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第3章 廃校舎で隠れんぼ
第17話 睨めっこ
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「初めて見る怪異だネェ。何の七不思議だロォ」
クラウンが緊張感の無い感想を漏らした。病院の時に別行動だった彼は、あれを知らないのだ。実にけろりとしている。
「違う……」
「エ?」
「アイツ、病院に居た奴だよ!」
シフォンが唾を飛ばして叫んだ。まりあは戦々恐々と呟く。
「わたしを追ってきたんだ……」
何故だか、そんな気がした。
あまりに深刻な声音に、シフォンとクラウンが同時にまりあの方を見た。尋常でない怯え方の彼女に思うところがあったのだろう、次にクラウンは例の短剣を袖内から取り出すや、廊下の先の黒い影目掛けていきなり投げ付けた。
ヒュッ……小気味の良い風音を立てて飛んだ短剣は、しかしそのまま何かに当たることもなく、影の内に飲み込まれてしまう。
クラウンが唸った。
「手応えがないネェ。直接蹴散らさないと駄目カナァ」
「クラウン?」
彼の突然の行動に、問うようにまりあが名を呼ぶ。クラウンは彼女を見つめ返して、
「アレを追い払えばいいんデショ? ボクに任せてェ」
言うや、黒い影の方に向かって駆け出した。
「クラウン!」
まりあがギョッとして呼び止めるも、クラウンの方が速い。彼は瞬く間に影の目前まで迫ると、身を捻って脚を振りかぶった。
「だめ! それに触れたら――」
「エ?」
そこでようやくクラウンがまりあを振り返ったが、もう遅かった。突き出した勢いのままに、クラウンの蹴りが黒い影を抉る。ぶわっと煙を散らすように黒い靄の端が拡散したのも束の間、次の瞬間には寄り集まってクラウンの身体を包み込んでしまった。
「クラウン!」
返事は返ってこない。代わりに、黒い影が急加速した。
「ひっ」
二メートル程の距離を一瞬で飛び、かと思えば、また緩慢な動きに戻る。暫しのろのろ進んだ後に、また瞬間的に加速する。それを繰り返してどんどん近付いてくる。
「行こう、まりあ!」
シフォンの呼び掛けで、まりあの金縛りが解けた。竦む足を叱咤して、愛犬と共に反対側へと駆け出す。突き当たりの階段から下階に向かった。何処まで逃げれば安全ということもないが、気持ち的に少しでも遠くへと、一気に一階まで下りる。
再び廊下に出ると、前方に人影を見つけた。黒いタキシード。くるくるとした暗褐色のくせっ毛。まりあの元義父にも似た雰囲気の、眼鏡を掛けた男性。
間違いない。音楽室の肖像画から抜け出していた、あの人だ。気取ったふうもなく、廊下をただ歩いている。
「前方からシューベルト!」
「こんな時に!」
まりあとシフォンは肖像画の彼と鉢合わせないよう、横に折れて近場の扉の中へと飛び込んだ。別に何かされる訳でもないかもしれないが、怪異との遭遇は出来るだけ避けた方がいいだろう。
扉をぴしゃりと閉ざして、内側から押える。黒い影と対峙した所為で、まりあは酷く息が上がっていた。爆発しそうな鼓動を宥めて、零す。
「クラウンを置いてきちゃった……」
「アイツなら大丈夫だよ。看護師さんと同じだとしたら、この学校内の何処かに飛ばされただけだと思う」
「そ、そっか」
「でも、あの黒いのがまりあを狙ってるんだとしたら、まりあが捕まったらどうなるのか分からない。しばらく、ここでやり過ごそう」
「……うん」
方針を固めると、まりあは改めて周囲に視線を巡らせた。
(そういえば、ここはどこだろう?)
真っ先に目に入ったのは、二つ並んだベッド。奥の一つは、水色のカーテンで閉ざされている。病院を思わせるようなそれの存在で、疑問の答えはすぐに判明した。
(……保健室)
保健室の怪異は何だったっけ、と考えなくてもいいことを考えてしまう。
『カーテンに人影が映る……』
クラウンの言が脳裏を過り、思わずベッドに視線を向けた。今の所、何の異常も見受けられない。そもそも室内は暗く、まりあの方が明るいのだ。カーテン越しの影など見えよう筈も無い。
このまま何も起きないで欲しいと願うまりあだったが、その想いが裏目に出たか、見つめる内にパッとカーテンの向こうに灯りが点った。
(えっ?)
携帯電話のライトに似ていた。闇全体を照らし出す程ではない、限定された範囲だけの光。それでも目を引くには充分過ぎたし、何よりカーテンのスクリーンに影絵を映すには最適だった。
まりあの心臓が跳ねる。
そこに、こんもりとした膨らみが浮かび上がっていた。まるで、誰かがベッドで眠っているような……。
「まりあ、気にしちゃダメだ」
シフォンがまりあに囁く。彼も同じものを見ていたらしい。
「ここの怪異はカーテンに影が映るだけだ。放っておけば、何も出来ないよ」
「う、うん……」
でも、本当にそれだけなのだろうか?
