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本編
迷子の狼と思わぬ導き手
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バタン、と乱暴に閉めたドアが、ホテルの静かな廊下に響き渡る。
トキは、ドアに背中を預けたまま、その場にずるずると崩れ落ちた。
「……っ、くそ……!」
荒い呼吸を繰り返しながら、掴んでいたカードキーを強く握りしめる。
(なんだよ、俺……)
「謝らない」?
ふざけるな。謝るべきだ、人として。
寝込みを襲って、力ずくでキスして……。
チカが、あれだけ怯えて、拒絶していたのに。
(……でも、止められなかった)
一度、触れてしまったら。
あの、完璧な顔が、自分のせいで歪むのを見たら。
暗闇の中で、チカの息遣いを感じたら……。
自分の中の、得体の知れない衝動が、理性のタガを外してしまった。
(俺だって……「そういう対象」じゃ、なかったはずだ)
チカと同じグループになれるかもしれない。
今の事務所からアプローチがあった時、トキは二つ返事で受けた。
あのガラス張りのスタジオで見た、孤高の姿。
夜が明けるまで練習に打ち込む、そのストイックさ。高潔さ。
(この人と、一緒にアイドルがしたい)
ただ、それだけだったはずだ。
それなのに。
合流してみれば、彼はリーダーの座を追われたと、俺を目の敵にした。
傍に行きたかった。力になりたかった。
それなのに、彼はいつも、氷のような壁を作って、俺を拒絶した。
高みを目指す強さと、そんな自分に押しつぶされそうな脆さ。
それを間近で見るうちに、いつしか「憧れ」は、
「放っておけない」という、歪んだ庇護欲に変わっていた。
それが、こんな最悪の形で噴き出すなんて。
トキ本人ですら、予想していなかった。
(混乱してるのは、こっちも同じだ)
それなのに。
「汚い」と、そう言われた瞬間。
チカの目に見えた、純粋な恐怖と嫌悪。
それを見たら、チカを傷つけている罪悪感と、
(いつも俺だけが乱される)
という、理不尽な怒りが同時に込み上げてきた。
(……ムカついたんだ、あそこまで拒絶されて)
俺は、どうしたいんだ。チカを。
トキは、答えの出ない自問自答を繰り返し、冷たい廊下で頭を抱えた。
***
一方、チカは、静まり返った部屋で立ち尽くしていた。
(……あいつ、戻ってくるのか……?)
あの剣幕。あの「逆ギレ」。
もし戻ってきたら? また、あんな……。
そう思うと、この狭い部屋に一人でいるのが、たまらなく怖くなった。
かといって、眠れるはずもない。
チカは、自分のカードキーを掴むと、音を立てないようにそっと部屋を抜け出した。
深夜のホテルは、しんと静まり返っている。
自販機で温かい茶でも買おうか。
ふらふらと、吸い寄せられるように中庭のテラスへ出ると、そこに人影があった。
「……ロク?」
「あ、チカさん」
ベンチに座り、ぼんやりと夜空を見上げていたのは、ロクだった。
グループきっての「顔天才」。動物と虫をこよなく愛する不思議ちゃん、というギャップも、ファンの心をつかむのに一役買っていた。
「こんなとこで、何してるんだ」
「んー……虫の声、聞きたくて」
ロクは、マイペースにそう言って微笑んだ。
チカは、その隣に、少し距離を空けて腰を下ろした。
超親密というわけではない。いつも、ポツポツと必要なことだけを話す関係。
だが、今のチカには、その距離感が有難かった。
(……こいつなら)
グループ随一のビジュアル。
少なくとも自分よりは恋愛経験が豊富そうに感じて、つい、口が滑った。
「ロク」
「なに?」
「恋愛対象じゃない相手から、好きだと言われたこと、あるか」
我ながら、突飛な質問だと思った。
ロクは、ぱちくりと大きな目を瞬かせ、それから、ふ、と笑った。
「珍しいね、そういうこと聞くの」
「……答えたくなけりゃ、答えなくていいぞ」
「あるよ」
ロクは、あっさりと頷いた。
「わりと、あった、と思う。中学の頃とか」
彼は、夜空に視線を戻しながら、淡々と続けた。
「特に優しくした覚えもないのに、『優しいから好きになった』とか言われて、困った」
「……どうしたんだ、それ」
「まあ、友達は、『可愛い子なら付き合っちゃえよ』とか言ってたけど」
ロクは、そこで言葉を切り、自分の手のひらを見つめた。
「でも、俺はいつかアイドルになるって思ってたから」
「……」
「だから、ちゃんと断ったし。そのあとも、勘違いされないように、あんまり女子とは喋らないようにした」
意外だった。
いつもぼんやりしていて、何も考えていないように見えるロクが、そんなに早くからプロ意識を持っていたとは。
感心すると同時に、チカは、さらに踏み込んだ質問をせずにはいられなかった。
喉が、カラカラに乾く。
「……じゃあ、もし、例えばの話……グループのメンバーに、そういうこと言われたら、どうする?」
しまった、と思った。
例え話どころではない、生々しい質問だ。
ロクが、怪訝な顔でチカを見た。
「変な質問するね」
(……だよな。忘れてくれ)
チカがそう言いかける前に、ロクは「んー」と、また少し考え込んだ。
どうやら、本気でただの「例え話」だと思っているらしい。
「メンバー、かあ……」
ロクは、少し難しい顔をしたが、やがて、チカの予想もしなかった答えを口にした。
「ファンとか、よそのアイドルに手を出されるよりは、いいんじゃない?」
「…………は?」
チカは、衝撃で固まった。
「え、だって、そっちのほうが、絶対スキャンダルになるでしょ? グループが終わっちゃう」
「……」
「メンバー同士なら……まあ、なんかあっても、中で解決できるじゃん? わかんないけど」
(そういう、考え方……!?)
