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1-32 闇をかき消す光
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「……ッ」
クルムは後転をしながら、突然地面から噴き出した煙との距離を空ける。カペルに追撃をする意志はないのか、その場でクルムの動向を見つめていた。――何か企んでいる不穏な表情を浮かべて。
「ゴホッ!」
クルムの咳と共に、地面に血が飛び散った。クルムは自分の口元を手の甲で拭う。しかし、続けて血を吐いてしまうため、拭っても意味はなかった。
カペルはクルムが血を吐くのを見ると、愛しむような笑顔を浮かべた。
「ハハハ! ようやくお前にダメージというダメージを与えられたなァ!」
カペルの笑い声を聞きながら、クルムはまだ咳き込んでいた。煙が体内の隅から隅まで巡っている感覚に襲われる。
「カプネ・モルテは、毒の煙を出す魔技だ。少量だけ吸っても、毒が体の血液と共に一度だけ循環する」
カペルが言った通り、カプネ・モルテとは毒の煙を出す魔技だ。
靄に覆われた剣を地面に突き刺すことで、靄に地面の中に存在する毒素を触発させ、毒性を持った煙を外に現す。そして、この毒の煙を相手が吸うと、煙を介して体中に毒の要素を一度だけ巡らせる。一度循環し終わると、体の中に入った毒は自然に消滅してしまう。
この煙を少量だけ吸ったならば、正直なところ、命を落とすことはない。しかし、相手の体内から毒が消えた瞬間を見計らって、カプネ・モルテを食らわせれば、じわじわと相手をいたぶることが出来る。
また多量の煙を一度で相手に吸わせれば、容易に命を奪うことが出来る。
まさに、相手を苦しめる用途を様々に生み出せる技なのだ。
加えて、カプネ・モルテには地面の毒素を介さずとも、毒を生み出す方法が存在する。
「痛いだろ? 苦しいだろ? 泣き叫びたいだろう?」
カペルはクルムの血を吐く姿を見ながら、恍惚とした笑みを浮かべている。
しかし、唐突にその笑みは止まり、カペルは真顔となった。
「でも、まだまだこんなものじゃ済まさない。英雄シエル・クヴントの力をもって、地獄の苦痛を味わわせてやる!」
カペルはそう叫ぶと、剣を地面から抜き、クルムに急接近する。
まだ毒が抜けきっていないクルムは、手で血を拭うも、ふらふらとしていた。
「こ、れが……英、雄の……ちか、ら……?」
肩で息をするクルムの言葉は、途切れ途切れだった。
「ああ、そうだ! これこそシエル・クヴントが俺に授けてくれた英雄の力! さァ、こいつで楽にしてやる!」
カペルはクルムの心臓に向かって、剣を思い切り突き上げる。
しかし、クルムは臆することなくカペルに一歩接近することで、カペルの剣が心臓に貫くのを阻止した。カペルの剣は、深くクルムの腹部に刺さる。
カペルは予想と違うところを攻撃してしまったことに不快な顔を浮かべ、大きく舌打ちをした。
「狙いが外れたか……。だが、これでお前の体を介して、カプネ・モルテを食らわせてやる!」
カプネ・モルテの地面を介さずに毒を出す方法。
それは、直接相手に剣を刺し、人体の中にある毒素に直に働きかける方法だ。煙とは比べ物にならないくらい、毒の強度が強い。
ちなみに、カプネ・モルテを心臓で出したなら、心臓を永遠に毒が循環する臓器へと変えることも出来る。
「ハハハ! これで終わりだッ!」
カペルが剣に力を入れているのが、クルムには体の中心を通じて感じ取れた。しかし、感じ取れたとしても、クルムの体は毒が抜けきっておらず、抵抗することは出来ない。
カペルは笑い続けている。
