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2-05 いざこざ
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***
「ごめん、お待たせー」
宿屋の前で待っていたクルムとシンクに、扉から姿を現したリッカは両手を合わせながら合流した。
シエル教団の巡回によって普段の倍以上に人々が賑わうヴェルルの町中で、クルムとシンクは何やら楽し気に話していたが、リッカの声に二人は振り向くと、
「リッカ、遅いぞ。待ちくたびれて先に行くとこだった」
「全然待っていないので、気にしなくても大丈夫ですよ」
同時に真反対の言葉を紡いだ。
大人の対応を見せるクルムと、子供の反応を見せるシンク――そのやり取りは、リッカにはもう見慣れたものになっていた。
「僕の話は退屈でしたか? せっかくシンクが楽しめそうな話をしたのですが……」
腕を組みながら頬を膨らませるシンクに、御伽話にも似た作り話を語っていたクルムは眉を下げながら言った。
「べ、別にそこまで言ってねーよ。ま、まぁ、暇つぶしくらいにはなったかな」
そのクルムの言葉に、シンクは視線を上にずらしながら反応を見せた。その強い語調は、シンクが照れ隠しをする時によく用いられる。
「あはは、本当に二人は仲いいね。何の話をしてたの?」
「そうだな。話半分も聞けずに終わったけど、……あー、あれだ。そのー」
最初は堂々と話を始めようとしていたシンクだったが、自身も気付かない内にクルムの言葉を右から左へと受け流してしまったのだろう、言葉に詰まってしまった。次第に思い出せない自分に情けなくなったのか、シンクは歯を食いしばる。
シンクの様子を見て、クルムは困ったような笑みを浮かべると、
「まあ、その話は時間がある時にまたお話しするとして――。それより、リッカさん……良かったんですか?」
「ん? 何が?」
質問の意図が分からなくて、リッカは頭を傾げた。誇張を抜きにして、クルムに心配してもらえるようなことなんて、リッカには思い当る節が全くなかったのだ。
「世界政府とシエル教団は、あまり仲が宜しくないんでしょう?」
頭に疑問符を浮かべているリッカに、クルムは補足を付け加えた。
そこまで聞いてクルムが言いたいことを理解したリッカは、納得したように両手で音を鳴らす。
確かにクルムの言う通りだった。
この世界の三大勢力と称される世界政府とシエル教団は、どちらともダオレイスと密接に関わり、多大な影響を及ぼす組織だ。
それぞれの世界の役割として、世界政府は実質的にダオレイスを取り治め、シエル教団は英雄に関して厳しく取り締まっている。
そして、当然ながら彼らが抱く理念は異なるものだ。
簡単に一言で説明をするのならば、英雄が来れば世界は変わるというシエル教団と、自分たちで治めてこそ世界が変わるという世界政府――そのような理念の基、彼は行動している。
しかし、理念は異なれど、どちらの組織もダオレイスを良くするために活動していることに変わりはない。
そのはずなのに、互いにどこか相反する想いがあり、その思想が実際の団員たちにも影響が及び――、故に両者の関係は決して良いものとは言えない。
だから、世界政府の立場にあるリッカは、少なからずシエル教団の一員であるソマクを助けるのは抵抗があったはずだ。
だが、クルムの心配を余所に、緩やかな表情をリッカは見せた。
「あー、いいのいいの。この旅に出る時、一度立場を置いて生きようって決めたから。倒れている人がいたら……」
言い始めて、リッカは何かに思い至ったのか、言葉を止めて思案する。そして、「ううん」と呟きながら首を振ると、
「困っている人がいたら、誰であろうと助ける。それが、人としてあるべき姿でしょ?」
リッカは笑いながら、胸を張って堂々と答えた。
一瞬クルムは驚きに目を見開かせていたが、すぐに一本取られたと言いたいように、
「その通りですね……本当に」
優しく目を細めてそう言葉を紡いだ。
「――んじゃ、そろそろ出発しますか」
リッカは腕を伸ばすと、太陽の日差しを全身に浴びた。清々しい表情を見せている。
クルムはリッカの言葉にコクリと頷くと、
「さぁ、シンク。せっかくのヴェルル、堪能しに行きましょう」
シンクに言葉を掛け、前へと歩き出した。
