寒いから、温かい飲み物を

椿猫

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前編

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「……寒い……」

 伯爵家に勤めるメイドのレジーヌは、ぶるりと身体を震わせた。
 秋も深まりそろそろ本格的な冬がやってこようという時期になったので、メイドたちの中でも外掃除を誰がやるのかで毎回揉めている。
 一応、当番制になってはいるけれど、伯爵家で仕事を始めて間もないレジーヌは、何だかんだと外掃除を押しつけられていた。
 とはいえ、レジーヌは北の方の出身なので、寒いけれどこれくらいなら何とか耐えられる寒さだ。
 それに、掃除が終わってからの、密かな楽しみもある。
 外掃除が終わったら少し休憩していいことになっていて、その時に温かい飲み物を飲む。
 それがとても心と身体に染みて、ほっとする瞬間なのだ。
 その瞬間を味わいたくて、外掃除をしているようなものだ。

「ふぅ、終わった、終わった」
 
 裏庭の葉っぱの掃き掃除を終えたレジーヌは、きょろきょろと辺りを見回して誰もいないことを確認してから、掃除道具やら何やらを持って目立たない位置にある小屋へと入って行った。
 以前は、庭師が住んでいた小屋なので台所もある。庭師が交代して通いになった今も休憩場所として使ってよくて、お湯くらいなら湧かしてもいいことになっている。
 とはいえ、わざわざ一度外に出ないと行けないし、夏は暑くて冬は寒い場所なので、使う人間はあまりいない。しかも、二部屋ある内の一部屋はよく分からない道具などが置いてあるので、物置小屋という感じの方が強い。
 けれどレジーヌは、誰も来ないこの場所を気に入っていた。
 そういう人間は他にもいるようで、最近、誰かがこの場所を使っている気配を感じている。
 具体的には、レジーヌが持ち込んだカップとは別のカップが置かれていたり、レジーヌが飲んでいる紅茶の銘柄以外の紅茶が置かれていたり……。しかも、好きに使っていい、と書かれた紙もあった。気配どころか、完全に誰かが使っている。
 けれど、レジーヌはまだその人に会ったことはない。
 何となくレジーヌもクッキーを置いてみたら、翌日にはジャムが置かれていた。
 悔しくなって、思わずメイド仲間内で評判の、美味しい焼き菓子の詰め合わせを置いてみたら、お礼の手紙があった。
 本当に誰だろう。
 文字は綺麗だったが、文字だけで男女の区別はつかない。
 それに、そもそもここを使う酔狂な人物など思い浮かばない。
 使用人仲間にさりげなく聞いてみても、ここを使っているのはレジーヌくらいだった。
 それに、毎日使っているわけではないらしく、置いたお菓子がそのまま残っていることもあった。

「本当に誰だろー?」

 誰だろうと言いながらも、レジーヌは本格的にその人を探す気などない。
 ただ、このちょっとした物々交換的な交流を楽しんでいた。
 身体は冷えても、心はほんの少しだけ温まる。
 そう思っていた日々は、ある日、突然終わりを告げた。
 いつも通り寒さに耐えながら仕事をし、温かい飲み物を、と思って小屋に行ったら、一人の青年がソファーでくつろいでいた。
 いや、これはくつろぐ、でいいのだろうか?
 古びたソファーに座った青年は、手足を投げ出してぐでっとしていた。
 夏場なら、溶けてるんじゃないのか、と心配しただろう。
 温かそうな上着を着てはいるけれど、ちゃんと生きているのかな?、と思ってレジーヌは物音を立てないようにそっと近付いた。
 青年は、目をつぶって眠っていた。
 綺麗な顔立ちをしているのに、ちょっと目の下に隈があって不健康に見える。きっとここのところ睡眠不足だったのだろう。

「……生きてる?よね?」

 ここでもし死体が発見された場合、第一容疑者がレジーヌになってしまうので、それは避けたい。
 よく見ると、ちゃんと胸の辺りが上下に動いているし、呼吸もしているのでちゃんと生きている。
 ひとまず、容疑者は回避された。
 レジーヌは、いつも自分で使う用に置いてある毛布を持って来ると、青年にそっとかけた。

「ま、ないよりはマシでしょう」
 
 そのまま何をすることもなく小屋から出て行った。
 何となく、青年の眠りを邪魔する気にはなれなかったのだ。

「たまには、あっちに行こうかな」

 厨房横に小さな部屋があって、本来はそこが使用人の休憩室だ。
 交代で休憩を取っているので、昼間は誰かがそこにいる。
 レジーヌが顔を出すと先輩のメイドがいて、そのまま恋バナに花を咲かせた。
 翌日、レジーヌが小屋に行くと、さすがに青年はいなくなっていて、毛布が折りたたまれて丁寧にソファーの上に置いてあった。
 どうやら青年は無事にこの小屋から出て行ったようだ。
 というか、無事じゃない方が困る。
 さらに翌日には、机の上に珍しいチョコレート菓子が置いてあった。
 きっとこの間のお礼なのだと勝手に解釈して、レジーヌは甘いチョコレートを美味しく頂いた。
 
「美味しい。これを独り占め出来るって、贅沢だよね」

 にやにやしながら、誰かに見つかる前に素早くお腹の中に収めたレジーヌは、大変満足していた。
 青年に毛布をかけてあげただけなのだが、こんなに贅沢な時間が持てるとは思わなかった。
 外掃除もいいものだ。
 そんな風に思いながら、レジーヌはいつも通り、仕事を始めたのだった。
 
  ◆

 それから青年に会うことはなかったが、たまにやっぱりお菓子が置いてある時があったので、青年は元気そうだと一人でほっこりしていた。
 そんな変わらない日常に変化が訪れたのは、先輩メイドの怒鳴り声からだった。

