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第2章 ミシュバットの妖精王 編
第 77 話 ビデルの急用
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ミシュバの町は、ミシュバット遺跡と同じくらいの面積の町だった。大陸北部へ向かう駅馬車が停まる町だけあって、多くの人々が往来している。ミシュバット遺跡の本格調査が決まった25年前から法暦省管轄特別区として再開発が進み、現在はエグデン王国第4の都市となっていた。
篤樹達探索隊一行は町に入るとまず、文化法暦省ミシュバ本庁へ向かった。
「お疲れ様です、エルグレド補佐官!……大臣はただ今、市内各部署を視察しておりますので、お戻りにはもうしばらく時間がかかるかと……」
本庁で対応に出てきた職員がエルグレドに告げる。エルグレドは後刻出戻る事を職員に伝えた。
「……という事でエシャーさん、お父様との再会はもうしばらくお預けという事でご容赦下さい。さて、私達も先に『宿』に入って準備を整えましょう」
「『宿』と言っても、どうせただの空き家なんでしょ……」
レイラがボソリと呟く。エシャーは少し寂しそうだ。
「大丈夫だよ、エシャー。大臣の視察だって夜までかかるって事は無いんだから……もうすぐルロエさんとも会えるよ」
篤樹の慰めの言葉に、エシャーも顔を上げ笑顔を見せる。
「うん……そうだね……すぐに会えると思って入ってきたもんだから、ちょっと残念!」
一行は馬に乗って先導する法暦省職員に続き、手配されている『宿』に向かうことになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんの冗談……かしら?……これ……」
レイラは職員に案内されて辿り着いた『宿』を見て絶句する。
法暦省本庁から、馬車で5分ほど離れた場所に建つ一軒家……町囲いの中に設けられている緑地帯に在る住宅街なので、本来なら高級住宅街の中の1軒家であるはずなのだが……庭木の手入れも行き届いておらず、蔦が絡む外壁からは、まるで幽霊屋敷を想像させられる。
「補佐官……本当にここでよろしいのですか?」
案内した職員も申し訳なさそうに確認しつつ、エルグレドに鍵を渡す。
「ええ。思っていたよりも良い状態の家で安心しました……急な要請でお手間をとらせましたね。ありがとうございます」
エルグレドは笑顔で応じると、尚も申し訳なさそうに立ち去る職員を見送った。
「……さて、それでは数日お世話になる我らの根城に入るとしますか」
「ちょ……ちょっとエル! 本当にこれ? こんな所に泊まるの?」
レイラが最後の抵抗と言わんばかりに抗議の声を上げる。
「ここは空き家になって3年程度の建物だそうです。明日からは2000年間空き家になっている遺跡での探索を始めるんですよ。ちょうど良い練習にもなります」
全く聞く耳を持たず、エルグレドは貸家の鍵を開け室内に入ってしまった。篤樹も荷物を持ち、その後に続く。
「行きましょう……レイラさん。仕方ないですよ。エルグレドさんが責任者ですし……」
「だよ、レイラ! 良いお家じゃない。森の中のお家みたいで私は好きだなぁ」
エシャーも篤樹の後に続く。スレヤーもその後に続いた。
「レイラさん。大丈夫です。俺が付いてますから!」
レイラは家に入っていく一行の背を絶望的な気分で見送り立ち尽くす。先に入ったエルグレドが窓枠の板を開き始める。
「大丈夫! お化けもサーガもいませんよ。安心して入っていらして下さい!」
そうじゃなくて……そんなんじゃなくて……
レイラは諦めると、玄関に向かってトボトボと歩き出した。
私は……ちゃんとした宿に泊まりたかっただけですのに……
―・―・―・―・―・―
「ほらっ! 2人ともッ! サボらずに腰を入れて拭いて下さいな! エルッ! あなた何を座ってるの! 終わった? 本当に隅々まで終わったのかしら? あら……この棚の上! 埃が積もったままじゃないの! 担当は誰!?」
