英雄の弾丸

葉泉 大和

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1-24 民を守る者

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 人々もリッカの視線を追うと、空に何かいることに気付き、悲鳴を上げ始めた。敵に直接襲われるかもしれないという恐怖が人々の心を占め始める。
 リッカの傍にいる人々はリッカに向かって何か叫ぶが、リッカはその言葉を聞いていなかった。
 前のように自分の殻に塞ぎ込んだからではない。

 ――あまりに集中しているせいで、何も耳に入ってこなかったのだ。

「はっ!」

 集中力を最大限に発揮しているリッカは、空中にいる敵の動きを見極めると、腰にある鞭を手に取り空に向かってしならせた。しかし、敵は空中だというのに、軽やかな動きをしながら躱した。
 そして、敵はリッカの真上から、人々の真上へと移動した。敵はそのまま落下を始める。
 リッカは敵を追おうとするが、人々が押し寄せていることでこれ以上前へ進むことは出来なかった。

 ――やばい。

 その言葉がリッカの脳裏に過ぎった。
 敵の位置は既にリッカの鞭では届かない場所にある。それに加え、人々が密集しているため、これ以上先に進むことは出来ない。
 恐らく、敵は人々の真ん中に着陸し、無力な人々をその手で襲い始めるだろう。そうしたら、この場所は血の海と変わり、戦場と化してしまうだろう。

 まさに絶体絶命だ。

 しかし、この状況の中でもリッカの目は死んでいなかった。
 まだ活路があると信じていた。ここでリッカが諦めたら、この場を守れる者は誰もいない。
 一か八か、リッカはその場で跳躍をした。そして、リッカは鬼気迫る思いで鞭をしならせた。
 リッカの想いに応えるように、その時風が吹いた。向かい風だ。
 敵は風に煽られ、リッカの方へと引きつけられるように近づいて来た。敵の表情が焦りの表情へと変わっていく。

「やぁぁ!」

 この距離なら捉えられる。そう確信すると、リッカは叫び声を上げながら、鞭を振る手に力を込める。鞭のしなる勢いが、更に増した。
 しかし、その思いは虚しく、敵は寸前のところで躱した。敵は躱したことを確認すると、ニヤリと口角を上げ、再びリッカから離れた。
 先ほどは人々の丁度真ん中に来る位置だったが、今度はもっと更に奥――人々の群れの後尾まで移動していた。
 そこまで離れられてしまったら、さすがにリッカもお手上げだった。悔しさのあまり、歯を食いしばる。
 敵は勝利を確信しているのか、笑い声を上げている。

 リッカは人が集まっていないオリエンス支部の入口に華麗に着陸すると、その勢いを殺さずに人々の間を掻い潜ろうとした。
 恐らく、敵の着陸までに、この集まりの後方まで行くのは不可能だ。それでも、被害を最低限に留めるためには、今移動しなければならなかった。

「リッカ様ァ! 最後まで諦めない、その心ォッ! お見事です!」

 リッカが人波を縫って進もうとした時だった。
 爆轟のように大きな声が、人々の後ろから響き渡り、この場を占めた。人々は思わず耳を塞ぐ。リッカも同様だ。
 敵の笑い声は一瞬にしてかき消されてしまった。
 しかし、この場違いに大きな声は、嫌らしい感じはしない。味方には頼もしく、敵には恐ろしく響く声だ。
 この声は、半月ほど前に嵐のようにオリエンスにやって来て、何かしらの形で人々の印象に刻まれている存在から発せられている。
 敵以外のここにいる人たちは、もうすでにその正体が分かっていた。

「後は、オリエンス支部長であるクレイ・ストルフにお任せください!」

 再び爆轟が響き渡るかと思うと、すでに空中には二つの影があった。
 一つは敵。もう一つは――、今まさに名乗りを上げたクレイだ。

 クレイは空中で敵の服を掴むと、勢いを殺さずに綺麗な放物線を描きながら、リッカがいるオリエンス支部の入口まで跳んできている。敵は抵抗も何も出来ず、ただジタバタともがくだけだ。
 この戦いの勝敗はもう目に見えていた。そもそも「戦い」と呼べるほどに二人の実力は拮抗していない。クレイは全力を一切出していないのだ。
 それほど、クレイ・ストルフという人物は実力を備えていた。

「うぉぉぉ!」

 クレイの雄叫びが聞こえる。大地を割らんとばかりに、怒号が空から降ってくる。
 その声がリッカの近くに勢いよく近づいて来ていた。クレイの跳躍が終わろうとしているのだ。敵は頭を地面に向くように固定されながら、風の抵抗に耐えられないでいた。敵はいつの間にか、もがくことさえも止めている。

 しかし、ここで問題が一つだけある。

 地面が近づいて来ているというのに、クレイの勢いは全く止まらないのだ。まるで、この勢いのまま着陸し、その手で掴んでいる敵を地面に叩きつけるかのようである。
 そうしたら、敵は紛れもなく絶命するだろう。