しかし、いつまで経っても、クルムの体の中に毒が侵入してくる感覚は襲ってこなかった。
「……」
いつの間にか、カペルの笑い声は消えていた。剣を握る手には力が込められているはずなのに、魔技を発動させる気配はなかった。
クルムの体の中から、最初に受けた毒が抜けていく。
「……なん……で、だ」
カペルは震える声で呟く。カペルの表情は、信じられないものを前にしているかのようだ。
「なんで、お前は、そこまで……」
カペルはその先の言葉を出せなかった。
自ら宣言した言葉――誰も傷つけないという言葉を、クルムは守り続けている。自分が死の間際にいる状況だとしても、裏切らない。
それが、カペルには信じ難かった。
カペルの言わんとしていることを悟ったのか、クルムは痛みなんて微塵も感じていないような表情で、ありのままの笑みを浮かべ、
「この世界に一人しかいないあなたを救うため――」
嘘偽りのない言葉をカペルに向けて伝えた。
クルムのその言葉は、カペルの頭で理解出来る許容量を遥かに超えていた。信じられないと言いた気に目を見開いているカペルを見て、クルムはふっと笑った。
「あなたはシエル・クヴントを知っていますか?」
腹に剣が突き刺さっているというのに、クルムの声は優しく、温かで、穏やかだった。
カペルの目の前にいるクルムが、一瞬だけ英雄シエル・クヴントの姿に重なって、カペルの瞳に映し出された。
「――ッ。……ああ、知っているさ! なんて言ったって、俺がシエルそのものだからなァ!」
そのことを認めたくなくて、カペルはあえて大声で叫んだ。
カペルを絶望の淵から救ったのは、カペルの心の中で生きるシエルだ。断じてクルムではない。
もし、クルムからシエルを感じたことを認めてしまえば、カペルが今までシエルとして行動してきたことが無駄になってしまう。
また裏切りに裏切りを味わう生活に逆戻りだ。
「……質問を変えましょう。あなたはシエル・クヴントが本当に人々のことを救った英雄だと認めていますか?」
「……」
クルムの質問に対し、カペルは黙った。
カペルはシエル・クヴントのことを認めていた。だからこそ、心の中でシエルが語りかけた時、受け入れることが出来た――はずだ。
しかし、今となっては言葉が出せなかった。出したいと願っているのに、言葉を出そうとすると、声が、心が鎖に引っ張られて出せない。そんな感覚だ。
シエルを否定する言葉や自分がシエルだということなら言えるのに、クルムが語るシエル・クヴントについては認めることが出来なかった。
カペルの心に、靄が渦巻き出す。
分からない。何が正しいのか、シエルが何者なのか分からない。
一つだけカペルが言えることは――。
「本当にいるのなら、最初から俺をあんな目に遭わせなかったはずだ!」
思い切り声を出したカペルは、息を荒げていた。
カペルの言葉を聞くと、クルムは下を向いた。どんな表情をしているのかは、陰に隠れて見えない。しかし、すぐにクルムは顔を上げると、
「やはり、あなたはシエル・クヴントについて何も知らない。だから、あなたの中に悪魔がやって来るんです」
「……っ! お前だってシエルの名を使って裏切られただろう! お前と俺は変わらない!」
カペルはクルムの言葉をすぐに否定する。自分の中に悪魔がいると認めたくないカペルは、自らに向かう矛が逸れるように、クルムのことを詰責し始めた。
クルムが動じることを狙ったのだ。
正直なところ、カペルはクルムがシエル・クヴントの名前を使っていた時のことをよく知らない。けれども、クルムは人々に裏切られたという事実だけは知っている。
だから、この話を持ち出せば、多少なりとも揺れるだろうとカペルは考えた。まるで、自分のように。