チカは、頭を殴られたような気分だった。
自分は、「気持ち悪い」「汚い」「あり得ない」という、感情論と潔癖症だけで物事を考えていた。
だが、ロクの視点は、恐ろしく冷静で、アイドルとしての「実利」に基づいていた。
夜風が、冷えてきた。
「……さむ。俺、戻るね」
ロクは、どこまでもマイペースに立ち上がる。
「チカも、風邪ひかないように、早く戻りなよ。喉、大事なんだから」
そう言い残して、ロクは行ってしまった。
一人残されたチカは、ロクの言葉を反芻していた。
(……中で、解決)
恐る恐る、部屋に戻る。
ドアを開けると、中は暗いままだった。
トキは、まだ戻っていない。
(……そうか、戻って、こないか)
チカは、ベッドに潜り込んだ。
安堵したのか、それとも……。
自分でもわからない感情に戸惑いながら、耳を澄ませる。
廊下の物音、ドアが開く音。
気を尖らせていた。
だが、ここ数日の多忙と、立て続けの心労は、チカの体力をとっくに限界まで奪っていた。
チカは、トキの帰りを待つ間もなく、いつしか深い眠りに落ちていた。
トキは、ドアに背中を預けたまま、その場にずるずると崩れ落ちた。
「……っ、くそ……!」
荒い呼吸を繰り返しながら、掴んでいたカードキーを強く握りしめる。
(なんだよ、俺……)
「謝らない」?
ふざけるな。謝るべきだ、人として。
寝込みを襲って、力ずくでキスして……。
チカが、あれだけ怯えて、拒絶していたのに。
(……でも、止められなかった)
一度、触れてしまったら。
あの、完璧な顔が、自分のせいで歪むのを見たら。
暗闇の中で、チカの息遣いを感じたら……。
自分の中の、得体の知れない衝動が、理性のタガを外してしまった。
(俺だって……「そういう対象」じゃ、なかったはずだ)
チカと同じグループになれるかもしれない。
今の事務所からアプローチがあった時、トキは二つ返事で受けた。
あのガラス張りのスタジオで見た、孤高の姿。
夜が明けるまで練習に打ち込む、そのストイックさ。高潔さ。
(この人と、一緒にアイドルがしたい)
ただ、それだけだったはずだ。
それなのに。
合流してみれば、彼はリーダーの座を追われたと、俺を目の敵にした。
傍に行きたかった。力になりたかった。
それなのに、彼はいつも、氷のような壁を作って、俺を拒絶した。
高みを目指す強さと、そんな自分に押しつぶされそうな脆さ。
それを間近で見るうちに、いつしか「憧れ」は、
「放っておけない」という、歪んだ庇護欲に変わっていた。
それが、こんな最悪の形で噴き出すなんて。
トキ本人ですら、予想していなかった。
(混乱してるのは、こっちも同じだ)
それなのに。
「汚い」と、そう言われた瞬間。
チカの目に見えた、純粋な恐怖と嫌悪。
それを見たら、チカを傷つけている罪悪感と、
(いつも俺だけが乱される)
という、理不尽な怒りが同時に込み上げてきた。
(……ムカついたんだ、あそこまで拒絶されて)
俺は、どうしたいんだ。チカを。
トキは、答えの出ない自問自答を繰り返し、冷たい廊下で頭を抱えた。
***
一方、チカは、静まり返った部屋で立ち尽くしていた。
(……あいつ、戻ってくるのか……?)
