変態紳士 白嘉の価値観

変態紳士 白嘉(HAKKA)

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僕が、創価学会の教えを信じるのに、創価学会や宗教を嫌う理由。人々が創価学会の教えを誤解している。

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世の中には、宗教を嫌う人がたくさんいる。
その中でも特に、創価学会は日本のなかでは嫌う人が多い。


嫌う理由は、勧誘だったり、選挙だったり。


僕は産まれた時から創価学会員だけど、高校の時くらいから『アンチ創価学会』でもあったので、人々が嫌う理由もよく分かる。


僕自身、真面目に活動をしていた時期もあったので、真面目に活動をしていたからこそ、純粋に教えを学び実践してきたからこそ、『組織運営』『組織のやり方』『組織の人間』が、信じられなくなり、宗教の教え、信仰自体は信じるけど、創価学会という組織は嫌になるという事が起きてしまう。


宗教の教え=哲学なので、哲学は受け止めやすいわけです。
ところが、人がやる事には、その哲学とズレが生じることがあるので、そのズレが生じてるまま組織運営が行われると、その組織にいるのが当然嫌になるわけです。



僕は、仕事の時は、結構言いたい事を言います。
組織として、仕事として、もっとこういう事をやった方がいいとか。
会社の場合は、ある程度聞く耳持ってくれるし、話を聞いてくれるし、何かしら取り組んでくれる。



だけど、宗教の場合って、それが難しい。


言いたい事を言う事はできても、宗教って哲学があるし、昔からやってきた事、先輩達から語り継がれてきた事があり、伝統を重んじる部分も強いので、今の時代にそくさないと言ったところで、組織として、それに対して何かしら変えよう、何かしら取り組もうとはしなかったんですよね。
巨大組織だから、勝手にいろいろ変えられない部分もあるしね。


仕事だったら、ある程度割り切るしかなかったりもする。
仕事しないと生きていけないし、働かないと生活出来ないから。


でも、宗教の場合は、やらなくても生きていけるし、会合出なくても、活動しなくても、生活は成り立つから、仕事みたいに我慢しようとはならないわけです。
宗教って、ストレスを感じてまでやることじゃないし、窮屈な想いしてまでやる必要もないし、仕事みたいに職場を良くしようみたいに、学会の組織を良くしようみたいな事は思えないので、僕は活動しない、会合に出ないって選択をしたんですよね。


出なくなってから一時期、家に来られたりする事もありました。
でも、僕は結構きつめの事を言ってました。

家に来られたら、家に帰りたくなくなるので、家に来ないでくださいとか。


壮年の方が、家の電気がついてたからって、家に来られた事もありました。
電気がついてたからって、それはもうストーカーですよ。


『選挙の時に、友達に公明党お願いしてください』と言われた時も、『いやです!』と、きっぱり断りました。

なぜですか?と聞かれて、『今の公明党は信用できないからです。応援したくなるような政党じゃありません!』と、ハッキリ言ったこともありました。


自民党のブレーキ役になってるんですよ?と説得されたけど、『そもそも公明党に期待してたのは、自民党のブレーキ役じゃなく、弱者のための、庶民のための政治です!それを思いきりやってくれないと困る!自民党と連立組んでから、政策が何もかも中途半端になっていて、公明党が本当にやりたいことができてません。野党にいってもいいから、自民党と離れないと、今の公明党は応援できない!自分が良いと思ってない政党を、友達にお願いできるわけがありません!』と、結構ハッキリ言ったんです。



今の公明党は、アクセルを踏んでます。
アクセルを踏んでいながら、ブレーキを踏んでると言い張ってるのと同じ。


僕も、創価学会からは嫌われてもいいってくらい開き直ってたから、ここぞとばかりに言いたい事を言ってました。

こういうのって、ちょっとイラってするから。余計にトゲがある言い方になっちゃうんですよね。
アポ無しで家に来てたから、余計に!



