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第1話 その名は「シャッター・ガール」
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-1-
「2年3組 原地 藍梨っ! 大至急職員室に出頭しろーっ!」
穏やかな昼休みのひと時は、ハウリングと一緒に飛び出した教師の絶叫で打ち破られた。
-2-
「原地でーす。 出頭しましたー」
約20分後。
健康サンダルをぺたぺたと鳴らし、呼び出しを食らった本人がのんびりと職員室の扉を開けると、
「『大至急』と言っただろがっ! 一体何してたっ!」
呼び出した教師の怒鳴り声で出迎えを受けた。
しかしそんな出迎えをものともせず、藍梨は、
「学食でラーメン食べてました」
教師の態度とは正反対に、のんびりとした口調で答えた。
教師はこめかみを少し引きつらせながら、
「ラーメンだぁ?」
搾り出すように声を出すと、
「結構おいしいんですよ。 先生も愛妻弁当ばっかりじゃなくて、たまには学食でラーメン食べてみたらいかがです?」
どことなく的外れな感じの受け答えをする。
「ラーメンの事なんかどうでもいいんだよっ! お前に聞きたい事がある! ちょっと来いっ!」
教師は藍梨の腕をつかんで、今入ったばかりの職員室から連れ出した。
藍梨が連れて来られたのは、職員室の向かいにある「生活指導室」。
室内に入ると教師は中から鍵をかけて、誰も入れないようにした。
それを見た藍梨は、
「あら先生。 鍵なんかかけてどうするつもりなんですか?」
と聞く。
教師はまるでその言葉が聞こえないかのように無視し、ずかずかと藍梨の方へと歩いていき、手を伸ばせば簡単に届きそうな距離にまで迫る。
「あの… 先生?」
藍梨が聞くと、教師は
「原地…」
搾り出すような声を出し、
「これを見ろっ!」
そう言うと同時に上着のポケットからあるモノを取り出し、手近にあった机の上にバンとたたきつける。
「…これ、ですか?」
藍梨の視線が机の上にあるモノに向く。
そこには写真が数枚広げられていて、そしてその数枚の写真全てに、一人の男の「だらしない」姿が写されていた。
藍梨が写真を手にとりながら、
「よく撮れてますね」
素直な感想を述べた。
教師はその中の一枚を抜き取ると、
「説明してもらおうか」
と言った。
「説明?」
「何の事だかわかりません」といった感じで藍梨が聞くと、
「撮ったのお前だろう」
教師は決め付けた口調で言う。
「あら、何か根拠でも?」
藍梨が聞き返すと、教師は
「ひとつ、こんな写真を撮れる環境にいるのはお前くらいしかいない。 ふたつ、没収した写真の持ち主が口を割った。 みっつ、何よりお前は写真部の所属だ」
ひとつひとつ指折り数えながら答えた。
藍梨はそれを聞くと、
「お見事なご推理」
などと言っている割に、あまり見事と思っていなさそうな口調で言った。
そして、
「でも、それだけじゃちょーっと弱いなぁ。 どれもちゃんと反論できちゃうよ? もっと決め手になる証拠がないと」
と、写真を机に置きながら言った。
写真を撮った事を特に肯定も否定もしない。
さらに続けて、
「それに大体こんな写真、二枚や三枚撮られたところで別に困ったりしないでしょ?」
写真を指で突っつきながら言う。
ちなみに『こんな写真』とは…
家の居間だろうか、周りにビールの空き缶を転がしながらTシャツ短パンでだらしなく寝こけている姿。
洗面所で着崩れた寝巻きのままで歯磨きしている、寝ぐせ頭の後姿。
そんな感じの、文字通り「だらしない」写真である。
教師はその写真を恨めしそうに見ながら、
「こんな姿、他人に見られたら恥ずかしいじゃないか」
と、恥ずかしそうな口調で言った。
藍梨はそれを聞くと、
「何言ってんのよ、これっぽっちで恥ずかしいだなんて。 大体世間の目を気にしすぎなんだよ、裕樹おにーちゃんは」
鼻で笑うように言った。
「裕樹おにーちゃん」と呼ばれた教師は、
「学校ではそう呼ぶなって言ってるだろ!」
思わず少し声を大きくして言った。
それでも藍梨は、
「でもちっちゃい頃から『裕樹おにーちゃん』だからなぁ」
納得いかなさげな口調で答えると、
