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第4章 真実の扉
第24話 呼び声
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「まりあチャンが大人になった!?」
「こっちがまりあの本来の姿なんだよ」
驚くクラウンに説明を加え、シフォンが感慨深げに言う。
「良かった、まりあ。ちゃんと取り戻せたんだね」
見つめられ、まりあはややはにかむように首肯した。それから、申し訳なさげに眉を下げて言う。
「ごめんね、クラウン。クラウンは子供好きだからわたしの力になってくれたんだよね。なのに、わたし……」
クラウンはキョトンとした後、慌てたように両手を左右に振ってみせた。
「違うヨォ。まりあチャンがいい子だからだヨォ。だから、何も謝る必要なんか無いんだヨォ」
今度はまりあが目を丸くする番だった。それから、ふっと微笑を漏らし――。
「ありがとう」
告げると、それを受けたクラウンが「エヘヘ」と誇らしげにピエロマスクの赤い団子鼻を指で摩った。
まりあは一頻り微笑んでから、表情を改めて静かに言葉を紡ぐ。
「……わたしは、もう何も知らない子供になってしまいたかった」
思い出したくなかった、過去の忌まわしい記憶。――自分は殺人者。もう人並みの幸せを享受してはならない。
けれど、一度知ってしまった幸福は、彼女自身を苛んだ。正人との思い出が幸福であればある程、それは身を焦がす程の責め苦となった。
「だから、逃げた……。今度は、幸せだった記憶を自分で閉じ込めたんだ」
忘却の呪いで失われたのは、子供の頃の記憶だけ。自分がここに来る切っ掛けとなった出来事の記憶は、ずっとまりあの中に残っていたのだ。
それを思い出させてくれたのは、正人がくれた指輪だった。本物の婚約指輪ではない、まだ子供のママゴトみたいな些細な約束だけれど、いつかはと二人で誓い合った。
左の薬指に光る細身の銀環に、右手で包み込むように触れた。ひやりと冷たい感触。けれど、そこには胸を温める沢山の思い出が込められていた。
瞳を閉じる。心の中で〝ごめんね〟と〝ありがとう〟を告げた。
(逢いたい)
まだ、手遅れでないのなら。許されるのならば、もう一度彼の元へ行きたいと願った。
そこには、みちるも居る。
今度こそ、逃げずにきちんと話をしよう。
途端、目の前が眩く輝き出した。宵闇の虚空に白い光が亀裂を成す。それが徐々に広がっていき、やがては長方形を描いた。
扉だ。壁や屋根の類はない。ノブの着いたシンプルな扉が、突如としてその場に出現していた。
純白に光り輝くドア。今はすっかり輝きを取り戻したまりあの生命の光に似ているが、それが記憶の欠片でないことはすぐに分かった。
あれは、きっと――。
「現世への扉だ。元の世界に帰れるよ、まりあ」
シフォンが答え合わせを口にした。まりあは扉から愛犬の方へと視線を移す。
「まりあが自分の身体に戻る為には、全ての記憶を取り戻した上で自らの意思で生きることを選択しなければならなかったんだ。死を願う気持ちのままだと、その扉は現れなかった」
彼は言う。力強い眼差しで。
「まりあ、きみは人殺しなんかじゃない。胸を張って生きていいんだ」
湧き上がる衝動に、まりあは喉を詰まらせた。目頭が熱くなる。声を上げて、泣き出したくなった。けれど、それを懸命に堪える。――もう、子供じゃないから。
「ほら、きみを呼んでいるよ」
促されて、扉を見遣る。その向こう側から、声が聞こえた。
囁くように小さく。時折、叫ぶように高く。途切れそうにか細くて、けれど力強い声。
〝まりあ〟
(わたしを呼んでいる)
張り裂けそうで、切羽詰まったような、聞く者の胸を抉る、ひどく切ない音色。
それは、よく知る愛おしい人達の声だった。
(正人さんと……ママだ)
一人じゃなかった。ずっと、まりあのことを呼んでいたのは。
「ほら、行ってあげなよ。きみを待ってる」
シフォンが優しく囁いた。
「でも……」
「お母さんのことが許せないかい?」
問われて、まりあは一拍の間を置いて、そっと首を横に振った。
何も気にしていないといったら嘘になる。だけど、全てが嫌な訳じゃない。
(ママはママなりに、わたしのことを愛してくれていた)
そのやり方は独善的で間違ってはいたけれど。
きゅっと、ワンピースの裾を握る。子供のまりあが着ていたお気に入りの白いワンピース。あれも、実は母親がまりあの為に作ってくれたものだった。