しかし、カペルの思惑は外れた。
「僕とあなたは全然違います。僕はあなたの過去を知らないから、安易に言うことは出来ません。でも――」
クルムは一切動じることなく、堂々とした姿で答える。その姿は、全てのことを受け入れ、立ち直った者が見せられる姿だった。
カペルはクルムの前から逃走したい思いに駆られた。
クルムの姿があまりにも輝いて見え、クルムが次に言おうとする言葉がカペルにとって毒であることが予想ついているからだ。
「あなたは裏切られた悲しみを知っていながら、人々のことを裏切った」
カペルはクルムの腹から剣を抜くと、一歩、二歩と後ろに下がっていった。空いている左手で、頭を押さえるものの、カペルの頭は左右に揺れて動く。
カペルは自分の視界が崩れていくのを肌に感じていた。
「あなたには辛いことかもしれませんが、何度だって言います。あなたをシエル・クヴントだと信じる人を、利用するだけ使用して裏切りました。あなたはそのことを認め、立ち――」
「だから何だ! 人はどうせ裏切るに決まっているッ!」
クルムの言葉をかき消すように口を挟むカペルは、自分を正当化させるように開き直っているようだった。
「そんなことはありません。ひどい仕打ちを受けたとしても、最後まで信じてくれる人はいます。だから――」
「もういい! お前の理想像にはうんざりだ!」
口調を変えずに話し続けるクルムを遮り、カペルは悲痛を受けているような声を上げる。もうカペルは聞く耳を持とうとしていなかった。
両手で剣を掴み、カペルは思い切り突きを放つ。
靄が剣の切っ先に集中している。今まで一番の質であり量だ。
カペルの全てを掛けた切っ先の行方は、目の前にいるクルムだ。
クルムは動じる様子を見せず、すべての運命を受け入れるかの如く、ただ立ってカペルのことを見つめる。
しかし、その時、クルムの口元が微かに動き、五文字で構成される単語が綴られたのを、カペルは見逃さなかった。
それでも、カペルは剣を止めることはせず、全ての迷いを断ち切るようにクルムに剣先を向けた。
「これで! 全部終わりだァ! カプネ・モル――」
「――カペルッ!」
カペルが魔技を発動させようとした時、魔技の名前を遮るように、カペルの名前を呼ぶ声が響く。聞き覚えのある声で、聞き覚えのない呼び方が聞こえたのだ。
その声が聞こえたことで、カペルは剣の突きを止めた。あと一歩でも多く踏み込んでいたなら、クルムの心臓は貫かれていただろう。
剣を握る力を緩め、カペルは声の聞こえた方向を見つめた。
「ハワード、トバス……」
そこにいたのは、カペルが裏切ったはずの人々だった。リッカや少年もその隣にいる。
――裏切り者が自ら罰を受けに来た!
そう思って、カペルは斬るために、人々の方に走った。――以前のカペル、少なくともクルムに出会う前のカペルだったならそうしたはずだ。
しかし、カペルの視線は人々に釘付けにされ、体も動かない。
力はカペルの方がある。その差は歴然だ。カペルが動けば、簡単に彼らの命を奪うことができるだろう。裏切り者は粛清する――、それを行使するための力がカペルには備わっていることは、彼らには痛いほど十分示した。
だからこそ、カペルには彼らがここにいる理由が理解できなかった。
何故、あそこまで酷い目に遭いながらも、この場所にいるのだろうか。今カペルの目の前に姿を出したら、再び利用されるだけ利用されるのは明白だ。最悪の場合、命を失うことだって彼らには分かっているはずだ。
このオリエンスの現状を見れば誰にだって、自分はカペルに裏切られたとすぐに分かる、はずなのに――。
――その目はなんだ……?
