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19. 午後の話
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第二部
カナメが「箱」の修理報酬としてまとまった金をくれたので、僕はようやく無一文無しという不名誉な身分から解放されることになった。金を受け取ると、僕は早速と街に出かけた。色々と物色したいものはあるのだが、何よりもまずは服が欲しかった。マヨラナの搭乗者に支給されるパイロットスーツは耐熱・耐寒性に優れ、汚れが落ちやすく乾きやすい優秀な一品ではあるのだが、どうやらこのスーツの時代を置き去りにした斬新なデザインが、リーベリの街の住民にいらぬ誤解を――すなわち、僕が中央という場所から来た人間なのではないのかという疑念を抱かせるらしい。誤解を受けるのは別に構わないのだが、会話の度に身の潔白を説明しなければならないというのがいい加減煩わしい。
加えて悪いことに、「中央から何者かがリーベリの街を訪れている」という噂話は、未だ収束していないようだった。そのはた迷惑な何者かとやらは、噂が流れ始めてから二週間以上が経った現在でも、誰一人の目にも留まっていないという。どんな人物か、どんな格好か、男か女か、性格は、……その人物に関する情報が何一つ更新されないために、あの奇抜なスーツを着ざるを得ない僕は常に疑いの目で見られるのだ。数日のうちに懇意になった珈琲店の老人でさえ、彼の死角から近づいて話しかけると、持っている珈琲を取り落としそうになるくらいに動揺し、僕の顔を見てからほっと胸を撫でおろす――その動作は、単に無意識な方向から話しかけられたことへの驚きにしては大げさが過ぎると僕は思った。彼の目には明確に、恐怖の色が浮かんでいた。この老人を含めてこの街の住民の殆どが、理由こそ決して明言しようとしないけれども、何らかの理由で僕のような奇妙な格好をした人間――すなわち、「中央」という場所に住む人間を恐れているに違いない。中央からの訪問客が街中の噂になるというそのこと自体が、僕の想像を裏付けているように思われた。
……とはいえ、その理由を推測するよりも先に、リーベリの住民にいらぬ恐怖を与えないような服を手に入れる方が優先事項であろう。僕はカナメからもらった数枚の札――デザインは似ているがやや小さめの紙幣で、聞いたことのないような人物の肖像画が描かれている――をポケットに入れて、大通りへと繰り出していった。
そこそこの金と一応の身分を手に入れることが出来て、リーベリという街の風景を冷静に観察できる心の余裕が出来ていた。改めて見回してみると、やはりこの街が日本の未来の姿とは到底思えなかった。ヨーロッパのどこかの田舎町の風景をそっくりそのまま模倣して、看板と案内表示だけを日本語に翻訳したようなちぐはぐな感覚。道端に立つ濃緑色の街灯や煉瓦造りの建物に飾られた金属細工は瀟洒で美しい趣があるのだが、未来の風景としてはなんとなく違和感がある。街を行く人々はより奇妙で、かつて僕が見慣れていた日本人然とした人もいれば、やたら背の高い茶髪の集団もいたり、病的なほどに肌が白い婦人なども元気に歩いており、複雑怪奇な様相である。思い返してみれば、浮羽カナメの髪も美しい栗色で、どことなく異国情緒があって素敵だと思ったが、果たしてあれは地毛なのだろうか? もう一度彼女の店に行ったときに聞いてみよう。
大通りに面した洒落た洋服屋に入り、涼しそうな青いTシャツとGパン、それから下着の替えなども適当に選んで店員のところに持っていくと、全部で丁度千円だという。随分安いなと思いながら少し得した気分で家に帰り、早速着替えてみる――割れた鏡の中に映る自分の姿は、未来の情報を過去に持って帰るなどという壮大な使命を背負っているようには到底思えない、平凡な男の子に過ぎなかった。僕はなんとなく、今まで自分を苛んでいた異常な状況から少しだけ解放されたような気になって、胸の中に少しだけ温かさを覚えるのだった。
