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乗り越えるべき壁
神経質な皇女 ※No Side※ 【中編】
「えっ……なんで貴方が……」
サーラはうわ言のようにその近衛騎士へ言葉をかける。確か彼の名前はサムエル・ランデル。今は第四皇子であるエルネスティ・トゥーレ・タルヴィッキ・ニコ・ハーララの専属護衛騎士だったはず。エルネスティは今、帝都を離れているため、本来であれば今ここにはいないはずである。それに何らかの事情で帝都に残っていたとしても、わざわざサラフィーナを訪ねる理由が見当たらない。
サーラが当惑しているのを気にすることなく、サムエルはサラフィーナにズカズカと近づく。サラフィーナは顔を真っ青にしてブルブルと首を横に振った。
「……やっ、やめてっ!来ないでっ!アンタはっ!私にっ!関わらないでっ!!」
サラフィーナの尋常ではない取り乱し方にサーラは驚き、ほぼ反射的にサラフィーナを庇うようにサラフィーナとサムエルの間に割り込んだ。サムエルはサーラのその行動に一瞬きょとんとしつつも、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「大丈夫ですよ~。貴女の主人を傷つけたりしません~。少し話がしたくて来ましたあ」
のほほんとしたその口調にサーラは毒気を抜かれつつも、ちらりとサラフィーナの方を振り返った。サラフィーナは相変わらずサムエルを警戒してガタガタと震えている。そう言えばサムエルをクビにしかけた一件の際も、急に歌い出したサムエルに対してサラフィーナは尋常ではない様子で怒鳴り散らしていた。物音や雑音などの聞こえてきて不快な音であればその反応も頷けるが、サムエルの歌はその道に精通していないサーラからしても素晴らしいものであった。そもそもサラフィーナは聖歌が好きだったりと、普段なら歌に対してはそこまで拒否反応を示さない。なのにサムエルの歌に対しては、まるで親を殺されたかのような勢いで止めさせた。一体何故なのだろうか。サーラはいくつになっても自分の主人のことがわからなくて、どことなく焦燥感を覚えた。
サムエルはサラフィーナの様子をサーラの肩越しに覗き込むと、徐に歌い出した。それはサラフィーナが好んでよく聞く、聖歌であった。
「……っ!」
その歌声はまるで教会に一歩足を踏み入れた時に感じる、清廉でいて程よい緊張感を与えてくれる空気感のような、とにかく形容し難い高潔さを纏っていた。サーラはまるで金縛りに合ったかのようにその場から動けなり、ただただその歌声に聞き惚れていた。
どれくらいの間、歌い続けたのだろうか。不意にサムエルは歌をやめ、にっこりと笑った。
「……さあ、サラフィーナ殿下あ。貴女が拾った多くの声に、応えに行きましょ~」
サムエルのその言葉にサーラはハッとなってサラフィーナの方を振り返った。そして視線の先に広がる光景に、目を見張ることとなる。
サラフィーナは聖水かと見紛うような、透き通った美しい涙を静かに流していた。
* * *
サラフィーナは、サムエルという人間が苦手だった。サラフィーナの目の前で歌い出したその時から、サムエルが自分の人生に関わってくるのを本能的に拒否してしまうほどには、サムエルに嫌悪感があった。そしてその苦手意識の原因は自分でも良くわかっていた。
彼の歌は、優しく愛で溢れているのだ。
歌を愛して止まないという気持ちを、隠すことなく詰め込んだその歌声は、音を恐れ、歌を純粋に楽しめなくなったサラフィーナにとっては、もう二度と抱くことの出来ない感情に対する羨望を掻き立てるものであった。
サラフィーナは幼い頃、とても歌が好きだった。
それは歌うのもそうだし、歌を聞いたり作ったりするのもそうだった。毎日のように歌って、音楽を聞いて、突発的に思いついたメロディを下手な楽譜に記録して。そしてみんなに聞いてもらって褒めてもらうのが好きだったのだ。
しかし千里耳魔法が開花したことで多くの音の情報が耳に入るようになり、音自体に対して嫌悪感を抱くようになった。全ての音に自分への悪意が含まれているような錯覚に陥り、美しい歌はそういった悪意の隠れ蓑なのではないかと思い込むようになってしまった。
そう思うと、純粋に歌を愛することは出来なくなった。常に疑心暗鬼に陥ってしまい、単純に音楽を楽しむことが出来なくなったのだ。