彼らの瞳には決心が籠っているのか、一切迷いが混じられていなかった。真っ直ぐにカペルのことを見つめている。
その彼らの堂々とした姿に耐えきれなくなり、ついにカペルは真っ直ぐに人々を凝視することが出来なくなった。
――俺は、あいつらのことを駒としてしか見ていなかった。あいつらの想いを踏みにじり……裏切った。
焦りと動揺の汗が、カペルの頬に伝ってくる。
カペルは言葉を発することが出来なかった。カペルの心は、目の前にいるクルムではなく、遠くにいる自らが裏切った人々にただただ注がれていた。
そこにいるのは、裏切っても裏切っても、信じてくれる人。
――ないと思い続けたものは、心の奥底で追い続けたものは、こんなに近くにあった。
誰よりも否定し続けたはずのカペルの心に、そんな想いが芽生え始める。
その時、クルムの懐が明るく光った。
クルムは懐に右手を入れ、光源となっている存在を取り出し、外に露わにした。
その光は、クルムが持っている黄色い銃の銃口から出ていた。辺り一帯が、明るい光に包まれる。
「……っ」
光を見つめていたリッカの胸に温かいものが込み上げていた。初めて見るはずなのに、どこか懐かしく感じる。
リッカが鼻を啜る隣で、少年も同じようにクルムの銃から発せられている光を見つめている。
――この銃口に明かりが灯らないということは、まだ足りていない何かが……。
銃口から出ている光を見て、少年の中でクルムが言っていたことが甦った。
「――来る」
銃口が光ったということは、カペルに届くための条件が満たされたということだ。
何が満たされたのか、これから何が起こるのか、少年には分からない。しかし、このオリエンスを取り巻く全てが解決へと向かうことは直感できた。
リッカは少年の声を聞くと、少年の方に顔を向けた。この先の出来事を一瞬も逃さないと言わんばかりの少年の横顔を見ると、リッカも再びクルムに目を向け、その動向を見守ることにした。
明るい光が灯っている銃口を見つめながら、クルムはにこりと微笑んだ。
そして――、
「知っていますか? 心優しかった彼は――。シエル・クヴントは、悪魔も退治していた」
全員の心に響くような優しい音を奏でながら、血に塗れた両手で黄色い銃を構えると、クルムはカペルの頭を目がけて、闇夜を照らす星のように輝く弾丸を放った。
クルムは後転をしながら、突然地面から噴き出した煙との距離を空ける。カペルに追撃をする意志はないのか、その場でクルムの動向を見つめていた。――何か企んでいる不穏な表情を浮かべて。
「ゴホッ!」
クルムの咳と共に、地面に血が飛び散った。クルムは自分の口元を手の甲で拭う。しかし、続けて血を吐いてしまうため、拭っても意味はなかった。
カペルはクルムが血を吐くのを見ると、愛しむような笑顔を浮かべた。
「ハハハ! ようやくお前にダメージというダメージを与えられたなァ!」
カペルの笑い声を聞きながら、クルムはまだ咳き込んでいた。煙が体内の隅から隅まで巡っている感覚に襲われる。
「カプネ・モルテは、毒の煙を出す魔技だ。少量だけ吸っても、毒が体の血液と共に一度だけ循環する」
カペルが言った通り、カプネ・モルテとは毒の煙を出す魔技だ。
靄に覆われた剣を地面に突き刺すことで、靄に地面の中に存在する毒素を触発させ、毒性を持った煙を外に現す。そして、この毒の煙を相手が吸うと、煙を介して体中に毒の要素を一度だけ巡らせる。一度循環し終わると、体の中に入った毒は自然に消滅してしまう。
この煙を少量だけ吸ったならば、正直なところ、命を落とすことはない。しかし、相手の体内から毒が消えた瞬間を見計らって、カプネ・モルテを食らわせれば、じわじわと相手をいたぶることが出来る。
また多量の煙を一度で相手に吸わせれば、容易に命を奪うことが出来る。
まさに、相手を苦しめる用途を様々に生み出せる技なのだ。
加えて、カプネ・モルテには地面の毒素を介さずとも、毒を生み出す方法が存在する。
「痛いだろ? 苦しいだろ? 泣き叫びたいだろう?」