着替えた後は、ぼろぼろの床の上に身を投げ出して天井を眺める。ふと横の方に視線を向けると、カナメの店から持ち帰ってきた喋る箱・マキナが、丸テーブルの上で沈黙している。彼女(あの箱を彼女と呼ぶのが適切かどうかは不明だが、少なくとも声色は女性寄りだと思う)は、カナメによってより上等な整備を受けた後に、僕の手元に戻された――あの箱が頻りに連呼する一般利用者というのは彼女を起動させた僕が該当するようで、その他の人間の利用はプログラム上で制限されているらしい。すなわち、彼女に何かを聞き出したり、判断を委ねたり、あるいは四方山話に興じるのにも一々僕の許可がいるらしかった。あのぼろ布の少女の言う通りにハローと話しかけただけの僕にそんな絶大な権力が譲渡されるとは思いもよらなかったが、とにかく箱の中のルールではそうなっているらしい。
カナメは箱に対して、色々なことを聞き出そうと試み、マキナはその度ごとに僕に対して許可を求めた。三十回ほどそのやり取りを繰り返した後、その間接的なやり通りをいよいよ面倒臭く感じたか、
「あなたが持っているべき代物みたいね」
と最後には投げ出して、僕の手の中に再びマキナが戻ってきたのだった。
「なあ、起きているのか?」
僕は呟くような声で、テーブルの上で沈黙する箱に向かって話しかけた。
「……MKN16型にスリープモードは搭載されておりません。常に起動状態にあります」
「そうなのか?」
「MKN16型は常いかなる状態においても利用者に最高のパフォーマンスを提供するという設計指針で作られておりますので、機能制限などのオプションは存在しないのです」
「ふーん……」
ぼんやりとした返答を宙に浮かべて、天井を眺める。窓から差し込む光の中には茜が混ざり始めていて、なんだか部屋の中に寂寥感が漂ってくる。
「……じゃあ、君はずーと起きたまま、というわけか」
「そうなりますね」
「眠くなったりしないのか?」
「愚問です」
そう言ってマキナは再び沈黙した。……僕も喋るのをやめ、目を閉じた。
カナメが「箱」の修理報酬としてまとまった金をくれたので、僕はようやく無一文無しという不名誉な身分から解放されることになった。金を受け取ると、僕は早速と街に出かけた。色々と物色したいものはあるのだが、何よりもまずは服が欲しかった。マヨラナの搭乗者に支給されるパイロットスーツは耐熱・耐寒性に優れ、汚れが落ちやすく乾きやすい優秀な一品ではあるのだが、どうやらこのスーツの時代を置き去りにした斬新なデザインが、リーベリの街の住民にいらぬ誤解を――すなわち、僕が中央という場所から来た人間なのではないのかという疑念を抱かせるらしい。誤解を受けるのは別に構わないのだが、会話の度に身の潔白を説明しなければならないというのがいい加減煩わしい。
加えて悪いことに、「中央から何者かがリーベリの街を訪れている」という噂話は、未だ収束していないようだった。そのはた迷惑な何者かとやらは、噂が流れ始めてから二週間以上が経った現在でも、誰一人の目にも留まっていないという。どんな人物か、どんな格好か、男か女か、性格は、……その人物に関する情報が何一つ更新されないために、あの奇抜なスーツを着ざるを得ない僕は常に疑いの目で見られるのだ。数日のうちに懇意になった珈琲店の老人でさえ、彼の死角から近づいて話しかけると、持っている珈琲を取り落としそうになるくらいに動揺し、僕の顔を見てからほっと胸を撫でおろす――その動作は、単に無意識な方向から話しかけられたことへの驚きにしては大げさが過ぎると僕は思った。彼の目には明確に、恐怖の色が浮かんでいた。この老人を含めてこの街の住民の殆どが、理由こそ決して明言しようとしないけれども、何らかの理由で僕のような奇妙な格好をした人間――すなわち、「中央」という場所に住む人間を恐れているに違いない。中央からの訪問客が街中の噂になるというそのこと自体が、僕の想像を裏付けているように思われた。