貸家に入って1時間強———「せめてまずはお掃除を……」というレイラの提案を皆が承諾すると……恐ろしい「清掃魔」に変貌していた。
「……この家で数日過ごすというからには、最低限の生活環境は整えますわよ! スレイ! お風呂場は完璧? 完璧なら壁も床も『舐めて』証明していただきますことよ!」
リビングを出て風呂場へ向かうレイラの背を、篤樹たち3人はゲンナリとした表情で見送る。
「……ちょっとぉエル! 何とか言ってそろそろ止めさせてよぉ! レイラが暴走してるぅ」
エシャーが戦々恐々としてエルグレドに苦情を申し立てた。
「そろそろ法暦省にルロエさん達も戻って来てる頃じゃ……」
篤樹もそろそろ「レイラ基準の掃除」に飽き飽きしている。
「……仕方無いですよ。彼女が納得するまで掃除をしないと『自分だけ別に宿を取る!』とか言い出しかねませんから……まあ、でもボチボチ私も本庁に向かいたいんですけどね……」
「良いわー! スレイ。あなた、お掃除完璧じゃない! その調子で2階の寝室もよろしくねー!」
浴室のスレヤーに上機嫌で声をかけながら、レイラがリビングに戻って来た。
「それに引き換えこちらの3人と来たら……なぜ手が止まって口が動いてますの! お掃除の時間ですわよ!」
結局、その後さらに1時間、レイラ監修による『貸家大掃除作戦』は続けられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「本当に大丈夫ですか? スレヤーさん……レイラさんにあんなにコキ使われて……」
篤樹は御者台から『家』を振り返ると、手綱を握るエルグレドに申し訳無さそうな声で尋ねた。
「いいのよ。スレイは。レイラのこと好きだから、お掃除だって楽しそうにやってたもん」
その問いに、エシャーが荷台から顔を出して答える。エルグレドも頷き応じる。
「あのまま彼女の気が済むまで掃除に付き合っていたら、完全に夜になってしまいますよ。もう6時ですし、そろそろ本庁に行かないとまた大臣と行き違いになってしまいます……そもそも『一度掃除が終わった場所』をやり直しさせるなんて……彼女の意地悪としか思えません!」
エルグレドは自分が担当したキッチンの掃除に、最後までレイラから合格がもらえなかった事を根にもっているようだ。
「本当なら小1時間ほどで終わらせ、あとは明日からの準備をする予定でしたが……準備は明朝ですね……」
馬車は緑地帯を抜け市街地の外れに入った。特に会話も無く皆は思い思いに町の景色を眺める。
あれ?
篤樹は道の左側に建ち並ぶ家々の間の路地に立っている子どもに目を向けた。
……あの子、さっきも見たような気が……
10歳前後の子ども……ピンクのパーカーのような外套に紺色の半ズボン。フードをかぶっているので髪の毛の長さはよく分からない。男の子か女の子かも分からないが。確かにさっき緑地帯を抜けてすぐの家の横に立っていた数人の中の1人だ。
双子? 似てるだけ?
その子は篤樹をジッと見ている。その視線を感じたからこそ気づいたのかも知れない。馬車が過ぎ去るまでのほんの数秒間だったが、篤樹はその子の顔を今度はハッキリと目に焼き付けた。
ほどなくして馬車は法暦省ミシュバ本庁前に着いた。庁舎前に立つ職員にエルグレドが大臣の帰庁を確認する。
「今度は大丈夫でしたね。さ、降りましょう」
馬車を職員に預け、3人は庁舎の中へ入って行く。受付の職員が2階の特別応接室へ3人を案内してくれた。
「こちらです」
職員が扉を叩くと「どうぞ」とルロエの声が聞こえた。エシャーが思わず笑顔で篤樹を見る。篤樹も笑顔を返す。エルグレドが扉を開いた。
「失礼します」
部屋の中は中央に低いテーブルが置かれ、それを囲むように一人掛け用ソファーが8脚置かれている。部屋の天井全体が明るく発光しているのは、タグアの裁判所でも見た所長室の天井と同じ原理の発光魔法が施されているのだろう。
手前のソファーに座っていたルロエが立ち上がり3人を迎える。
「大臣は?」
ソファーに座っていたのがルロエ1人だけという事を不思議に思い、エルグレドは尋ねた。
「隣の部屋です」
そう言うとルロエは応接室に隣接する扉へ近づき中へ声をかける。
