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第2章 ミシュバットの妖精王 編

第 101 話 タフカの願い

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 篤樹は胸に下げている「 渡橋ときょうあかし」を、服の上から右手でギュッと握りしめた。

 先生……これしか方法は無いんですか?……これって……正解なんですか?

「賀川ぁ……。不安やなぁ」

 遥が篤樹の右手に自分の手を添える。

「あ……うん……ゴメン。ちょっと気持ちを……」

「……これ」

 遥は手を離すと、左腕の袖の中から何かを取り出した。

「あ! お前……これ……」

「ゴメン! 最初に観た時に……兄さまにとって危ないもんやって思って……」

 遥が手に持ち見せたのは、錆びて茶色くなっている1本の棒……2000年前に地下でタフカを操るために刺されていた棒だった。

「しずが……言うてたやん?……これで兄さまを操ってたって……。万が一誰かの手に渡ったらまた兄さまが……で……ウチが……」

 それで……あそこに無かったのか……。妖精王さえも意のままに操る魔法の道具……でも、これって……

「……ちょっと、見せてくれる?」

 遥は棒を篤樹の手に渡した。もう随分と錆びに覆われ、原型はほとんど分からない。でも……これは……

「遥……これって、あれじゃないか? ほら、バスガイドさんが持ってた……」

「バスガイドさん?……あのバスの……若い ねえちゃん?……そんなん持ってたか?」

 篤樹は記憶を辿る。

 遥にとっては何十年も前の記憶でも、俺にとってはついこの間の記憶だ!……そう……確か胸ポケットに入れて……

「ほら! なんかさ、ラジオのアンテナみたいに伸ばせる棒だよ! どこかで一回出してたじゃん!」

「そんなこと……有ったかぁ?」

 遥は篤樹の手から棒を受け取り、マジマジと見つめる。

 ……間違いない。多分……途中で折れてるみたいだけど、下から三段くらいが伸びた状態でサビ固まってるんだ。中は空洞になってるみたいだし……

「まあ、何でもええけど……これ……刺さるかなぁ?」

 篤樹はもう一度遥の手から棒を受け取る。確かに、指で握る力だけで簡単にひしゃげてしまいそうなほどに劣化している感じだ。

 こんなのを何十年も心臓に刺されて操られていたんだ……タフカは……そりゃ怒るよなぁ……

「刺す場所って……心臓じゃないとダメなのかな?」

 篤樹は遥に尋ねた。胸板を突き破って心臓へとなると、とてもこの強度ではもちそうにない。遥は「棒」を手の平に載せ、妖精の魔法を使い調べる。

「……持ってる感じとしては……とにかく、絶対的な服従を相手に強制するような術がかかってるみたいやなぁ……。ウチらじゃ真似も出来んくらい、高度な術ってことは分かる。……ウン! 多分これ、『刺す場所』は関係ないんやない? とにかく身体のどっかに刺せば操れるんやないかと……」

「目なら?」

 篤樹からの提案に、遥は目を見開く。篤樹は確認するように首をかしげ頷き見せた。遥はタフカに目線を移し、それから棒の先を指で触りながら答える。

「……いける……かもなぁ……。でも……」

 遥の声は弱々しい。

 そりゃ……「目」だもんなぁ……。考えちゃうよなぁ……

「……タフカはさぁ、今、憎しみの心と『サーガの実』に支配されちゃってるんだよね? でも、こっちの魔法のほうが強力なんだったら……タフカを……止められるんじゃないかなぁって……だから、とにかくどこかに『刺せば』って……」

 遥は目を閉じ、上を向く。

「上手くいけば……兄さまは助かるかなぁ……」

「……分からない……でも……やってみなきゃ結果は出ない」

 ゆっくり頷き、決断した遥はパッと目を開いた。

「よし! 刺す! ほんで止める! 兄さまを殺すなんてイヤや! 助けよう!」

 篤樹は遥の手を取ると石畳の上に先に上げ、すぐに自分も上った。

 とにかく、やるしかないんだ!


◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 


「アツキくんと『あの妖精』が、何か策を思いついたようですね……」

 エルグレドはタフカに悟られないように口元を隠し、背後のエシャーに伝える。

「あの子……あれがアツキが言ってたドウキュウセイ?」

「身体は妖精です。……私が心意転移魔法を施しました。中に居るのは女性のチガセ……アツキくんのドウキュウセイです」

「は? エル……何? それ……」

 突然の話に、エシャーは大きな目をさらに見開き向ける。エルグレドは微笑んで答えた。

「……全部終わったら詳しくお話ししますよ。約束ですからね。……とにかく、あの様子からするとお二人はタフカに何らかの攻撃を仕掛けるみたいです。なので私達は……」

 エルグレドは立ち位置を少しずつ移動し始める。タフカの右目には敵意を感じない。むしろ篤樹達が近づく事を知った上で協力している感じだ。

 少しでも今のタフカの視界を左側に向けさせるのが……私達の成すべき「援護」ですね……

「クソッ! どうにも片目では……おい、王子様! 何を企んでるんだ?」

 タフカが右手を真っ直ぐに向け、攻撃姿勢を見せる。エルグレドとエシャーは、スレヤーと数mの距離まで広場を移動していた。スレヤーの周りに居る妖精達も、篤樹と遥の動きに気付いている。エルグレドはレイラの方向に一瞬目を向けた。レイラとそばの妖精たちも、タフカの視界に篤樹たちが入らないように、自分たちの立ち位置を変えている。

 ……エルフの伝心はうまく操れなくても、以心伝心なら種族を超えて伝わるものですね。アツキくん……任せますよ!

