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23. 希望への道
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「中央……」
「そう。中央。私、エチカ・レーリッヒっていうのよ。中央に住んでたのよ。……名乗ったのは初めてだったかしらね」
彼女はそう言って、意味深な笑みを浮かべてこちらを見た――生憎と手鏡の持ち合わせは無かったが、きっと自分は引きつった笑顔を浮かべているにちがいなかった。僕は彼女の告白に対してどのような感情を抱くのが、果たして妥当なのだろうか。自分でも分からない。
中央という場所は、この街の住民にとっては特別で、誰もその行き方を知らない未知の領域であるらしい。その存在は憧れであり、または畏怖の対象であり、あるいは倦厭すべきものである――この街での滞在と住民との会話の中で、僕はなんとなくそれを理解していた。僕個人にとっては、マヨラナを修理することのできる知識が存在しているかもしれない地であり、僕がこの異世界の地で初めに掲げた小目標とした場所であった。その場所へと至るカギとなりうる人物と、偶然にも小さな喫茶店で遭遇した。目的が早々に解決する目途が立って、僕は当然大喜びすべきなのだ。いきなり立ち上がって、喜びのあまり歌や踊りの一つでも披露したってかまわないはずなのだ。
……しかし何故だろうか。僕の心の中には、それとは全く異なる感情が波立っていた。困惑と恐怖! 陳腐な言い回しをすればそんなところだろう。なんにせよ、タイミングが悪いように思われた。今自分が出会ってはいけない何かに、運命が狂って出会ってしまったような。――僕に向けられた彼女の微笑みは、この状況を肯定する全ての客観的材料を帳消しにして、まるで途方もない絶望に見舞われたような感覚を想起させるのには十二分すぎるほどに、不気味だった。
「そんなに怪訝な顔しなくたっていいじゃない」
と、彼女――エチカ・レーリッヒは非難を込めた声色で言った。
「別に化け物に出会ったってわけじゃあないんだから」
「……すまん。ちょっと驚いただけで……」
「ふーん? 中央出身がそーんなに珍しい?」
「君が初めてだ……お目にかかったのは」
そう、とエチカは言うと、冷水をゴクリと飲ん長く息を吐いた。
「別にそんなに悪い人だらけじゃないんだけどな、中央だって」
「……繰り返すようで悪いが、君は中央からやってきたんだな?」
「ええ」
「とういうことは当然、中央への行き方も知っているんだよな?」
「そうね」
「だったら、ちょっと聞きたいんだが……」
僕がやや身を乗り出して話を続けようとすると、エチカは人差し指を僕の口の前に立て、僕の言葉を遮った。
「……中央への行き方は知っている。でも、あなたに教えるかどうかは別問題」
「何故?」
「理由はまあ、色々あるけれども……なにより、ちょっと卑怯だと思うの」
「卑怯だって?」
「ええ。だって、普通の人はそんなに簡単に道を教えてもらえはしないからね。どうしても行きたいと願う人が、必死に必死を重ねて、努力に努力を重ねて情報をかき集めて、それでようやっとた辿り着けるのが中央っていう場所なの。そんなにあっさりと行き方を喋ったら、神聖さが失われてしまうっていうのかな」
「……よく分からないね、君の言っていることは」
「要するに、今、あなたに中央への行き方を教える気はないから自分で努力してねってこと。……ところで、私はそんなつまらないことを話に来たんじゃなかった! そう、あれよ、あれ。例の喋る箱の事」
話題が強引に変えられると同時に、彼女の表情から不敵な笑みが消え去った。
「MKN16型、のことか?」
「ええ、そう。彼女、元気? ……でもあの箱って彼女って呼んでいいのかしらね。女の子の声をしているけれども、実は声が高いだけの男の子って可能性も」
「自称は女の子らしいよ。そう言ってた」
僕はあばら家で交わした取り留めのない会話を思い出しながらそう答えた。
「それより、そうだ。すっかり忘れていたけれど……ありがとう。君が起動方法を教えてくれなかったら、僕は今頃も例の紛らわしいスーツで街を歩いていただろうから……」
「礼なんていらないわ。それより、彼女の調子はどう?」
「調子と言われても……まあ、元気に喋っているようだったけど」
「そう。……一つ訓告を与えておきますとね、あの人工知識は随分人間よりの設計になっていて、あんまり喋らないと寂しさで気を病んでしまいますからね。雑談でも何でもいいから、隙あれば喋ってやった方がいいと思うわ」
なぜそんなところまで人間を再現したのかと若干苦々しく思ったが、しかしまあ、高度な人工知能というのは最終的にそういう複雑性や面倒臭さを獲得するものなのだろう。――と、そんなことよりも、僕は彼女に聞きたいことがあった。
「そういえば、何故君はあいつの起動の仕方を知っていたんだい?」
僕の想像が正しく、また僕が幸運であるのであれば、彼女は僕の思った通りの言葉を述べるに違いなかった。そして彼女は、まさしく僕が期待していた通りの返事を返した。
「だって、似たようなものが中央にだってもありますもの」
僕は彼女と遭遇して初めて、胸の奥に温かい感覚が萌芽するのを感じていた。似たようなものが、中央にはある――僕にとっては未知の技術の結晶である、あの喋る箱と似たようなものが、中央にはあるのだ。その言葉は、その事実は、「マヨラナを修理する技術が中央にならあるのかもしれない」という推測が、決して荒唐無稽な願望でないことを証明する、勇気を与える一言であった。
