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第2章 ミシュバットの妖精王 編

第 80 話 妖精のはなし

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「3人だと狭いから、スレイとエルで入っておいでよぉ」

 風呂上りのエシャーが、エルグレドとスレヤーに声をかける。レイラは先に2階の寝室に上がっていた。
 エシャーの意図は見え見えだ。エルグレドは篤樹に意味深に微笑みかける。

「ではお言葉に甘えて先に入らせていただきますね。行きましょうか、スレイ」

「いやぁ、焚き場の暑いこと暑いこと! 気持ち良いねぇ、汗をかくってのは! で、風呂で汗を流せばさらに天国気分だ!」

 エシャーは2人が浴室に入ったのを確認すると、キッ! と篤樹を睨みつける。

「アッキー!」

 そら来た……さて、なんて言って誤魔化そうか……

「女の人と『ギュッ!』ってしたでしょ!」

「ふぇ!?」

 あまりに予想外の尋問第一声に、篤樹は頭の中で組み立て始めていた言い訳が見事に崩れるのを感じた。

「ちょ……エシャー? え?」

 エシャーが篤樹の胸に顔を近づける。

「な……何?」

「ほらっ! まだ匂いが残ってる! さっきはもっと強かったよ、女の人の香り。ねぇ、ガナブを追いかけて行って誰に会ったの?」

 エルグレドとは全く違う切り口での「尋問」にタジタジになりながら、篤樹は「6割」だの「代わりの秘密」だの、もう考えることは出来ない。
 とにかく遥の最後の一言……エルグレドかビデルが遥殺害に関与している事以外について、ほぼ全てを正直に話すことになってしまった。
 最初はちょっと恐い目で見ていたエシャーだったが、亮や香織との接点もある遥の話だったので段々と表情も柔らかくなり、一緒に考える雰囲気になって来た。

「……でもさぁ、それならエルに相談してみたら何か分かるんじゃないの?」

 エシャーはすごく真っ当な意見を述べる。

 そりゃ俺だってエルグレドさんに相談したいよ!

 篤樹はその思いがなるべく顔に出ないように気をつけながら言葉を発した。

「うん……ただそんな目に遭った遥にとって『法暦省』ってのは敵みたいなもんだろ? エルグレドさん経由で万が一にでも情報が流れたら……困ったことになっちゃうと思うんだ……これまで姿形もバレずに、グループの人数もバレずにいたのに……だから……さ」

 篤樹は遥から聞いた「確定情報」ではなく、あくまでも自分の「推察」として、法暦省関係者には注意を払おうと思っているとエシャーに伝える。これにはエシャーも納得してくれたようで、それ以上はエルグレドに相談すべきとは言わなくなった。

「でも、ずっと子どものままかぁ……妖精みたいだねぇ」

「え? 妖精って、そうなの?」

 エシャーの感想に思わず聞き返す。篤樹がイメージしていた「妖精」は、子どもの頃に絵本で見た「小さな体に羽が生えている花の妖精」くらいだ。

「えー、アッキー。妖精知らないのぉ?……って、当たり前か」

 エシャーが面白そうに尋ねる。ちょうどそこへ2階からレイラが下りて来た。

「……なぁに、あなた達。妖精のお話?」

「うん! アッキーがよく知らないって」

 エシャーが篤樹の「妖精観」を説明する。

「なるほどねぇ。アッキーの世界では『精霊』も『妖精』と同列に考えられているのかしら?」

 いや……そもそも全部空想の話でしか存在してませんけど……

「この世界には私達エルフやドワーフやホビットや小人といった『妖精網』に属する生き物がいるのよ。ちなみに人間や獣人・半獣人は『哺乳網』ね。それぞれの生物分類で、エルフはエルフ科のエルフ属で、エシャー達はエルフ科のルエルフ属に分けられるのよ。で、一般的に私達が『妖精』と呼んでるのは妖精網全体の事ではなく、純粋な妖精……妖精科妖精属に分類されている生体種のこと。彼らの姿は生まれた時から死ぬまで、10歳前後の子どもの姿だと言われているわ」

