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第10話

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わたしの夏休みがいい夏休みだったかどうか、自分では分からない。でも、自分でも予想していなかったような、自分史上空前絶後の夏休みだったことは確かだ。毎日毎日、早朝から学校に行って、志水くんと同じ時間と空間を共有して、それなのに、ちっとも喋らないまま、ただひたすらに勉強する一ヶ月半だった。高校生最後の夏に相応しいかと問われれば、平凡を信奉する直感は全然相応しくなんかないって言い張るだろう。でも、自分が初めて、ちょっと変わったこと、何か特別なことをやり遂げた気もしていて、思考の深い部分はそのことを褒め称えている。そんな、奇妙な満足感が胸の中に生まれていた。


二学期も、冬休みも、三学期も、わたしの早朝登校はずっと続いていて、志水くんもずっと早朝登校を続けていた。

とはいえ、それ以外の部分では、わたしと志水くんの住む世界は相変わらず違い過ぎていた。

志水くんが率いるバスケ部は全国大会予選で快進撃を見せ、ベスト四にまで食い込んで新聞の地方欄を騒がせた。

準々決勝で敗北してベスト八に甘んじた私立強豪校の監督が吐いた暴言にテレビが注目して、そんな意地汚い私立強豪と対比される形で、清廉な主将としてインタビューを受けるなんて事件を呼び込めるのも何かを持っている人の為せるわざなんだと思う。

準決勝での敗北後に急遽練習しましたとか言って、文化祭ではバスケ部の人たちと一緒にステージでダンスを踊っていたりもしていた。

群衆の中で、光り輝く志水くんの遠い姿をわたしはただ眺めているだけだった。

でも、わたしにだって少し言い分がある。

クラス会議の結果、わたしたちのクラスの出し物はマジックショーになっていた。

BGMは生演奏にしようと軽音部の長髪男子が言い出して、彼の友人が賛同を表明しながら演奏者に立候補した。彼は友人の立候補を歓迎しながら、あと一人、自分の構想を実現するにはピアノ演奏者が足りないんだと主張しながら教室を見渡した。そのとき、わたしの中にこれまで経験したことがない熱い想いが湧いてきて、わたしはいつの間にか手を挙げていた。

翌朝、教室にわたしが入ると、志水くんは勉強の手を止めて顔を上げ、わたしの顔をひたと見つめた。

「ピアノ、やるんだね」
「うん」
「すごいよ、あそこで手を挙げるなんて。そういう人、好きだよ」

このとき言ってもらった言葉を、わたしは心の中で何度も反芻しながら過ごした。諦めそうになったらこの言葉を思い出しながら文化祭本番に向けてピアノの練習をしたし、今日は十分やったからもういいやと勉強を投げ出しそうになったときも、わたしは脈絡もなくこの言葉を思い出しては自分を奮起させていた。
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