ハルくんは逃げ出したい。~男子校の姫になったらストーカー護衛からの溺愛が重すぎる!~

夜薙 実寿

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第70話 密かな萌芽

 緋色に染まる帰路。夕焼けの沈む海岸線を眺めながら歩いていると、前方に見知った後ろ姿を見つけた。

「あ」

 東雲さんだ! オレは早速小走りで駆け寄って、声を掛けた。

「東雲さん!」

 東雲さんは、少し驚いたように振り向いた。彼の手には近場のコンビニ袋が提げられている。どうやら、その寄り道のお蔭でタイミング良く会えたようだ。

「あの、先刻はありがとうございました。助けて頂いて」

 ようやくお礼が言えて、ホッとした。しかし、東雲さんは、

「別に、あんたを助けた訳じゃない。他の客に迷惑だったから止めただけだ」
 
 と、突き放すように言った。
 
 ――あ。

 不快そうに眇められた目。拒絶するような視線に射抜かれて、心が瞬時に委縮した。

「そう、ですよね……すみません、オ……私、迷惑ばかり掛けてしまって……」

 何を勘違いしていたんだろう。店長にああ言われたからって、勝手に相手のことを分かった気になって浮かれて。ミスばかりする上に騒ぎまで起こすような奴、同僚が快く思う訳がない。
 己の不甲斐なさに落ち込んでいると、頭上から舌打ちが聞こえた。
 
「チッ」
「!」
 
 ひぃっ! お、怒……ッ!?
 顔を上げて窺うと、東雲さんはバツが悪そうにそっぽを向きながら、片手で頭を抱えていた。

 ――え?

「あー……違う。あんたを責めてる訳じゃない。迷惑って言ったのは、あいつらのことだ。その……言い方が悪かった」

 たどたどしく、言葉を探すように視線を泳がせながら、言い募る彼。

「初日から何でも完璧に出来る奴なんて居ねーし、絡まれたのは完全に向こうの問題で、あんたのせいじゃねーし……とにかく、あんたが一所懸命なのは、見てりゃ分かるから……だから、その……」

 ――もしかして、励まそうとしてくれてる?

 強面の彼がどこか必死に弁明する様に、オレは思わず……。

「ふっ」
「!?」
「あ、ごめん、笑っちゃって。馬鹿にしてるとかじゃなくて、ただ……店長の言った通りだったなって」

 笑み零したオレにギョッとした東雲さんだったが、その言葉を聞いて怪訝そうに眉根を寄せた。

「店長が?」
「東雲さんは優しい人だって」
「はぁ!?」

 思いっきり顔を顰める東雲さん。やはり仁王像のようで妙な迫力があるものの、今はもう、彼が怒っている訳ではないのだと分かる。
 ――そうだ。この人はきっと、不器用なだけだ。

「あの人、またそんな余計なことを……」
「すみません……オ、私、誤解してました。東雲さんのこと、最初は怖い人だと思ってて」

 ちゃんと関わったことも無いのに、相手がどんな人か勝手に決めつけてしまうのは良くないことだと、棗先輩の時にも学んだはずだったのに……オレはまだまだだ。
 オレが反省を示すと、東雲さんは目を丸くして、それからまた決まり悪げに前髪を搔き上げて舌打ちした。

「チッ……あー、いや、悪い……舌打ちこれは、言葉に詰まると出るっつーか……」
 
 成程、当人にとっては吃音みたいなものなのか。
 
「とにかく、俺がこんなだから人を怖がらせちまう訳で、別にあんたが……日向が謝ることはねーよ」
「ふふっ」
「……なんだよ」

 誤解していたオレを責めるでなく、フォローしてくれようとするなんて――。

 「やっぱり、優しい人だなって」

 何だか嬉しい気持ちになって、自然と頬が緩んだ。胸がぽかぽかと温かい。
 潮風に誘われたウェーブロングの髪を、片手で耳に掛ける。波の音が刹那の静寂しじまに響いた。
 破顔するオレに気圧されるように、東雲さんが息を呑んだ――その時。

「陽様!」

 聞き覚えのある……なんて、もんじゃない。この所、ずっと聞けてなくて聞きたかった声がオレの名を呼んだものだから、あまりに予想外な出来事にオレは瞬間頭が真っ白になって、ナメクジも斯くやという緩慢な動作で声の方向へと顔を振り向けた。そこには、やはり……。

「み、御影さん!?」

 例の執事風燕尾服ではなく、紺の半袖カットソーに白のパンツというきれいめな私服を身に纏った彼が居た。
 ――どうして、ここに!?

「これは、奇遇ですね。私も少々海が見たくなりまして。まさか、陽様がこのような場所においでだとは」
「ハル、さま?」

 疑問符を投げかけてきたのは、東雲さんだ。彼は突然の第三者の登場に目を白黒させている。その反応を見て、オレは現在自分の置かれている状況を思い出した。

「あ、あー! ほら、あだ名! 陽葵の陽は〝はる〟とも読むでしょ!? だから、そう!」
「お、おう……つーか、誰?」
「え、えっと、おに……お兄ちゃん! その……親戚筋の! お兄ちゃん、みたいな人!? っていうか、そんな感じ!」
「……ふぅん?」
 
 我ながらあまりにも苦しい言い訳だと思うが、それでも東雲さんは一応は納得してくれたようだった。

「それで、陽様、こちらの方は?」

 今度は御影さんが訊いてきた。

「バイト先の同僚の東雲さん! オ……私、今、海の家でバイトしてて!」

 女装なのは事情を察してくれ! どうか、今はツッコまないでいてくれ!
 必死に心中で訴えかけるオレを余所に、御影さんは飄々とした態度で東雲さんに笑み掛ける。

「さようでございますか。それは、それは。陽様のことを、どうぞよろしくお願い致します。陽様は何分このように愛らしいものですから、蜜に群がる虫の如く不埒な輩に目を付けられやすくて……東雲さん、でしたか? 貴方がそうでないことを願いますよ」

 紫電の瞳が、一瞬妖しげな紅を帯びる。その鋭い光に気付いているのか否か、東雲さんは困惑したように「……はぁ」と生返事を零した。
 オレは慌てて二人の間に割って入った。

「御影さん! もう、失礼だから! すみません、東雲さん」
「……いや」
「そのっ、じゃあオレ、いや私! この人と積もる話もあるので! また!」
「……ああ。気を付けて帰れよ」
 
 御影さんの腕に両腕を絡めて、ぐいぐいと引き剥がす。不自然な笑顔と共に暇を告げて、オレはそのまま同僚を置いて帰路とは反対の道を進んだ。
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