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40.ジョンの話

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40.ジョンの話
 かつて味わったことがないほどのふかふかのベッドで夢すら見ずに眠り込んでいたときに、サフソルムに叩き起こされた。いや、正確には鼻を嚙まれて、飛び起きた。
「起きろ、歌うたい」
「ひどい、起きてるよ! 何も鼻を噛まなくたっていいじゃないか」
「出かけるぞ」
「出かけるって一体どこへ。まだ夜中だろう?」
「外で皆、待ってる。楽器と荷物を持ってすぐに来い」
 額に手をやり、思いっきりため息をついた。報酬は? 報酬はちゃんと出るんだろうね?
 まだ夜だったが、全体的にほの白い気がした。月でも出ているのだろうか。
 少し肌寒い気がして黒いマントをはおり、いわれた通り荷物を持って、海側とは反対方向の屋敷の入口へと向かった。
 誰にも出会わずに静かな屋敷を通って門のところまで来ると、サフソルム、人間の姿のアリステア、そして白いベールをかぶった人物が待っていた。ぼくの姿を認めるとすぐに彼らは小走りに動き出した。ぼくはそれを追いかけた。
 空を見上げても月は見えなかったが、星がないところを探せないほどの小さな輝きが空一面に広がっていた。建物や道はほのかに照らされ、静かな街が明るく浮かび上がって見えた。
 細い道を下り、家々の間を抜け、誰にも会わないままに街を抜けた。道は続いていたが、周囲に家はなくなり、低い草が一面に生えだした。ぼくたちは隣に海を見ながら断崖の上を進んだ。
 先を行く彼らは歩みをゆるめなかった。遠くに小さな明かりが見えた。明かりのほうへと一行は進んでいって、やがて目的地というのは絶壁のそばに建てられた二階立ての家だというのが分かった。
 先頭の彼らが家の前に着き、ぼくの到着を待っていた。
 街はもうずっと遠くになっていた。周りにはこの家を除いて何もないようだった。どこまでも伸びていく道が一本あるきりで、草はぼうぼうに生えて、ほかに人っ子ひとり、生き物一匹見当たらなかった。
 二階建ての家は入口が狭く、絶壁に沿って細長く建てられていた。
 入口には屋根のついたポーチがあって、そこにぼくもあがると、白いベールをかぶっていた人物がそれを取った。
「イーバ?」ぼくはそういったけど、彼女は少し雰囲気が違っていた。昼間のように髪を大きく編んでまとめた頭ではなく、肩よりもずっと短く切った髪形でばさばさとした毛が頭を覆っていた。昼間の落ち着いた雰囲気ではなく、もっとずっと若く見えた。
「いまはイーバじゃない。レネア」彼女は嬉しそうに笑った。
「髪を?」
「昼間の頭はかつらなの。いまのこれは」と髪をいじりながら「枯れ草の塊がのってるみたいよね」と申し訳ないような、可笑しさをこらえきれないような口調でいった。
 サフソルムが口をはさんだ。「ここからはレネア様と呼ぶのだ、分かったな?」
「仰せの通りに」ぼくは答えた。
 レネアが扉を開け、サフソルムにアリステア、続けてぼくも入って扉を閉めた。
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