そんな中でも唯一、聖歌だけは安心して聞くことが出来た。聖歌は神々へと捧げる歌。そんなものに自分への悪意など含まれているはずもないことは、自明の理であった。それに聖歌が流れている間は、どんな場所でどんな人々が集まっていたとしても、皆祈りを捧げて静かになるのだ。その場に聖歌だけが流れる神聖な空間は、普段音という悪意に晒されているサラフィーナにとって、安息の地であった。救いであった。だから彼女は国中の至る所で演奏されている聖歌を聞いて回った。自分が落ち着ける場所は、そこにしかないのだから。
閑話休題。
そんな聖歌以外の歌を純粋に楽しめなくなったサラフィーナにとって、サムエルが自由に歌う姿は、羨ましくて仕方なかった。どうしようもない無い物ねだりなことはわかっていたが、それでも羨ましく、恨めしがった。自分だって歌を愛していたかったのに。何で貴方だけ。そう思うと心の奥底からどす黒い感情がふつふつと湧き上がって来る。
私が歌を愛せないなら。
貴方も歌を愛せなくなればいい。
そんな感情を一瞬でも抱いてしまった自分が恐ろしくて、そんな醜い感情を抱く自分を直視したくなくて、彼女はあの日、自分の目の前で歌い出したサムエルに厳罰を下そうとした。頼むからもう私の目の前に現れないで。私の本性に向き合わせないで。
結果としてサムエルは何故か皇帝に庇われる形で難を逃れたが、サラフィーナは別にそれでも良かった。もうサムエルがサラフィーナと関わることはなければ、それで。
そう突き放して、平穏に過ごせてたと思ってたのに。
何でよりにもよって、魔力が乱れまくった日に、サムエルが聖歌を歌う姿を見なければならないのか。
サラフィーナはサムエルの聖歌を聴いて、自然と涙が溢れた。これは嫌悪から来る涙ではない。あまりにも美しいその歌に救われ、心から感動しているのだ。
楽しそうに歌うサムエルは心の底から恨めしい。
なのにその美しい歌声に救われている自分がいる。
サラフィーナは、サムエルの歌によって生まれる負の感情が、サムエル歌によって浄化されているような、不可解な感覚を覚えた。可愛さ余って憎さ百倍と言うべきだろうか。相反する2つの感情を一つの対象に対して同時に抱くという矛盾した状況に、サラフィーナはただただ涙を流すしかなかった。
「……さあ、サラフィーナ殿下あ。貴女が拾った多くの声に、応えに行きましょ~」
歌が不意に止まったと思えば、サムエルはそんなことを言い出した。その言葉は間違いなくサラフィーナに向けられて発せられたものであるが、脈絡が無さすぎて何のことを言っているのか、サラフィーナにはさっぱりわからなかった。
「……応えるって、何に……?」
「殿下はここで色んな人の不安な気持ちを耳にしたでしょ~?だから殿下がその不安を解消しに行くんです~」
「えっ、はあっ!?何でっ!?私なんかにそんなこと出来る訳ないじゃない!」
サムエルの突拍子もない発言にサラフィーナは動揺した。サラフィーナ自身、自分が何の才もない厄介者の皇女であることを自覚している。そんな自分に、誰かを助けることなど無理だと思ったのだ。
しかしサムエルは何て事なしに話を続ける。
「え~?出来ますよ~?だって殿下は、どんなに小さな助けを求める声でも聞き取ることが出来るんですからあ。それに~僕の言葉に『何で私がやらなきゃいけないの~!』って言わなかったじゃないですかあ。本当は何とかしてあげたいんじゃないですかあ?」
サラフィーナは図星をつかれて、思わず言葉に詰まる。確かにその気持ちがなかった訳では無い。聞こえてくる助けを求める声に応えられない不甲斐なさをかき消すために、耳を塞いでいた面も確かにある。だが中心となる思いは『早く静かになって欲しい』という、どうしようもなく自分勝手な思いであることには変わり無かった。そんな自分がいっちょ前に「人々を安心させてあげたい」だなんて、口が裂けても言えなかった。
そんなサラフィーナの内心を読み取ったのか、サムエルの目がスッと細められた。
「……殿下はいつまで、音から逃げ続けるんですかあ?」
「……っ!」
サムエルの言葉に、サラフィーナは頭に血が上った。それは確かにずっと悩み続けていることであった。しかし、過去に一度しか会ったことがないような人物に、口出しして欲しくないことでもあった。
いつまで逃げ続けるのか。
そんなもの。
「……私だって、辞めたいわよ、こんなこと……!」
サラフィーナの絞り出すような声に、サーラが息を飲む音がした。
