英雄の弾丸

葉泉 大和

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2-EX3 シンク、はじめてのおかいもの(後篇)

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 ***

「うーん……」

 太陽の日差しが燦々と照らされるヴェルルに、シンクの唸り声が地を這うように響く。

「全ッ然決まらねぇ!」

 そして、暴発したようにシンクは髪をわしゃわしゃとかき乱すと、大声を上げた。

 道行く人々は、その声に何事かと自身の足を止めて、声を出したシンクに視線を移す。しかし、声を出した人物が少年だということに気付くと、止めていた足を再び前へと送り出した。

「やっぱりパシンタにしておけばよかったのかなぁ」

 人々から注目を集めていたことを一切気にしないシンクの口から、妥協するような力ない溜め息が漏れた。

 シンクが買い物に行ってから、どれほどの時間が経っただろうか。欲しい物なんて心の中ではいくらでもあったはずなのに、いざ現物を前にすると、欲しい物は特になかった。そんな心の状態で買い物に臨んだのだから、ただただ時間と体力だけを浪費するのは、ある意味必然だった。

 もうすぐ真上まで到達する太陽に、シンクは目をやる。太陽を目にすると、ある一つのお願いが思い出された。

 ――お願い?
 ――ええ、それはあの太陽が一番上に昇るまでに買いたい物を選ぶことです。

 そして、それと同時に頭に浮かぶのが、

「……余裕かまして出ていった挙句、何も買いたい物がなかったなんて、クルムに顔向け出来ねーよな」

 一緒に旅をしているクルム・アーレントの姿だ。

 何でも屋であるクルムと世界政府に所属するリッカ・ヴェントと共に、シンクは世界中を旅している最中だ。

 シンクがクルムの旅について行き始めたのは、最初は何となくだった。オリエンスの町でクルムに命を助けられたシンクは、目的もなく迷った羊のようにクルムの後を追った。
 しかし、ヴェルルに向かう途中で通ったビオス平原で、シンクの旅に対する意識は完全に変えられた。

 どうせ旅をするなら、自分自身を大きく作る。

 シンクはビオス平原で、クルムの話を聞いてそう決心したのだった。シンクにとってクルムは命の恩人であり、強くて、優しい人間だ。クルムの隣で学ぶべきものを学び、自分自身を変化させていこうと思っている。
 勿論、まだまだ成長途中、右も左も分からない状態だから、どうなるかは未知数だ。

「……そもそも話なんて、クルムの話だけで十分だからな。わざわざパシンタを買う必要もねぇか」

 旅の道中、クルムは色々な話をしてくれる。
 ただ目的地に向かって歩くだけの旅で終わらせるのではなく、道すがら飽きることがないようにと配慮してのことだろう。
 おとぎ話調の話だったり、動物の話だったり、実体験だったり――とにかく多種多様に話のタネを持っていて、クルムの前では言わないが、正直飽きることはなかった。クルムは話し方が上手く、クルムの話を聞いていると惹き込まれ、いつの間にか話に入り込んでいる時がある。そして、それだけではなく、気付けば自分の進むべき方向性を見出させる、不思議な話力も持っていた。

 だから、パシンタを使わなくても、クルムの話があれば十分だ。

 そもそも、クルムがそんなにお金を持っていないことは、一緒に旅をして日が浅いシンクでさえも分かっていることだった。

「うーん。だったら、どうするか……」

 ならばと、無難な食べ物という選択肢がシンクの脳裏に浮かんだが、その選択肢はすぐに捨てた。味も分からないし、そもそも食った後すぐに腹の虫は鳴る。それに、初めてクルムに買って貰うものを、すぐに無くなるもので終わらせたくはなかった。

 陽が昇るまでには余裕で決められると思っていたシンクだったが、色々なことを考慮している内に選べなくなってしまった。世界には何が存在するのか、そして自分に何が必要なのか、まだまだシンクには理解出来ていない状況なのだ。

 このまま無闇に悩んで、今もシンクを待つであろうクルムとリッカの時間を奪う訳にはいかない。

 ならば、わざわざ無理してヴェルルで買ってもらう必要はない――、シンクがそう結論付けようとした時だった。

「この文字は読めるかな?」
「うーん、まだ四つだから分からないよぉ」

 ふと誰かの会話が、シンクの耳を優しく撫ぜた。
 この雑踏の中、二人の会話に耳を傾けることが出来たのは奇跡に近いだろう。

 耳にした会話を頼りに、体を向けると、そこには店の前で佇む二人の親子がいた。
 シンクは目を奪われたように、父娘のやり取りを見る。

「ははは、じゃあ、これを買ってあげるから毎日日記をつけて文字の勉強をしような」
「うん!」

 父親に買って貰った日記帳を受け取った娘は、まるで宝物を守るように日記帳を抱き締めると、満面の笑みを浮かべた。その娘の振舞いに、父親はご満悦の様子だ。そして、二人は人波の中へと混ざり、その姿を再び捉えるのが難しくなってしまった。