僕が活動してたころって、必ずアポ取るようにしてたんです。
僕自身が、いきなり来られるのが嫌だったから。
人に会うのって、心の準備が必要なんです。
そういう気分じゃない時ってあるから。
疲れてたりすると余計に。


突然来る人には、いつも思ってた。
自分の感覚だけで、自分のリズムだけで、人の家に来るなよって。
相手のことも考えろよって。



よく「創価学会は、『池田名誉会長』『池田先生』に対して、特別な存在と思っている、崇拝している事に違和感がある」という人達がいます。

池田教みたいなものでしょ!と言う人がいます。


正直僕は、創価学会よりも池田名誉会長を信じてきた側の人間です。
理由は、池田名誉会長の言葉で共感できるものが、たくさんあったから。
池田名誉会長の言葉どおりに、社会で実践すると、社会で信頼されるようになっていったから。


逆に、創価学会の組織運営や組織としてのやり方は、池田名誉会長の言葉とはズレがあったわけです。



じゃあ、どういうところにズレを感じていったのか?





これは、池田名誉会長が残してきた言葉です。
僕が、信じてきた教えです。
⬇︎

ーーーーーー


【人間革命】

いつの時代にあっても、人のうわさ話など無意味な語らいに時間を費やしたり、虚栄を追い求める人は多いが、真摯に自己を見つめようという人は少ない。
全ては、自己自身の変革から始まる。

昨日の自分から今日の自分へ。
今日の自分よりも明日の自分へ。
常に成長していくからこそ、勇気を与え、希望を与え、勝利へと導いていける。
日々変化し、日々成長する。
これが人間革命である。

自分をつくる積極的な努力があってこそ、法の正しい実践も可能になる。

幸福は自分で勝ち取るものである。
人から与えられるものではない。
人をうらやむ必要もない。
聡明に、楽しみを自分で見つけ、自分でつくり、自分で広げていく。
その喜びの城を、自分で開く事である。

信心しているからといって、夫との死別がないわけではない。
再婚も離婚もある。
病気で苦しむこともあれば、子供や姑との関係で悩むこともある。
その現実に根ざして、現実の苦悩を転換し、幸福への道を開いていくのが仏法である。


ーーーーーー



創価学会の根本精神は、人間革命です。
自分自身と向き合い、自分の中で原因を考え、自分自身を変えていく。
これが根本なんですが、創価学会の組織運営はこれを感じなかったんです。

自分達は正しい事をやっている。
自分達は悪くない。
友達と縁が切れても、友達に嫌われても、それまでの浅い関係だったんだと。
学会活動が原因で離婚した夫婦がいても、正しい事をやっているのだから、意味のある事だと言う。


いや、そうじゃなくない?
自分の中で原因を考え、自分自身を変えていくのが、この信仰じゃないの?
自分は間違ってない!自分は正しい!と言い張ってたら、人間革命できないじゃん!



まずは、そこのズレ。
根本精神からして、ズレてるし。




池田名誉会長は、組織というものに対しても、こんな言葉を残してます。
⬇︎

ーーーーー


【組織】

人の性格は様々であり、それぞれに特徴がある。
学会員もみな、個性豊かであり、決して一様ではない。
性格はそう簡単に変わるものではないし、多彩な個々人がいるがゆえに、組織としての力も存分に発揮される。
まず、一人一人の性格と個性を正確に把握していく事が、大切である。

現代は情報化時代であり、スピード時代である。
正確な情報を迅速に手に入れ、入念に検討し、的確な手をすばやく打っていく。
その積み重ねに勝利が生まれる。

一人の人が、心から納得すること。
いつ、いかなる場合でも、これが組織の基本である。
大きなかけ声だけで、人を動かしてみせても、それで広布が進展していると考えたら、大きな錯覚である。
それでは、決して長続きするものではないし、地についた発展の軌跡は描けない。

あらゆる人の意見に聞く耳を持つこと。
多くの人達の意見を聞き、分析し、次の進むべき道を探る。
競争に生き残り、発展している組織は、これを欠かしていない。
常に勉強し続ける謙虚さを失わないこと。
これらを持続できた人や団体こそ、時代の勝者になっている。

人をうまく動かす人を見て、あの人は力がある人材だという人がいる。
要領よく組織や人を動かし、それをもって人材と考えることは、大いなる誤りである。
そういう人は、必ずといってよいほど、人間を人間として見なくなり、組織の上にあぐらをかくようになる。
人をうまく使うことだけがうまい幹部であっては絶対にならない。

組織が大きいほど、また整備されるほど、形式主義と事なかれ主義が横行する。
多くの場合、そこから組織の衰退は始まる。

組織には、自由闊達にものが言える雰囲気が大事である。
感情的な議論ではなく、何でも語り合う風通しの良さが、絶対に必要である。
会員が意見を言いにくい、重苦しい圧迫感を与える幹部であってはならない。
人を抑えつける独裁は、仏法の精神と正反対である。