ずっと頭を悩ませていたシンクは、急にクルムに声を掛けられて体を震わせる。
目の前にある中心部へと続く大通りは、人で溢れていて、すぐにでも追いかけないとクルムとはぐれてしまうだろう。
シンクは一度後ろを見つめた。後ろにいるリッカも、ちゃんと歩き出している。
「お……、おう! そうだな」
シンクは先行く背中に置いて行かれないように、早足でクルムの後について行く。クルムの隣を歩み出したシンクは、何か言いたそうにクルムのことを横目で幾度か盗み見ていた。
クルムはその視線の意味に気付いたから、
「僕は全く気にしていませんよ」
と、シンクに話をするきっかけをクルム自ら与えた。
目を見開かせるシンクは、何故気付いたのかと言いたそうだった。
そう――、シンクはクルムの話を覚えていなかったことを申し訳なく思っていたのだ。話を切り出すためのタイミングをクルムから窺い続けていた。
クルムはシンクが話を聞き過ごしてしまったことは、勿論そんなに気にしていない。だから、別に助け舟を出す必要はなかった。
しかし、人の話を大事にしようというシンクの心意気は素直に喜ばしいものだ。そのはずなのに、いつまでもシンクの心に後ろめたい感情を抱かせ続けてはいけない。
「また……話してくれる、のか?」
シンクはおずおずと尋ねて来る。
「ええ、もちろん。シンクが嫌だと言っても、話しますよ。僕が旅をして得た経験や聞いた話、そこに幼少期から今に至るまでの人生経験を織り交ぜると、無限に話が出てきますから」
クルムはシンクの心を解かすように、おどけた口調で言った。小さく口角を上げ、笑い声も漏らす。
シンクもつられて笑った。しかし、それでもシンクはまだ複雑そうな顔を浮かべたままだ。
クルムは一度肩をすくめてから、全てを包み込むような穏やかな表情を浮かべると、
「シンク、何か買ってあげましょうか?」
シンクの意識を別の方向に向けさせる荒業に出た。
「え! いいのか!?」
クルムの言葉に、シンクは純粋な反応を見せ、目を光らせた。
オリエンスにいた時以外の記憶がないシンクは、カペルという罪人に都合の良い僕のような扱いされていたため、物を買って貰うという経験が皆無だった。
だから、人から物を買って貰えることがシンクにはあまりにも嬉しかった。それも慕っている人間からだというのだから、その喜びは大きい。
クルムは片目を閉じ、約束を守るということを強調させる。
「ビオス平原は大人でも音を上げるほど大変な道なのに、シンクは最後まで行きましたから。だから、そのご褒美です」
「やった!」
シンクはその喜びを、拳を握りしめて表現した。クルムはその純粋なシンクの反応を見て、目を細める。
クルムの言葉は嘘偽りのない本音だ。だが、このように話を無理やりに変えたのには他にも理由がある。
物で釣る、という強引な手を使ってでも、クルムはシンクの考えの流れを断ち切りたかったのだ。ささやかなミスで失敗に塞ぎ込んでしまう思考のサイクルに、シンクには慣れて欲しくなかった。
今まで様々な経験をしてきたとは言え、まだシンクは幼い子供だ。今見て、聞いて、考えたことが、今後のシンク・エルピスという人間に強く影響を与える。
失敗した時に自分を否定的に捉える――という思考回路にしか至らなくなってしまったら、その先に見える希望をも閉ざしてしまうことになる。
シンクの将来のことを考えると、幼い頃からそのようなマイナス思考の渦を作っては欲しくなかった。
隣で目を輝かせながら指折り考えている幼い少年を見て、クルムは口を綻ばせて溜め息を吐いた。
「頑張ってよかった! 早速行こうぜ!」
クルムとシンクの視線の先は、人々や出店で賑わいを見せている。ここにはオリエンスでも見ることが出来なかったものが売っているはずだ。
期待に胸を膨らませたシンクが待ちきれずに足を一歩前に出した時――、
「ああっ!」
背後から素っ頓狂な大声が響き渡る。
クルムとシンクは、完全に人の波に混ざる前に、足を止めて振り返った。街行く人の中にも立ち止まり、声の主を見る人もいた。
そこには、リッカ・ヴェントの立ち尽くす姿があった。
自分が大声を出したことで注目されていることに気付いたリッカは、すぐに両手で口を隠し、見る見るうちに顔を赤くさせた。
クルムとシンクは顔を合わせると、同じタイミングで顔を傾げる。
先ほどまで普通だったのに、急に何があったのだろうか?