「お前が『おにーちゃん』と口にすると、周りに誤解を招くんだよ。 ちゃんと『先生』と呼ぶか、せめて『親戚の』くらいつけろ」
と言う。
「どんな誤解よ。 親戚同士なんだから別にどう呼んだって問題ないじゃない。 それにあたしが裕樹おにーちゃんの家に下宿してる事だって、周りのみんな知ってるよ?」
藍梨が反論すると、
「教師と生徒が一緒の家に住んでいる、っていうだけでも問題にしたがるやつがいるくらいなんだ。 学校で『おにーちゃん』なんて軽軽しく呼ぶと、そいつらがさらに問題にしたがる」
裕樹がまくし立てるように反論する。
すると藍梨は、
「…あのねー、『先生』」
軽くため息をつきながら、
「こういうところに二人っきりでいる事の方が、よっぽど問題になると思わない?」
鍵のかかった生活指導室を見回しながら、あきれたような口調で言った。
「…う…」
裕樹が言葉に詰まる。
藍梨はそれを見て、さっきより少し深いため息をついて、
「まったく… ヘンなところで抜けてるんだから…」
と言い、そして、
「で? 話はおしまい?」
そう聞くと、裕樹はハッと思い出したように、
「ああそうだそうだ。 お前にひとつ忠告」
少しまじめな口調になって言った。
「忠告?」
藍梨が聞くと、裕樹は
「いい加減こんな盗撮もどきの写真を撮るのはやめろ。 趣味が悪いぞ」
と、諭すような口調で言った。
しかし藍梨は、
「まぁ、あたしが撮ったかどうかは置いといて、こーゆー写真でも欲しがる人がいるから出回るんじゃないの? 『需要と供給』のカンケイってやつ? しょーがないんじゃない?」
しらばっくれたような感じで答える。
「…あのなぁ、藍梨…」
裕樹が口を開いた瞬間、チャイムの音が聞こえてきた。
昼休み終了の合図だ。
藍梨は肩を軽くすくめて、
「あー残念、時間切れ」
そう言うと、かかっていた鍵を外して、生活指導室の扉を開けた。
「藍梨」
裕樹が声をかけると、藍梨の顔だけが振り向く。
「?」
「どうしてもやめないのか? 盗撮まがいのマネは」
裕樹が聞くと、少しだけ表情を緩めて、
「『写真が欲しい』って人がいたら、撮るんじゃない? あたしはよくわかんないけど」
結局最後までしらばっくれた口調で答えると、部屋を出て行こうとした。
「…まったく、パパラッチかお前は」
裕樹がぼやくと、藍梨はもう一度振り向いて、
「パパラッチなんて呼び方、センスないなぁ。 せめて『シャッター・ガール』と呼んでよ」
そう言い残して、指導室を出て行った。
裕樹はため息のように、
「それもセンス悪いと思うぞ…」
ぼそりとつぶやいた。
-3-
放課後。
「昼休みはずいぶん騒がしかったじゃない?」
写真の整理をしながら、美絵が藍梨に話しかける。
「あー、あれ?」
藍梨がネガを明かりに透かしながら答えた。
「何悪さしたのよ?」
「人聞き悪いなあ。 『小峰先生の写ってる写真』が本人の手に渡って、なぜかその出所を追及されただけ。 …これは廃棄、と」
藍梨がネガにはさみを入れながら答えた。
「なぜか、ね… 今度は食券何枚で手を打ったのよ? …アングルがいまいち、ボツ」
美絵がボツ写真をごみ箱に放り込む。
その作業を横目に見ながら、藍梨は、
「何の事かな? あれは誰かが勝手にあたしの机の上に食券置いてってるだけ」
次のネガを取り寄せながら答えると、その話題を打ち切るかのようにネガを明かりに透かし始めた。
美絵は軽くため息をひとつつくと、
「まぁ、別にハラッチが何しようと構わないけどさ… 写真部が活動停止になるような事だけはしないでね」
何かをあきらめたような口調で言うと、その言葉を聞きつけたかのように、
「大丈夫。 もしハラッチが何かしでかしたとしても、こいつさえありゃ多少の事なら大目に見てもらえる」
背後の暗室から声が聞こえてきた。
「あ、部長。 いたんですか」
藍梨が声のした方を振り返りながら言うと「部長」は、
「いたんですよ。 暗室こもりっぱなしだったから、影みたいに存在感がなくなっちゃいましたか?」
片手に数枚の写真をぶら下げながら笑った。
藍梨もつられて笑いながら、
「でも影みたいに存在感がなくなったら、便利かもしれませんよ? なんたって目立たないから、どこに行ってもどんな写真撮ってもバレる心配がない」