サラフィーナの耳に届くものは、全て悪意であるように感じていた。しかし、本当に全部がそうであった訳では無いことを、彼女は知っていた。
聞こえていたのだ。自分の知らない場所で、誰かが苦しんでいることを。助けを求めていることを。
けれど、自分への悪意に耳を塞ぎたくて。自分への悪意だけを遮断することなど無理だから。だから、清濁関係なく聞こえてくる音全てを拒否していたのだ。自分が傷つきたくなかったから。その音の中に含まれている、見知らぬ誰かの苦しみから目を逸らして。
苦しかった。
自分を守ることにしか能のない自分が憎らしかった。
だからせめて自分が無視している彼らをお救いください、と何度も神に祈った。聖歌を聞きながら、何度も何度も心の中で祈りを捧げた。
だけどそれで救われるのは自分の心だけだった。
行動に移せない情けない自分の自己満足でしかなかった。
聖歌を聴く度に頬を伝う涙は心が救われた安堵からだけではない。知っていながら何もしない自分の不甲斐なさも、あの涙には込められている。
それはそれとして。
サラフィーナは絶望とは別の、全く違う新しい感情がふつふつと湧き上がっていた。
それは、反発心だ。
サムエルは全てお見通しだと言わんばかりにサラフィーナの心情を読み取った。そしてそれでいて動けずにいるサラフィーナに対して、発破をかけてきた。ほとんど面識のない、憎たらしい相手から「こんな事も出来ないのか」と言われ、サラフィーナの中に長年眠っていた負けん気が目を覚ましだした。
なんで自分は、よりにもよって自分の弱い部分を、一度しか会ったことのない人間に、しかも憎くて仕方ない相手に諭されなければならないのだ。お前に何がわかるというのだ。そんな物知り顔で余裕の笑みを湛えて、自分を煽ってるつもりなのか。腹立たしい。そこまで言わないと、自分が変われないとでも思っているのか。
「……やってやるわよ」
サラフィーナは小さく呟いた。その言葉にサーラは目を見開き、サムエルは満足気に頷く。
「変わってみせるわよ。救ってみせるわよ!私が!この手で!」
サラフィーナは自分の胸を手のひらでバンっと叩き、宣言してみせた。その表情にはまだ恐怖が残っており、声も震えているし、目尻に涙も溜めている。
しかしその目には、確かに今までになかった力強さが宿っていた。
サーラはうわ言のようにその近衛騎士へ言葉をかける。確か彼の名前はサムエル・ランデル。今は第四皇子であるエルネスティ・トゥーレ・タルヴィッキ・ニコ・ハーララの専属護衛騎士だったはず。エルネスティは今、帝都を離れているため、本来であれば今ここにはいないはずである。それに何らかの事情で帝都に残っていたとしても、わざわざサラフィーナを訪ねる理由が見当たらない。
サーラが当惑しているのを気にすることなく、サムエルはサラフィーナにズカズカと近づく。サラフィーナは顔を真っ青にしてブルブルと首を横に振った。
「……やっ、やめてっ!来ないでっ!アンタはっ!私にっ!関わらないでっ!!」
サラフィーナの尋常ではない取り乱し方にサーラは驚き、ほぼ反射的にサラフィーナを庇うようにサラフィーナとサムエルの間に割り込んだ。サムエルはサーラのその行動に一瞬きょとんとしつつも、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「大丈夫ですよ~。貴女の主人を傷つけたりしません~。少し話がしたくて来ましたあ」
のほほんとしたその口調にサーラは毒気を抜かれつつも、ちらりとサラフィーナの方を振り返った。サラフィーナは相変わらずサムエルを警戒してガタガタと震えている。そう言えばサムエルをクビにしかけた一件の際も、急に歌い出したサムエルに対してサラフィーナは尋常ではない様子で怒鳴り散らしていた。物音や雑音などの聞こえてきて不快な音であればその反応も頷けるが、サムエルの歌はその道に精通していないサーラからしても素晴らしいものであった。そもそもサラフィーナは聖歌が好きだったりと、普段なら歌に対してはそこまで拒否反応を示さない。なのにサムエルの歌に対しては、まるで親を殺されたかのような勢いで止めさせた。一体何故なのだろうか。サーラはいくつになっても自分の主人のことがわからなくて、どことなく焦燥感を覚えた。
サムエルはサラフィーナの様子をサーラの肩越しに覗き込むと、徐に歌い出した。それはサラフィーナが好んでよく聞く、聖歌であった。
「……っ!」
