49 / 154
2-07 冷たい風、熱い意志
しおりを挟む
***
陽はだんだんと沈み、ヴェルルの町は薄いオレンジ色に染まりつつあった。
間もなく巡回の時を迎えようとする中央の広場は、大いに盛り上がっており、ヴェルル史の中で最高潮に活気が付いていた。
広場には何千人という数が押し寄せており、広場から溢れてしまった人の数も含めれば、万は優に超えるだろう。
シエル教団も来る巡回を万全に行なうために、広場の必要な箇所に団員達を配置していた。
そんな多くの人々が所狭しと集まる広場で、たった一か所だけ誰も近寄らない場所があった。そこは、ただ一人のために用意された高台の演説場だ。
いつそこにシエル教団の頂きに君臨する者が立ち、英雄について語り始めるのかと、人々は待ちに待ち続けている。
それほどまでに時は迫りつつあった。
そのような状況の中、リッカとシンクは広場から少し離れた場所で、高くそびえ立つ誰もいない舞台を見つめていた。
「……こんな中でたった一人の人を見つけられると思うか?」
建物の外壁に寄りかかっているシンクは、広場に溢れる人々に視線を移すと、肩を落としながらそう言った。今こうして話す言葉も、喧騒とするヴェルルの空気に溶け込んでかき消されていく。
「……やるしかないでしょ。あとクルムが行きそうな場所なんて、ここくらいしか思いつかないもん」
リッカも溜め息を吐きながら答えた。
シンクと合流したリッカは、あの後すぐにヴェルル中を探し回った。エインセルに導入された地図を早速駆使したリッカだったが、人が多すぎることに加えて巡回の時間が迫っていたことにより、クルムのことを見つけることは出来なかった。
幸か不幸か、巡回前のヴェルルはシエル教団によって立ち入り可能区域が制限されていて、リッカとシンクは限られた場所にしか足を運んで探すことが出来なかった。
そのため、クルムは巡回が行なわれる広場にいると踏んで、二人は広場の近くへとやって来たのだった。
「……まったく。合流したら、二人とも説教だね」
一歩前に進むのも困難に思える人垣を見ながら、リッカは呆れたように呟く。
「ああ、本当だな。……って、俺もか!?」
「当たり前でしょ! 元はと言えば、誰のせいでこんなことになったと思ってるの?」
そのリッカの言葉に、頭では納得しているが心では納得しきれていないシンクは黙って唸り声だけを上げる。いつ噛みついて来てもおかしくはない状態だ。
リッカは隣にいるシンクに構わず、目の前の光景をもう一度見る。
シエル教団の巡回を待つ人と人の間隔は、ほぼ無に等しかった。体が小さなシンクでも、人の間を掻い潜ることが出来るのか疑問だ。
この中でクルム一人を見つけようとするのは無謀と言えるだろう。巡回が終わってから、ゆっくりとクルムを探した方が得策かもしれない。
しかし、それでもやらないといけない――と、リッカは自分の考えを否定するように小さく言葉に出す。
――クルムと離れたまま巡回が始まったら、よくないことが起こる。
根拠も理由もない思考だけが、ずっとリッカの中で疼いていたのだった。気のせいだと割り切っても、心の中から消えてはくれない。
そして、その予感を助長するように、ヴェルルの町は少々肌寒かった。嫌な風が吹くばかりか、今にも消え入りそうな夕焼けが、全てを飲み込むかのように淡く町を照らす。
恐らくリッカ以外のヴェルルにいる人々は、何も気にしてはいないだろう。
リッカは逸る鼓動を労わるように一度胸に手を当てた。そして、目を閉じて深く息を吸って、吐く。
そうして決意を固めると、
「シンク、そろそろ行くよ。シエル教団の巡回が始まる前には見つけないと」
「……分かったよ」
リッカは唸り声を上げるシンクの肩に一度触れて、人波の中へと向かって歩き始めた。唸っていたシンクだったが、先行くリッカの背中を見て、考えを切り替えるように頭を振るとリッカについて行った。
「すみません、中に進ませてくだ――」
「君たち、立ち止まりなさい! もうこれ以上先に進むことは出来ないよ!」
しかし、その決意を打ち砕くように、リッカとシンクを止める声が後ろから響く。