 ずっと子どもの姿……だから「妖精みたい」って事かぁ……

「アッキーが言ってた『小さな妖精』ってのは、この世界では『精霊網』に属する存在よ。本体が物質ではない『精霊』が、この世界の『物質』を使って姿を現してるものよ。木や花や草や、中には火や風や光なども使って姿を現すのよ」

「んー……よく分かりませんけど、とにかく『妖精』っていう大きなグループの中にエルフとかのグループがあって、そのグループにはある意味で純粋な『妖精の中の妖精』ってグループもあるってこと……ですか?」

 篤樹なりの理解でまとめる。

「そういうこと!」

 なぜかエシャーが得意気に答える。

「そうかぁ……『小人族』は小さな人間みたいだけど『妖精グループ』なんだぁ……で、その『純粋な妖精』ってのは、エルフや獣人のように人間社会と共存してるんですよね? 僕、まだ会った事無いなぁ」

「私も村でおじいちゃん達に聞いた話でしか知らないよ。レイラは? 会った事ある?」

 エシャーの問いにレイラもしばらく考える。

「無いわねぇ……話でしか聞いた事が無いわ。でも、昔はあちこちの森や洞窟にいたはずよ。人間社会とも接点があったはずだし……」

 浴室からスレヤーとエルグレドが上がって来た。

「おや? レイラさんも戻って来られたんですか?」

 バスローブを羽織ったエルグレドが尋ねる。その後ろに、上半身裸のスレヤーがバスタオルで髪の毛を拭っていた。

「お水をいただきにね……それよりエル、スレイ、お2人は『妖精』にお会いした事がありまして?」

「俺ぁ無ぇなぁ……大将は?」

 スレヤーは興味無さそうにそう言い残すと、台所へ入っていく。エルグレドはチラッと篤樹を見た。

 ああ……こうやって「秘密」は少しずつバレていくんだ……

 篤樹は申し訳なさそうに目を伏せた。

「『妖精』ですか? あの純粋な『妖精属』としての?」

「ええ」

 エルグレドはしばらく何かを考えるように目を閉じ、ゆっくり口を開いた。

「……この大陸の『妖精』については、私も歴史書や文献でしか知りませんねぇ。この大陸での最後の目撃情報は……3800年頃ですから、今から1300年も前ですね……北の『ユフ大陸』でも目撃情報はかなり昔から無かったのではないかと……他の大陸での目撃情報は今も船乗りや探検家の中にはあるようですが……で、その『妖精』がどうかしましたか?」

 エルグレドがレイラに尋ねる。レイラも不思議そうな視線をエシャーに向けた。

「えっと……『妖精』が……どうしたのかしら? エシャー」

 エシャーは焦って篤樹を見た。

「アッキーが『こっちの世界の妖精って知らないから教えて』って言ったから教えてたの。ね?」

「え? あ、うん……みんなのお話の中では時々『妖精』って言葉を聞くけど、本物はまだ見たこと無いなぁって思って……」

 篤樹はとりあえずエシャーの助け舟に乗ることにした。

「『妖精』ですか……エルフ族のように生まれもっての法術使いで、その法力はエルフをしのぐとも言われてますよねぇ?」

「あら? エル。無知をさらさないほうがよろしくてよ。妖精の中にはエルフよりも優れた魔法使いも少なくないってことよ、アッキー。そこ、大事なところ」

 レイラがエルグレドの説明を修整する。エルグレドは苦笑しながら続けた。

「2000~3000年前くらいまでは、エルフ族よりも人間と近しい関係だったそうですよ、妖精族は。法術を使えない人間達を積極的に助けてくれていた、との伝承もありますしね。古代のミシュバットの町だって妖精族の法術の助けを受けて建てられたのではないか? というのが大方の見解になってますよ」

 ミシュバットの町の遺跡かぁ……確かに、あれだけの規模の町をこの世界の人間が法術も使わずに築けるとは思えない。2000年前に在った2万人規模の町……一夜にして人々が消えた「呪われた町ミシュバット」……。なんだか怖いなぁ……

