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50話 wraith
しおりを挟む闘技場内の熱気と歓声に包まれていた。
煩いな…
目の前の素材をどう料理してやるか考えていた。
…琥珀色と菫色の瞳。 ブレメルーダの冴え渡った青空に映える、束ねられた長いブロンドヘアーが馬の尾のように揺れている。
凛々しい顔立ちはあどけなさを隠せず…まだ16を超えたかどうかだろう。体型にフィットするバトルドレスは、持ち主の均整の取れた見事な体つきを証明していた。 …年頃を迎えて開花する女らしさを隠し切れはしないが、戦うために鍛え抜かれた体だと良く分かる。
…活け造りにでもしてやりたいような、美しい素材だ。
…復活後、性欲の代わりに自分に備わった猟奇的破壊欲。…つい二日前、ベヒモスゾンビで発散していなければ、やっていたかもしれない。 …その時は王国中を敵に回す事になるのだろうが、それはそれで構わなかった。これだけの規模の王国なら、中には一人二人くらい、楽しませてくれる者がいるだろう。
だが、この女にとっては幸いな事に、自分の欲求はほどほどに満たされていた。
「…何か、貴方から嫌な気配を感じました…」
「ならその感覚、大事にしておくがいい」
ブロードソードが振られた。銃剣でそれを弾き返す。
「そ、そんな短剣で…!?」
「さっさと全力で来い。…さもないと…」
気配に振り向くと、レイスがすれ違っていた。
「ヒッ…いつの間に…!?」
「視界を外しただけだ。 …目と気配だけで追っていると…こうなるぞ?」
レイスの銃剣の先に、紫色の糸が絡まっていた…まさか。
慌てて下を見ると、スカートの裾が大きく削り取られ、膝から足先までの白い肌が露わになっていた。これではまるで、幼い少女のドレスだ。
観客の男共が歓声…嘆声を上げる。
…能天気に助平心だけで喜べる事態では無かった。 圧倒的なゲームチェンジャーである、王国が誇る紫心騎士団長のクロエが、どこの馬の骨とも分からないよそ者に圧勝するどころか、弄ばれている。
国民感情として受け入れられない屈辱だった。
「くっ…下衆な真似を…!」
「滅相も無い。動きやすくして差し上げただけだ。…それに、そんな美しい肌に傷をつけるのはあまりに心苦しい」
心外だ、と両手を上げつつ、慇懃無礼に笑って見せる。
この手の甘ちゃんをからかうのは楽しい。 …このまま観衆の前で辱めてやろうか?
…そんな事はさせんからな。
…冗談も分からないのか、石頭め。 そも、俺がその気になればこんな小娘…
ある種の自問自答に固まっていた鼻先を、形の良い脚が空を切っていく。軽く身を捻っていなければ無様な顔を晒していただろう。
…まったく、余計な口を挟みやがって…
「っ…外した…!」
「足癖の悪いお嬢様だ。だが、早速役に立っただろう?」
再び振られたブロードソードを、銃剣で止める。 …途端に、クロエが鍔迫り合いに持ち込んで来た。
「もらった!」
バスケットヒルトと呼ばれる、複雑な細工の護拳に銃剣を絡め取られ、レイスは抵抗せずに銃剣を引き渡した。 …銃剣ははるか場外に転がった。
次なる武器さえ取らず、尚も薄ら笑いを浮かべるレイスに向け、ブロードソードを叩きつけようとして…
手首を掴まれた。
「おすわり」
女の腕の一点を突いた。…昔、パーティにいた拳闘士に興味本位で教わった術だ。…人体にある各種急所点だったか。
「あ…ああぁ…」
力が抜けたようにクロエは喘ぎながらその場にへたり込み、ブロードソードが石畳の上で乾いた音を立てて転がった。
「…敗北を宣言しろ。それが嫌なら勝利をくれてやる。俺はどちらでも構わん」
元より優勝になど興味は無かった。これでもうこの闘技場にも用は無い。 まだ日が明るい内にさっさと「釣り」に行きたい。
「ま…参り…ました…」
会場から嘆声が漏れた。…王国の最強戦力の一角が、花を散らされるように陥落してしまった。
レイスは優勝者の表彰台に飾られた賞金の中から無造作に一掴みすると、残りには目もくれずさっさと闘技場を後にした。
ステータスは…若干上がったか。…やはり殺さないと経験値は半分ほどしか手に入らんか。この体が成長し、伸び悩みつつあるのもあるだろう。
…酒場の前を通り過ぎかけ、気が変わって中に入った。
酒だけは良い。…なんだ、俺にも色々あるじゃないか。…色恋狂いの雑魚魔王め、何が俺には何もない、だ。
「いらっしゃいませ」
妙齢の色香漂う女店員が、盆を手にしたまま注文を取りに来た。
「エール」
「はい、ただいま」
…さすが、昼の酒場だけあって人相の悪い、むさ苦しい男共があちこちのテーブルで屯していた。まぁ、目障りにならない限りはどうでもいいが…
「お待たせしました」
小樽に注がれたエールがテーブルに置かれ、それを取って呷った。
「…少ない。中樽で頼む」
「は、はい、かしこまりましたっ」
「生意気してんじゃねーぞ、小僧」
どこかでランドホッグが鳴いている…風情の欠片も無い。
「お、お待たせしました」
5L入りの中樽を置かれ、それを軽々と傾けた。
「御苦労」
無造作に賞金の金貨を二枚渡した。
「あっ、あの、すみません…一枚で充分です…それに金貨だとお釣りが…」
「いらん、好きにしろ。もう行け」
逡巡した挙句、ぺこりと頭を下げて戻ろうとする女店員が、例のランドホッグの群に引きずり込まれて揉みくちゃにされた。
「や、止めて下さい、困ります!」
繁殖期か。これまた風情の無い…獣に品性を求めるだけ無駄か…
(見てないで助けてやれ!)