クルムとシンクは、駆け足でリッカに近づいた。周りでリッカに注目していた人々は、連れ合いが側にいるなら安全だろうと判断し、それぞれの道へと忙しなく歩み始めた。
「リッカさん。急に大きな声を出されていましたけど、何かありましたか?」
「その……世界政府のヴェルル支部に挨拶に行くの忘れてた……」
先ほどの大声とは打って変わって、リッカは二人にしか聞こえないくらいの小声で呟く。その表情には焦りの色が見えた。
「さっき世界政府は関係ないって話してなかったっけ?」
シンクもリッカにつられて小声で話す。
話を思い出そうと頭を悩ませている時も、どうやらシンクはクルムとリッカの話を聞いていたようだった。
「それでも妥協できないルールもあるの。後で何言われるか分からないんだから」
リッカは拗ねるように頬を膨らませると、思考をまとめるために指を唇に触れた。
ほんの少しの間、静かに考えたリッカは、
「……ゴメン、今から私ヴェルル支部に行ってくるね」
手を合わせて、片目を瞑りながら導き出した考えを言った。クルムとシンクは無言で頷く。この場で嫌とは誰も言えないだろう。
「ありがとう! 夕方までには終わると思うからよろしくね!」
二人から同意を得られたことにリッカは礼を言うと、ヴェルル支部へと走り始めた。
「また後で合流しましょう」
走り出したリッカに向けて、クルムは大声で言った。走っていたリッカは体をクルム達に向けると、後ろ走りをしながら手を大きく振る。嫌そうに言っていた割に、リッカの表情は満面の笑みだった。
そして、リッカは再び前を向き、人波の中に消えていった。
リッカが去った今、クルムとシンクを置いて、街行く人の喧騒とした声だけが空に響いていた。
「クルムは、その……何でも屋はいいのか?」
リッカがヴェルル支部に行くのを見送った後、シンクから話を始めた。その声音は様子を探るように慎重で、その紅い瞳も心配そうに潤んでいる。
「ええ、シエル教団の方がいますから、僕が自ら買って出なくても今日は大丈夫でしょう。道すがら困っている人がいたら勿論助けに行きますけどね」
シンクの想いが伝わったから、クルムは安心させるように語り掛けた。
シンクにとってオリエンスを発ってから初めての町――しかも、シエル教団の巡回によって多くの人が集っている状況だ。ここでシンクを一人にして、単独行動することは出来ない。
いや、そもそもシエル教団がヴェルルに滞在している今なら、無理をしてまで何でも屋として単独行動する理由がクルムにはなかった。
英雄の意志を引き継ごうとしている団体なら、困っている人の力になっている――はずなのだから。
「では、ヴェルルを探索しましょうか。さっきの約束通り、何でも買ってあげますよ。……まぁ、値段を考慮してもらえたら、すごく助かりますけどね」
「よっしゃー! さすがクルム」
クルムは最後に微笑を浮かべて話すと、繁華街に向かって歩き始めた。シンクは興奮を抑えきれないのか、すぐにクルムを追い越して人波へと駆け出して行く。
今いる場所は中心部から大分離れているというのに、目移りしてしまうほどたくさんの商店が並んでいた。シンクの心を掴むのには十分すぎるほどだ。
シンクは首を振って物色し、目に映る店へ片っ端から入り込もうとその小さな体を活かして、色々なところへと人垣を縫って走り出す。その動きは縦横無尽、まさに子供ならではの自由な動きだ。
そして、シンクの自由過ぎる行動によって、クルムの中で先ほどの想いが帳消しにされるほど嫌な予感が全身を廻る。
「シンク! そんな急がなくても――ッ!」
人波を颯爽と駆け抜けるシンクの姿を見失いそうになり、クルムは大声を上げてシンクを止めようとした。しかし、その声は虚しくも、ヴェルルの喧騒とした雰囲気へと溶け込んでしまう。シンクはクルムの声に気付かず、人波の中へどんどんと潜り込んでいった。
クルムはシンクに腕を伸ばそうとするものの、気付けばクルムとシンクの間には完全に人の隔たりが出来上がっており、それは叶わない。
こんな多くの人の中、更には人の数に比例するように広げられる店の中、シンクをどのように探せばいいのか。
加えて、シンクは今もクルムの心配に気付かないまま、夢中に走っている最中だろう。
ますますシンクの居場所を特定しにくくなるばかりだ。