「大臣。エルグレド補佐官がお見えですよ」
「おお。来たか。よし……」
部屋の中から声が聞こえると、すぐに扉が開かれビデルが顔を出した。
「おおエルグレド、来たか! さ、中に入れ……ん? アツキ君とルロエの娘さんも一緒か……すまないが君たちはそっちの部屋で待っていてくれるかな?」
ビデルはエルグレド1人だけを横部屋に招き入れた。扉が閉まるとすぐにエシャーはルロエに抱きつく。
「お父さん! 元気だった? 忙しいんでしょ? 大臣と一緒にあっちこっち行ったり……」
「心配ありがとうな。お前達こそどうだ?『旅』なんて初めての経験だろ?……アツキ君も疲れてるんじゃないかい?」
「あ、いや……大丈夫です。ルロエさんこそ……」
3人は1週間ぶりの再会を喜びつつ、お互いの『旅』について情報を交換しあった。
「そうか……世界の終末か……サーガの大群行と言い、各地の天変地異と言い、何か関係があるのかも知れないねぇ」
「他の大陸でも大群行や大地震が起こっていたんですね……ルロエさん、『この世界の地図』とかってあるんですか?」
篤樹はルロエからの情報で初めて「この世界」にも「元の世界」と同じように海や大陸があるのだと認識した。それなら、自分が「今どこにいるのか」を知りたい。
「ああ、世界地図か。まだまだ完全ではないらしいが……一応のものとして……」
ルロエはソファーの横に置いてある旅行袋から、折り畳まれた紙を取り出しテーブルに広げた。
「この真ん中の大陸。ここがエグラシス大陸……今、私達のいる大陸だよ。大陸の下の方にある部分は『グラディー抑留地』で、北の山脈より上は未開地……それ以外の部分が『エグデン王国』だよ。私達が捕まえられたタグアの町は……この中心より少し下で……王都はその北東に在る……この印の場所だ。で、そこから北西に位置するのが『ここ』……これが今、私達がいるミシュバの町だね」
ルロエは指を地図上で動かしながら説明する。篤樹は地図に示されている町や村などの表記は読めなかったが、タグアから北上するルートにあるテリペ・サガド・リュシュシュの位置関係が何となく理解出来た。タグアからミシュバまでの距離が300kmということだったから……大陸全体としては南北に1000km、東西に1200kmくらいかな、と篤樹はざっと計算してみた。
日本の「長さ」は大体3000kmだと、社会の授業で聞いた話を思い出しながら、篤樹は改めて「この世界」の地図を見る。ルロエが示したエグラシス大陸の長さは日本列島の半分以下しか無い。もちろん『ほぼ四角形』なので面積としては日本より広いのだろうが……
他の大陸もエグラシスと同等以下のものが6つ描かれており、それぞれが海に隔てられている。直感的に「地球よりも小さな星なのか?」と篤樹は考えていた。
「これが『この世界』の全部……ですか?」
「いや、どちらかと言えばこれは『想像図』というものだろうね。エグラシス大陸以外にエルフ族や人間の存在が確認されているのは北のユフ大陸と南西のアルビ大陸の2つだけ。残りの3つの大陸と最南・最北の地は本当に在るのかさえ分かっていないらしいよ。船乗り達の情報や様々な神話や伝説を元に作られているのがこの地図なんだ」
ルロエの説明を聞きながら篤樹はもう一度「世界地図」を見る。この世界のどこかに……まだ3年2組のクラスメイトがいるのかも知れない。
「……まあ、何にせよ探索チームとしては明日からのミシュバット遺跡での調査を終えたら、次は北の『タクヤの塔』を目指すんだよね? 地図には記されていないが『タクヤの塔』は……エグラシス大陸北の半島……この飛び出している場所にあるらしい。……昔、父母と『こちら』に住んでいた時、タクヤの弟子達とお会いした事があるが、かなり危険な地域らしいね……地形だけでなくサーガや獣との遭遇率も非常に高い……エグデン王国の支配も及んでいない地域だし……私としてはあまり喜んでお前たちを送り出したくは無いんだけどね……」
ルロエは隣に座るエシャーの頭を撫でながら語った。
「エシャー……お前だけでもミシュバットの後は王都に来ないか?」
