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本編
譲歩、あるいは願い
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ぎこちない空気は、アイフェスの準備が本格化しても、変わらなかった。
ボーカルルームでの歌唱レッスン。
先生は、腕を組んで唸っていた。
「んー……。二人とも、技術的には、文句ないのよねぇ」
先生は、チカとトキを交互に見る。
「チカのソプラノもよく出てるし、トキも安定してよく歌い込んできてる。……でもね」
ふうっ、と先生は悩ましく息を吐いた。
「パッションが、足りないのよ」
チカは、自分でも感じていた「痛いところ」を突かれて身じろぐ。
「ファンが見たいのは『ケミ』なの! あなた達の間に流れる絆、仲の良さ、お互いの存在の大切さ……そういう『熱』を込める意識を持ってみてちょうだい」
「……はい」
曖昧に濁すように返事をする二人に、先生は「ま、頑張んなさい。もう日にちないわよ」と言い残して、部屋を出ていった。
自主練は、深夜まで続いた。
何度歌い直しても、薄っぺらい。
チカは、自分の出来栄えに満足できていなかった。
(……クソッ)
わかっている。先生の言った「熱」を込めるには、あの、目の前で完璧な仮面を貼り付けている男……凍りついたトキの心を、解く必要がある。
このままでは、二人とも、アイドルの恥さらしだ。
チカは、ついにプレーヤーを止めた。
「……いい加減にしろ!」
かつて、トキが自分に叩きつけた言葉。
トキがゆっくりと振り返る。
「お前、アイドル舐めてんのか?」
「……は?」
「そんな、魂の抜けた状態で、人の心を打つ歌なんか歌えると思ってんのか!」
チカの、冷たい声がスタジオに響く。
「俺とお前の間に、わだかまりがあったとしても。それを糧にするくらいの気概を見せろよ!」
「…………」
トキは、目を見開いたまま、動かない。
その仮面が、かつん、と床に落ちたような幻聴さえした。
そして、絞り出した声は、ひどく弱々しかった。
「……怖い」
「なにが!」
「気持ちを……載せて歌ったら……」
トキは、自分の手を見つめた。
「また、あの『暴走した俺』になるのが……怖い」
チカは、息を呑んだ。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
「そんなことで、パフォーマンスを……」
「今度こそ、何するかわかんないよ!?」
チカが説得を試みようとした瞬間、トキが、ついに逆ギレした。
まただ。
「それは困る!」
チカも、反射的に叫び返す。
「わ、ワガママ言わないでよ!? こっちは……っ、普段から我慢して、我慢して! 爆発しないように、必死で堪えてるんだ!」
「だから! 我慢しなきゃいいだろ!?」
言ってしまった。
スタジオが、しん、と静まり返る。
「……え?」
トキが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、チカを凝視している。
「あ……っ、い、いや、違う! そういう意味じゃない!」
チカは、顔がカッと熱くなるのを感じながら、必死で言葉を探した。
ここ数日、ずっと考えていたことを、どうにか、伝えなければ。
「我慢して爆発されるくらいなら……その、ガス抜き? してくれた方が、まだ、いい」
「……は?」
「だ、だから! ガンガンこいとか、そういう意味じゃ、ないけど!」
チカは、早口で「ルール」を叩きつけた。
「普通に、触ったりするくらいなら、いい。いや、よくないけど、我慢する」
「……」
「触りたいなら、言えばいいし。ちゃんと、了解をとって、手順を踏んでくれたら、対応……する」
「……」
「ただし!!」
チカは、トキの目を真っ直ぐに睨みつけた。
「公衆の面前で迫ったり、匂わせて反応を見るみたいな、そういうことは絶対するな! いいな!」
予想外すぎるチカの言葉に、トキは、数秒間、完全に固まっていた。
やがて。
「……そんなこと、言われたら……」
俯いていたトキの顔が、ゆっくりと上がる。
「今度は、俺が、期待しちゃうんですけど……」
その目には、ここ一ヶ月、失われていたはずの「光」が、確かに戻りつつあった。
「今ならいい?」
「は!? な、なにを……」
「いや、誰もいないし」
トキが許可を求める。
その態度が妙にふてぶてしく感じられ、チカは早くも後悔が胸に過ぎった。
しかし、時は戻らない。
覚悟を決めて、小さく(渋々)首を縦に動かした。
「肩触るのは、いい?」
「……まあ、それくらいなら」
トキの手が、そっと、チカの肩に置かれる。
ビク、と体が強張ったが、振り払いはしなかった。
「手を握るのは?」
「…………わかった」
トキの、熱い手のひらが、チカの冷えた指を包む。
「このくらいの距離は?」
トキが一歩、顔を近づけた。
「……っ、ちょっと、近過ぎる」
「じゃあ、これは?」
そう言って、トキの顔が、さらに、唇に向かって―――。
バシイッ!!