カペルはクルムの血を吐く姿を見ながら、恍惚とした笑みを浮かべている。
しかし、唐突にその笑みは止まり、カペルは真顔となった。
「でも、まだまだこんなものじゃ済まさない。英雄シエル・クヴントの力をもって、地獄の苦痛を味わわせてやる!」
カペルはそう叫ぶと、剣を地面から抜き、クルムに急接近する。
まだ毒が抜けきっていないクルムは、手で血を拭うも、ふらふらとしていた。
「こ、れが……英、雄の……ちか、ら……?」
肩で息をするクルムの言葉は、途切れ途切れだった。
「ああ、そうだ! これこそシエル・クヴントが俺に授けてくれた英雄の力! さァ、こいつで楽にしてやる!」
カペルはクルムの心臓に向かって、剣を思い切り突き上げる。
しかし、クルムは臆することなくカペルに一歩接近することで、カペルの剣が心臓に貫くのを阻止した。カペルの剣は、深くクルムの腹部に刺さる。
カペルは予想と違うところを攻撃してしまったことに不快な顔を浮かべ、大きく舌打ちをした。
「狙いが外れたか……。だが、これでお前の体を介して、カプネ・モルテを食らわせてやる!」
カプネ・モルテの地面を介さずに毒を出す方法。
それは、直接相手に剣を刺し、人体の中にある毒素に直に働きかける方法だ。煙とは比べ物にならないくらい、毒の強度が強い。
ちなみに、カプネ・モルテを心臓で出したなら、心臓を永遠に毒が循環する臓器へと変えることも出来る。
「ハハハ! これで終わりだッ!」
カペルが剣に力を入れているのが、クルムには体の中心を通じて感じ取れた。しかし、感じ取れたとしても、クルムの体は毒が抜けきっておらず、抵抗することは出来ない。
カペルは笑い続けている。
しかし、いつまで経っても、クルムの体の中に毒が侵入してくる感覚は襲ってこなかった。
「……」
いつの間にか、カペルの笑い声は消えていた。剣を握る手には力が込められているはずなのに、魔技を発動させる気配はなかった。
クルムの体の中から、最初に受けた毒が抜けていく。
「……なん……で、だ」
カペルは震える声で呟く。カペルの表情は、信じられないものを前にしているかのようだ。
「なんで、お前は、そこまで……」
カペルはその先の言葉を出せなかった。
自ら宣言した言葉――誰も傷つけないという言葉を、クルムは守り続けている。自分が死の間際にいる状況だとしても、裏切らない。
それが、カペルには信じ難かった。
カペルの言わんとしていることを悟ったのか、クルムは痛みなんて微塵も感じていないような表情で、ありのままの笑みを浮かべ、
「この世界に一人しかいないあなたを救うため――」
嘘偽りのない言葉をカペルに向けて伝えた。
クルムのその言葉は、カペルの頭で理解出来る許容量を遥かに超えていた。信じられないと言いた気に目を見開いているカペルを見て、クルムはふっと笑った。
「あなたはシエル・クヴントを知っていますか?」
腹に剣が突き刺さっているというのに、クルムの声は優しく、温かで、穏やかだった。
カペルの目の前にいるクルムが、一瞬だけ英雄シエル・クヴントの姿に重なって、カペルの瞳に映し出された。
「――ッ。……ああ、知っているさ! なんて言ったって、俺がシエルそのものだからなァ!」
そのことを認めたくなくて、カペルはあえて大声で叫んだ。
カペルを絶望の淵から救ったのは、カペルの心の中で生きるシエルだ。断じてクルムではない。
もし、クルムからシエルを感じたことを認めてしまえば、カペルが今までシエルとして行動してきたことが無駄になってしまう。
また裏切りに裏切りを味わう生活に逆戻りだ。
「……質問を変えましょう。あなたはシエル・クヴントが本当に人々のことを救った英雄だと認めていますか?」
「……」
クルムの質問に対し、カペルは黙った。
カペルはシエル・クヴントのことを認めていた。だからこそ、心の中でシエルが語りかけた時、受け入れることが出来た――はずだ。
しかし、今となっては言葉が出せなかった。出したいと願っているのに、言葉を出そうとすると、声が、心が鎖に引っ張られて出せない。そんな感覚だ。