 エルグレドは、篤樹と遥が完全にタフカの背後をとっているのを確認すると、さらに自分への注意を向けさせるように声を上げた。

「タフカ!……お前は……サーガのタフカか? それとも妖精王タフカか!」

「はぁ? 馬鹿かお前は! 俺は俺だよ!」

 タフカの右手の指先から、黒い光の法撃がエルグレドに向かって放たれる。しかしエルグレドは避ける素振りさえ見せなかった。放たれた法撃の軌道は右にずれ、エルグレドとスレヤーの間を抜けていく。タフカの右目は、じっとエルグレドを見つめている。

 ……怒りと憎しみに満ちた死人の左眼と、親しみの篭った旧友の右目ですか……。タフカ……必ず何とかしますからね!

「王様! さっきの伝心は本気ですか!」

 レイラの前に立つ妖精が唐突に声を上げた。タフカはその妖精を、怪訝な表情で睨む。

「伝心、だとぉ……何を言っている!」

 なるほど……「タフカ同士」での意識共有は無さそうですね。

 エルグレドはタフカが今在る状態を確信した。

 タフカは今、1つの存在の中に1つの人格でありながら、サーガに支配されている部分と支配されていない部分が在るという事ですか……。右目以外は身体も支配されているという事は、右目以外の支配権を取り戻せば……

 エルグレドは篤樹と遥の様子を、タフカに気付かれないように確かめる。ふと、遥が握る枝のような「錆びた棒」に気付く。

 あの妖精が握っているのは……まさか『導く者の杖』?……なるほど……そういう事ですか……

 遥が握る「棒」の正体に思い当たったエルグレドは、タフカの視線を気にしながら背後に並び立つ妖精に声をかけた。

「誰か……伝心を……私の指示を伝心で、あの『ハルカさん』という妖精に送って下さい」

「ハルさんに?」

 モンマがエルグレドに近寄ってきた。タフカはレイラとその周囲の妖精を視界の中心においている。

「左目を狙え、と。お願いします」

 先ほどのタフカと遥の「伝心」を共有していた妖精達は、今から行われようとしている「作戦」も分かっている。モンマはエルグレドに頷き、すぐに遥へ伝心を送った。
 タフカの背後から近づいていた遥の足が一瞬止まり、モンマに目線を向ける。モンマはエルグレドを指差した。

「……賀川……補佐官からの指示や……左目を狙え……やと」

 小声で告げる遥の言葉に、篤樹は一瞬首をかしげる。

 エルグレドさんが? 何か策があるのか……よし!

 しかし、すぐに篤樹はエルグレドに軽く手を上げ了解を知らせると、遥に顔を向けた。

「……遥……聞いて」

 スレヤーやレイラを中心とする左側のメンバーがタフカを陽動するために動き、声をかけ合いながら篤樹たちを援護している。篤樹はその間に素早く作戦を遥に伝えた。

「お前は身を低くしてタフカのすぐ後ろまで行って! で、俺がおとりになってヤツに声をかけて振り向かせる。……この身長差だし、ヤツの視線は俺を先に捉えると思う。そのタイミングで、ヤツの真下から飛び上がってそれを『左目』に突き刺すんだ。いい?」

 遥は頷き了解すると、そのまま身を屈め前進を始めた。タフカの背中まで、あと2メートルほどの距離だ。篤樹は手を伸ばし、めくれた石の上に落ちている 成者しげるものつるぎを慎重に拾い上げ、構えた。遥は作戦通りにタフカの背後、振り返った時にすぐに攻撃出来る位置まで進み身を屈めている。

 ……よし! フライング無しの一発勝負だ!

「……タフカ!」

 篤樹は一呼吸をおいた後、大声でタフカの名を叫ぶ。思いもしていなかった方角からの突然の呼びかけに、タフカは即座に反応した。

 それはまるでスーパースロー再生を見ているような展開だった。タフカは背後から呼びかけた者の確認をしなかった。自分以外は敵なのだから当たり前だ。篤樹の脳裏に「しまった!」という後悔が浮かぶ。

 相手は妖精王……サーガ化した最強の魔法使い……指先1つで俺の命を貫く攻撃を撃ち出すんだった……

 タフカの右手人差しが、線香花火の最後の火球のような光を膨らませている。「黒い光の球」だ。その段階になり、篤樹は初めてタフカの右目、続いて左目と目線が合う。黒い光の球はもう野球ボールくらいの大きさまで膨らんでいた。

 こちらが何者なのかを確認する前に……最初から攻撃を撃ち出して来たんだ!……攻撃は見えてるのに……身体が動かない! ヤバい!