その歌声はまるで教会に一歩足を踏み入れた時に感じる、清廉でいて程よい緊張感を与えてくれる空気感のような、とにかく形容し難い高潔さを纏っていた。サーラはまるで金縛りに合ったかのようにその場から動けなり、ただただその歌声に聞き惚れていた。
どれくらいの間、歌い続けたのだろうか。不意にサムエルは歌をやめ、にっこりと笑った。
「……さあ、サラフィーナ殿下あ。貴女が拾った多くの声に、応えに行きましょ~」
サムエルのその言葉にサーラはハッとなってサラフィーナの方を振り返った。そして視線の先に広がる光景に、目を見張ることとなる。
サラフィーナは聖水かと見紛うような、透き通った美しい涙を静かに流していた。
* * *
サラフィーナは、サムエルという人間が苦手だった。サラフィーナの目の前で歌い出したその時から、サムエルが自分の人生に関わってくるのを本能的に拒否してしまうほどには、サムエルに嫌悪感があった。そしてその苦手意識の原因は自分でも良くわかっていた。
彼の歌は、優しく愛で溢れているのだ。
歌を愛して止まないという気持ちを、隠すことなく詰め込んだその歌声は、音を恐れ、歌を純粋に楽しめなくなったサラフィーナにとっては、もう二度と抱くことの出来ない感情に対する羨望を掻き立てるものであった。
サラフィーナは幼い頃、とても歌が好きだった。
それは歌うのもそうだし、歌を聞いたり作ったりするのもそうだった。毎日のように歌って、音楽を聞いて、突発的に思いついたメロディを下手な楽譜に記録して。そしてみんなに聞いてもらって褒めてもらうのが好きだったのだ。
しかし千里耳魔法が開花したことで多くの音の情報が耳に入るようになり、音自体に対して嫌悪感を抱くようになった。全ての音に自分への悪意が含まれているような錯覚に陥り、美しい歌はそういった悪意の隠れ蓑なのではないかと思い込むようになってしまった。
そう思うと、純粋に歌を愛することは出来なくなった。常に疑心暗鬼に陥ってしまい、単純に音楽を楽しむことが出来なくなったのだ。
そんな中でも唯一、聖歌だけは安心して聞くことが出来た。聖歌は神々へと捧げる歌。そんなものに自分への悪意など含まれているはずもないことは、自明の理であった。それに聖歌が流れている間は、どんな場所でどんな人々が集まっていたとしても、皆祈りを捧げて静かになるのだ。その場に聖歌だけが流れる神聖な空間は、普段音という悪意に晒されているサラフィーナにとって、安息の地であった。救いであった。だから彼女は国中の至る所で演奏されている聖歌を聞いて回った。自分が落ち着ける場所は、そこにしかないのだから。
閑話休題。
そんな聖歌以外の歌を純粋に楽しめなくなったサラフィーナにとって、サムエルが自由に歌う姿は、羨ましくて仕方なかった。どうしようもない無い物ねだりなことはわかっていたが、それでも羨ましく、恨めしがった。自分だって歌を愛していたかったのに。何で貴方だけ。そう思うと心の奥底からどす黒い感情がふつふつと湧き上がって来る。
私が歌を愛せないなら。
貴方も歌を愛せなくなればいい。
そんな感情を一瞬でも抱いてしまった自分が恐ろしくて、そんな醜い感情を抱く自分を直視したくなくて、彼女はあの日、自分の目の前で歌い出したサムエルに厳罰を下そうとした。頼むからもう私の目の前に現れないで。私の本性に向き合わせないで。
結果としてサムエルは何故か皇帝に庇われる形で難を逃れたが、サラフィーナは別にそれでも良かった。もうサムエルがサラフィーナと関わることはなければ、それで。
そう突き放して、平穏に過ごせてたと思ってたのに。
何でよりにもよって、魔力が乱れまくった日に、サムエルが聖歌を歌う姿を見なければならないのか。
サラフィーナはサムエルの聖歌を聴いて、自然と涙が溢れた。これは嫌悪から来る涙ではない。あまりにも美しいその歌に救われ、心から感動しているのだ。
楽しそうに歌うサムエルは心の底から恨めしい。
なのにその美しい歌声に救われている自分がいる。
サラフィーナは、サムエルの歌によって生まれる負の感情が、サムエル歌によって浄化されているような、不可解な感覚を覚えた。可愛さ余って憎さ百倍と言うべきだろうか。相反する2つの感情を一つの対象に対して同時に抱くという矛盾した状況に、サラフィーナはただただ涙を流すしかなかった。
「……さあ、サラフィーナ殿下あ。貴女が拾った多くの声に、応えに行きましょ~」