上が下を抑えつける組織は、器が伏せられ、下を向いているようなものである。
新しいものは、何も入らない。
一見まとまりがあるように見えて、発展性はもはやない。
むしろ上の人が、皆を下から支える。
それが、器としての組織の本来の形である。

自分は幹部だから、役職が上だから、後輩の言うことは聞く必要はない、などと言うのは、本末転倒である。
組織上の立場を全ての基準とする生き方は、正しき信心の姿勢ではない。


ーーーーーー



池田名誉会長は、組織というものに対して、こういう言葉を残してるのに、組織運営に携わる人達は、本当に池田名誉会長の弟子という自覚はあるのだろうか?と思ったりもした。

会合では、幹部達が池田名誉会長の素晴らしさを語ってみせるけど、池田名誉会長の言葉どおりに組織運営してるのかというと、そうじゃないと僕は思っていた。
だから僕は、学会という組織は、本来の教えからはズレてると思ったし、池田名誉会長はそういう幹部がいる事を察して、敢えてこういう言葉を残してるのかなとも思った。




池田名誉会長は、行動についても、こんな事を語ってます。
⬇︎

ーーーーーー


【行動】
世間では、認識はしていても行動しない人が少なくない。
反対に、行動はするが認識と見識に乏しい人も、多々見かける。
いずれも一方だけでは、社会と人間の変革を進めゆく価値の行為とはなりえない。
認識と行動は、いわば車の車輪であり、いかに理想が高く、実践力に優れていても、それが両立しなければ、空転を繰り返すことになる。

たとえ分野が異なっても、行動する人同士は話が通じる。
反対に、傍観者・見物人には責任感がない、ゆえに幾ら多く集まっても価値は創れない。

人間の世界でも、トップが動けば話は早い。
上がとかく腰が重く、動こうとしないところは、様々な問題が起き、人々を苦しめる結果になる場合が多い。
敏速な対応。これがリーダーの重要な条件である。

報告を聞いたなら、すぐに反応すること、すぐに手を打つこと。
これがリーダーの鉄則である。
国でも会社でも、反応が良い組織や団体は伸びていく。
反応が悪い組織は、沈滞してしまう。

大勢の前で華々しく話をするだけで、積極的に行動しないリーダーは決して本物ではないし、本物にはなれない。
組織の中に、権威主義や要領主義をはびこらせてはならない。

納得は確信を与え、独断は不安と不信を与える。
納得は心の交流を生み、押し付けは互いの心を遮断させる。
納得すれば、人は自ら行動を起こし、工夫を始める。
たとえ正しい事でも、納得出来ない限り、やる気も出ないし、能力も発揮できない。


ーーーーーーー



まさに、学会の組織運営って、池田名誉会長の言う悪い組織の典型じゃないですか?
これだと、人が離れてもしょうがない。
少子化だから青年が減ったんじゃなく、青年はたくさんいるけど、組織に魅力を感じなくなっていった事に、創価学会自体が気付かないといけなかった。

人が減ってから、人が少なくなってから、変わらなきゃっていうのが、そもそも遅い!




世間で言う勧誘、学会で言う弘教・折伏については、池田名誉会長はこんなふうに語ってました。
⬇︎

ーーーーーー


【弘教・折伏】

相手が信仰するかどうかは、別問題である。
信仰するかどうかで論争したり、無理に入会を進めるなど、感情的になったりしてはいけない。
焦ったり、窮屈に考えることは誤りである。

どんなに立派そうに説法しても、誰も分からないのでは何にもならない。
自己満足と権威のための説法にすぎない。
それでは仏法ではない。
人々を遠ざけ、法を下げてしまう。
感動しなければ、人は信じない。
納得しなければ、人は本気で動かない。
生活の現実に関係のない話に、民衆は耳を貸さない。
具体性がなければ、素晴らしさも分からない。


ーーーーーー



本来、折伏って、学会に入会させることが目的ではないはずなんです。
相手の悩みを聞いたり、相手の幸福を願ったりする中で、自分自身の視野が広がり、自分自身が成長していって、友人も自分自身もお互いに成長して、お互いに幸福になっていく。