と応えた。
部長は口元を緩めながら、
「なるほどそりゃ便利だ。 じゃああれだ、今度『大公開! これがハラッチと小峰先生の極秘私生活!』なんて写真、撮っちまおうか?」
とさらに応える。
「さぁ、どうでしょう? 部長にあたしとカレの私生活を覗く事ができますかしら?」
「お? 挑戦する気か? 写真部部長はダテじゃないよ? 今度お邪魔するから待ってろよ」
「是非お越しください。 あたしと先生夫婦の三人で、お茶菓子用意してお待ちしておりますので」
そんな漫才の様な会話が一段落したところで、
「で? なんですか? 『こいつ』って?」
黙って横で会話を聞いていた美絵が聞くと、部長は思い出したように、
「あーそうだった。 これこれ」
と、先ほど暗室から出て来た時に持っていた写真の中から一枚だけ抜き取って、二人の前に差し出した。
二人が写真を覗き込み、美絵が「あー、これね」という表情をしたのに対し、藍梨は「あー、これか」と、もういい加減こんなものは見飽きたかのような表情をして見せた。
「なんたってこういう写真を撮らせたら、ハラッチの右に出るものはいないからなあ」
と、二人の前に置かれた写真を指先でつっつく。
ちなみにその写真とは…
おそらく部活を終えて下校途中の女子高生が数人、突然雨に降られたのかカバンを頭の上に掲げて走っている様子を写している写真である。
何の変哲もない写真だが、なぜかさまざまな人の目に留まり、しまいには最近開催された夏の写真コンクール「高校生の部」で最優秀賞を取ってしまった、というおまけつきではあるが。
いわく、
「ただの雨の風景であるにもかかわらず、得も言われぬ躍動感とダイナミズムにあふれている」
いわく、
「落ちてくる雨粒の一滴一滴だけでなく、被写体が風を切って走っている『空気』まで写し取っているかのようである」
などなど。
とにかく、そのような絶大な評価を、審査員の先生方から受けてしまったのである。
「…しかしまぁ、こんな写真のどこがお気に入りになったんだか…」
藍梨はあきれたような口調でつぶやくと、
「何気ないからこそ、撮った人の『良さ』が見えるんじゃないか?」
部長がそれに答えるように言う。 そして、
「なんてゆーかさ、『撮ろう撮ろう』と思っていると、自然と被写体の方にもそれが伝わっちゃって、やっぱり『構えちゃう』と思うんだよな。 でもハラッチの写真はそれがない。 だからさりげない中にも良さが出てくるのは、多分ハラッチ自身が身構えていないからなんじゃないかと思うんだけど」
と続けた。
藍梨はそれを受けて、
「どうでしょうねー。 確かにそうしょっちゅう『撮ろう撮ろう』とは思っていませんけど、それなりに構えてたりはしますよ? 『あ、面白そうだな』とか思ったら『よし、撮ろう』って気になりますし」
そう答えた。
すると横から、
「あれなんじゃない? ハラッチは写真を撮る事を『楽しんでいる』」
美絵が口をはさんだ。
「『楽しんでいる』?」
藍梨が美絵の方へ向き直ると、美絵は、
「そう。 ハラッチの撮った写真からは、写真に対する『楽しさ』がにじみ出ている」
と答えた。
「でも、誰だって写真撮るのは楽しいでしょ?」
藍梨が切り返すと、美絵は、
「まぁ、それは確かにあるわね。 なんたって写真部なんだから。 でも」
そう言いながら美絵は、さっき廃棄した写真をごみ箱から取り出すと、
「あたしらが撮ると、どうしてもヘンなところに目が行っちゃうのよねー。 たとえばこれ」
ごみ箱から取り出した写真をひらひらとさせて、
「アングルがいまいちだったからボツにしたんだけどさ、どうしてもそういう事を考えながら撮影しちゃうのよね。 ハラッチはそういうのあまり考えてないでしょ?」
と続けた。
藍梨は美絵の持っている写真を手に取って見ながら、
「確かにそうかもね。 実際撮る時はアングルとかそんな難しい事考えてないからなぁ。 『撮りたい時が撮る時』みたいな感じだし」
そう答えると、
「それが大事だとは思うけどね。 だけど俺たちはどうしても技術面の方にばかり目が行っちまう。 だからハラッチが撮る時みたいな写真はなかなか撮れない」
部長が後を引き継ぐように言った。