「全部を許せる訳じゃないけど……嫌いになんかなれないよ。だって、あの人はわたしのママだもん」
逃げないで、向き合うと決めた。それは、彼女にも当てはまることだ。
それでいいと励ますように、シフォンが無言で尻尾を振る。彼の瞳は、朝焼けの空みたいな穏やかな色を湛えていた。
喉元のものを嚥下し、まりあは意を決して白い扉に手を掛けた。慎重にノブを回し、ほんの数センチ薄く開いてみる。内側から光が差した。
更に開くと、更に光が増していく。
扉の先には、現世が見えた。病院のベッドに横たわり、目を瞑る自分の姿。ベッド脇に、心配そうにまりあの手を取り名を呼ぶ真理子の姿がある。その傍らには、恋人の正人も居た。
まりあが目を覚ますのを、待っている。
「まりあ……」
今一度、シフォンが呼び掛けた。まりあは一歩踏み出そうとして、躊躇う。パッと愛犬の方を振り向いた。
「シフォンも、一緒に」
「ぼくは行けないよ。……分かってるよね?」
叩かれたような心地がした。
分かっている。最初から。
『あのね、まりあ……シフォンは、もう……』
真理子の声が耳に蘇る。
シフォンは、助からなかった。疾うの昔――あの時に亡くなってしまっていた。
(知ってた)
知っていた、けれど。
「……おばけでも、いいから」
それでも、傍に居て欲しい。そう願うのは、きっと傲慢だ。
シフォンは哀しげに鼻を鳴らし、苦笑した。
「駄目だよ、まりあ。その扉は、まりあしか通れないんだ」
聞き分けの悪い子供みたいに押し黙るまりあに、諭すように彼は続けた。
「大丈夫。ぼくはまた天国からまりあのことを見守っているよ。きみもいつかは、旅の終わりに辿り着く場所だから、その時にきっとまた逢える。永遠のお別れにはならないよ」
きっと、また逢える。
その言葉に、まりあが顔を上げた。
「……本当? わたしが行くまで、そこで待っていてくれる?」
「うん。いつまででも待ってるから。何年でも何十年でも――ゆっくりと、おいで」
滲み出した視界を誤魔化すように、まりあは大きく頷きを返した。
「約束ねっ」
次に顔を上げた時には、そこには満開の花にも負けない、明るく晴れやかな笑顔が刻まれていた。
まりあが歩き出す。自らの進むべき道を。祝福するように、扉の内側から一層眩く光が溢れ出した。
最後にもう一度だけ、振り返って彼女は礼を述べた。
「ありがとう、シフォン。クラウンも……ありがとう。いっぱい助けてくれて」
「どういたしまして~。まりあチャン、元気でネ~」
相変わらず呑気なクラウンの挨拶に、自然、笑みが零れる。
「行ってらっしゃい、まりあ」
「行ってきます!」
さよならの代わりにシフォンとそんなやり取りを交わすと、まりあは手を振り、光の輪の中へと還っていった。
「こっちがまりあの本来の姿なんだよ」
驚くクラウンに説明を加え、シフォンが感慨深げに言う。
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見つめられ、まりあはややはにかむように首肯した。それから、申し訳なさげに眉を下げて言う。
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今度はまりあが目を丸くする番だった。それから、ふっと微笑を漏らし――。
「ありがとう」
告げると、それを受けたクラウンが「エヘヘ」と誇らしげにピエロマスクの赤い団子鼻を指で摩った。
まりあは一頻り微笑んでから、表情を改めて静かに言葉を紡ぐ。
「……わたしは、もう何も知らない子供になってしまいたかった」
思い出したくなかった、過去の忌まわしい記憶。――自分は殺人者。もう人並みの幸せを享受してはならない。
けれど、一度知ってしまった幸福は、彼女自身を苛んだ。正人との思い出が幸福であればある程、それは身を焦がす程の責め苦となった。
「だから、逃げた……。今度は、幸せだった記憶を自分で閉じ込めたんだ」
忘却の呪いで失われたのは、子供の頃の記憶だけ。自分がここに来る切っ掛けとなった出来事の記憶は、ずっとまりあの中に残っていたのだ。
それを思い出させてくれたのは、正人がくれた指輪だった。本物の婚約指輪ではない、まだ子供のママゴトみたいな些細な約束だけれど、いつかはと二人で誓い合った。
左の薬指に光る細身の銀環に、右手で包み込むように触れた。ひやりと冷たい感触。けれど、そこには胸を温める沢山の思い出が込められていた。
瞳を閉じる。心の中で〝ごめんね〟と〝ありがとう〟を告げた。
(逢いたい)
まだ、手遅れでないのなら。許されるのならば、もう一度彼の元へ行きたいと願った。