リッカとシンクが振り返った先には、全身を鎧で武装したシエル教団の団員がいた。団員が近づく度、鉄と鉄がぶつかり合う金属音が奏でられる。
リッカは一瞬顔をしかめたが、すぐに団員の言う通りにし、その場に立ち止まることを選択した。組織は違うも似たような立場にいるリッカには、逆らった方が後々面倒なことになることを分かっていた。
それに周りの視線も友好的ではなかった。訝しむような目でリッカとシンクを睨みつけている。
シンクが単独行動を犯さないよう、リッカはシンクの腕を掴んだ。立ち止まることが気に食わないのか、シンクはリッカに手を離すよう促す目で見つめるが、リッカは応じることはない。
しかし、その草色の双眸は、シエル教団の団員でもなく、シンクでもなく、人々のずっと先を捉えていた。
「巡回を最前列で見たいのは分かるけど……、みんな一歩でも前に進みたいのを我慢しているんだ。特例は認められないよ」
団員はリッカとシンクの目の前まで来ると、腰に手を当てながら注意を始めた。
心ここに非ずなリッカだったが、団員の声が間近で耳に入ると、ふと視線を目の前にいる鎧の人物に合わせた。
兜のせいで顔は見えないが、目の前にいる団員とどこかで会った気がしてならなかった。気遣いや仕草、佇まい……そして、くぐもってはいるが声にも覚えがある。
リッカが団員に意識を向けた途端、シンクはそれを好機とし、
「人なんて関係ねー! 俺は俺だぁ!」
「こら、ダメだと言ったばかりだろう?」
堂々と人波の中へと強行突破を試みたシンクだったが、その試みはすぐに団員に軽々と右手で担がれることによって断たされた。
「はーなーせー! 俺はクルムを見つけに行くんだぁ!」
団員に担がれたシンクだったが、逃れるために必死に抵抗を見せる。しかし、相手は大の大人に加え、鎧を纏ったシエル教団の団員だ。シンクには分が悪すぎる。
見た目通りそのまま、子供をあしらうように団員は毅然とした態度を崩さない。
「ダメダメ……って、クルム? ん、あれ? 君は……」
団員は担ぎ上げたシンクの顔を見ると、知り合いに向けるような声音を発した。そして、自分が担ぎ上げているシンクを確認するため、団員は左手で兜を外して顔を出す。
「……シンク君?」
団員は目を凝らしながらシンクのことを見ると、自分が担ぎ上げている子供の名前を半信半疑に慎重に呼んだ。
シンクは名前を呼ばれると一瞬動きが止まったが、油断は見せないと言いたいように目を瞑ると、更にがむしゃらに手足を動かした。
「俺はお前なんて知らねー! いいから離せー!」
「やっぱりソマクさん!」
団員の顔を見たリッカは、声を上げて目の前にいる人物の名前を叫んだ。そのリッカの声に、シンクは完全に動きを止め、目を細めて自らを担いでいる人物の顔を確かめる。
そこにいるのは、シエル教団の鎧を纏い、使命を全うするソマク・ロビットだった。
「リッカちゃん!」
ソマクはリッカを見ると、すぐにシンクを優しく地に戻した。
シンクはほっとしたように息を吐く。
「手荒な真似をしてすまなかった」
ソマクは兜を抱えたまま、シンクとリッカに頭を下げた。
リッカは「いえ、そんな……」と口ごもらせ、シンクはどこか偉そうに「ま、いいけどよ」と呟いた。
その言葉に、ソマクは頭を上げると、リッカとシンクのことを真っ直ぐに見つめる。リッカはソマクのその眼差しに心臓が掴まれるような想いに駆られた。
「……ところで、君たちはここで何をしているんだい?」
知り合いに向けるような優しい声音ではあるが、ソマクは不審そうな目でリッカとシンクのことを見ている。僅かに腰にかざしている剣に手を伸ばしかけていた。
それもそのはずだ。シエル教団のソマク・ロビットからすれば、顔見知りではあるとはいえ、二人は巡回の規律を乱そうとした不審な輩に値するのだ。
この場から強制的に連行されないだけでも有り難い対応だろう。
「――。……あの、クルムのことを見ませんでしたか?」
どのように答えようか思案したリッカだったが、すぐに正直に答えることを選んだ。
ここで誤魔化しても仕方がないし、ソマクには嘘を吐きたくはなかった。