その問いかけに、エシャーは父の手をつかんで頭から下ろす。
「……最後まで、やり遂げたいから。いい……」
「そりゃそうだな……ま、私がそれほど心配するくらい危険な場所だ、という事をしっかりと覚えて、絶対に無理はせずに生きて帰って来るんだよ。良いね、2人とも」
「はい」「うん」
篤樹とエシャーは同時に答えた。その返答とほぼ同じタイミングで、突然、部屋の明かりが消えた。
「どうした!」
隣の部屋からビデルの声が聞こえると、ルロエは闇の中でも素早く隣室との扉まで移動しノックをする。篤樹とエシャーは唐突な暗闇の中、微動だに出来ずにいた。
「大臣、大丈夫ですか?」
扉が開き、先端が光を発している短い棒を持つエルグレドと、続いてビデルが出て来た。
「こっちは大丈夫だ。どうなってる?」
ビデルの声を受け、篤樹は急いで立ち上がると廊下への扉を開き外を見た。
「……廊下も真っ暗です」
エルグレドの棒の光を頼りに、エシャーは窓に駆け寄ると顔を出し、キョロキョロと辺りを見回す。
「この建物の窓、全部が暗いよ」
「クソッ! 言ってるそばからこれか!」
ビデルの言葉に反応し、篤樹はエルグレドに尋ねた。
「何かあったんですか?」
エルグレドは一瞬迷ったように間を置いてビデルに尋ねた。
「彼らも『例の件』は知っています。説明しても?」
ビデルが頷いたのを確認すると、エルグレドは篤樹達に説明する。
「サガドの町で聞いたでしょう? 法暦省専門の盗賊集団『ガナブ』の件を。最近この町で不審な情報が相次いでいたので、大臣自ら今回視察に来られたんです」
ガナブ……あの「国の重要機密事項」になってるという30年前からの盗賊……
「じゃあ、この停電……明かりが消えたのはガナブの……」
「分かりません。単なるシステム上の不具合かも知れません。しかし、このタイミングはあまりにも……」
突然、闇に包まれた庁舎内に警笛音が響いた。
「侵入者だ! 3階に侵入者だ!」
続いて職員の叫ぶ声……バタバタと走り回る音が廊下や階段に反響している。エルグレドは言葉を続けた。
「……どうやら、『ガナブ』の仕業と思って間違いないでしょう……」
篤樹達探索隊一行は町に入るとまず、文化法暦省ミシュバ本庁へ向かった。
「お疲れ様です、エルグレド補佐官!……大臣はただ今、市内各部署を視察しておりますので、お戻りにはもうしばらく時間がかかるかと……」
本庁で対応に出てきた職員がエルグレドに告げる。エルグレドは後刻出戻る事を職員に伝えた。
「……という事でエシャーさん、お父様との再会はもうしばらくお預けという事でご容赦下さい。さて、私達も先に『宿』に入って準備を整えましょう」
「『宿』と言っても、どうせただの空き家なんでしょ……」
レイラがボソリと呟く。エシャーは少し寂しそうだ。
「大丈夫だよ、エシャー。大臣の視察だって夜までかかるって事は無いんだから……もうすぐルロエさんとも会えるよ」
篤樹の慰めの言葉に、エシャーも顔を上げ笑顔を見せる。
「うん……そうだね……すぐに会えると思って入ってきたもんだから、ちょっと残念!」
一行は馬に乗って先導する法暦省職員に続き、手配されている『宿』に向かうことになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんの冗談……かしら?……これ……」
レイラは職員に案内されて辿り着いた『宿』を見て絶句する。
法暦省本庁から、馬車で5分ほど離れた場所に建つ一軒家……町囲いの中に設けられている緑地帯に在る住宅街なので、本来なら高級住宅街の中の1軒家であるはずなのだが……庭木の手入れも行き届いておらず、蔦が絡む外壁からは、まるで幽霊屋敷を想像させられる。
「補佐官……本当にここでよろしいのですか?」
案内した職員も申し訳なさそうに確認しつつ、エルグレドに鍵を渡す。
「ええ。思っていたよりも良い状態の家で安心しました……急な要請でお手間をとらせましたね。ありがとうございます」
エルグレドは笑顔で応じると、尚も申し訳なさそうに立ち去る職員を見送った。