相手のために悩み、相手のために祈り、人間の深さを知っていく。
そのために折伏ってするんですよね。


ところが、実際は創価学会に入会させることが目的になってる。
折伏は成果じゃないと言いながらも、組織は入会させるための動きになっていく。


入会とかそんなんじゃなく、純粋な折伏をしたいのに、純粋に友人・知人と向き合いたいのに、純粋に深い繋がりになりたいのに、組織があるがために、その純粋なものの妨げになってたりする。

大きな会合とかでは、たくさん入会させた人が賞賛されたりもして、折伏を真剣にやってきた自分からすると、そんなに入会させて、どうやって面倒見るの?って思ったりもした。

折伏ってどうしても、入会させる事に満足しちゃって、入会させたあとに放置して、別の新しい人を折伏してしまいがちになるので、それって人を救うことにならないし、相手のための折伏にならないし、自分自身が成長する折伏にもならないので、それじゃ何人入会させて、何人折伏しても、何の意味もない。


そう思ったら、僕は弘教とか折伏自体やらなくなりました。
何の為にやってるのか。
何か違うと思ったし、組織の動きも入会させるための動きになるから、もっと純粋に信仰できるようになるには、組織の動きに乗っからない方がいいと思うようになった。




池田名誉会長は、信仰についてこんなふうに語ってました。
⬇︎

ーーーーーー


【信仰】

どんな状況にあっても、楽しみを作っていける。
そうなれるための信仰である。

夢はどこまでも夢。
現実はどこまでも現実。
現実に根を張った真剣な努力もしないで、財産が欲しい、名誉が欲しいと、夢ばかり追っても、人生に成功するわけはない。
信心も同じである。
夢のような事ばかり願うのは信心ではない。
信心即生活の確かな歩みこそ、人生行路は開かれていく。

仏法は、口でどんな事を言うよりも、振る舞いが大切である。

人生それぞれ自由である。
どう生きようが、どう遊ぼうが、とやかく言う必要もなければ、とやかく言われる必要もない。
それを前提としたうえで、信仰は自分自身の深い境涯を開き、深い福運を積み、深い人生を生きていくためのものである。


ーーーーーー



友人に入会を勧める時に、幹部の人がよく言う事。


『この信心をやれば、絶対に幸せになれる!』
『この信心をやれば、絶対に夢が叶う!』



僕は、いつもそれは何か違うと思ってました。


他の宗教は、そういう教えかもしれない。
でも、創価学会はそういう信仰じゃない。


絶対に幸せになれるんじゃなく、どんな状況であっても、幸せを感じられる自分になるための信心。
絶対に夢が叶うんじゃなく、夢が叶えられる自分になるための信心。



祈れば叶うじゃなく、祈りを叶えられる自分になるための信心なんです。



僕は、そう伝えないといけないと思うんです。
学会に入会したら、良い事ばかり起きるみたいな、そういう信仰じゃないから!





⬆︎に書いたように、池田名誉会長が語ってきた事と、実際に組織で行われていたことって、ズレがあるんです。

学会員ってみんな池田名誉会長の書物持ってたりもするわけです。
⬆︎に書いた内容は、書物に書かれてる内容なんです。


それを読んでるはずなんです。
でも、実践してるようには見えないんです。
実践してたら、創価学会はこんなに人材減ってないと思うもん。
僕も、活動辞めなかったと思うし。


僕は学会活動をやっていた頃の自分を振り返ると、結構病んでたんですよね。
仕事のストレスもあって、学会活動のストレスも重なったら、病みます。
学会活動やらなくなってから、元気を取り戻したし。


僕は思うんです。
創価学会って、信仰以前の問題だと思うんです。
組織の役割、組織がやる事に、人をいろいろ使いすぎ。
それはもはや、信仰じゃなく、組織運営の為にやってるだけだもん。
信仰よりも組織運営を優先してるように感じるし。


信仰って、本当に組織でやる必要があるのか?
組織が、正しい純粋な信仰をやれる環境であるならまだしも、組織がその妨げになっちゃうし。


宗教って、本当に必要なのか?
正しい事を教えてくれるなら、人を元気にさせるなら。別に音楽だって、美術だって、アニメ・漫画だって良いわけで、宗教じゃなきゃいけないわけじゃない。
そういうので、人と人は繋がれるし。



少なくとも、人にストレスを与えるような宗教、信仰は必要ないと思う。





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