リッカの言葉に、ソマクは顎鬚に触れながら少しの間考える。その仕草に、リッカとシンクは期待する心で見つめる。
しかし、二人の期待を打ち砕くようにソマクは首を横に振った。
「……いや、クルム君は見ていないが……君たちと一緒に行動していたのではないのかい?」
ソマクはリッカとシンクに問いかける。
当然の疑問だ。
ソマクとは宿屋で三人一緒に分かれたのだ。その認識からすると、クルムとリッカ、シンクが一緒にいると思うのはごく自然な流れだろう。
「……そうなんですが」
リッカはどう答えればいいのか迷い、言葉を詰まらせる。
買い物をするために勝手に走り回ってしまったシンクを、あまりの人の多さにクルムが見失ってしまい、そのままはぐれてしまった――起こったこと、ありのままを言えばいいのだが、単刀直入に言うのはどこか情けない話で気が引けた。
しかも、このことが起こった現場にはリッカは立ち会っていない。
そのことがより言葉を濁らせた。
「俺が買い物している間に、クルムが勝手に迷子になっちまったんだ」
「違うでしょ! シンクが勝手に動き回って迷子になったんでしょ?」
しかし、リッカの考え虚しく、素直に純粋に主観にまみれた説明を始めたシンクに、リッカは思わず突っ込みを入れた。
そして、リッカは全部暴露してしまったことに気付き、ソマクに顔を向ける。
ソマクは腕を組みながら、二人の様子を真剣な面持ちで見つめているところだった。自分の中で得た情報をまとめているのか、時折ソマクは一人で頷く。
その姿に、リッカとシンクは、ソマクが口を開くまで大人しく待機する。
「なるほど。概ね事情は理解したよ。つまり、途中ではぐれてしまったクルム君を探すために、この人波の中に入ろうとしたわけだね?」
やがて、リッカとシンクの行動に合点がいったソマクは、答え合わせをするように二人に訊ねた。ソマクに問いかけに、リッカとシンクは首を縦に振る。
二人が同意したことを確認したソマクは、
「――けど、仮にクルム君がこの人波の中にいるとしても、あとで宿屋で合流した方がいい」
と、真っ直ぐにはっきりと告げた。
ソマクの言い方は、ヴェルルに吹き付ける風と相俟って、リッカにはどこか冷たく手を払われるように聞こえた。
もちろんソマクにはそんな意図がないことは分かるのだが、リッカは純粋にソマクの提案を受け入れることが出来なかった。
「でも――!」
「今ここに入るのは、人が多すぎて危険だ。リッカちゃんとシンク君まで迷ってしまう可能性があるのは、誰の目から見ても明白だろう」
反発しようとするリッカの言葉を遮るように、ソマクは話を続ける。
「クルム君を探そうとした結果、三人ともバラバラになる――、それは本末転倒ではないのかな?」
「……っ」
目を細めながら宥めるように語り掛けるソマクに、リッカは言葉を詰まらせた。
ソマクの言うことは、正しい。
仮にソマクの助言を無視して人波の中に突っ込んだとしても、人波の中からクルムを探し出すことはおろか前進することさえも叶わないだろう。
それほどまでにヴェルルの広場には、シエル教団の巡回を心待ちにする人が押し寄せていた。
――しかし、このままクルムと別れたままでは、何かが終わってしまう。
リッカの第六感がさっきから、そう叫び続けている。しかし、その正体の出所は分からず、確証がない。
だから、リッカは強く反抗することも出来ず、中途半端に黙ってしまった。
「分かったなら、無理をせずにクルム君とは後で合流するべきだ。今は、巡回を楽しむことだけを考えるといいよ」
全く動こうとしないリッカに、ソマクは諭すように優しく微笑みを向ける。
その優しさが逆にリッカを追い詰めているようで、リッカは握り拳を作りながら、唇を噛み締めた。まるで、自分の無力さを呪うかのようだ。
その姿を隣で見たシンクは俯き、リッカ同様に拳を握り締めると、
「――もし」
決意を固めたように、口の中で小さく言葉を紡いだ。
喧騒とした空気に呑み込まれそうな小さな音を聞き逃さなかったリッカとソマクは、シンクに顔を向ける。
地面を見ていたシンクは顔を上げ、