「……さて、それでは数日お世話になる我らの根城に入るとしますか」
「ちょ……ちょっとエル! 本当にこれ? こんな所に泊まるの?」
レイラが最後の抵抗と言わんばかりに抗議の声を上げる。
「ここは空き家になって3年程度の建物だそうです。明日からは2000年間空き家になっている遺跡での探索を始めるんですよ。ちょうど良い練習にもなります」
全く聞く耳を持たず、エルグレドは貸家の鍵を開け室内に入ってしまった。篤樹も荷物を持ち、その後に続く。
「行きましょう……レイラさん。仕方ないですよ。エルグレドさんが責任者ですし……」
「だよ、レイラ! 良いお家じゃない。森の中のお家みたいで私は好きだなぁ」
エシャーも篤樹の後に続く。スレヤーもその後に続いた。
「レイラさん。大丈夫です。俺が付いてますから!」
レイラは家に入っていく一行の背を絶望的な気分で見送り立ち尽くす。先に入ったエルグレドが窓枠の板を開き始める。
「大丈夫! お化けもサーガもいませんよ。安心して入っていらして下さい!」
そうじゃなくて……そんなんじゃなくて……
レイラは諦めると、玄関に向かってトボトボと歩き出した。
私は……ちゃんとした宿に泊まりたかっただけですのに……
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「ほらっ! 2人ともッ! サボらずに腰を入れて拭いて下さいな! エルッ! あなた何を座ってるの! 終わった? 本当に隅々まで終わったのかしら? あら……この棚の上! 埃が積もったままじゃないの! 担当は誰!?」
貸家に入って1時間強———「せめてまずはお掃除を……」というレイラの提案を皆が承諾すると……恐ろしい「清掃魔」に変貌していた。
「……この家で数日過ごすというからには、最低限の生活環境は整えますわよ! スレイ! お風呂場は完璧? 完璧なら壁も床も『舐めて』証明していただきますことよ!」
リビングを出て風呂場へ向かうレイラの背を、篤樹たち3人はゲンナリとした表情で見送る。
「……ちょっとぉエル! 何とか言ってそろそろ止めさせてよぉ! レイラが暴走してるぅ」
エシャーが戦々恐々としてエルグレドに苦情を申し立てた。
「そろそろ法暦省にルロエさん達も戻って来てる頃じゃ……」
篤樹もそろそろ「レイラ基準の掃除」に飽き飽きしている。
「……仕方無いですよ。彼女が納得するまで掃除をしないと『自分だけ別に宿を取る!』とか言い出しかねませんから……まあ、でもボチボチ私も本庁に向かいたいんですけどね……」
「良いわー! スレイ。あなた、お掃除完璧じゃない! その調子で2階の寝室もよろしくねー!」
浴室のスレヤーに上機嫌で声をかけながら、レイラがリビングに戻って来た。
「それに引き換えこちらの3人と来たら……なぜ手が止まって口が動いてますの! お掃除の時間ですわよ!」
結局、その後さらに1時間、レイラ監修による『貸家大掃除作戦』は続けられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「本当に大丈夫ですか? スレヤーさん……レイラさんにあんなにコキ使われて……」
篤樹は御者台から『家』を振り返ると、手綱を握るエルグレドに申し訳無さそうな声で尋ねた。
「いいのよ。スレイは。レイラのこと好きだから、お掃除だって楽しそうにやってたもん」
その問いに、エシャーが荷台から顔を出して答える。エルグレドも頷き応じる。
「あのまま彼女の気が済むまで掃除に付き合っていたら、完全に夜になってしまいますよ。もう6時ですし、そろそろ本庁に行かないとまた大臣と行き違いになってしまいます……そもそも『一度掃除が終わった場所』をやり直しさせるなんて……彼女の意地悪としか思えません!」
エルグレドは自分が担当したキッチンの掃除に、最後までレイラから合格がもらえなかった事を根にもっているようだ。
「本当なら小1時間ほどで終わらせ、あとは明日からの準備をする予定でしたが……準備は明朝ですね……」
馬車は緑地帯を抜け市街地の外れに入った。特に会話も無く皆は思い思いに町の景色を眺める。
あれ?