「もちろん、アングル,露出,シャッタースピード、何から何までハラッチが撮った条件と同じにすれば、見た目は同じ写真を撮れるけど、やっぱり何か違うんだよなぁ。 どうしても『撮るぞ撮るぞ』って力んでいるのが判っちまうような、いまいち納得できない写真が出来上がっちまうんだよなぁ」
「で、そんな納得の行かない出来の写真は、こうなる」
言いながら美絵は藍梨の手から写真を取ると、再びごみ箱へ放り込んだ。
「結局、撮る人間が写真を撮る『楽しみ』をどれだけ持っているかによるんだろうなぁ」
部長がぼやくように言うと、
「それじゃあ何ですか? 部長は写真を撮る楽しみ、持ってないんですか?」
茶化すように美絵が突っ込む、すると部長は
「何か見返りでもあると楽しいかもなぁ」
と答える。
「学食の食券とか?」
美絵が切り返すと、
「まぁそれもうれしいけど、できれば何かの賞とかがもらえると、もっとうれしい」
部長が笑いながら答えた。
「でも賞を取ろうとすればするほど力んじゃって、納得のいく写真が取れなくなる、と」
「そういう事。 『撮る』か『取る』か、どっちを選ぶか、悩むなぁ」
「どっちもとっちゃえばいいんですよ」
「簡単に言うなよ」
「でもハラッチは『撮って』『取って』ますよ? ねー?」
そう言って、美絵は藍梨に話題を振る。
「…まぁ、賞の方は狙ったわけじゃないから、どうすれば賞を取れるかはよく判りませんけど…」
横で聞いていただけの藍梨は、突然振られた話題に少し戸惑いながらも部長の方を向き、
「まずは納得いく写真を撮れるようになるのが一番じゃないですか?」
と言った。 そして、
「本当に納得いく写真を撮れるようになったら、賞でも食券でも後からついてきますよ、きっと」
と笑いながら締めくくり、ネガの整理を再開した。
「2年3組 原地 藍梨っ! 大至急職員室に出頭しろーっ!」
穏やかな昼休みのひと時は、ハウリングと一緒に飛び出した教師の絶叫で打ち破られた。
-2-
「原地でーす。 出頭しましたー」
約20分後。
健康サンダルをぺたぺたと鳴らし、呼び出しを食らった本人がのんびりと職員室の扉を開けると、
「『大至急』と言っただろがっ! 一体何してたっ!」
呼び出した教師の怒鳴り声で出迎えを受けた。
しかしそんな出迎えをものともせず、藍梨は、
「学食でラーメン食べてました」
教師の態度とは正反対に、のんびりとした口調で答えた。
教師はこめかみを少し引きつらせながら、
「ラーメンだぁ?」
搾り出すように声を出すと、
「結構おいしいんですよ。 先生も愛妻弁当ばっかりじゃなくて、たまには学食でラーメン食べてみたらいかがです?」
どことなく的外れな感じの受け答えをする。
「ラーメンの事なんかどうでもいいんだよっ! お前に聞きたい事がある! ちょっと来いっ!」
教師は藍梨の腕をつかんで、今入ったばかりの職員室から連れ出した。
藍梨が連れて来られたのは、職員室の向かいにある「生活指導室」。
室内に入ると教師は中から鍵をかけて、誰も入れないようにした。
それを見た藍梨は、
「あら先生。 鍵なんかかけてどうするつもりなんですか?」
と聞く。
教師はまるでその言葉が聞こえないかのように無視し、ずかずかと藍梨の方へと歩いていき、手を伸ばせば簡単に届きそうな距離にまで迫る。
「あの… 先生?」
藍梨が聞くと、教師は
「原地…」
搾り出すような声を出し、
「これを見ろっ!」
そう言うと同時に上着のポケットからあるモノを取り出し、手近にあった机の上にバンとたたきつける。
「…これ、ですか?」
藍梨の視線が机の上にあるモノに向く。
そこには写真が数枚広げられていて、そしてその数枚の写真全てに、一人の男の「だらしない」姿が写されていた。
藍梨が写真を手にとりながら、
「よく撮れてますね」
素直な感想を述べた。
教師はその中の一枚を抜き取ると、
「説明してもらおうか」
と言った。
「説明?」
「何の事だかわかりません」といった感じで藍梨が聞くと、
「撮ったのお前だろう」
教師は決め付けた口調で言う。
「あら、何か根拠でも?」
藍梨が聞き返すと、教師は
「ひとつ、こんな写真を撮れる環境にいるのはお前くらいしかいない。 ふたつ、没収した写真の持ち主が口を割った。 みっつ、何よりお前は写真部の所属だ」
