だ。逆に怖い。

「今日の放課後って空いているかしら? ちょっと付き合ってもらっても――、いい?」

 そして、その目も少し本気だ。昨日の出来事が、走馬灯のように頭を過ぎる。断ったら、どうされるかは分からない。

「あ、はい」

 俺は気圧されて、了承の言葉を出すことしか出来なかった。

 ――そして、その後の更科さんが、男子でも一人で持つのは難しそうな量の資料を軽々と持ち上げてしまったのに対し、俺は申し訳程度にしか資料を持たなかったのは、言うまでもない。
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