そこには、みちるも居る。
今度こそ、逃げずにきちんと話をしよう。
途端、目の前が眩く輝き出した。宵闇の虚空に白い光が亀裂を成す。それが徐々に広がっていき、やがては長方形を描いた。
扉だ。壁や屋根の類はない。ノブの着いたシンプルな扉が、突如としてその場に出現していた。
純白に光り輝くドア。今はすっかり輝きを取り戻したまりあの生命の光に似ているが、それが記憶の欠片でないことはすぐに分かった。
あれは、きっと――。
「現世への扉だ。元の世界に帰れるよ、まりあ」
シフォンが答え合わせを口にした。まりあは扉から愛犬の方へと視線を移す。
「まりあが自分の身体に戻る為には、全ての記憶を取り戻した上で自らの意思で生きることを選択しなければならなかったんだ。死を願う気持ちのままだと、その扉は現れなかった」
彼は言う。力強い眼差しで。
「まりあ、きみは人殺しなんかじゃない。胸を張って生きていいんだ」
湧き上がる衝動に、まりあは喉を詰まらせた。目頭が熱くなる。声を上げて、泣き出したくなった。けれど、それを懸命に堪える。――もう、子供じゃないから。
「ほら、きみを呼んでいるよ」
促されて、扉を見遣る。その向こう側から、声が聞こえた。
囁くように小さく。時折、叫ぶように高く。途切れそうにか細くて、けれど力強い声。
〝まりあ〟
(わたしを呼んでいる)
張り裂けそうで、切羽詰まったような、聞く者の胸を抉る、ひどく切ない音色。
それは、よく知る愛おしい人達の声だった。
(正人さんと……ママだ)
一人じゃなかった。ずっと、まりあのことを呼んでいたのは。
「ほら、行ってあげなよ。きみを待ってる」
シフォンが優しく囁いた。
「でも……」
「お母さんのことが許せないかい?」
問われて、まりあは一拍の間を置いて、そっと首を横に振った。
何も気にしていないといったら嘘になる。だけど、全てが嫌な訳じゃない。
(ママはママなりに、わたしのことを愛してくれていた)
そのやり方は独善的で間違ってはいたけれど。
きゅっと、ワンピースの裾を握る。子供のまりあが着ていたお気に入りの白いワンピース。あれも、実は母親がまりあの為に作ってくれたものだった。
「全部を許せる訳じゃないけど……嫌いになんかなれないよ。だって、あの人はわたしのママだもん」
逃げないで、向き合うと決めた。それは、彼女にも当てはまることだ。
それでいいと励ますように、シフォンが無言で尻尾を振る。彼の瞳は、朝焼けの空みたいな穏やかな色を湛えていた。
喉元のものを嚥下し、まりあは意を決して白い扉に手を掛けた。慎重にノブを回し、ほんの数センチ薄く開いてみる。内側から光が差した。
更に開くと、更に光が増していく。
扉の先には、現世が見えた。病院のベッドに横たわり、目を瞑る自分の姿。ベッド脇に、心配そうにまりあの手を取り名を呼ぶ真理子の姿がある。その傍らには、恋人の正人も居た。
まりあが目を覚ますのを、待っている。
「まりあ……」
今一度、シフォンが呼び掛けた。まりあは一歩踏み出そうとして、躊躇う。パッと愛犬の方を振り向いた。
「シフォンも、一緒に」
「ぼくは行けないよ。……分かってるよね?」
叩かれたような心地がした。
分かっている。最初から。
『あのね、まりあ……シフォンは、もう……』
真理子の声が耳に蘇る。
シフォンは、助からなかった。疾うの昔――あの時に亡くなってしまっていた。
(知ってた)
知っていた、けれど。
「……おばけでも、いいから」
それでも、傍に居て欲しい。そう願うのは、きっと傲慢だ。
シフォンは哀しげに鼻を鳴らし、苦笑した。
「駄目だよ、まりあ。その扉は、まりあしか通れないんだ」
聞き分けの悪い子供みたいに押し黙るまりあに、諭すように彼は続けた。
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きっと、また逢える。
その言葉に、まりあが顔を上げた。
「……本当? わたしが行くまで、そこで待っていてくれる?」
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滲み出した視界を誤魔化すように、まりあは大きく頷きを返した。
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最後にもう一度だけ、振り返って彼女は礼を述べた。
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