まりあの不安を察したように、膨らみがもぞもぞと動き出す。身動ぎをするような間の後、むくりと人影が起き上がった。
「!」
女性だろうか、しなやかな曲線を持った細身の影だ。それがくいと顔を横に向け、カーテン越しにこちらを見たような気がした。
「まりあ、見ない方がいい」
「そ、そうなんだけど……」
目が離せない。ギラギラとした強い視線を布越しに感じる。蛇に射すくめられたカエルとは、こんな気分だろうか。少しでも視線を逸らしたら襲ってくるのではないかという恐怖心に、身動きが取れなくなる。
忠告したシフォンの方も、まりあと同じようにカーテンに釘付けになっていた。一人と一匹が息を詰めて見守る中、女の影は左右に首を傾げ、コキコキと骨を鳴らした。寝違えでもしたのかという所作の後、その首が――。
にゅうっと、伸びた。
「!?」
ギョッとした。まりあとシフォンが目を見開いて惚けている間にも、女の首は人間には有り得ない程に長くなっていく。天井にまで達しそうになると、くるくると弧を描き、それでも顔の向きはこちらを向いたまま、視線の圧は消えない。
「ろ、ろくろ首!?」
「まりあ、もう出よう!」
小声で言い交わし、カーテンに目を向けた状態で後ろ手に扉をゆっくりと開いた。そのまま退室しようとするが、まりあはそこで背筋がゾクリと粟立つのを覚えた。
バッと後ろを振り向くと、案の定例の黒い影が再び廊下の先に顕現してくる。
慌てて扉を閉ざした。
「まりあ!?」
「ダメ! アイツが追って来てる!」
「え!?」
「今は出られない!」
簡潔に状況を伝えて、カーテンの方へと視線を戻す。首の長い女の影は、相変わらずそこに存在していた。このまま怪異と同じ部屋で、黒い影が通り過ぎるのを待つしかない。
(そんな……何とかならないの?)
キリキリと胃が痛む想いで凝視していると、女はふとカーテンへと手を伸ばした。ゆっくり、ゆっくり……わざと焦らすような緩慢な動きで、内側から指先で擽る。
シュー……シュー……布の擦れる微かな音が、まりあの神経を逆撫でした。あんな薄幕など、女がその気になれば瞬時に取り除いてしまえるのだ。
やがて、端まで辿り着く。白く細長い、優美な指先が覗いた。尖った爪を食い込ませるように、カーテンの端を摘んでみせる。
「まりあ、まだ!?」
「ま、まだ……外からアイツの気配がするの……」
何故だか、まりあにはそれが分かった。だから、まだ動くことは出来ない。
(お願い……早く、早く行って!)
祈るまりあを嘲笑うかのように、女はそのままカーテンを開き始めた。遂に境界線を越えて、こちら側へ来ようとしているのだ。ぽっかりと開いたほんの少しの間隙に、視線が吸い寄せられる。逸らせない。
少しずつ、少しずつ……隙間は広がっていき、やがて、とぐろを巻く細長い頚部の一部が見えた。それに連なる頭の部分はまだ先だが、このままカーテンが全て開かれたら、どうなってしまうのだろう。
(早く……早く!)
ちらと長い黒髪が見えた。白衣らしき服装の肩。
間もなく、頭部の黒い塊がカーテンの向こうから全貌を現す――。
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「クラウン!」
まりあがギョッとして呼び止めるも、クラウンの方が速い。彼は瞬く間に影の目前まで迫ると、身を捻って脚を振りかぶった。
「だめ! それに触れたら――」
「エ?」
そこでようやくクラウンがまりあを振り返ったが、もう遅かった。突き出した勢いのままに、クラウンの蹴りが黒い影を抉る。ぶわっと煙を散らすように黒い靄の端が拡散したのも束の間、次の瞬間には寄り集まってクラウンの身体を包み込んでしまった。
「クラウン!」
返事は返ってこない。代わりに、黒い影が急加速した。
「ひっ」
二メートル程の距離を一瞬で飛び、かと思えば、また緩慢な動きに戻る。暫しのろのろ進んだ後に、また瞬間的に加速する。それを繰り返してどんどん近付いてくる。
「行こう、まりあ!」
シフォンの呼び掛けで、まりあの金縛りが解けた。竦む足を叱咤して、愛犬と共に反対側へと駆け出す。突き当たりの階段から下階に向かった。何処まで逃げれば安全ということもないが、気持ち的に少しでも遠くへと、一気に一階まで下りる。
再び廊下に出ると、前方に人影を見つけた。黒いタキシード。くるくるとした暗褐色のくせっ毛。まりあの元義父にも似た雰囲気の、眼鏡を掛けた男性。
間違いない。音楽室の肖像画から抜け出していた、あの人だ。気取ったふうもなく、廊下をただ歩いている。
「前方からシューベルト!」
「こんな時に!」
まりあとシフォンは肖像画の彼と鉢合わせないよう、横に折れて近場の扉の中へと飛び込んだ。別に何かされる訳でもないかもしれないが、怪異との遭遇は出来るだけ避けた方がいいだろう。
扉をぴしゃりと閉ざして、内側から押える。黒い影と対峙した所為で、まりあは酷く息が上がっていた。爆発しそうな鼓動を宥めて、零す。
「クラウンを置いてきちゃった……」
「アイツなら大丈夫だよ。看護師さんと同じだとしたら、この学校内の何処かに飛ばされただけだと思う」
「そ、そっか」
「でも、あの黒いのがまりあを狙ってるんだとしたら、まりあが捕まったらどうなるのか分からない。しばらく、ここでやり過ごそう」
「……うん」
方針を固めると、まりあは改めて周囲に視線を巡らせた。
(そういえば、ここはどこだろう?)