シエルを否定する言葉や自分がシエルだということなら言えるのに、クルムが語るシエル・クヴントについては認めることが出来なかった。
カペルの心に、靄が渦巻き出す。
分からない。何が正しいのか、シエルが何者なのか分からない。
一つだけカペルが言えることは――。
「本当にいるのなら、最初から俺をあんな目に遭わせなかったはずだ!」
思い切り声を出したカペルは、息を荒げていた。
カペルの言葉を聞くと、クルムは下を向いた。どんな表情をしているのかは、陰に隠れて見えない。しかし、すぐにクルムは顔を上げると、
「やはり、あなたはシエル・クヴントについて何も知らない。だから、あなたの中に悪魔がやって来るんです」
「……っ! お前だってシエルの名を使って裏切られただろう! お前と俺は変わらない!」
カペルはクルムの言葉をすぐに否定する。自分の中に悪魔がいると認めたくないカペルは、自らに向かう矛が逸れるように、クルムのことを詰責し始めた。
クルムが動じることを狙ったのだ。
正直なところ、カペルはクルムがシエル・クヴントの名前を使っていた時のことをよく知らない。けれども、クルムは人々に裏切られたという事実だけは知っている。
だから、この話を持ち出せば、多少なりとも揺れるだろうとカペルは考えた。まるで、自分のように。
しかし、カペルの思惑は外れた。
「僕とあなたは全然違います。僕はあなたの過去を知らないから、安易に言うことは出来ません。でも――」
クルムは一切動じることなく、堂々とした姿で答える。その姿は、全てのことを受け入れ、立ち直った者が見せられる姿だった。
カペルはクルムの前から逃走したい思いに駆られた。
クルムの姿があまりにも輝いて見え、クルムが次に言おうとする言葉がカペルにとって毒であることが予想ついているからだ。
「あなたは裏切られた悲しみを知っていながら、人々のことを裏切った」
カペルはクルムの腹から剣を抜くと、一歩、二歩と後ろに下がっていった。空いている左手で、頭を押さえるものの、カペルの頭は左右に揺れて動く。
カペルは自分の視界が崩れていくのを肌に感じていた。
「あなたには辛いことかもしれませんが、何度だって言います。あなたをシエル・クヴントだと信じる人を、利用するだけ使用して裏切りました。あなたはそのことを認め、立ち――」
「だから何だ! 人はどうせ裏切るに決まっているッ!」
クルムの言葉をかき消すように口を挟むカペルは、自分を正当化させるように開き直っているようだった。
「そんなことはありません。ひどい仕打ちを受けたとしても、最後まで信じてくれる人はいます。だから――」
「もういい! お前の理想像にはうんざりだ!」
口調を変えずに話し続けるクルムを遮り、カペルは悲痛を受けているような声を上げる。もうカペルは聞く耳を持とうとしていなかった。
両手で剣を掴み、カペルは思い切り突きを放つ。
靄が剣の切っ先に集中している。今まで一番の質であり量だ。
カペルの全てを掛けた切っ先の行方は、目の前にいるクルムだ。
クルムは動じる様子を見せず、すべての運命を受け入れるかの如く、ただ立ってカペルのことを見つめる。
しかし、その時、クルムの口元が微かに動き、五文字で構成される単語が綴られたのを、カペルは見逃さなかった。
それでも、カペルは剣を止めることはせず、全ての迷いを断ち切るようにクルムに剣先を向けた。
「これで! 全部終わりだァ! カプネ・モル――」
「――カペルッ!」
カペルが魔技を発動させようとした時、魔技の名前を遮るように、カペルの名前を呼ぶ声が響く。聞き覚えのある声で、聞き覚えのない呼び方が聞こえたのだ。
その声が聞こえたことで、カペルは剣の突きを止めた。あと一歩でも多く踏み込んでいたなら、クルムの心臓は貫かれていただろう。
剣を握る力を緩め、カペルは声の聞こえた方向を見つめた。
「ハワード、トバス……」
そこにいたのは、カペルが裏切ったはずの人々だった。リッカや少年もその隣にいる。
――裏切り者が自ら罰を受けに来た!