「もしここに困っている人がいるとしても、シエル教団の人がいるなら自分は出る幕がない。――クルムは、そう言ってた。だから、シエル教団の力で何とかすることは出来ないのか?」
真っ直ぐにソマクを見据えて、問いかけた。
成し遂げようとする強い意志でより紅く燃やされたその双眸に、先ほど自身で担ぎ上げた幼い子供だと忘れてしまうほど、ソマクは気圧されてしまった。
その力強い紅い双眸に、自身が燃やされてしまうのではないかと考える一方、少年自身も燃やしてしまうのではないかという考えが、ソマクの脳裏に過ぎった。
「……シンク」
隣にいるリッカにも感じるものがあるのだろう、隣にいる少年の名前を小さく呟いた。まるでシンクがそこにいることを確かめるような声量だ。
リッカの言葉を聞き、異彩を放つ人物が一緒に時間を過ごしたことのあるシンク・エルピスだということを思い出すと、ソマクは平常心を取り戻すようにゆっくりと息を吐き、
「……少々私も言葉が過ぎたね」
肩を落としながらそう言った。
その言葉にシンクは呆気に取られたように目をぱちくりとさせる。
「君たちには命を助けられた恩がある。絶対に見つけられるという保証はないが、それでも良ければついて来なさい」
ソマクはそう言うと、人波とは別の方向――、人々が足を踏み入れない暗い路地裏へと歩き始めた。
リッカとシンクは互いに顔を見合わせる。
急激な状況の変化に対応しきれずにいるリッカに、シンクは精一杯笑みを浮かべ、路地裏へと走り始めた。
リッカは遠く去っていく小さな背中を見つめる。
シンクはいつもそうだ。
幼い子供かのように思っていれば、大人でも驚くほど強い精神を発揮して道を切り拓こうとする時がある。
そして、今回は――実際に、自分の力で道を切り拓いた。
一人取り残されそうになるリッカは目を覚ますように自分の頬を叩くと、シンクとソマクが向かった場所を見据えて、迷いを振り払うようにこの場を後にした。
陽はだんだんと沈み、ヴェルルの町は薄いオレンジ色に染まりつつあった。
間もなく巡回の時を迎えようとする中央の広場は、大いに盛り上がっており、ヴェルル史の中で最高潮に活気が付いていた。
広場には何千人という数が押し寄せており、広場から溢れてしまった人の数も含めれば、万は優に超えるだろう。
シエル教団も来る巡回を万全に行なうために、広場の必要な箇所に団員達を配置していた。
そんな多くの人々が所狭しと集まる広場で、たった一か所だけ誰も近寄らない場所があった。そこは、ただ一人のために用意された高台の演説場だ。
いつそこにシエル教団の頂きに君臨する者が立ち、英雄について語り始めるのかと、人々は待ちに待ち続けている。
それほどまでに時は迫りつつあった。
そのような状況の中、リッカとシンクは広場から少し離れた場所で、高くそびえ立つ誰もいない舞台を見つめていた。
「……こんな中でたった一人の人を見つけられると思うか?」
建物の外壁に寄りかかっているシンクは、広場に溢れる人々に視線を移すと、肩を落としながらそう言った。今こうして話す言葉も、喧騒とするヴェルルの空気に溶け込んでかき消されていく。
「……やるしかないでしょ。あとクルムが行きそうな場所なんて、ここくらいしか思いつかないもん」
リッカも溜め息を吐きながら答えた。
シンクと合流したリッカは、あの後すぐにヴェルル中を探し回った。エインセルに導入された地図を早速駆使したリッカだったが、人が多すぎることに加えて巡回の時間が迫っていたことにより、クルムのことを見つけることは出来なかった。
幸か不幸か、巡回前のヴェルルはシエル教団によって立ち入り可能区域が制限されていて、リッカとシンクは限られた場所にしか足を運んで探すことが出来なかった。
そのため、クルムは巡回が行なわれる広場にいると踏んで、二人は広場の近くへとやって来たのだった。
「……まったく。合流したら、二人とも説教だね」
一歩前に進むのも困難に思える人垣を見ながら、リッカは呆れたように呟く。
「ああ、本当だな。……って、俺もか!?」
「当たり前でしょ! 元はと言えば、誰のせいでこんなことになったと思ってるの?」