篤樹は道の左側に建ち並ぶ家々の間の路地に立っている子どもに目を向けた。
……あの子、さっきも見たような気が……
10歳前後の子ども……ピンクのパーカーのような外套に紺色の半ズボン。フードをかぶっているので髪の毛の長さはよく分からない。男の子か女の子かも分からないが。確かにさっき緑地帯を抜けてすぐの家の横に立っていた数人の中の1人だ。
双子? 似てるだけ?
その子は篤樹をジッと見ている。その視線を感じたからこそ気づいたのかも知れない。馬車が過ぎ去るまでのほんの数秒間だったが、篤樹はその子の顔を今度はハッキリと目に焼き付けた。
ほどなくして馬車は法暦省ミシュバ本庁前に着いた。庁舎前に立つ職員にエルグレドが大臣の帰庁を確認する。
「今度は大丈夫でしたね。さ、降りましょう」
馬車を職員に預け、3人は庁舎の中へ入って行く。受付の職員が2階の特別応接室へ3人を案内してくれた。
「こちらです」
職員が扉を叩くと「どうぞ」とルロエの声が聞こえた。エシャーが思わず笑顔で篤樹を見る。篤樹も笑顔を返す。エルグレドが扉を開いた。
「失礼します」
部屋の中は中央に低いテーブルが置かれ、それを囲むように一人掛け用ソファーが8脚置かれている。部屋の天井全体が明るく発光しているのは、タグアの裁判所でも見た所長室の天井と同じ原理の発光魔法が施されているのだろう。
手前のソファーに座っていたルロエが立ち上がり3人を迎える。
「大臣は?」
ソファーに座っていたのがルロエ1人だけという事を不思議に思い、エルグレドは尋ねた。
「隣の部屋です」
そう言うとルロエは応接室に隣接する扉へ近づき中へ声をかける。
「大臣。エルグレド補佐官がお見えですよ」
「おお。来たか。よし……」
部屋の中から声が聞こえると、すぐに扉が開かれビデルが顔を出した。
「おおエルグレド、来たか! さ、中に入れ……ん? アツキ君とルロエの娘さんも一緒か……すまないが君たちはそっちの部屋で待っていてくれるかな?」
ビデルはエルグレド1人だけを横部屋に招き入れた。扉が閉まるとすぐにエシャーはルロエに抱きつく。
「お父さん! 元気だった? 忙しいんでしょ? 大臣と一緒にあっちこっち行ったり……」
「心配ありがとうな。お前達こそどうだ?『旅』なんて初めての経験だろ?……アツキ君も疲れてるんじゃないかい?」
「あ、いや……大丈夫です。ルロエさんこそ……」
3人は1週間ぶりの再会を喜びつつ、お互いの『旅』について情報を交換しあった。
「そうか……世界の終末か……サーガの大群行と言い、各地の天変地異と言い、何か関係があるのかも知れないねぇ」
「他の大陸でも大群行や大地震が起こっていたんですね……ルロエさん、『この世界の地図』とかってあるんですか?」
篤樹はルロエからの情報で初めて「この世界」にも「元の世界」と同じように海や大陸があるのだと認識した。それなら、自分が「今どこにいるのか」を知りたい。
「ああ、世界地図か。まだまだ完全ではないらしいが……一応のものとして……」
ルロエはソファーの横に置いてある旅行袋から、折り畳まれた紙を取り出しテーブルに広げた。
「この真ん中の大陸。ここがエグラシス大陸……今、私達のいる大陸だよ。大陸の下の方にある部分は『グラディー抑留地』で、北の山脈より上は未開地……それ以外の部分が『エグデン王国』だよ。私達が捕まえられたタグアの町は……この中心より少し下で……王都はその北東に在る……この印の場所だ。で、そこから北西に位置するのが『ここ』……これが今、私達がいるミシュバの町だね」
ルロエは指を地図上で動かしながら説明する。篤樹は地図に示されている町や村などの表記は読めなかったが、タグアから北上するルートにあるテリペ・サガド・リュシュシュの位置関係が何となく理解出来た。タグアからミシュバまでの距離が300kmということだったから……大陸全体としては南北に1000km、東西に1200kmくらいかな、と篤樹はざっと計算してみた。
日本の「長さ」は大体3000kmだと、社会の授業で聞いた話を思い出しながら、篤樹は改めて「この世界」の地図を見る。ルロエが示したエグラシス大陸の長さは日本列島の半分以下しか無い。もちろん『ほぼ四角形』なので面積としては日本より広いのだろうが……