クルムは頭に片手を押さえ、シンクの行動を読み切れなかったか自分を悔いた。
「ごめん、お待たせー」
宿屋の前で待っていたクルムとシンクに、扉から姿を現したリッカは両手を合わせながら合流した。
シエル教団の巡回によって普段の倍以上に人々が賑わうヴェルルの町中で、クルムとシンクは何やら楽し気に話していたが、リッカの声に二人は振り向くと、
「リッカ、遅いぞ。待ちくたびれて先に行くとこだった」
「全然待っていないので、気にしなくても大丈夫ですよ」
同時に真反対の言葉を紡いだ。
大人の対応を見せるクルムと、子供の反応を見せるシンク――そのやり取りは、リッカにはもう見慣れたものになっていた。
「僕の話は退屈でしたか? せっかくシンクが楽しめそうな話をしたのですが……」
腕を組みながら頬を膨らませるシンクに、御伽話にも似た作り話を語っていたクルムは眉を下げながら言った。
「べ、別にそこまで言ってねーよ。ま、まぁ、暇つぶしくらいにはなったかな」
そのクルムの言葉に、シンクは視線を上にずらしながら反応を見せた。その強い語調は、シンクが照れ隠しをする時によく用いられる。
「あはは、本当に二人は仲いいね。何の話をしてたの?」
「そうだな。話半分も聞けずに終わったけど、……あー、あれだ。そのー」
最初は堂々と話を始めようとしていたシンクだったが、自身も気付かない内にクルムの言葉を右から左へと受け流してしまったのだろう、言葉に詰まってしまった。次第に思い出せない自分に情けなくなったのか、シンクは歯を食いしばる。
シンクの様子を見て、クルムは困ったような笑みを浮かべると、
「まあ、その話は時間がある時にまたお話しするとして――。それより、リッカさん……良かったんですか?」
「ん? 何が?」
質問の意図が分からなくて、リッカは頭を傾げた。誇張を抜きにして、クルムに心配してもらえるようなことなんて、リッカには思い当る節が全くなかったのだ。
「世界政府とシエル教団は、あまり仲が宜しくないんでしょう?」
頭に疑問符を浮かべているリッカに、クルムは補足を付け加えた。
そこまで聞いてクルムが言いたいことを理解したリッカは、納得したように両手で音を鳴らす。
確かにクルムの言う通りだった。
この世界の三大勢力と称される世界政府とシエル教団は、どちらともダオレイスと密接に関わり、多大な影響を及ぼす組織だ。
それぞれの世界の役割として、世界政府は実質的にダオレイスを取り治め、シエル教団は英雄に関して厳しく取り締まっている。
そして、当然ながら彼らが抱く理念は異なるものだ。
簡単に一言で説明をするのならば、英雄が来れば世界は変わるというシエル教団と、自分たちで治めてこそ世界が変わるという世界政府――そのような理念の基、彼は行動している。
しかし、理念は異なれど、どちらの組織もダオレイスを良くするために活動していることに変わりはない。
そのはずなのに、互いにどこか相反する想いがあり、その思想が実際の団員たちにも影響が及び――、故に両者の関係は決して良いものとは言えない。
だから、世界政府の立場にあるリッカは、少なからずシエル教団の一員であるソマクを助けるのは抵抗があったはずだ。
だが、クルムの心配を余所に、緩やかな表情をリッカは見せた。
「あー、いいのいいの。この旅に出る時、一度立場を置いて生きようって決めたから。倒れている人がいたら……」
言い始めて、リッカは何かに思い至ったのか、言葉を止めて思案する。そして、「ううん」と呟きながら首を振ると、
「困っている人がいたら、誰であろうと助ける。それが、人としてあるべき姿でしょ?」
リッカは笑いながら、胸を張って堂々と答えた。
一瞬クルムは驚きに目を見開かせていたが、すぐに一本取られたと言いたいように、
「その通りですね……本当に」
優しく目を細めてそう言葉を紡いだ。
「――んじゃ、そろそろ出発しますか」
リッカは腕を伸ばすと、太陽の日差しを全身に浴びた。清々しい表情を見せている。
クルムはリッカの言葉にコクリと頷くと、
「さぁ、シンク。せっかくのヴェルル、堪能しに行きましょう」
シンクに言葉を掛け、前へと歩き出した。
ずっと頭を悩ませていたシンクは、急にクルムに声を掛けられて体を震わせる。