そのリッカの言葉に、頭では納得しているが心では納得しきれていないシンクは黙って唸り声だけを上げる。いつ噛みついて来てもおかしくはない状態だ。
リッカは隣にいるシンクに構わず、目の前の光景をもう一度見る。
シエル教団の巡回を待つ人と人の間隔は、ほぼ無に等しかった。体が小さなシンクでも、人の間を掻い潜ることが出来るのか疑問だ。
この中でクルム一人を見つけようとするのは無謀と言えるだろう。巡回が終わってから、ゆっくりとクルムを探した方が得策かもしれない。
しかし、それでもやらないといけない――と、リッカは自分の考えを否定するように小さく言葉に出す。
――クルムと離れたまま巡回が始まったら、よくないことが起こる。
根拠も理由もない思考だけが、ずっとリッカの中で疼いていたのだった。気のせいだと割り切っても、心の中から消えてはくれない。
そして、その予感を助長するように、ヴェルルの町は少々肌寒かった。嫌な風が吹くばかりか、今にも消え入りそうな夕焼けが、全てを飲み込むかのように淡く町を照らす。
恐らくリッカ以外のヴェルルにいる人々は、何も気にしてはいないだろう。
リッカは逸る鼓動を労わるように一度胸に手を当てた。そして、目を閉じて深く息を吸って、吐く。
そうして決意を固めると、
「シンク、そろそろ行くよ。シエル教団の巡回が始まる前には見つけないと」
「……分かったよ」
リッカは唸り声を上げるシンクの肩に一度触れて、人波の中へと向かって歩き始めた。唸っていたシンクだったが、先行くリッカの背中を見て、考えを切り替えるように頭を振るとリッカについて行った。
「すみません、中に進ませてくだ――」
「君たち、立ち止まりなさい! もうこれ以上先に進むことは出来ないよ!」
しかし、その決意を打ち砕くように、リッカとシンクを止める声が後ろから響く。
リッカとシンクが振り返った先には、全身を鎧で武装したシエル教団の団員がいた。団員が近づく度、鉄と鉄がぶつかり合う金属音が奏でられる。
リッカは一瞬顔をしかめたが、すぐに団員の言う通りにし、その場に立ち止まることを選択した。組織は違うも似たような立場にいるリッカには、逆らった方が後々面倒なことになることを分かっていた。
それに周りの視線も友好的ではなかった。訝しむような目でリッカとシンクを睨みつけている。
シンクが単独行動を犯さないよう、リッカはシンクの腕を掴んだ。立ち止まることが気に食わないのか、シンクはリッカに手を離すよう促す目で見つめるが、リッカは応じることはない。
しかし、その草色の双眸は、シエル教団の団員でもなく、シンクでもなく、人々のずっと先を捉えていた。
「巡回を最前列で見たいのは分かるけど……、みんな一歩でも前に進みたいのを我慢しているんだ。特例は認められないよ」
団員はリッカとシンクの目の前まで来ると、腰に手を当てながら注意を始めた。
心ここに非ずなリッカだったが、団員の声が間近で耳に入ると、ふと視線を目の前にいる鎧の人物に合わせた。
兜のせいで顔は見えないが、目の前にいる団員とどこかで会った気がしてならなかった。気遣いや仕草、佇まい……そして、くぐもってはいるが声にも覚えがある。
リッカが団員に意識を向けた途端、シンクはそれを好機とし、
「人なんて関係ねー! 俺は俺だぁ!」
「こら、ダメだと言ったばかりだろう?」
堂々と人波の中へと強行突破を試みたシンクだったが、その試みはすぐに団員に軽々と右手で担がれることによって断たされた。
「はーなーせー! 俺はクルムを見つけに行くんだぁ!」
団員に担がれたシンクだったが、逃れるために必死に抵抗を見せる。しかし、相手は大の大人に加え、鎧を纏ったシエル教団の団員だ。シンクには分が悪すぎる。
見た目通りそのまま、子供をあしらうように団員は毅然とした態度を崩さない。
「ダメダメ……って、クルム? ん、あれ? 君は……」
団員は担ぎ上げたシンクの顔を見ると、知り合いに向けるような声音を発した。そして、自分が担ぎ上げているシンクを確認するため、団員は左手で兜を外して顔を出す。
「……シンク君?」
団員は目を凝らしながらシンクのことを見ると、自分が担ぎ上げている子供の名前を半信半疑に慎重に呼んだ。