「それはダメだ!」
チカは、反射的にトキの頭を思い切りひっぱたいていた。
「いっ……!」
(また、強引に来るか!?)
チカが、思わず身構える。
だが、トキは、意外にも、大人しくその場に引き下がった。
頭をさすりながら、少し不満そうに、でも、どこか嬉しそうに。
「わかった。これからは、ちゃんとチカに相談する」
その、あまりに素直な返事に、チカは、毒気を抜かれてしまった。
翌日。
「おはよー! 今日も一日、頑張ろうな!」
スタジオに響き渡る、すこぶる上機嫌なトキの声。
「うわ、トキさん、なんかめっちゃ元気じゃないスか?」
「昨日まで、死んだ魚みたいな目してたのに」
ソウタとコマチが、不思議そうに顔を見合わせている。
その様子を見ていたマネージャーが、満足げに頷いた。
「ふっ……スランプだったようだが、アイフェスに向けて、ようやく乗り越えたな!」
(ちょっと違う気がします、マネージャーさん……)
その訳知り顔のマネージャーを、チカは、心の底から呆れた目で、見つめていた。
ボーカルルームでの歌唱レッスン。
先生は、腕を組んで唸っていた。
「んー……。二人とも、技術的には、文句ないのよねぇ」
先生は、チカとトキを交互に見る。
「チカのソプラノもよく出てるし、トキも安定してよく歌い込んできてる。……でもね」
ふうっ、と先生は悩ましく息を吐いた。
「パッションが、足りないのよ」
チカは、自分でも感じていた「痛いところ」を突かれて身じろぐ。
「ファンが見たいのは『ケミ』なの! あなた達の間に流れる絆、仲の良さ、お互いの存在の大切さ……そういう『熱』を込める意識を持ってみてちょうだい」
「……はい」
曖昧に濁すように返事をする二人に、先生は「ま、頑張んなさい。もう日にちないわよ」と言い残して、部屋を出ていった。
自主練は、深夜まで続いた。
何度歌い直しても、薄っぺらい。
チカは、自分の出来栄えに満足できていなかった。
(……クソッ)
わかっている。先生の言った「熱」を込めるには、あの、目の前で完璧な仮面を貼り付けている男……凍りついたトキの心を、解く必要がある。
このままでは、二人とも、アイドルの恥さらしだ。
チカは、ついにプレーヤーを止めた。
「……いい加減にしろ!」
かつて、トキが自分に叩きつけた言葉。
トキがゆっくりと振り返る。
「お前、アイドル舐めてんのか?」
「……は?」
「そんな、魂の抜けた状態で、人の心を打つ歌なんか歌えると思ってんのか!」
チカの、冷たい声がスタジオに響く。
「俺とお前の間に、わだかまりがあったとしても。それを糧にするくらいの気概を見せろよ!」
「…………」
トキは、目を見開いたまま、動かない。
その仮面が、かつん、と床に落ちたような幻聴さえした。
そして、絞り出した声は、ひどく弱々しかった。
「……怖い」
「なにが!」
「気持ちを……載せて歌ったら……」
トキは、自分の手を見つめた。
「また、あの『暴走した俺』になるのが……怖い」
チカは、息を呑んだ。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
「そんなことで、パフォーマンスを……」
「今度こそ、何するかわかんないよ!?」
チカが説得を試みようとした瞬間、トキが、ついに逆ギレした。
まただ。
「それは困る!」
チカも、反射的に叫び返す。