目の前にある中心部へと続く大通りは、人で溢れていて、すぐにでも追いかけないとクルムとはぐれてしまうだろう。
シンクは一度後ろを見つめた。後ろにいるリッカも、ちゃんと歩き出している。
「お……、おう! そうだな」
シンクは先行く背中に置いて行かれないように、早足でクルムの後について行く。クルムの隣を歩み出したシンクは、何か言いたそうにクルムのことを横目で幾度か盗み見ていた。
クルムはその視線の意味に気付いたから、
「僕は全く気にしていませんよ」
と、シンクに話をするきっかけをクルム自ら与えた。
目を見開かせるシンクは、何故気付いたのかと言いたそうだった。
そう――、シンクはクルムの話を覚えていなかったことを申し訳なく思っていたのだ。話を切り出すためのタイミングをクルムから窺い続けていた。
クルムはシンクが話を聞き過ごしてしまったことは、勿論そんなに気にしていない。だから、別に助け舟を出す必要はなかった。
しかし、人の話を大事にしようというシンクの心意気は素直に喜ばしいものだ。そのはずなのに、いつまでもシンクの心に後ろめたい感情を抱かせ続けてはいけない。
「また……話してくれる、のか?」
シンクはおずおずと尋ねて来る。
「ええ、もちろん。シンクが嫌だと言っても、話しますよ。僕が旅をして得た経験や聞いた話、そこに幼少期から今に至るまでの人生経験を織り交ぜると、無限に話が出てきますから」
クルムはシンクの心を解かすように、おどけた口調で言った。小さく口角を上げ、笑い声も漏らす。
シンクもつられて笑った。しかし、それでもシンクはまだ複雑そうな顔を浮かべたままだ。
クルムは一度肩をすくめてから、全てを包み込むような穏やかな表情を浮かべると、
「シンク、何か買ってあげましょうか?」
シンクの意識を別の方向に向けさせる荒業に出た。
「え! いいのか!?」
クルムの言葉に、シンクは純粋な反応を見せ、目を光らせた。
オリエンスにいた時以外の記憶がないシンクは、カペルという罪人に都合の良い僕のような扱いされていたため、物を買って貰うという経験が皆無だった。
だから、人から物を買って貰えることがシンクにはあまりにも嬉しかった。それも慕っている人間からだというのだから、その喜びは大きい。
クルムは片目を閉じ、約束を守るということを強調させる。
「ビオス平原は大人でも音を上げるほど大変な道なのに、シンクは最後まで行きましたから。だから、そのご褒美です」
「やった!」
シンクはその喜びを、拳を握りしめて表現した。クルムはその純粋なシンクの反応を見て、目を細める。
クルムの言葉は嘘偽りのない本音だ。だが、このように話を無理やりに変えたのには他にも理由がある。
物で釣る、という強引な手を使ってでも、クルムはシンクの考えの流れを断ち切りたかったのだ。ささやかなミスで失敗に塞ぎ込んでしまう思考のサイクルに、シンクには慣れて欲しくなかった。
今まで様々な経験をしてきたとは言え、まだシンクは幼い子供だ。今見て、聞いて、考えたことが、今後のシンク・エルピスという人間に強く影響を与える。
失敗した時に自分を否定的に捉える――という思考回路にしか至らなくなってしまったら、その先に見える希望をも閉ざしてしまうことになる。
シンクの将来のことを考えると、幼い頃からそのようなマイナス思考の渦を作っては欲しくなかった。
隣で目を輝かせながら指折り考えている幼い少年を見て、クルムは口を綻ばせて溜め息を吐いた。
「頑張ってよかった! 早速行こうぜ!」
クルムとシンクの視線の先は、人々や出店で賑わいを見せている。ここにはオリエンスでも見ることが出来なかったものが売っているはずだ。
期待に胸を膨らませたシンクが待ちきれずに足を一歩前に出した時――、
「ああっ!」
背後から素っ頓狂な大声が響き渡る。
クルムとシンクは、完全に人の波に混ざる前に、足を止めて振り返った。街行く人の中にも立ち止まり、声の主を見る人もいた。
そこには、リッカ・ヴェントの立ち尽くす姿があった。
自分が大声を出したことで注目されていることに気付いたリッカは、すぐに両手で口を隠し、見る見るうちに顔を赤くさせた。
クルムとシンクは顔を合わせると、同じタイミングで顔を傾げる。
先ほどまで普通だったのに、急に何があったのだろうか?