ひとつひとつ指折り数えながら答えた。
藍梨はそれを聞くと、
「お見事なご推理」
などと言っている割に、あまり見事と思っていなさそうな口調で言った。
そして、
「でも、それだけじゃちょーっと弱いなぁ。 どれもちゃんと反論できちゃうよ? もっと決め手になる証拠がないと」
と、写真を机に置きながら言った。
写真を撮った事を特に肯定も否定もしない。
さらに続けて、
「それに大体こんな写真、二枚や三枚撮られたところで別に困ったりしないでしょ?」
写真を指で突っつきながら言う。
ちなみに『こんな写真』とは…
家の居間だろうか、周りにビールの空き缶を転がしながらTシャツ短パンでだらしなく寝こけている姿。
洗面所で着崩れた寝巻きのままで歯磨きしている、寝ぐせ頭の後姿。
そんな感じの、文字通り「だらしない」写真である。
教師はその写真を恨めしそうに見ながら、
「こんな姿、他人に見られたら恥ずかしいじゃないか」
と、恥ずかしそうな口調で言った。
藍梨はそれを聞くと、
「何言ってんのよ、これっぽっちで恥ずかしいだなんて。 大体世間の目を気にしすぎなんだよ、裕樹おにーちゃんは」
鼻で笑うように言った。
「裕樹おにーちゃん」と呼ばれた教師は、
「学校ではそう呼ぶなって言ってるだろ!」
思わず少し声を大きくして言った。
それでも藍梨は、
「でもちっちゃい頃から『裕樹おにーちゃん』だからなぁ」
納得いかなさげな口調で答えると、
「お前が『おにーちゃん』と口にすると、周りに誤解を招くんだよ。 ちゃんと『先生』と呼ぶか、せめて『親戚の』くらいつけろ」
と言う。
「どんな誤解よ。 親戚同士なんだから別にどう呼んだって問題ないじゃない。 それにあたしが裕樹おにーちゃんの家に下宿してる事だって、周りのみんな知ってるよ?」
藍梨が反論すると、
「教師と生徒が一緒の家に住んでいる、っていうだけでも問題にしたがるやつがいるくらいなんだ。 学校で『おにーちゃん』なんて軽軽しく呼ぶと、そいつらがさらに問題にしたがる」
裕樹がまくし立てるように反論する。
すると藍梨は、
「…あのねー、『先生』」
軽くため息をつきながら、
「こういうところに二人っきりでいる事の方が、よっぽど問題になると思わない?」
鍵のかかった生活指導室を見回しながら、あきれたような口調で言った。
「…う…」
裕樹が言葉に詰まる。
藍梨はそれを見て、さっきより少し深いため息をついて、
「まったく… ヘンなところで抜けてるんだから…」
と言い、そして、
「で? 話はおしまい?」
そう聞くと、裕樹はハッと思い出したように、
「ああそうだそうだ。 お前にひとつ忠告」
少しまじめな口調になって言った。
「忠告?」
藍梨が聞くと、裕樹は
「いい加減こんな盗撮もどきの写真を撮るのはやめろ。 趣味が悪いぞ」
と、諭すような口調で言った。
しかし藍梨は、
「まぁ、あたしが撮ったかどうかは置いといて、こーゆー写真でも欲しがる人がいるから出回るんじゃないの? 『需要と供給』のカンケイってやつ? しょーがないんじゃない?」
しらばっくれたような感じで答える。
「…あのなぁ、藍梨…」
裕樹が口を開いた瞬間、チャイムの音が聞こえてきた。
昼休み終了の合図だ。
藍梨は肩を軽くすくめて、
「あー残念、時間切れ」
そう言うと、かかっていた鍵を外して、生活指導室の扉を開けた。
「藍梨」
裕樹が声をかけると、藍梨の顔だけが振り向く。
「?」
「どうしてもやめないのか? 盗撮まがいのマネは」
裕樹が聞くと、少しだけ表情を緩めて、
「『写真が欲しい』って人がいたら、撮るんじゃない? あたしはよくわかんないけど」
結局最後までしらばっくれた口調で答えると、部屋を出て行こうとした。
「…まったく、パパラッチかお前は」
裕樹がぼやくと、藍梨はもう一度振り向いて、
「パパラッチなんて呼び方、センスないなぁ。 せめて『シャッター・ガール』と呼んでよ」
そう言い残して、指導室を出て行った。
裕樹はため息のように、
「それもセンス悪いと思うぞ…」
ぼそりとつぶやいた。
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放課後。