「そう。中央。私、エチカ・レーリッヒっていうのよ。中央に住んでたのよ。……名乗ったのは初めてだったかしらね」
彼女はそう言って、意味深な笑みを浮かべてこちらを見た――生憎と手鏡の持ち合わせは無かったが、きっと自分は引きつった笑顔を浮かべているにちがいなかった。僕は彼女の告白に対してどのような感情を抱くのが、果たして妥当なのだろうか。自分でも分からない。
中央という場所は、この街の住民にとっては特別で、誰もその行き方を知らない未知の領域であるらしい。その存在は憧れであり、または畏怖の対象であり、あるいは倦厭すべきものである――この街での滞在と住民との会話の中で、僕はなんとなくそれを理解していた。僕個人にとっては、マヨラナを修理することのできる知識が存在しているかもしれない地であり、僕がこの異世界の地で初めに掲げた小目標とした場所であった。その場所へと至るカギとなりうる人物と、偶然にも小さな喫茶店で遭遇した。目的が早々に解決する目途が立って、僕は当然大喜びすべきなのだ。いきなり立ち上がって、喜びのあまり歌や踊りの一つでも披露したってかまわないはずなのだ。
……しかし何故だろうか。僕の心の中には、それとは全く異なる感情が波立っていた。困惑と恐怖! 陳腐な言い回しをすればそんなところだろう。なんにせよ、タイミングが悪いように思われた。今自分が出会ってはいけない何かに、運命が狂って出会ってしまったような。――僕に向けられた彼女の微笑みは、この状況を肯定する全ての客観的材料を帳消しにして、まるで途方もない絶望に見舞われたような感覚を想起させるのには十二分すぎるほどに、不気味だった。
「そんなに怪訝な顔しなくたっていいじゃない」
と、彼女――エチカ・レーリッヒは非難を込めた声色で言った。
「別に化け物に出会ったってわけじゃあないんだから」
「……すまん。ちょっと驚いただけで……」
「ふーん? 中央出身がそーんなに珍しい?」
「君が初めてだ……お目にかかったのは」
そう、とエチカは言うと、冷水をゴクリと飲ん長く息を吐いた。
「別にそんなに悪い人だらけじゃないんだけどな、中央だって」
「……繰り返すようで悪いが、君は中央からやってきたんだな?」
「ええ」
「とういうことは当然、中央への行き方も知っているんだよな?」
「そうね」
「だったら、ちょっと聞きたいんだが……」
僕がやや身を乗り出して話を続けようとすると、エチカは人差し指を僕の口の前に立て、僕の言葉を遮った。
「……中央への行き方は知っている。でも、あなたに教えるかどうかは別問題」
「何故?」
「理由はまあ、色々あるけれども……なにより、ちょっと卑怯だと思うの」
「卑怯だって?」
「ええ。だって、普通の人はそんなに簡単に道を教えてもらえはしないからね。どうしても行きたいと願う人が、必死に必死を重ねて、努力に努力を重ねて情報をかき集めて、それでようやっとた辿り着けるのが中央っていう場所なの。そんなにあっさりと行き方を喋ったら、神聖さが失われてしまうっていうのかな」
「……よく分からないね、君の言っていることは」
「要するに、今、あなたに中央への行き方を教える気はないから自分で努力してねってこと。……ところで、私はそんなつまらないことを話に来たんじゃなかった! そう、あれよ、あれ。例の喋る箱の事」
話題が強引に変えられると同時に、彼女の表情から不敵な笑みが消え去った。
「MKN16型、のことか?」
「ええ、そう。彼女、元気? ……でもあの箱って彼女って呼んでいいのかしらね。女の子の声をしているけれども、実は声が高いだけの男の子って可能性も」
「自称は女の子らしいよ。そう言ってた」
僕はあばら家で交わした取り留めのない会話を思い出しながらそう答えた。
「それより、そうだ。すっかり忘れていたけれど……ありがとう。君が起動方法を教えてくれなかったら、僕は今頃も例の紛らわしいスーツで街を歩いていただろうから……」
「礼なんていらないわ。それより、彼女の調子はどう?」
「調子と言われても……まあ、元気に喋っているようだったけど」
「そう。……一つ訓告を与えておきますとね、あの人工知識は随分人間よりの設計になっていて、あんまり喋らないと寂しさで気を病んでしまいますからね。雑談でも何でもいいから、隙あれば喋ってやった方がいいと思うわ」
なぜそんなところまで人間を再現したのかと若干苦々しく思ったが、しかしまあ、高度な人工知能というのは最終的にそういう複雑性や面倒臭さを獲得するものなのだろう。――と、そんなことよりも、僕は彼女に聞きたいことがあった。
「そういえば、何故君はあいつの起動の仕方を知っていたんだい?」
僕の想像が正しく、また僕が幸運であるのであれば、彼女は僕の思った通りの言葉を述べるに違いなかった。そして彼女は、まさしく僕が期待していた通りの返事を返した。
「だって、似たようなものが中央にだってもありますもの」
僕は彼女と遭遇して初めて、胸の奥に温かい感覚が萌芽するのを感じていた。似たようなものが、中央にはある――僕にとっては未知の技術の結晶である、あの喋る箱と似たようなものが、中央にはあるのだ。その言葉は、その事実は、「マヨラナを修理する技術が中央にならあるのかもしれない」という推測が、決して荒唐無稽な願望でないことを証明する、勇気を与える一言であった。
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