【R18】Actually

うはっきゅう

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本編

亀裂とサイレン

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 深夜零時を回ったダンススタジオ。無機質な蛍光灯が、鏡に映る6人の男たちの汗を白く照らし出していた。
「……ソウタ、今のターン、軸がコンマ二秒早い。ロクは振りが全部遅れてる。コマチは……そのニヤついた顔やめて。センターが締まらない」
 冷たく、よく通る声がスタジオの空気を切り裂く。
 チカは、鏡越しのメンバーを射抜くように見つめながら、自身の前髪についた汗を苛立たしげに払いのけた。濡れた髪が、陶器のように白い肌に張り付いている。
 グループ最年長にして、アイドルグループ『イグナイト』の礎を築いてきた自負があるチカにとって、デビューショーケースを目前にしたこの状況は、到底「完璧」とは呼べなかった。
「はぁ……チカさん、相変わらずキッついスね」
 センターのコマチが、口の端だけで笑いながらわざとらしく呟く。その生意気な態度に、チカの眉間の皺が深くなった。
「当たり前だろ。プロになるんだ。なぁなぁで許される時期はとっくに終わってる」
「はーい。わかってますよ、姫」
「……誰が姫だ」
 ピリ、と空気が張り詰めた瞬間。
 まるで陽光が差し込むように、その声は響いた。
「まーまー、コマチも!  チカの言う通り、詰めていかないとね。ソウタ、さっきのターン、俺と一緒にやってみよっか?  ロクも、ここは少しタメを作る感じで……」
 トキだ。
 このグループに最後に合流し、そして、チカから「リーダー」という肩書きを事実上奪い取った男。
 爽やかな笑顔。人懐っこい、大型犬のような瞳。
 大手事務所で揉まれてきたという圧倒的なスキル。歌も、ダンスも、そして……人の心を掴む「立ち回り」も。
 チカがどれだけ厳しく追い込んでも、最年少のソウタやマイペースなロクは萎縮するばかりだったのに。トキが加入して数週間で、年下メンバーたちはすっかり彼に懐柔されていた。
「トキさん、マジわかりやすい!」
「あ、本当だ。さっきより踊りやすいかも」
 ソウタとロクが、まるで雛鳥のようにトキの周りに集まる。コマチも、チカに向ける棘のある視線とは違う、どこか素直な顔でトキの動きを見ている。
 自分が築き上げてきたはずのグループが、いとも簡単に「トキの色」に染まっていく。
(……面白くない)
 チカは黙って給水ボトルを手に取り、スタジオの隅へ移動した。
 完璧主義で、潔癖症。そんな自分が、この曖昧で馴れ合いのような空気を許せるはずがない。何より、自分の居場所が侵食されていく感覚が、我慢ならなかった。
「チカ」
 静かな声に呼ばれ、隣を見ると、ユウトが立っていた。
 チカと同じ歳。小柄だが、一度踊り出せば誰よりも大きく見える、ダンスの天才。トキが来るまでは、チカの唯一の理解者……だと、チカは思っていた。
「……なんだ」
「顔。怖い」
「ほっといてくれ」
「トキは、悪気ないよ。あいつは、グループが良くなることしか考えてない」
 ユウトの冷静な言葉が、チカの神経を逆なでする。
「ユウトまでそっち側か?  俺が間違ってるって言いたいのか」
「そうは言ってない。けど、お前のその態度が空気を悪くしてるのも事実だろ」
 ユウトは、達観したような目でチカを見つめる。
「お前が一番わかってるはずだ。俺たちは、トキが来てくれたからデビューできるんだ」
 ぐうの音も出なかった。
 それは、事実だ。
 チカがどれだけ歌声を磨いても、ユウトがどれだけ完璧なダンスを踊っても、コマチやロクのビジュアルが良くても、最後のピースが埋まらなかった。
 トキが加入し、その圧倒的なアイドルスキルで、止まっていた時計の針が動き出したのだ。
「……わかってる」
 チカは、ユウトから顔を背けるようにしてボトルを煽った。
 わかっている。わかっているから、腹が立つのだ。
 プライドを踏みにじられたような、この焦燥感。
 チカは、自分でも持て余しているヒステリックな感情を押し殺し、鏡の前に戻った。
「……もう一度、頭から通す」
 だが、チカの焦りは、練習の精度を鈍らせていた。
 デビュー曲のサビ、チカのハイトーンが響くはずのパート。
「っ……!」
 声が、僅かに掠れた。
 スタジオの空気が一瞬、凍る。
「チカ、大丈夫?」
 トキが、心配そうな顔で近づいてくる。
 その「同情」めいた視線が、チカのプライドを粉々に打ち砕いた。
「……触るな!」
 反射的に、その手を強く振り払っていた。
 パシン、と乾いた音が響く。
「……チカさん?」
 ソウタの怯えたような声。
 コマチの「うわ」とでも言いたげな軽蔑の眼差し。
 ロクの、状況が読めていないぼんやりとした顔。
 そして、ユウトの、諦めたような溜息。
 最悪だ。
 また、「姫」と呼ばれる所以を見せてしまった。
「……ごめん」
 トキは、振り払われた手をゆっくりと下ろしながら、困ったように笑った。
「ちょっと、根詰めすぎだよね。今日はもう上がろうか」
 その大人の対応が、チカをさらに惨めな気持ちにさせる。
「勝手にしろ」
 チカは荷物をひったくると、誰の顔も見ずにスタジオを飛び出した。
 冷たい夜風が、火照った頬を撫でる。
 荒い呼吸を繰り返しながら、チカは自分の喉に手を当てた。
(最悪だ……最悪だ……!)
 痛み。
 確かな熱を持った痛みが、チカの命とも言える喉の奥で、静かなサイレンのように鳴り響き始めていた。
 ショーケースまで、あと二週間。
 チカは、迫り来る絶望の予感に、きつく目を閉じた。
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