「昼休みはずいぶん騒がしかったじゃない?」
写真の整理をしながら、美絵が藍梨に話しかける。
「あー、あれ?」
藍梨がネガを明かりに透かしながら答えた。
「何悪さしたのよ?」
「人聞き悪いなあ。 『小峰先生の写ってる写真』が本人の手に渡って、なぜかその出所を追及されただけ。 …これは廃棄、と」
藍梨がネガにはさみを入れながら答えた。
「なぜか、ね… 今度は食券何枚で手を打ったのよ? …アングルがいまいち、ボツ」
美絵がボツ写真をごみ箱に放り込む。
その作業を横目に見ながら、藍梨は、
「何の事かな? あれは誰かが勝手にあたしの机の上に食券置いてってるだけ」
次のネガを取り寄せながら答えると、その話題を打ち切るかのようにネガを明かりに透かし始めた。
美絵は軽くため息をひとつつくと、
「まぁ、別にハラッチが何しようと構わないけどさ… 写真部が活動停止になるような事だけはしないでね」
何かをあきらめたような口調で言うと、その言葉を聞きつけたかのように、
「大丈夫。 もしハラッチが何かしでかしたとしても、こいつさえありゃ多少の事なら大目に見てもらえる」
背後の暗室から声が聞こえてきた。
「あ、部長。 いたんですか」
藍梨が声のした方を振り返りながら言うと「部長」は、
「いたんですよ。 暗室こもりっぱなしだったから、影みたいに存在感がなくなっちゃいましたか?」
片手に数枚の写真をぶら下げながら笑った。
藍梨もつられて笑いながら、
「でも影みたいに存在感がなくなったら、便利かもしれませんよ? なんたって目立たないから、どこに行ってもどんな写真撮ってもバレる心配がない」
と応えた。
部長は口元を緩めながら、
「なるほどそりゃ便利だ。 じゃああれだ、今度『大公開! これがハラッチと小峰先生の極秘私生活!』なんて写真、撮っちまおうか?」
とさらに応える。
「さぁ、どうでしょう? 部長にあたしとカレの私生活を覗く事ができますかしら?」
「お? 挑戦する気か? 写真部部長はダテじゃないよ? 今度お邪魔するから待ってろよ」
「是非お越しください。 あたしと先生夫婦の三人で、お茶菓子用意してお待ちしておりますので」
そんな漫才の様な会話が一段落したところで、
「で? なんですか? 『こいつ』って?」
黙って横で会話を聞いていた美絵が聞くと、部長は思い出したように、
「あーそうだった。 これこれ」
と、先ほど暗室から出て来た時に持っていた写真の中から一枚だけ抜き取って、二人の前に差し出した。
二人が写真を覗き込み、美絵が「あー、これね」という表情をしたのに対し、藍梨は「あー、これか」と、もういい加減こんなものは見飽きたかのような表情をして見せた。
「なんたってこういう写真を撮らせたら、ハラッチの右に出るものはいないからなあ」
と、二人の前に置かれた写真を指先でつっつく。
ちなみにその写真とは…
おそらく部活を終えて下校途中の女子高生が数人、突然雨に降られたのかカバンを頭の上に掲げて走っている様子を写している写真である。
何の変哲もない写真だが、なぜかさまざまな人の目に留まり、しまいには最近開催された夏の写真コンクール「高校生の部」で最優秀賞を取ってしまった、というおまけつきではあるが。
いわく、
「ただの雨の風景であるにもかかわらず、得も言われぬ躍動感とダイナミズムにあふれている」
いわく、
「落ちてくる雨粒の一滴一滴だけでなく、被写体が風を切って走っている『空気』まで写し取っているかのようである」
などなど。
とにかく、そのような絶大な評価を、審査員の先生方から受けてしまったのである。
「…しかしまぁ、こんな写真のどこがお気に入りになったんだか…」
藍梨はあきれたような口調でつぶやくと、
「何気ないからこそ、撮った人の『良さ』が見えるんじゃないか?」
部長がそれに答えるように言う。 そして、
「なんてゆーかさ、『撮ろう撮ろう』と思っていると、自然と被写体の方にもそれが伝わっちゃって、やっぱり『構えちゃう』と思うんだよな。 でもハラッチの写真はそれがない。 だからさりげない中にも良さが出てくるのは、多分ハラッチ自身が身構えていないからなんじゃないかと思うんだけど」
と続けた。
藍梨はそれを受けて、