他の大陸もエグラシスと同等以下のものが6つ描かれており、それぞれが海に隔てられている。直感的に「地球よりも小さな星なのか?」と篤樹は考えていた。
「これが『この世界』の全部……ですか?」
「いや、どちらかと言えばこれは『想像図』というものだろうね。エグラシス大陸以外にエルフ族や人間の存在が確認されているのは北のユフ大陸と南西のアルビ大陸の2つだけ。残りの3つの大陸と最南・最北の地は本当に在るのかさえ分かっていないらしいよ。船乗り達の情報や様々な神話や伝説を元に作られているのがこの地図なんだ」
ルロエの説明を聞きながら篤樹はもう一度「世界地図」を見る。この世界のどこかに……まだ3年2組のクラスメイトがいるのかも知れない。
「……まあ、何にせよ探索チームとしては明日からのミシュバット遺跡での調査を終えたら、次は北の『タクヤの塔』を目指すんだよね? 地図には記されていないが『タクヤの塔』は……エグラシス大陸北の半島……この飛び出している場所にあるらしい。……昔、父母と『こちら』に住んでいた時、タクヤの弟子達とお会いした事があるが、かなり危険な地域らしいね……地形だけでなくサーガや獣との遭遇率も非常に高い……エグデン王国の支配も及んでいない地域だし……私としてはあまり喜んでお前たちを送り出したくは無いんだけどね……」
ルロエは隣に座るエシャーの頭を撫でながら語った。
「エシャー……お前だけでもミシュバットの後は王都に来ないか?」
その問いかけに、エシャーは父の手をつかんで頭から下ろす。
「……最後まで、やり遂げたいから。いい……」
「そりゃそうだな……ま、私がそれほど心配するくらい危険な場所だ、という事をしっかりと覚えて、絶対に無理はせずに生きて帰って来るんだよ。良いね、2人とも」
「はい」「うん」
篤樹とエシャーは同時に答えた。その返答とほぼ同じタイミングで、突然、部屋の明かりが消えた。
「どうした!」
隣の部屋からビデルの声が聞こえると、ルロエは闇の中でも素早く隣室との扉まで移動しノックをする。篤樹とエシャーは唐突な暗闇の中、微動だに出来ずにいた。
「大臣、大丈夫ですか?」
扉が開き、先端が光を発している短い棒を持つエルグレドと、続いてビデルが出て来た。
「こっちは大丈夫だ。どうなってる?」
ビデルの声を受け、篤樹は急いで立ち上がると廊下への扉を開き外を見た。
「……廊下も真っ暗です」
エルグレドの棒の光を頼りに、エシャーは窓に駆け寄ると顔を出し、キョロキョロと辺りを見回す。
「この建物の窓、全部が暗いよ」
「クソッ! 言ってるそばからこれか!」
ビデルの言葉に反応し、篤樹はエルグレドに尋ねた。
「何かあったんですか?」
エルグレドは一瞬迷ったように間を置いてビデルに尋ねた。
「彼らも『例の件』は知っています。説明しても?」
ビデルが頷いたのを確認すると、エルグレドは篤樹達に説明する。
「サガドの町で聞いたでしょう? 法暦省専門の盗賊集団『ガナブ』の件を。最近この町で不審な情報が相次いでいたので、大臣自ら今回視察に来られたんです」
ガナブ……あの「国の重要機密事項」になってるという30年前からの盗賊……
「じゃあ、この停電……明かりが消えたのはガナブの……」
「分かりません。単なるシステム上の不具合かも知れません。しかし、このタイミングはあまりにも……」
突然、闇に包まれた庁舎内に警笛音が響いた。
「侵入者だ! 3階に侵入者だ!」
続いて職員の叫ぶ声……バタバタと走り回る音が廊下や階段に反響している。エルグレドは言葉を続けた。
「……どうやら、『ガナブ』の仕業と思って間違いないでしょう……」
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偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
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