「クレイさん――っ!」

 リッカはそうなることを阻止しようと、クレイに向けて声を張った。世界政府の人間が、敵の悪事を止めるために、命までも奪ってはいけない。一般人でさえも、敵を殺さずに解決するのに――だ。
 リッカの声が耳に入ったのか、クレイはリッカの方を見ると、顔をしわくちゃにしながら笑った。全てを分かっているかのようだ。

 敵の頭が先に地面に着くまで、残り五メートル。

 クレイは空中で器用に自身の足が先に地面に着くような態勢に変え、敵を掴んでいる手は上に向かって伸ばした。敵はクレイに服を掴まれた状態で、体がくの字に引っ張られている。

 そして、その態勢のままクレイが先に着地した。
 クレイが着地すると、あまりの勢いで落下して来たために、地面に衝撃が走り、一種の地震のように揺れた。近くにいた人々は、その衝撃で仰け反ってしまう。リッカも足に意識を向けていなければ、同じようになっていたかもしれない。
 当のクレイ本人は動きを止めることなく、その勢いのまま、敵を掴んでいる手を振り下ろした。その速さは、落下していたことも相乗して、見えないほどだった。
 その危険性は、敵自身が一番身に沁みるほど感じているだろう。変わりゆく視界の中、敵は死を覚悟していた。

「おおおお!」

 クレイは叫びながら、地面に向かって敵を叩きつけた。それにより、クレイの周りの地面は、全方位に亀裂が入る。何も知らない人が見たら、地割れが起こったのかと錯覚するほどだった。
 叩きつけられた敵は、声も上げず、身動き一つも取らずにいた。
 オリエンス支部一帯は静寂に包まれた。恐怖に溺れていた人々も、微動だにしない敵の末路を案じてか、声を失っていた。

 それもそうだろう。目の前で人が亡くなるということは、誰にとっても気分のよいものではない。それが、敵だとしても、だ。

 誰も動かない状況の中、リッカはゆっくりとクレイに歩み寄った。
 その先の展開を知っているかのように、堂々とした歩き方だった。

「――クレイさん」
「がはっ!」

 リッカがクレイに声を掛けた時だった。
 動く気配がなかった敵は、思い出したかのように、突如血を吐き出した。あまりの速さに、意識も体もついていけなかったのだ。敵の吐き出した血は、地面やクレイの服に飛び散った。
 意識が目覚めた敵は、横に倒れながら苦しそうにもがいていた。ひとまず、敵に息があることは確認が取れた。人々の中から、ホッとする声が漏れ出した。
 しかし、クレイはまだ敵の方に意識を向けていた。勝負が決まっているとはいえ、クレイは一切油断を見せることはしない。

「……まだ、続けるか?」

 幾度の経験を積んできた者だけが出せる気迫が、その短い一言に込められていた。クレイは、あまりにも敵と年季が違っていた。

「げほげほ!」

 上手く言葉を発することが出来ない敵は、弱々しく首を振った。完全に戦意を喪失してしまっている。
 クレイは深く息を吐くと、人々の方に視線を向け、

「人々の生活を守ることが世界政府の役目なのに、私たちが足りないせいで、この騒ぎを未然に防ぐことが出来ずに申し訳ない! そのせいで、皆さんを一か月もの間、無意味な苦しみを味わわせてしまった……」

 大きな声を張って、クレイは勢いよく頭を下げた。人々の中には、突然のクレイの謝罪に戸惑っている者もいる。場が少しずつ騒然とし始めた。

 半月ほど前にオリエンス支部に配属されたばかりで、しかも、その時期もカペルがオリエンスを牛耳るようになった後だったというのに、クレイは全ての責任を感じていたのだった。

「ですが!」

 下げた頭を戻したクレイは、言葉を続ける。前を見つめる瞳には、一切の後ろめいた感情はない。
 短くはあったが、そのクレイの声により、人々の気が引き締まった。
 クレイの言葉一つ一つの人々に与える影響は、計り知れなかった。

「私たち世界政府が、必ずオリエンスの平和を取り戻してみせます! だから……、どうか信じて待って頂けないでしょうか?」

 クレイは再び頭を下げた。
 人々は目を見開いてクレイのことを見つめた。クレイの一番近くにいるリッカも、動揺を隠せない。

 世界政府の人間が、一般人に対して信じて欲しいという事例はあまりなかった。世界政府は一般人にとって頼るのが当然の存在だからだ。それを、わざわざ信じて欲しいと言葉に出されては、対応の仕方も困るところだろう。

 人々は呆然としたままだったが、クレイは頭を下げるのを止めなかった。
 最初はクレイにどう反応していいか分からない様子だったが、次第に人々は、お互いに様子を探るように顔を見合わせるようになった。やがて、人々は頷き出し、拍手がちらほらと生まれ始めた。
 そして、ついにはこの場は拍手と歓声に包まれた。

 クレイを――世界政府を認めることの意思表示だ。

「ありがとうございます! 絶対、その期待に応えてみせます!」

 人々の拍手喝采に応じるように、クレイは胸に手を当てていた。
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