知るか。勝手に孕め。
「おいボウズ、そんなに金が余ってんなら、俺達が貰ってやるよ」
(豚に真珠って奴だな…豚に失礼か)
大淵が訳の分からない事を抜かしているが、銀貨を数枚、出入り口の外に向かって放り投げてやると、男達が慌ててそれを追いかけて行った。 その拍子に女店員も解放され、慌てて厨房奥に逃げて行った。
通行人と取り合いをしていた男共が鼻息荒く戻ってきた。
レイスは涼しい顔で樽を傾けて楽しんでいる。
「もっと持ってんだろう!?さっさと袋ごと寄越せ!」
襟を掴まれ、エールで顔を洗う羽目になった。
「…」
獣に掛ける言葉は無い。 必要なのは躾けか駆除かだ。
無造作に腕を掴み返し、手を捻り上げて圧し折った。
野太い不細工な悲鳴が店内に響き渡った。
芸術的に捻じ曲げられた腕を後生大事そうに抱えて泣き喚く男を尻目に、顔のエールを舐め取ったレイスは、座ったまま飲酒を続けていた。
「野郎ォ!」
ショートソードを抜き払って迫る男共を空いた手と足で躾けてやった。テーブルごと押してこようとした賢い猿には、テーブルを蹴ってプレゼントしてやった。
…第三者から見れば、あまりに滑稽な絵面だった。
向かっていく男達は殺意を滾らせ刃物で襲い掛かるが、椅子に座って巨大な中樽を呷る男は、それを片手と脚だけで器用に捌いている。
…極端に可愛らしく例えれば、親猫が餌を頬張りながら尻尾で子猫たちをじゃらすような…
…問題は、子猫に当たる男達がむさ苦しく、じゃれつくたびに骨折や出血沙汰になって転がる事だ。
「けっ、憲兵だ!」
男達の仲間が叫び、動ける者は倒れた仲間を見捨てて逃げだして行く。
初めて感心した。スケープゴート。極めて草食動物らしい、合理的な戦術だ。
「動くなっ!」
紺色に赤い筋の入った上等な制服。マスケット銃を構えた銃士とサーベルを手にした汎用騎兵が洗練された動きで店内に押し入った。
我関せずとレイスはエールを飲み干し、樽を床に置いた。 そのままスッ、と片手を上げる。
「代わりを」
女店員は困り果てた顔で、それでも律義に小樽に並々溜めたエールを運んできた。
「…少ない。まぁいいか…」
それを一息に飲み干してしまう。
…二人の憲兵も、止める事すら忘れて呆気にとられてそれを眺めていた。ようやく、仕事を思い出したようだ。
「…お前が騒動の主犯か!?」
欠伸を噛み殺すレイスに代わり、女店員が弁護した。
「ち、違います。この方は私達を庇って下さいました。主犯の男達は皆、逃げて行きました。…あとはここで寝ている者達だけです」
…庇った記憶は無いが、そういう事にしておこう。
「…私からも保証します。 その方はこのような粗野な犯罪は犯しません」
クロエが戸口に立っていた。
…港に行って、手持ちで漁船を買い取れなければ強奪するつもりだったが、それは粗野な犯罪になるのだろうか?
「グラスランド閣下!?お知り合いで?」
「ええ。…倒れている者達を留置所に運びなさい。人手が必要なら我が隊からも…」
「いえっ、閣下のお手は煩わせません!」
襟元につけた魔法石に小声で何事か呟く…恐らく応援を呼んだのだろう。
「…時にレイス殿、宿場はお決まりですか?」
「いや」
「…宜しければ私の自宅に。これも何かのご縁。貴殿の武勇と武芸についてゆっくりお話を…」
「いい。…高級な寝具や屋敷はどうも肌に合わん」
「で、でしたら私の自宅に如何でしょうか?…助けて頂いた御恩も返したいので」
「気にするな、野宿でも良いのだ、俺は」
「良くありません、また憲兵騒ぎになります。是非」
女性店員にレイスをかっさらわれ、クロエは唇を噛んだ。
…結局、女店員…名前を聞いたが忘れた…彼女に強引に連れ込まれたせいで、「釣り」には行けなかった。
とはいえ、酒場で騒動を終えた時点で日は思ったより傾いていたし、既に気も削がれていた。…明日、ゆっくりと船を物色すればいい。
手を引かれるままに家に上がり込み、夕食を振舞われた。 …味については分からないが、腹と体の養分への欲求は満たされた。
…今は客間のベッドに寝転んでいる。女は別室で寝ている筈だ。
…それにしても奇特な生き物だ、あの女は。一人暮らしのくせに、危険も考慮せずこんな得体の知れない男を自分の家に上げる…破滅願望でもあるのか?
…そう言えば、過去に会った…顔も覚えていない女達も、なにかと自分の世話を焼きたがった。…野宿をしたのは周りに人家が無い時だけだ。町や村に行けば、素性を明かしもしないのに、誰かしら妙齢の女が自分を泊めた上に…
…気配。 コイツもか…目を閉じている自分を観察するように、おずおずと近寄って来る。
「…目障りだ、さっさと決めろ」
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