あの剣幕。あの「逆ギレ」。
もし戻ってきたら? また、あんな……。
そう思うと、この狭い部屋に一人でいるのが、たまらなく怖くなった。
かといって、眠れるはずもない。
チカは、自分のカードキーを掴むと、音を立てないようにそっと部屋を抜け出した。
深夜のホテルは、しんと静まり返っている。
自販機で温かい茶でも買おうか。
ふらふらと、吸い寄せられるように中庭のテラスへ出ると、そこに人影があった。
「……ロク?」
「あ、チカさん」
ベンチに座り、ぼんやりと夜空を見上げていたのは、ロクだった。
グループきっての「顔天才」。動物と虫をこよなく愛する不思議ちゃん、というギャップも、ファンの心をつかむのに一役買っていた。
「こんなとこで、何してるんだ」
「んー……虫の声、聞きたくて」
ロクは、マイペースにそう言って微笑んだ。
チカは、その隣に、少し距離を空けて腰を下ろした。
超親密というわけではない。いつも、ポツポツと必要なことだけを話す関係。
だが、今のチカには、その距離感が有難かった。
(……こいつなら)
グループ随一のビジュアル。
少なくとも自分よりは恋愛経験が豊富そうに感じて、つい、口が滑った。
「ロク」
「なに?」
「恋愛対象じゃない相手から、好きだと言われたこと、あるか」
我ながら、突飛な質問だと思った。
ロクは、ぱちくりと大きな目を瞬かせ、それから、ふ、と笑った。
「珍しいね、そういうこと聞くの」
「……答えたくなけりゃ、答えなくていいぞ」
「あるよ」
ロクは、あっさりと頷いた。
「わりと、あった、と思う。中学の頃とか」
彼は、夜空に視線を戻しながら、淡々と続けた。
「特に優しくした覚えもないのに、『優しいから好きになった』とか言われて、困った」
「……どうしたんだ、それ」
「まあ、友達は、『可愛い子なら付き合っちゃえよ』とか言ってたけど」
ロクは、そこで言葉を切り、自分の手のひらを見つめた。
「でも、俺はいつかアイドルになるって思ってたから」
「……」
「だから、ちゃんと断ったし。そのあとも、勘違いされないように、あんまり女子とは喋らないようにした」
意外だった。
いつもぼんやりしていて、何も考えていないように見えるロクが、そんなに早くからプロ意識を持っていたとは。
感心すると同時に、チカは、さらに踏み込んだ質問をせずにはいられなかった。
喉が、カラカラに乾く。
「……じゃあ、もし、例えばの話……グループのメンバーに、そういうこと言われたら、どうする?」
しまった、と思った。
例え話どころではない、生々しい質問だ。
ロクが、怪訝な顔でチカを見た。
「変な質問するね」
(……だよな。忘れてくれ)
チカがそう言いかける前に、ロクは「んー」と、また少し考え込んだ。
どうやら、本気でただの「例え話」だと思っているらしい。
「メンバー、かあ……」
ロクは、少し難しい顔をしたが、やがて、チカの予想もしなかった答えを口にした。
「ファンとか、よそのアイドルに手を出されるよりは、いいんじゃない?」
「…………は?」
チカは、衝撃で固まった。
「え、だって、そっちのほうが、絶対スキャンダルになるでしょ? グループが終わっちゃう」
「……」
「メンバー同士なら……まあ、なんかあっても、中で解決できるじゃん? わかんないけど」
(そういう、考え方……!?)
チカは、頭を殴られたような気分だった。
自分は、「気持ち悪い」「汚い」「あり得ない」という、感情論と潔癖症だけで物事を考えていた。
だが、ロクの視点は、恐ろしく冷静で、アイドルとしての「実利」に基づいていた。
夜風が、冷えてきた。
「……さむ。俺、戻るね」
ロクは、どこまでもマイペースに立ち上がる。
「チカも、風邪ひかないように、早く戻りなよ。喉、大事なんだから」
そう言い残して、ロクは行ってしまった。
一人残されたチカは、ロクの言葉を反芻していた。
(……中で、解決)
恐る恐る、部屋に戻る。
ドアを開けると、中は暗いままだった。
トキは、まだ戻っていない。
(……そうか、戻って、こないか)
チカは、ベッドに潜り込んだ。
安堵したのか、それとも……。
自分でもわからない感情に戸惑いながら、耳を澄ませる。
廊下の物音、ドアが開く音。
気を尖らせていた。
だが、ここ数日の多忙と、立て続けの心労は、チカの体力をとっくに限界まで奪っていた。
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