「アンタ!アンタが盗ったんでしょう!この泥棒猫!」

 使用人仲間と大広間の掃除をしていたレジーヌたちは、最初、誰に向かってその言葉が放たれたのか分からなかった。
 そしてビシッと指されたのはレジーヌだったのだが、心当りが全くない。

「へ?何を?」
「しらばっくれないで!ケビンのことよ!」
「ケビン?」

 って誰?
 レジーヌはその名前に心当りがなくて困惑していたのだが、先輩メイドはその間もレジーヌを罵倒し続けていた。

「あの、そのケビンさんとやらが誰なのか知らないんですが……?」
「私の恋人よ!庭師の!」
「あー、通いの」

 あまり会ったことがなかったし、たまに会っても庭師の若い方の兄ちゃんとしか覚えてなかったので、名前をすっかり失念していた。

「最近、ケビンの様子がおかしいと思っていたら、アンタ、ケビンと庭の小屋でこそこそ会ってたんでしょう!」
「いやいや、会ってないですよ」
「嘘つかないでよ。アンタがいつもあの小屋に入って行くのを皆、見てるんだから!」
「小屋は使っていますけど、いつも一人ですよ?誰もいないので、休憩するのにちょうどいいんです」
「あんな寒いところで休憩するなんて、信じられるわけないでしょう?休憩時間にケビンと会ってたのね!」
「違いますって。誰か、そのケビンさんとやらを呼んで来てもらえませんか?ものすごく誤解が……」

 レジーヌの言葉に、メイドの一人が件のケビンさんを連れて来たが、やっぱりレジーヌは挨拶くらしかしたことのない青年だった。

「ケビン!あなた、そこのレジーヌと小屋でこそこそ会ってたんでしょう!」
「否定してもらえませんか?会ったことないですよね?」

 レジーヌの言葉に、ケビンは目を泳がせた後、にやりと笑った。

「そうだよ」
「は?どうしてそういうこと言うんですか?」

 小屋で一度も会ったことないのに、ケビンは悪びれずに肯定した。

「やっぱり!」
「誤解が進んだ!」

 先輩メイドの怒りが頂点に達しようとしている。

「どうして!どうしてなの!私のよりそのチンチクリンの方がいいっていうの!」
「だって、お前、いつもそんな感じじゃん。俺がちょっと可愛い子に声をかけただけで、すぐヒステリックに叫ぶし」

 いや、それはお前が悪い。恋人と一緒にいる時に、他の女性に声をかけるなよ。しかも、可愛いからって理由で。
 はらはらしながら見ている使用人仲間たちの心の声と、レジーヌの心の声が一致した。

「その子の方がお前より可愛いし、ちょうどいいから、レジーヌ、俺の新しい恋人になれよ」
「嫌です。断固としてお断りします。気持ち悪い。近寄らないでください」

 ケビンの発言に、レジーヌは迷うことなく速攻で断った。

「そもそもすごい嘘つきじゃないですか。私、あの小屋であなたに会ったことなんて、一度もないです。なのに、会ってたとか言うし。恋人がいるのに他の女性に声をかけたあげく、全く関係のない私を巻き込んで、先輩の恨み辛みをこっちに向けさせようとしてくるし。良いところが全くない男は、いらないんですよ」
「はぁ?」

 断った挙げ句に、痛いところを突かれたケビンが、レジーヌを睨み付けたちょうどその時、大広間の扉が開かれて、執事長が入って来た。

「そこまでです」
「執事長、レジーヌが!」
「黙りなさい。あなたの怒鳴り声は、外にまで響いていましたよ。みっともない」

 先輩メイドが執事長にレジーヌのことを訴えかけようとしたが、執事長はそんな先輩を黙らせた。

「それから、ケビン、あなたも全くの嘘を言うのは止めなさい。あなたがそんな人間だということが分かって、大変失望しました」
「いや、俺、嘘なんて」
「レジーヌは、いつもあの小屋で一人でいました」

 まさかの執事長の一言に、ケビンと先輩メイドがバッとレジーヌの方を見た。
 いやいや、執事長と逢引きなんてしてませんって!
 だいたい執事長、父親くらいの年齢の人ですよ。
 それに愛妻家だし。
 慌ててレジーヌは、プルプルと首を横に振った。

「変な誤解をしないように。私がちょうどあの辺の見回りに行く時間が、だいたいレジーヌの休憩時間なんですよ。小屋の中で、一人温かそうな飲み物を飲んでほっこりしている姿を見かけては、正直、羨ましいと思っていたのです。この時期、外は寒いですからね。それに、あなたたちがいつもレジーヌに外掃除をさせていることには、少々思うところもありました」

 執事長の言葉にに、怒鳴っていた先輩メイドを始め、その場にいた使用人たちがばつの悪い顔をした。
 レジーヌに押しつけていたのは、事実だから。
 そして、それを執事長が知っていたのだから。

「風紀を乱しているのはどちらですか」

 執事長の言葉に、先輩メイドは目を逸らしたが、ケビンは何故か勝ち誇った顔をした。

「怒鳴っていたのは、コイツです。コイツが全部悪いんですよ。俺とレジーヌは被害者です」
「一緒にしないでくださいよ」

 ケビンが悪びれもせず堂々と言ったので、レジーヌがもう帰りたいと思ったのも仕方がなかったと思う。

「いいじゃん、別に。ついでにマジで付き合おうぜ!」
「よ……」
「よくないな」
 
 レジーヌの声に被さるように、男の人の声がした。
 執事長が入って来た扉のところに、青年が立っていた。
 レジーヌは、その青年に、とてもとても見覚えがあった。
 
 それは、あの日、あの小屋で眠っていた青年だった。
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