【R18】Actually

うはっきゅう

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本編

「なかったこと」のように

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 チカが、浅い眠りからハッと目を覚ました時、窓の外はすでに白み始めていた。
(……寝てしまった……!)
 慌てて体を起こすと、隣のベッドが目に入った。
 もぬけの殻ではなかった。
 チカが眠った後、いつの間にか戻っていたらしい。
 トキは、チカに背を向けるようにして、静かな寝息を立てていた。
(……戻って、きたのか)
 昨夜の獣のような姿が嘘のように、その背中は無防備で、いつも通りの「トキ」に見えた。
 だが、チカの唇に残るヒリヒリとした熱が、あれは夢ではなかったと訴えかけてくる。
(……どうすればいい)
 ロクの言葉が頭をよぎる。
『中で解決』
 だが、どうやって?
 このまま、見なかったことに?
 それとも、今、この無防備な背中を揺り起こして、問い詰めるべきか。
 チカが逡巡していると、不意に、トキの体がもぞりと動いた。
「……ん……」
 ゆっくりと、彼がこちらに振り向く。
 ばちり、と。
 目が、合ってしまった。
 昨夜の、暗く熱を帯びた瞳ではない。
 いつもの、少し眠そうな、人懐っこいワンコのような目。
 トキは、数秒間、ぼんやりとチカを見つめていたが、やがて、完璧な「リーダー」の顔で、ふわりと笑った。
「……おはよう、チカ。よく眠れた?」
「…………っ」
 チカは、息を呑んだ。
 声が出ない。
(……は?)
 昨夜、あれだけのことをしておいて。「謝らない」と逆ギレして出ていった男が。
 朝になったら、何事もなかったかのように、笑いかけてくる。
「……ああ」
 チカは、喉から絞り出すように、それだけを答えるのが精一杯だった。
 唇が、まだ痛い。
 お前のせいで、眠れるわけがなかっただろう、と。
 そう叫びたいのに、トキのあまりに完璧な「平穏」を前に、チカは言葉を失った。
「さ、顔洗って準備しないと。集合時間、あと一時間切ってるよ」
 トキは、そう言って、先にベッドから抜け出すと、洗面所へと消えていった。
 まるで、昨夜の出来事など、チカが見た悪夢だったとでも言うように。
(……あいつ……何、考えてるんだ……)
 恐怖よりも、今は強烈な違和感と、理解不能な混乱がチカを支配していた。



 帰路のロケバスの中は、いつも通りの騒がしさだった。
「あー、疲れた!  早く帰って寝たい!」
 ソウタが大声で騒ぎ、コマチが「うるさい。声がでかい」と悪態をつく。
 ユウトはヘッドフォンで耳を塞ぎ、ロクは窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めている。
 そして、トキは。
 マネージャーと、次のスケジュールの打ち合わせを真剣な顔でこなし、それが終われば、ソウタたちの馬鹿話に「まあまあ」と笑顔で仲裁に入る。
 完璧なリーダー。完璧な、爽やかワンコ。
 チカだけが、その「完璧さ」に、吐き気を催すほどの違和感を覚えていた。
(……嘘だ)
 昨夜、自分を力ずくで押さえつけ、息もできなくなるほどキスし続けた男が、今、あんな風に笑っている。
 チカは、トキの笑顔を直視できなかった。
 何より不快なのは……
 トキが、年下メンバーの肩を組むだけで。
 ソウタの頭を、親しげに撫でるだけで。
 チカの胸の奥が、チリチリと疼き、ざわつくことだ。
(……なんだ、これ)
 ロクの言葉が蘇る。
『メンバー同士なら』
 胸のざわめきが恐怖や怒りとは、少し違ってしまっていることに、チカは気づき始めている。
 恋愛対象などと考えたこともない男に。
 ついこの間まで、焦げ付くほどに恨んでいた、男に。
 執拗なキスをされ、その残像がかき消せず、面白いように翻弄されている。
(……ムカつく)
 誰に対しても人当たりが良く、距離が近いトキ。
 その「八方美人」な態度が、今、無性に気に食わなかった。
 バスが、都内の事務所に到着した。
「お疲れ様でしたー!」
 メンバーがぞろぞろとバスを降りていく。
 チカは、この二日間の混乱を振り払うように、深く息を吐き、最後にバスを降りようとした。
「チカ」
 不意に、名前を呼ばれた。
 振り返ると、トキが、バスの出口で待っていた。
 他のメンバーは、もうエントランスに向かっている。
 狭いバスの中、二人きりだ。
「……なんだ」
 チカは、警戒心を隠さずに睨みつける。
 トキは、昨夜の逆ギレでも、今朝の完璧な笑顔でもない、静かな顔をしていた。
「昨日は、悪かった」
「……!」
 謝罪。
 チカが、何かを言い返す前に、トキは続けた。
「でも」
「謝らないって言ったのは、本気だ」
「は?」
 チカは、自分の耳を疑った。
 悪かった。でも、謝らない?
 意味がわからない。
 チカが固まっていると、トキは、ほんの少しだけ、意地悪そうに目を細めた。
「そんな顔する、あんたが悪いんだからな」
(…………はああ!?)
 チカが、その言葉の意味を理解し、怒りで何かを叫ぶより早く。
 トキは、くるりと背を向けた。
「じゃ、お疲れ」
 そして、何事もなかったかのように、爽やかな笑顔をチカに向け、バスを降りていった。
 一人、バスに取り残されたチカは、顔を真っ赤にして立ち尽くす。
(悪いのは、どう考えても、あいつだろ!?)
 狼狽。混乱。そして、今度こそ純粋な「怒り」。
 だが、それと同時に。
「あんたが悪い」
 そう言った時の、トキの静かな瞳が、チカの脳裏に灼きついて、離れなかった。
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