シンクは名前を呼ばれると一瞬動きが止まったが、油断は見せないと言いたいように目を瞑ると、更にがむしゃらに手足を動かした。
「俺はお前なんて知らねー! いいから離せー!」
「やっぱりソマクさん!」
団員の顔を見たリッカは、声を上げて目の前にいる人物の名前を叫んだ。そのリッカの声に、シンクは完全に動きを止め、目を細めて自らを担いでいる人物の顔を確かめる。
そこにいるのは、シエル教団の鎧を纏い、使命を全うするソマク・ロビットだった。
「リッカちゃん!」
ソマクはリッカを見ると、すぐにシンクを優しく地に戻した。
シンクはほっとしたように息を吐く。
「手荒な真似をしてすまなかった」
ソマクは兜を抱えたまま、シンクとリッカに頭を下げた。
リッカは「いえ、そんな……」と口ごもらせ、シンクはどこか偉そうに「ま、いいけどよ」と呟いた。
その言葉に、ソマクは頭を上げると、リッカとシンクのことを真っ直ぐに見つめる。リッカはソマクのその眼差しに心臓が掴まれるような想いに駆られた。
「……ところで、君たちはここで何をしているんだい?」
知り合いに向けるような優しい声音ではあるが、ソマクは不審そうな目でリッカとシンクのことを見ている。僅かに腰にかざしている剣に手を伸ばしかけていた。
それもそのはずだ。シエル教団のソマク・ロビットからすれば、顔見知りではあるとはいえ、二人は巡回の規律を乱そうとした不審な輩に値するのだ。
この場から強制的に連行されないだけでも有り難い対応だろう。
「――。……あの、クルムのことを見ませんでしたか?」
どのように答えようか思案したリッカだったが、すぐに正直に答えることを選んだ。
ここで誤魔化しても仕方がないし、ソマクには嘘を吐きたくはなかった。
リッカの言葉に、ソマクは顎鬚に触れながら少しの間考える。その仕草に、リッカとシンクは期待する心で見つめる。
しかし、二人の期待を打ち砕くようにソマクは首を横に振った。
「……いや、クルム君は見ていないが……君たちと一緒に行動していたのではないのかい?」
ソマクはリッカとシンクに問いかける。
当然の疑問だ。
ソマクとは宿屋で三人一緒に分かれたのだ。その認識からすると、クルムとリッカ、シンクが一緒にいると思うのはごく自然な流れだろう。
「……そうなんですが」
リッカはどう答えればいいのか迷い、言葉を詰まらせる。
買い物をするために勝手に走り回ってしまったシンクを、あまりの人の多さにクルムが見失ってしまい、そのままはぐれてしまった――起こったこと、ありのままを言えばいいのだが、単刀直入に言うのはどこか情けない話で気が引けた。
しかも、このことが起こった現場にはリッカは立ち会っていない。
そのことがより言葉を濁らせた。
「俺が買い物している間に、クルムが勝手に迷子になっちまったんだ」
「違うでしょ! シンクが勝手に動き回って迷子になったんでしょ?」
しかし、リッカの考え虚しく、素直に純粋に主観にまみれた説明を始めたシンクに、リッカは思わず突っ込みを入れた。
そして、リッカは全部暴露してしまったことに気付き、ソマクに顔を向ける。
ソマクは腕を組みながら、二人の様子を真剣な面持ちで見つめているところだった。自分の中で得た情報をまとめているのか、時折ソマクは一人で頷く。
その姿に、リッカとシンクは、ソマクが口を開くまで大人しく待機する。
「なるほど。概ね事情は理解したよ。つまり、途中ではぐれてしまったクルム君を探すために、この人波の中に入ろうとしたわけだね?」
やがて、リッカとシンクの行動に合点がいったソマクは、答え合わせをするように二人に訊ねた。ソマクに問いかけに、リッカとシンクは首を縦に振る。
二人が同意したことを確認したソマクは、
「――けど、仮にクルム君がこの人波の中にいるとしても、あとで宿屋で合流した方がいい」
と、真っ直ぐにはっきりと告げた。
ソマクの言い方は、ヴェルルに吹き付ける風と相俟って、リッカにはどこか冷たく手を払われるように聞こえた。
もちろんソマクにはそんな意図がないことは分かるのだが、リッカは純粋にソマクの提案を受け入れることが出来なかった。