 結局、篤樹の入浴が終わるまでエルグレド、レイラ、スレヤー、エシャーの4人は、そのままリビングで妖精やミシュバットにまつわる話で盛り上がっていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 ミシュバット遺跡探索の第一日目の朝を迎えた―――

「……今日はとにかくまず『結びの広場跡地』での調査になります。法暦省の遺跡調査チームが先導してくれますので、まずは文化部の建物に向かいましょう」
 
 スレヤーが手綱を握り、御者台の隣にエルグレドが座る。篤樹達3人は荷台に乗り込んだ。移動用の荷物は「家」に降ろし、今日は各自の荷物袋が1つずつと引き馬用の「食事」だけなので荷台も広々としている。
 家を出て緑地帯を抜けると、篤樹は荷台の後部開きから町並みを眺めた。

 もしかしたらまた遥がどこかで見てるかも……

 しかし文化部の建物に着くまでの道中、遥どころか「人っ子ひとり」見かけなかったことを不思議に感じ、篤樹はレイラに尋ねた。

「レイラさん……今日って何か特別な日なんですか?」

「え? どうしてそんな事を訊くのかしら?」

「いや……ここまで来る間に誰も見なかったから……」

「そう? いるじゃない。人」

 文化部の建物に馬車が止まると、確かに周りにはチラホラと人が行き交っている。

「え? あ……ホントだ……」

 たまたま緑地帯の周りだけ、人が出歩いていなかったのか……
 
「お疲れ様です、エルグレド補佐官!」

 馬車の前方で元気な声が聞こえた。

「おはようございます。お待たせしましたか?」

 エルグレドが訊ねる。

「いえ、私達もつい今しがた準備が整ったところです。では軍部の馬車が先導しますので、その後に私達の馬車が、その後ろに補佐官殿の馬車、最後尾を軍部の馬車という隊列で移動します」

「軍部が? 昨夜の1件で?」

 エルグレドが怪訝そうに確認する。

「いえ……ここ5~6回の調査で何件かの事故がありまして……事故というか……まあ、何者かによる襲撃とも思われますので……それで軍部には前々回から同行協力いただいている次第です!」

「そう……ですか……」

 エルグレドがほろの中を振り返る。3人は「聞こえた」というジェスチャーで頷いた。

「それに……昨夜の件は例によって『単なる発光魔法の不具合と非常訓練扱い』になりましたから……」

 職員が声を落としてエルグレドに報告する言葉も、ほろの中まで充分に聞こえて来る。

 そっか……法暦省はガナブの件を公には隠してるんだっけ……

「では!」

 職員の声が遠ざかっていった。

「おっ、出発かぁ!」

 スレヤーが手綱を軽く動かす音が聞こえ馬車が進み出した。すぐ後ろに軍部の馬車が付く。

「なんだか後ろから監視されてるみたいでヤダぁ。恥ずかしいなぁ!」

 最後尾の馬車を操る軍服姿の御者兵を見ながらエシャーが呟く。

「それがお仕事よ。文句を言わないの」

 レイラは涼しげな表情で、軍部馬車の御者台に座っている2人の兵士に軽く手を上げて挨拶をする。まだ若い、二十歳そこそこの2人は恥ずかしそうに会釈を返した。よほど彼らのほうが恥ずかしがってるように見える。

「レイラさん、それ、何の本ですか?」

 篤樹はレイラが手に持っている小さな本に気付いて訊ねた。

「これ?『妖精のおはなし』よ。昨夜のお話しですっかり懐かしくなって読み返してみたくなったの。面白いわよ。読んでみる?」

「あ、いえ……こっちの字はまだ……」

「―― 妖精達は森で生きることを好むが、時として村里に現れては人間との生活を楽しんでいた。人が里からいなくなると妖精達もいずこかへと消え、人が集まるとまた人間達のもとへと集まって来た。妖精達は人間が大好きなのだ――エルフは嫌われてたみたいだけどね」

 レイラは本の中の一節を音読で紹介し、篤樹にウインクをした。

「早く字が読めるようになると良いわねぇ」

 篤樹はすごく馬鹿にされた気がし、顔を赤らめた。
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