真っ先に目に入ったのは、二つ並んだベッド。奥の一つは、水色のカーテンで閉ざされている。病院を思わせるようなそれの存在で、疑問の答えはすぐに判明した。
(……保健室)
保健室の怪異は何だったっけ、と考えなくてもいいことを考えてしまう。
『カーテンに人影が映る……』
クラウンの言が脳裏を過り、思わずベッドに視線を向けた。今の所、何の異常も見受けられない。そもそも室内は暗く、まりあの方が明るいのだ。カーテン越しの影など見えよう筈も無い。
このまま何も起きないで欲しいと願うまりあだったが、その想いが裏目に出たか、見つめる内にパッとカーテンの向こうに灯りが点った。
(えっ?)
携帯電話のライトに似ていた。闇全体を照らし出す程ではない、限定された範囲だけの光。それでも目を引くには充分過ぎたし、何よりカーテンのスクリーンに影絵を映すには最適だった。
まりあの心臓が跳ねる。
そこに、こんもりとした膨らみが浮かび上がっていた。まるで、誰かがベッドで眠っているような……。
「まりあ、気にしちゃダメだ」
シフォンがまりあに囁く。彼も同じものを見ていたらしい。
「ここの怪異はカーテンに影が映るだけだ。放っておけば、何も出来ないよ」
「う、うん……」
でも、本当にそれだけなのだろうか?
まりあの不安を察したように、膨らみがもぞもぞと動き出す。身動ぎをするような間の後、むくりと人影が起き上がった。
「!」
女性だろうか、しなやかな曲線を持った細身の影だ。それがくいと顔を横に向け、カーテン越しにこちらを見たような気がした。
「まりあ、見ない方がいい」
「そ、そうなんだけど……」
目が離せない。ギラギラとした強い視線を布越しに感じる。蛇に射すくめられたカエルとは、こんな気分だろうか。少しでも視線を逸らしたら襲ってくるのではないかという恐怖心に、身動きが取れなくなる。
忠告したシフォンの方も、まりあと同じようにカーテンに釘付けになっていた。一人と一匹が息を詰めて見守る中、女の影は左右に首を傾げ、コキコキと骨を鳴らした。寝違えでもしたのかという所作の後、その首が――。
にゅうっと、伸びた。
「!?」
ギョッとした。まりあとシフォンが目を見開いて惚けている間にも、女の首は人間には有り得ない程に長くなっていく。天井にまで達しそうになると、くるくると弧を描き、それでも顔の向きはこちらを向いたまま、視線の圧は消えない。
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「まりあ、もう出よう!」
小声で言い交わし、カーテンに目を向けた状態で後ろ手に扉をゆっくりと開いた。そのまま退室しようとするが、まりあはそこで背筋がゾクリと粟立つのを覚えた。
バッと後ろを振り向くと、案の定例の黒い影が再び廊下の先に顕現してくる。
慌てて扉を閉ざした。
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「ダメ! アイツが追って来てる!」
「え!?」
「今は出られない!」
簡潔に状況を伝えて、カーテンの方へと視線を戻す。首の長い女の影は、相変わらずそこに存在していた。このまま怪異と同じ部屋で、黒い影が通り過ぎるのを待つしかない。
(そんな……何とかならないの?)
キリキリと胃が痛む想いで凝視していると、女はふとカーテンへと手を伸ばした。ゆっくり、ゆっくり……わざと焦らすような緩慢な動きで、内側から指先で擽る。
シュー……シュー……布の擦れる微かな音が、まりあの神経を逆撫でした。あんな薄幕など、女がその気になれば瞬時に取り除いてしまえるのだ。
やがて、端まで辿り着く。白く細長い、優美な指先が覗いた。尖った爪を食い込ませるように、カーテンの端を摘んでみせる。
「まりあ、まだ!?」
「ま、まだ……外からアイツの気配がするの……」
何故だか、まりあにはそれが分かった。だから、まだ動くことは出来ない。
(お願い……早く、早く行って!)
祈るまりあを嘲笑うかのように、女はそのままカーテンを開き始めた。遂に境界線を越えて、こちら側へ来ようとしているのだ。ぽっかりと開いたほんの少しの間隙に、視線が吸い寄せられる。逸らせない。
少しずつ、少しずつ……隙間は広がっていき、やがて、とぐろを巻く細長い頚部の一部が見えた。それに連なる頭の部分はまだ先だが、このままカーテンが全て開かれたら、どうなってしまうのだろう。
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