「わ、ワガママ言わないでよ!? こっちは……っ、普段から我慢して、我慢して! 爆発しないように、必死で堪えてるんだ!」
「だから! 我慢しなきゃいいだろ!?」
言ってしまった。
スタジオが、しん、と静まり返る。
「……え?」
トキが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、チカを凝視している。
「あ……っ、い、いや、違う! そういう意味じゃない!」
チカは、顔がカッと熱くなるのを感じながら、必死で言葉を探した。
ここ数日、ずっと考えていたことを、どうにか、伝えなければ。
「我慢して爆発されるくらいなら……その、ガス抜き? してくれた方が、まだ、いい」
「……は?」
「だ、だから! ガンガンこいとか、そういう意味じゃ、ないけど!」
チカは、早口で「ルール」を叩きつけた。
「普通に、触ったりするくらいなら、いい。いや、よくないけど、我慢する」
「……」
「触りたいなら、言えばいいし。ちゃんと、了解をとって、手順を踏んでくれたら、対応……する」
「……」
「ただし!!」
チカは、トキの目を真っ直ぐに睨みつけた。
「公衆の面前で迫ったり、匂わせて反応を見るみたいな、そういうことは絶対するな! いいな!」
予想外すぎるチカの言葉に、トキは、数秒間、完全に固まっていた。
やがて。
「……そんなこと、言われたら……」
俯いていたトキの顔が、ゆっくりと上がる。
「今度は、俺が、期待しちゃうんですけど……」
その目には、ここ一ヶ月、失われていたはずの「光」が、確かに戻りつつあった。
「今ならいい?」
「は!? な、なにを……」
「いや、誰もいないし」
トキが許可を求める。
その態度が妙にふてぶてしく感じられ、チカは早くも後悔が胸に過ぎった。
しかし、時は戻らない。
覚悟を決めて、小さく(渋々)首を縦に動かした。
「肩触るのは、いい?」
「……まあ、それくらいなら」
トキの手が、そっと、チカの肩に置かれる。
ビク、と体が強張ったが、振り払いはしなかった。
「手を握るのは?」
「…………わかった」
トキの、熱い手のひらが、チカの冷えた指を包む。
「このくらいの距離は?」
トキが一歩、顔を近づけた。
「……っ、ちょっと、近過ぎる」
「じゃあ、これは?」
そう言って、トキの顔が、さらに、唇に向かって―――。
バシイッ!!
「それはダメだ!」
チカは、反射的にトキの頭を思い切りひっぱたいていた。
「いっ……!」
(また、強引に来るか!?)
チカが、思わず身構える。
だが、トキは、意外にも、大人しくその場に引き下がった。
頭をさすりながら、少し不満そうに、でも、どこか嬉しそうに。
「わかった。これからは、ちゃんとチカに相談する」
その、あまりに素直な返事に、チカは、毒気を抜かれてしまった。
翌日。
「おはよー! 今日も一日、頑張ろうな!」
スタジオに響き渡る、すこぶる上機嫌なトキの声。
「うわ、トキさん、なんかめっちゃ元気じゃないスか?」
「昨日まで、死んだ魚みたいな目してたのに」
ソウタとコマチが、不思議そうに顔を見合わせている。
その様子を見ていたマネージャーが、満足げに頷いた。
「ふっ……スランプだったようだが、アイフェスに向けて、ようやく乗り越えたな!」
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