歌が不意に止まったと思えば、サムエルはそんなことを言い出した。その言葉は間違いなくサラフィーナに向けられて発せられたものであるが、脈絡が無さすぎて何のことを言っているのか、サラフィーナにはさっぱりわからなかった。
「……応えるって、何に……?」
「殿下はここで色んな人の不安な気持ちを耳にしたでしょ~?だから殿下がその不安を解消しに行くんです~」
「えっ、はあっ!?何でっ!?私なんかにそんなこと出来る訳ないじゃない!」
サムエルの突拍子もない発言にサラフィーナは動揺した。サラフィーナ自身、自分が何の才もない厄介者の皇女であることを自覚している。そんな自分に、誰かを助けることなど無理だと思ったのだ。
しかしサムエルは何て事なしに話を続ける。
「え~?出来ますよ~?だって殿下は、どんなに小さな助けを求める声でも聞き取ることが出来るんですからあ。それに~僕の言葉に『何で私がやらなきゃいけないの~!』って言わなかったじゃないですかあ。本当は何とかしてあげたいんじゃないですかあ?」
サラフィーナは図星をつかれて、思わず言葉に詰まる。確かにその気持ちがなかった訳では無い。聞こえてくる助けを求める声に応えられない不甲斐なさをかき消すために、耳を塞いでいた面も確かにある。だが中心となる思いは『早く静かになって欲しい』という、どうしようもなく自分勝手な思いであることには変わり無かった。そんな自分がいっちょ前に「人々を安心させてあげたい」だなんて、口が裂けても言えなかった。
そんなサラフィーナの内心を読み取ったのか、サムエルの目がスッと細められた。
「……殿下はいつまで、音から逃げ続けるんですかあ?」
「……っ!」
サムエルの言葉に、サラフィーナは頭に血が上った。それは確かにずっと悩み続けていることであった。しかし、過去に一度しか会ったことがないような人物に、口出しして欲しくないことでもあった。
いつまで逃げ続けるのか。
そんなもの。
「……私だって、辞めたいわよ、こんなこと……!」
サラフィーナの絞り出すような声に、サーラが息を飲む音がした。
サラフィーナの耳に届くものは、全て悪意であるように感じていた。しかし、本当に全部がそうであった訳では無いことを、彼女は知っていた。
聞こえていたのだ。自分の知らない場所で、誰かが苦しんでいることを。助けを求めていることを。
けれど、自分への悪意に耳を塞ぎたくて。自分への悪意だけを遮断することなど無理だから。だから、清濁関係なく聞こえてくる音全てを拒否していたのだ。自分が傷つきたくなかったから。その音の中に含まれている、見知らぬ誰かの苦しみから目を逸らして。
苦しかった。
自分を守ることにしか能のない自分が憎らしかった。
だからせめて自分が無視している彼らをお救いください、と何度も神に祈った。聖歌を聞きながら、何度も何度も心の中で祈りを捧げた。
だけどそれで救われるのは自分の心だけだった。
行動に移せない情けない自分の自己満足でしかなかった。
聖歌を聴く度に頬を伝う涙は心が救われた安堵からだけではない。知っていながら何もしない自分の不甲斐なさも、あの涙には込められている。
それはそれとして。
サラフィーナは絶望とは別の、全く違う新しい感情がふつふつと湧き上がっていた。
それは、反発心だ。
サムエルは全てお見通しだと言わんばかりにサラフィーナの心情を読み取った。そしてそれでいて動けずにいるサラフィーナに対して、発破をかけてきた。ほとんど面識のない、憎たらしい相手から「こんな事も出来ないのか」と言われ、サラフィーナの中に長年眠っていた負けん気が目を覚ましだした。
なんで自分は、よりにもよって自分の弱い部分を、一度しか会ったことのない人間に、しかも憎くて仕方ない相手に諭されなければならないのだ。お前に何がわかるというのだ。そんな物知り顔で余裕の笑みを湛えて、自分を煽ってるつもりなのか。腹立たしい。そこまで言わないと、自分が変われないとでも思っているのか。
「……やってやるわよ」
サラフィーナは小さく呟いた。その言葉にサーラは目を見開き、サムエルは満足気に頷く。
「変わってみせるわよ。救ってみせるわよ!私が!この手で!」
サラフィーナは自分の胸を手のひらでバンっと叩き、宣言してみせた。その表情にはまだ恐怖が残っており、声も震えているし、目尻に涙も溜めている。
しかしその目には、確かに今までになかった力強さが宿っていた。
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