「でも――!」
「今ここに入るのは、人が多すぎて危険だ。リッカちゃんとシンク君まで迷ってしまう可能性があるのは、誰の目から見ても明白だろう」
反発しようとするリッカの言葉を遮るように、ソマクは話を続ける。
「クルム君を探そうとした結果、三人ともバラバラになる――、それは本末転倒ではないのかな?」
「……っ」
目を細めながら宥めるように語り掛けるソマクに、リッカは言葉を詰まらせた。
ソマクの言うことは、正しい。
仮にソマクの助言を無視して人波の中に突っ込んだとしても、人波の中からクルムを探し出すことはおろか前進することさえも叶わないだろう。
それほどまでにヴェルルの広場には、シエル教団の巡回を心待ちにする人が押し寄せていた。
――しかし、このままクルムと別れたままでは、何かが終わってしまう。
リッカの第六感がさっきから、そう叫び続けている。しかし、その正体の出所は分からず、確証がない。
だから、リッカは強く反抗することも出来ず、中途半端に黙ってしまった。
「分かったなら、無理をせずにクルム君とは後で合流するべきだ。今は、巡回を楽しむことだけを考えるといいよ」
全く動こうとしないリッカに、ソマクは諭すように優しく微笑みを向ける。
その優しさが逆にリッカを追い詰めているようで、リッカは握り拳を作りながら、唇を噛み締めた。まるで、自分の無力さを呪うかのようだ。
その姿を隣で見たシンクは俯き、リッカ同様に拳を握り締めると、
「――もし」
決意を固めたように、口の中で小さく言葉を紡いだ。
喧騒とした空気に呑み込まれそうな小さな音を聞き逃さなかったリッカとソマクは、シンクに顔を向ける。
地面を見ていたシンクは顔を上げ、
「もしここに困っている人がいるとしても、シエル教団の人がいるなら自分は出る幕がない。――クルムは、そう言ってた。だから、シエル教団の力で何とかすることは出来ないのか?」
真っ直ぐにソマクを見据えて、問いかけた。
成し遂げようとする強い意志でより紅く燃やされたその双眸に、先ほど自身で担ぎ上げた幼い子供だと忘れてしまうほど、ソマクは気圧されてしまった。
その力強い紅い双眸に、自身が燃やされてしまうのではないかと考える一方、少年自身も燃やしてしまうのではないかという考えが、ソマクの脳裏に過ぎった。
「……シンク」
隣にいるリッカにも感じるものがあるのだろう、隣にいる少年の名前を小さく呟いた。まるでシンクがそこにいることを確かめるような声量だ。
リッカの言葉を聞き、異彩を放つ人物が一緒に時間を過ごしたことのあるシンク・エルピスだということを思い出すと、ソマクは平常心を取り戻すようにゆっくりと息を吐き、
「……少々私も言葉が過ぎたね」
肩を落としながらそう言った。
その言葉にシンクは呆気に取られたように目をぱちくりとさせる。
「君たちには命を助けられた恩がある。絶対に見つけられるという保証はないが、それでも良ければついて来なさい」
ソマクはそう言うと、人波とは別の方向――、人々が足を踏み入れない暗い路地裏へと歩き始めた。
リッカとシンクは互いに顔を見合わせる。
急激な状況の変化に対応しきれずにいるリッカに、シンクは精一杯笑みを浮かべ、路地裏へと走り始めた。
リッカは遠く去っていく小さな背中を見つめる。
シンクはいつもそうだ。
幼い子供かのように思っていれば、大人でも驚くほど強い精神を発揮して道を切り拓こうとする時がある。
そして、今回は――実際に、自分の力で道を切り拓いた。
一人取り残されそうになるリッカは目を覚ますように自分の頬を叩くと、シンクとソマクが向かった場所を見据えて、迷いを振り払うようにこの場を後にした。
0
あなたにおすすめの小説
『紅茶の香りが消えた午後に』
柴田はつみ
恋愛
穏やかで控えめな公爵令嬢リディアの唯一の楽しみは、幼なじみの公爵アーヴィンと過ごす午後の茶会だった。
けれど、近隣に越してきた伯爵令嬢ミレーユが明るく距離を詰めてくるたび、二人の時間は少しずつ失われていく。
誤解と沈黙、そして抑えた想いの裏で、すれ違う恋の行方は——。
【完結】能力が無くても聖女ですか?