そう思って、カペルは斬るために、人々の方に走った。――以前のカペル、少なくともクルムに出会う前のカペルだったならそうしたはずだ。
しかし、カペルの視線は人々に釘付けにされ、体も動かない。
力はカペルの方がある。その差は歴然だ。カペルが動けば、簡単に彼らの命を奪うことができるだろう。裏切り者は粛清する――、それを行使するための力がカペルには備わっていることは、彼らには痛いほど十分示した。
だからこそ、カペルには彼らがここにいる理由が理解できなかった。
何故、あそこまで酷い目に遭いながらも、この場所にいるのだろうか。今カペルの目の前に姿を出したら、再び利用されるだけ利用されるのは明白だ。最悪の場合、命を失うことだって彼らには分かっているはずだ。
このオリエンスの現状を見れば誰にだって、自分はカペルに裏切られたとすぐに分かる、はずなのに――。
――その目はなんだ……?
彼らの瞳には決心が籠っているのか、一切迷いが混じられていなかった。真っ直ぐにカペルのことを見つめている。
その彼らの堂々とした姿に耐えきれなくなり、ついにカペルは真っ直ぐに人々を凝視することが出来なくなった。
――俺は、あいつらのことを駒としてしか見ていなかった。あいつらの想いを踏みにじり……裏切った。
焦りと動揺の汗が、カペルの頬に伝ってくる。
カペルは言葉を発することが出来なかった。カペルの心は、目の前にいるクルムではなく、遠くにいる自らが裏切った人々にただただ注がれていた。
そこにいるのは、裏切っても裏切っても、信じてくれる人。
――ないと思い続けたものは、心の奥底で追い続けたものは、こんなに近くにあった。
誰よりも否定し続けたはずのカペルの心に、そんな想いが芽生え始める。
その時、クルムの懐が明るく光った。
クルムは懐に右手を入れ、光源となっている存在を取り出し、外に露わにした。
その光は、クルムが持っている黄色い銃の銃口から出ていた。辺り一帯が、明るい光に包まれる。
「……っ」
光を見つめていたリッカの胸に温かいものが込み上げていた。初めて見るはずなのに、どこか懐かしく感じる。
リッカが鼻を啜る隣で、少年も同じようにクルムの銃から発せられている光を見つめている。
――この銃口に明かりが灯らないということは、まだ足りていない何かが……。
銃口から出ている光を見て、少年の中でクルムが言っていたことが甦った。
「――来る」
銃口が光ったということは、カペルに届くための条件が満たされたということだ。
何が満たされたのか、これから何が起こるのか、少年には分からない。しかし、このオリエンスを取り巻く全てが解決へと向かうことは直感できた。
リッカは少年の声を聞くと、少年の方に顔を向けた。この先の出来事を一瞬も逃さないと言わんばかりの少年の横顔を見ると、リッカも再びクルムに目を向け、その動向を見守ることにした。
明るい光が灯っている銃口を見つめながら、クルムはにこりと微笑んだ。
そして――、
「知っていますか? 心優しかった彼は――。シエル・クヴントは、悪魔も退治していた」
全員の心に響くような優しい音を奏でながら、血に塗れた両手で黄色い銃を構えると、クルムはカペルの頭を目がけて、闇夜を照らす星のように輝く弾丸を放った。
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お供をするは、吊り目で小柄な見た目も中身も猫のように気まぐれな従者。
か○みよ、○がみ…ではないけれど、毒と美しさに翻弄される女性と立ち向かうお姫様なお話。
ハピエン大好き、自己満、ご都合主義な作者による作品です。
同名キャラで複数の作品を書いています。
立場やシチュエーションがちょっと違ったり、サブキャラがメインとなるストーリーをなどを書いています。
ところどころリンクもしています。
※小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿しています!
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※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
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