 シンクは先ほどまで親子がいた店へと、糸に手繰り寄せられるようにふらふらと歩いて行く。

 そういえば、とシンクは思う。
 シンクはまだ文字を読むことが出来なかった。文字の読み書きを学んだ記憶がないのだ。
 さっきのパシンタの箱だって、商人が声にした言葉の意味は分かったにしても、文字を読み取ることが出来なかった。言葉の音と文字を組み合わせて、ようやく理解することが出来た。

 この先、文字を読めないと至る所で弊害が起こるだろう。

 ならば――、

「シンク、決まりましたか?」

 丁度決めたというタイミングで、自身を呼ぶ声が響き渡る。

 その声を受けて、シンクは振り返った。すると、そこにはクルムとリッカが佇んでいた。二人の手には大きな荷物があることから、二人とも次の町に向かうための準備を終えたところだろう。

「クルム! これがいい!」

 シンクは買って貰いたいものを、勢いよく指で示す。シンクが指したものに、最初に声を上げたのはリッカだった。

「……日記?」
「そう! これで文字の勉強をしてさ、クルムとリッカと俺、三人で過ごした旅の日記を残していきたいんだ!」

 シンクは日記を買った後の未来を、満面の笑みで語る。見ているこちらが照れるくらいの、喜々とした表情だった。

 そんなシンクをクルムは真っ直ぐ見つめると、

「大事なこと、ですね」
「え?」

 クルムの言葉を理解できないと言いたいような表情が、シンクの顔に浮かんでいた。クルムは悪戯っぽく口角を上げると、空を見上げた。燦々と輝く太陽が、今日一番に空高く昇っている。

「シエル・クヴントが生きていた時代に、シンクみたいに書き残す人がいてくれたら、英雄列書の中に彼の生き様は今以上に残っていたでしょうね」
「……つまり?」

 クルムの説明が要領を得ないだけか、ただシンクが理解できないだけか、クルムの伝えたい意図を読み取ることが出来ないシンクは、クルムに結論を催促する。

 クルムは空へと向けていた視線を、シンクに向けると、

「シンクが書いた日記が、将来多くの人の目に触れるかもしれません、ということです」

 そのまま優しく微笑んだ。まるでシンクの未来予想図を、後押しするように力強く感じられる。

 クルムの言葉は、何故だかシンクの心を震えさせるには十分すぎて――、

「――ッ、おっちゃん! 釣りはいらねぇ!」
「……お、おうよ」

 シンクは顔いっぱいに笑みを浮かべ、日記を抱えながら走り出した。シンクの堂々とした勢いに、商人は苦笑しながら、シンクを見送る。そして、その後、すぐに商人は残されたクルムとリッカを督促するように睨み付けた。

 その意図を正しく理解しているクルムは頭を下げると、

「す、すみません。ちゃんと払いますので……」

 自身の懐から財布を取り出して、日記の代金を探す。

 クルムが財布の中を確認している最中、リッカは腕を組むと、

「あんな言葉、どこで覚えて来るのかな……?」

 シンクが走っていった方向を見つめながら、頭の中に浮かぶ疑問を小さくぼやく。

 しかし、リッカが腕を組むのは暫しの間だけだった。

「クルム。私、先にシンクのこと追いかけてるね! また迷子になったら大変だし」

 財布と悪戦苦闘するクルムに、リッカは声を掛ける。

「あ、はい! 僕もお会計が終わりましたら、すぐに合流します」

 クルムは笑顔で返事をした。
 その言葉を聞いたリッカは、まだ距離の離れていないシンクに追いつくために、賑わうヴェルルの中を走り始めた。

 ただひたすら真っ直ぐに走り出すあの小さな背中は、一体何を考えているのだろうか。

 勝手にシンクの心境を推測していると、リッカの口から自然と笑みが漏れた。

 ***

 囃し立てる心の抑え方を分からなくて、がむしゃらに体を動かしてみる。どこまで行けば、この心が満足するのかは分からない。でも、満足させるつもりなんて、さらさらなかった。思い描く未来へ一秒でも早く辿り着くならば、どこまでだって駆け抜けられる。限界なんて言葉は、今のシンクには無意味な言葉のようだった。

 けれど、そんな理想に反して、現実はそんな多くの時間を許容してくれることはない。
 クルムとリッカがシンクに追いつくまでか、もしくはシンクがヴェルルの門に辿り着くまでが、この心の高揚を一番に享受することが出来るタイムリミットだろう。

「――、まずは」

 走るシンクは、手にしている日記帳に視線を移す。

 まずはこれで文字の勉強をして、クルムとリッカ、そしてシンク自身の旅を綴ることだ。

 最初は拙いかもしれない。けれど、途中で投げ出すことはしない。一生懸命に最後まで続けるつもりだ。
 クルムが旅の果てに行き着く場所を、一番近くで残していきたい。

 そして、それに慣れてこなせるようになって来たなら、

「――っ、やっぱすげぇな。クルムは!」

 シンクは懐に閉まっている一枚の紙を取り出して、率直な感想を漏らす。

 こんなに世間の目に触れられることが出来るなんて、さすがはクルムだ。内容はなんて書かれているか、シンクには分からないが、クルムの姿が写っているだけで誇らしく思う。

 だから、ある程度文字を読むことが出来るようになったなら、先ほど拾った紙を読もう。

 ――クルムの姿が、一面に載っている新聞紙を。
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