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届かないもの
佐藤
しおりを挟む「せ、先輩?」
佐藤はその時すでに全速力でひとりで駆け出していた。
交差点のど真ん中に取り残された鈴木は、伸ばしかけた手を宙に浮かせたまま、間抜けな声を出して硬直した。
逃げなければならない。頭では理解していても、膝下の感覚が完全に消失し、一歩も動くことができない。
佐藤が落とした缶コーヒーの茶色い染みが、鈴木の真新しい革靴のつま先をゆっくりと濡らしていく。
周囲のサラリーマンやOLたちも皆、彫像のように固まっていた。
悲鳴すらない。
人間の脳が処理できる限界を超えた『恐怖』を前にすると、群衆はただ沈黙する。
パリン、という甲高い音が連鎖した。
誰かが石を投げたわけではない。空間そのものにのしかかる異常なまでの『重圧』に耐えきれず、周囲を囲む高層ビル群の窓ガラスが、次々と悲鳴を上げて内側へと弾け飛んだのだ。
降り注ぐ無数のガラス片が、真昼の消えた太陽の代わりに、街を不気味に乱反射させる。
鈴木は糸の切れた操り人形のように、アスファルトへ崩れ落ちた。
ヒュー、ヒューと、喉の奥から乾いた音が漏れる。
酸素がないわけではない。ただ『それ』が上空に在るだけで、大気の構造が捻じ曲がり、生物の生存本能が物理的に圧迫され、呼吸すら許されないのだ。
ブラックドラゴン王。
雲を突き抜けるほどの巨躯が、無機質なビル群の谷間に完全なる姿を現した。
王が微かに身じろぎした。
ただそれだけで、足元のコンクリートが縦に裂け、地下の水道管が破裂して数十メートルの濁流が噴き出す。逃げ遅れた車が、まるでおもちゃのように吹き飛ばされてビルの壁面に激突した。
だが、王は足元で逃げ惑う羽虫たちには一瞥もくれなかった。
ただ、爛々と輝く巨大な双眸が、ゆっくりと、しかし確かな意志を持って東京の街を睥睨している。
探しているのだ。
自分の探す、ただ一つのものを。
王の喉の奥で、ゴロリ、と地鳴りのような音が鳴った。
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