天冨 七緒
恋愛
孤児院で育ったケイトリーン。
十二歳になった時特殊な能力が開花し、体調を崩していた王妃を治療する事に…
無事に王妃を完治させ、聖女と呼ばれるようになっていたが王妃の治癒と引き換えに能力を使い果たしてしまった。能力を失ったにも関わらず国王はケイトリーンを王子の婚約者に決定した。
周囲は国王の命令だと我慢する日々。
だが国王が崩御したことで、王子は周囲の「能力の無くなった聖女との婚約を今すぐにでも解消すべき」と押され婚約を解消に…
行く宛もないが婚約解消されたのでケイトリーンは王宮を去る事に…門を抜け歩いて城を後にすると突然足元に魔方陣が現れ光に包まれる…
「おぉー聖女様ぁ」
眩い光が落ち着くと歓声と共に周囲に沢山の人に迎えられていた。ケイトリーンは見知らぬ国の聖女として召喚されてしまっていた…
タイトル変更しました
召喚されましたが聖女様ではありません…私は聖女様の世話係です
ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています
木漏れ日
恋愛
天才魔術師セディが自分の番である『異界渡りの姫』を召喚したとき、16歳の少女奈緒はそれに巻き込まれて、壁外という身分を持たない人々が住む場所に落ちました。
少女は自分を異世界トリップに巻き込んだ『異界渡り姫』に復讐しようとして失敗。なぜかロビン辺境伯は少女も『異界渡りの姫』だと言って溺愛するのですが……
陰陽の姫シリーズ『図書館の幽霊って私のことですか?』と連動しています。
どちらからお読み頂いても話は通じます。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
差し出された毒杯
しろねこ。
恋愛
深い森の中。
一人のお姫様が王妃より毒杯を授けられる。
「あなたのその表情が見たかった」
毒を飲んだことにより、少女の顔は苦悶に満ちた表情となる。
王妃は少女の美しさが妬ましかった。
そこで命を落としたとされる少女を助けるは一人の王子。
スラリとした体型の美しい王子、ではなく、体格の良い少し脳筋気味な王子。
お供をするは、吊り目で小柄な見た目も中身も猫のように気まぐれな従者。
か○みよ、○がみ…ではないけれど、毒と美しさに翻弄される女性と立ち向かうお姫様なお話。
ハピエン大好き、自己満、ご都合主義な作者による作品です。
同名キャラで複数の作品を書いています。
立場やシチュエーションがちょっと違ったり、サブキャラがメインとなるストーリーをなどを書いています。
ところどころリンクもしています。
※小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿しています!
四人の令嬢と公爵と
オゾン層
恋愛
「貴様らのような田舎娘は性根が腐っている」
ガルシア辺境伯の令嬢である4人の姉妹は、アミーレア国の王太子の婚約候補者として今の今まで王太子に尽くしていた。国王からも認められた有力な婚約候補者であったにも関わらず、無知なロズワート王太子にある日婚約解消を一方的に告げられ、挙げ句の果てに同じく婚約候補者であったクラシウス男爵の令嬢であるアレッサ嬢の企みによって冤罪をかけられ、隣国を治める『化物公爵』の婚約者として輿入という名目の国外追放を受けてしまう。
人間以外の種族で溢れた隣国ベルフェナールにいるとされる化物公爵ことラヴェルト公爵の兄弟はその恐ろしい容姿から他国からも黒い噂が絶えず、ガルシア姉妹は怯えながらも覚悟を決めてベルフェナール国へと足を踏み入れるが……
「おはよう。よく眠れたかな」
「お前すごく可愛いな!!」
「花がよく似合うね」
「どうか今日も共に過ごしてほしい」
彼らは見た目に反し、誠実で純愛な兄弟だった。
一方追放を告げられたアミーレア王国では、ガルシア辺境伯令嬢との婚約解消を聞きつけた国王がロズワート王太子に対して右ストレートをかましていた。
※初ジャンルの小説なので不自然な点が多いかもしれませんがご了承ください
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
異世界でカイゼン
soue kitakaze
ファンタジー
作者:北風 荘右衛(きたかぜ そうえ)
この物語は、よくある「異世界転生」ものです。
ただ
・転生時にチート能力はもらえません
・魔物退治用アイテムももらえません
・そもそも魔物退治はしません
・農業もしません
・でも魔法が当たり前にある世界で、魔物も魔王もいます
そこで主人公はなにをするのか。
改善手法を使った問題解決です。
主人公は現世にて「問題解決のエキスパート」であり、QC手法、IE手法、品質工学、ワークデザイン法、発想法など、問題解決技術に習熟しており、また優れた発想力を持つ人間です。ただそれを正統に評価されていないという鬱屈が溜まっていました。
そんな彼が飛ばされた異世界で、己の才覚ひとつで異世界を渡って行く。そういうお話をギャグを中心に描きます。簡単に言えば。
「人の死なない邪道ファンタジーな、異世界でカイゼンをするギャグ物語」
ということになります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる