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74.マグナスとマリオンとカラスの話

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74.マグナスとマリオンとカラスの話
「これは一時的なものだ」
 塔の一番上の部屋でマリオンがマグナスの翼に触れたとき、彼はそういった。
「どうしてわかるの?」
「なんとなく。以前のものとは別物さ。限定的なものに違いない。マリオン、どうする?」
「どうするって?」
「いつまでここにあるか分からないよ」マグナスは翼を指した。「なにせどこかから飛んで来たんだから。いつまた飛んでいくかしれない。いまからアリステアのところへ向かうかい?」



                                                           *



 マリオンの屋敷を飛び立ったカラスはひたすら上を目指して羽ばたいていた。
 飛んでいる途中に下で大きな爆発が起きたときには驚きのあまり羽根が一瞬とまったが、めげずに空にある一点を目指した。
 カラスはやっとの思いでそこに到達した。
 本当なのか嘘なのか、カラスはその上を歩き回った。本当でもあり、嘘でもあるのだろう、カラスは右へ行き、また左へ戻った。呼吸を整え、足元を見つめ、じっと立ち止まった後、また顔をあげては思わせぶりに辺りを歩いた。
 下からは熱気と焦げた匂いが立ち上ってきていた。それを支えているものが崩れていくのは時間の問題だった。カラスは頃合いだと悟った。足を踏ん張り、足元の一点に狙いを定めた。
 ワシやタカは鋭い嘴を持っていたがカラスはそうではなかった。でも勢いをつけて地面に穴をあけた。
 パァーンと音がして、足元の「月」が割れた。割れた瞬間にカラスは飛び立ち、一目散に闇夜を飛んで逃げた。


 
                                                          *



 マグナスとマリオンが空に響いた音に驚き、外を見た。
「月がなくなった」マリオンがいった。上を見たマグナスもマリオンも空から何かが一斉に落ちてくる音と気配を感じた。
 上から落ちてくるものは空中のどこかで止まることを知らなかった。どんどん速度をあげて、勢いよく地面に到達した。大きな音をたてて、燃え上がる赤い炎と黒い煙の上に落ちてきたのは大量の水だった。水は屋敷の塔と屋敷を揺らした。木の塔の炎もエレクフレドの火も一瞬で搔き消え、それ自体も崩れ落ちてぺしゃんこになった。
 言葉もなく見守っているうちに今度は焦げ臭さの残る暗い夜の空にじわりと赤みが差した。そして驚くような速さで夜が明け、うす曇りの空が広がっていった。
 庭は大変な大水で溢れていた。水は揺れてどこへ行こうかと渦を巻き、波を作った。しかしそれも時間と共にどこかへ流れ、引いていった。
 マリオンの良い耳にふと、美しく澄んだ何かの音が聞こえてきた。鐘の音と男女の優しい歌声と。彼女は空を見上げ、音の源を探った。
 ほどなくして彼女はそれを見つけた。見つけるのは簡単だった。金色の光が雲の間からあふれているところがあったのだ。光だけではなかった。長くて優雅な布が幾重にも揺れて広がっていた。鐘の音が何度も聞こえた。金色の階段が見え、雲の間から翼の生えている者たちが何人も出てくるのも見えた。「マグナス、あれを」
 マグナスの瞳にもそれは映っていた。彼らは穏やかで、誰に対しても裁く心を持っておらず、誰をも尊んでいた。しかし当時は本当にはそれを分かっていなかった。
 かつては、あの世界において自分が感じる違和感があり、それを感じること自体、罪悪感を持つことになった。入口の扉が開かなかったのはどこかで心の迷いがあったから。白いフクロウが正しいと強く思っていれば。心の陰に負けずにいたならば。
「声が聞こえるわ」マリオンがいった。「女性の声よ。あなたの名前を呼んでる。それに、愛しているわ……って」
 マリオンの目から少し涙が滲んだ。「彼女だわ。あなたを呼んでいるのよ。行きなさい、早く!」動かない彼を見て、さらに続けた。「こうして翼を得ているのもそのために違いないわ。私、あなたが上へ向かったらアリステアのところへ行く、だから」
 マグナスは答えた。「聞こえてるよ。そうだ、彼女の声だ」
 マリオンの心配をよそにマグナスはやっぱり動こうとしなかった。金色の光はすぐ近くの空までやってきていたが、やがて表に出ていた翼を持つ人たちはお辞儀をしたり、大きく手を振ったりした後で再び雲の間へ戻っていった。鐘が盛大に鳴り響いて徐々に消えていき、金色の光は大きく瞬いた後、雲の奥へと吸い込まれていった。
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