クルムとシンクは、駆け足でリッカに近づいた。周りでリッカに注目していた人々は、連れ合いが側にいるなら安全だろうと判断し、それぞれの道へと忙しなく歩み始めた。
「リッカさん。急に大きな声を出されていましたけど、何かありましたか?」
「その……世界政府のヴェルル支部に挨拶に行くの忘れてた……」
先ほどの大声とは打って変わって、リッカは二人にしか聞こえないくらいの小声で呟く。その表情には焦りの色が見えた。
「さっき世界政府は関係ないって話してなかったっけ?」
シンクもリッカにつられて小声で話す。
話を思い出そうと頭を悩ませている時も、どうやらシンクはクルムとリッカの話を聞いていたようだった。
「それでも妥協できないルールもあるの。後で何言われるか分からないんだから」
リッカは拗ねるように頬を膨らませると、思考をまとめるために指を唇に触れた。
ほんの少しの間、静かに考えたリッカは、
「……ゴメン、今から私ヴェルル支部に行ってくるね」
手を合わせて、片目を瞑りながら導き出した考えを言った。クルムとシンクは無言で頷く。この場で嫌とは誰も言えないだろう。
「ありがとう! 夕方までには終わると思うからよろしくね!」
二人から同意を得られたことにリッカは礼を言うと、ヴェルル支部へと走り始めた。
「また後で合流しましょう」
走り出したリッカに向けて、クルムは大声で言った。走っていたリッカは体をクルム達に向けると、後ろ走りをしながら手を大きく振る。嫌そうに言っていた割に、リッカの表情は満面の笑みだった。
そして、リッカは再び前を向き、人波の中に消えていった。
リッカが去った今、クルムとシンクを置いて、街行く人の喧騒とした声だけが空に響いていた。
「クルムは、その……何でも屋はいいのか?」
リッカがヴェルル支部に行くのを見送った後、シンクから話を始めた。その声音は様子を探るように慎重で、その紅い瞳も心配そうに潤んでいる。
「ええ、シエル教団の方がいますから、僕が自ら買って出なくても今日は大丈夫でしょう。道すがら困っている人がいたら勿論助けに行きますけどね」
シンクの想いが伝わったから、クルムは安心させるように語り掛けた。
シンクにとってオリエンスを発ってから初めての町――しかも、シエル教団の巡回によって多くの人が集っている状況だ。ここでシンクを一人にして、単独行動することは出来ない。
いや、そもそもシエル教団がヴェルルに滞在している今なら、無理をしてまで何でも屋として単独行動する理由がクルムにはなかった。
英雄の意志を引き継ごうとしている団体なら、困っている人の力になっている――はずなのだから。
「では、ヴェルルを探索しましょうか。さっきの約束通り、何でも買ってあげますよ。……まぁ、値段を考慮してもらえたら、すごく助かりますけどね」
「よっしゃー! さすがクルム」
クルムは最後に微笑を浮かべて話すと、繁華街に向かって歩き始めた。シンクは興奮を抑えきれないのか、すぐにクルムを追い越して人波へと駆け出して行く。
今いる場所は中心部から大分離れているというのに、目移りしてしまうほどたくさんの商店が並んでいた。シンクの心を掴むのには十分すぎるほどだ。
シンクは首を振って物色し、目に映る店へ片っ端から入り込もうとその小さな体を活かして、色々なところへと人垣を縫って走り出す。その動きは縦横無尽、まさに子供ならではの自由な動きだ。
そして、シンクの自由過ぎる行動によって、クルムの中で先ほどの想いが帳消しにされるほど嫌な予感が全身を廻る。
「シンク! そんな急がなくても――ッ!」
人波を颯爽と駆け抜けるシンクの姿を見失いそうになり、クルムは大声を上げてシンクを止めようとした。しかし、その声は虚しくも、ヴェルルの喧騒とした雰囲気へと溶け込んでしまう。シンクはクルムの声に気付かず、人波の中へどんどんと潜り込んでいった。
クルムはシンクに腕を伸ばそうとするものの、気付けばクルムとシンクの間には完全に人の隔たりが出来上がっており、それは叶わない。
こんな多くの人の中、更には人の数に比例するように広げられる店の中、シンクをどのように探せばいいのか。
加えて、シンクは今もクルムの心配に気付かないまま、夢中に走っている最中だろう。
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※初ジャンルの小説なので不自然な点が多いかもしれませんがご了承ください
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