……とはいえ、その理由を推測するよりも先に、リーベリの住民にいらぬ恐怖を与えないような服を手に入れる方が優先事項であろう。僕はカナメからもらった数枚の札――デザインは似ているがやや小さめの紙幣で、聞いたことのないような人物の肖像画が描かれている――をポケットに入れて、大通りへと繰り出していった。
そこそこの金と一応の身分を手に入れることが出来て、リーベリという街の風景を冷静に観察できる心の余裕が出来ていた。改めて見回してみると、やはりこの街が日本の未来の姿とは到底思えなかった。ヨーロッパのどこかの田舎町の風景をそっくりそのまま模倣して、看板と案内表示だけを日本語に翻訳したようなちぐはぐな感覚。道端に立つ濃緑色の街灯や煉瓦造りの建物に飾られた金属細工は瀟洒で美しい趣があるのだが、未来の風景としてはなんとなく違和感がある。街を行く人々はより奇妙で、かつて僕が見慣れていた日本人然とした人もいれば、やたら背の高い茶髪の集団もいたり、病的なほどに肌が白い婦人なども元気に歩いており、複雑怪奇な様相である。思い返してみれば、浮羽カナメの髪も美しい栗色で、どことなく異国情緒があって素敵だと思ったが、果たしてあれは地毛なのだろうか? もう一度彼女の店に行ったときに聞いてみよう。
大通りに面した洒落た洋服屋に入り、涼しそうな青いTシャツとGパン、それから下着の替えなども適当に選んで店員のところに持っていくと、全部で丁度千円だという。随分安いなと思いながら少し得した気分で家に帰り、早速着替えてみる――割れた鏡の中に映る自分の姿は、未来の情報を過去に持って帰るなどという壮大な使命を背負っているようには到底思えない、平凡な男の子に過ぎなかった。僕はなんとなく、今まで自分を苛んでいた異常な状況から少しだけ解放されたような気になって、胸の中に少しだけ温かさを覚えるのだった。
着替えた後は、ぼろぼろの床の上に身を投げ出して天井を眺める。ふと横の方に視線を向けると、カナメの店から持ち帰ってきた喋る箱・マキナが、丸テーブルの上で沈黙している。彼女(あの箱を彼女と呼ぶのが適切かどうかは不明だが、少なくとも声色は女性寄りだと思う)は、カナメによってより上等な整備を受けた後に、僕の手元に戻された――あの箱が頻りに連呼する一般利用者というのは彼女を起動させた僕が該当するようで、その他の人間の利用はプログラム上で制限されているらしい。すなわち、彼女に何かを聞き出したり、判断を委ねたり、あるいは四方山話に興じるのにも一々僕の許可がいるらしかった。あのぼろ布の少女の言う通りにハローと話しかけただけの僕にそんな絶大な権力が譲渡されるとは思いもよらなかったが、とにかく箱の中のルールではそうなっているらしい。
カナメは箱に対して、色々なことを聞き出そうと試み、マキナはその度ごとに僕に対して許可を求めた。三十回ほどそのやり取りを繰り返した後、その間接的なやり通りをいよいよ面倒臭く感じたか、
「あなたが持っているべき代物みたいね」
と最後には投げ出して、僕の手の中に再びマキナが戻ってきたのだった。
「なあ、起きているのか?」
僕は呟くような声で、テーブルの上で沈黙する箱に向かって話しかけた。
「……MKN16型にスリープモードは搭載されておりません。常に起動状態にあります」
「そうなのか?」
「MKN16型は常いかなる状態においても利用者に最高のパフォーマンスを提供するという設計指針で作られておりますので、機能制限などのオプションは存在しないのです」
「ふーん……」
ぼんやりとした返答を宙に浮かべて、天井を眺める。窓から差し込む光の中には茜が混ざり始めていて、なんだか部屋の中に寂寥感が漂ってくる。
「……じゃあ、君はずーと起きたまま、というわけか」
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