「どうでしょうねー。 確かにそうしょっちゅう『撮ろう撮ろう』とは思っていませんけど、それなりに構えてたりはしますよ? 『あ、面白そうだな』とか思ったら『よし、撮ろう』って気になりますし」
そう答えた。
すると横から、
「あれなんじゃない? ハラッチは写真を撮る事を『楽しんでいる』」
美絵が口をはさんだ。
「『楽しんでいる』?」
藍梨が美絵の方へ向き直ると、美絵は、
「そう。 ハラッチの撮った写真からは、写真に対する『楽しさ』がにじみ出ている」
と答えた。
「でも、誰だって写真撮るのは楽しいでしょ?」
藍梨が切り返すと、美絵は、
「まぁ、それは確かにあるわね。 なんたって写真部なんだから。 でも」
そう言いながら美絵は、さっき廃棄した写真をごみ箱から取り出すと、
「あたしらが撮ると、どうしてもヘンなところに目が行っちゃうのよねー。 たとえばこれ」
ごみ箱から取り出した写真をひらひらとさせて、
「アングルがいまいちだったからボツにしたんだけどさ、どうしてもそういう事を考えながら撮影しちゃうのよね。 ハラッチはそういうのあまり考えてないでしょ?」
と続けた。
藍梨は美絵の持っている写真を手に取って見ながら、
「確かにそうかもね。 実際撮る時はアングルとかそんな難しい事考えてないからなぁ。 『撮りたい時が撮る時』みたいな感じだし」
そう答えると、
「それが大事だとは思うけどね。 だけど俺たちはどうしても技術面の方にばかり目が行っちまう。 だからハラッチが撮る時みたいな写真はなかなか撮れない」
部長が後を引き継ぐように言った。
「もちろん、アングル,露出,シャッタースピード、何から何までハラッチが撮った条件と同じにすれば、見た目は同じ写真を撮れるけど、やっぱり何か違うんだよなぁ。 どうしても『撮るぞ撮るぞ』って力んでいるのが判っちまうような、いまいち納得できない写真が出来上がっちまうんだよなぁ」
「で、そんな納得の行かない出来の写真は、こうなる」
言いながら美絵は藍梨の手から写真を取ると、再びごみ箱へ放り込んだ。
「結局、撮る人間が写真を撮る『楽しみ』をどれだけ持っているかによるんだろうなぁ」
部長がぼやくように言うと、
「それじゃあ何ですか? 部長は写真を撮る楽しみ、持ってないんですか?」
茶化すように美絵が突っ込む、すると部長は
「何か見返りでもあると楽しいかもなぁ」
と答える。
「学食の食券とか?」
美絵が切り返すと、
「まぁそれもうれしいけど、できれば何かの賞とかがもらえると、もっとうれしい」
部長が笑いながら答えた。
「でも賞を取ろうとすればするほど力んじゃって、納得のいく写真が取れなくなる、と」
「そういう事。 『撮る』か『取る』か、どっちを選ぶか、悩むなぁ」
「どっちもとっちゃえばいいんですよ」
「簡単に言うなよ」
「でもハラッチは『撮って』『取って』ますよ? ねー?」
そう言って、美絵は藍梨に話題を振る。
「…まぁ、賞の方は狙ったわけじゃないから、どうすれば賞を取れるかはよく判りませんけど…」
横で聞いていただけの藍梨は、突然振られた話題に少し戸惑いながらも部長の方を向き、
「まずは納得いく写真を撮れるようになるのが一番じゃないですか?」
と言った。 そして、
「本当に納得いく写真を撮れるようになったら、賞でも食券でも後からついてきますよ、きっと」
と笑いながら締めくくり、ネガの整理を再開した。
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今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。
冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。
☆別サイトにも掲載しています。
※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。
これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。
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