 黒い火球はどんどん大きくなる……いや、タフカの指を離れて篤樹の頭部に向かって真っ直ぐに近づいて来ているのだ。その後方に、遥が右手に棒を握りしめ跳び上がっている姿を篤樹は確認した。
 タフカの眼は攻撃魔法と同じラインで真っ直ぐに篤樹を見ている。その視界では、真下から伸びあがって来る遥の存在には気付かないはずだ。遥の腕の角度、棒の位置、高さ……大丈夫……作戦は成功だ……

 篤樹は目の前50cmも無い距離まで近づいた黒い光の球に視界を遮られながらも、作戦成功の確信を得て嬉しくなった。

 突然、スーパースロー再生のような時間が終わり、篤樹は自分が何者かによって左横へ突き飛ばされたのを感じた。

 ズピューン!

「アッキー……ッタ!」

「ぬぐぉー!」

 攻撃魔法が真横を突き抜けていく音、耳元で聞こえるエシャーの声、左目を抑えてもがくタフカ―――状況の把握に、篤樹の脳はフル回転を始める。

 俺は……助かったのか?……タフカは……遥は? 上手くいったのか!

「痛っ……てぇ!」

 篤樹は遅れてやってきた右腕と左腰の痛みに声を出しながら、すぐに自分を突き飛ばしたのが隣に倒れるエシャーだと気が付く。

「エシャー?!」

「アッキー! 大丈夫?」

「ど……どうして……」

「エルが突き飛ばした!」

 エシャーは、15mほど離れた位置で様子をうかがうエルグレドを指差し睨みつけた。

 突き飛ばした? 15mも? 無理だろ……そんな……あっ!

「エシャー! 瞬間移動みたいな魔法って使えるの?」

「……何それ? 私、知らない」

 篤樹からの問いに、エシャーはキョトンと首を横に振る。

 タフカが大通りで見せた魔法かと思ったけど……。エルグレドさんがエシャーを魔法で飛ばした?……まあいいや、今は……

「とにかく助かった! ありがとな」

「良かったぁ! 間に合って」

 エシャーが満面の笑みで篤樹の首に抱きついて来る。

「ハルカさん! 命令を!」

 エルグレドの声が広場に響いた。遥は指示の意味を理解し、即座に叫んだ。

「止まれ! 動くな!」

 左目を突き刺された異物の痛みに身悶えしていたタフカだが、ハルカの声に従い、動きが止まった。

 効いたのか?

 その様子に、篤樹は笑顔で立ち上がる。

「くッ……その声は……ハルミラル……なのか? クソ……馬鹿者が……何てことを……」

 タフカは命令に従い自分の動きを抑えようとする力と、抗い動かそうとする力がぶつかり合い、身体を小刻みに震わせている。遥はタフカに近づきたい気持ちと危険を感じる本能の間で、次の動きをどうするか迷っている。タフカを完全に制御出来ていない様子に気付いた篤樹が声を上げた。

「遥! 離れろ! 完全には効いてない!」

 その声が後押しとなり、遥はタフカとの距離をとる。

「くそぉ……許さん……許さんぞぉ! 我が妹まで使い、またも我を支配し操ろうというのかぁ……人間めぇ……」

 タフカの怒りと憎しみの心が、サーガの実によって増幅されているのか……それとも『導く者の杖』の効力が錆びつき弱まってしまっているのか……エルグレドは様子を伺う。

 いずれにせよ……やはり完全に抑える事はもう無理なのか……タフカ

 エルグレドは友に語りかけるように、ゆっくり右手をタフカに向けた。

「やめてー!」

 その動作に気付いた遥は再びタフカのそばに駆け寄る。そのまま、エルグレドの攻撃射線上に両腕を広げて立ちはだかった。

「ハルカさん! どいて下さい! タフカはもう……手遅れです!」

「やめて下さい!  あにさまを……ウチのあにさまを『もう』死なさんといてー!」

 遥の悲痛な声が広場に響く。

「ハル……そこに……いるのか?」

 タフカが驚いたような声を出す。遥は振り返った。

「うん! おるよ……そばにおるよ! ずっとずっと一緒におるよ!」

 遥はタフカの胸に抱きつく。

 ダメだ……攻撃出来ない……

 エルグレドは右腕を前に突き出したまま機会をうかがう。スレヤーも即応攻撃態勢で剣を構え直す。レイラと妖精達も、それぞれが攻撃態勢を整えている。

「ハ……ハル……? おい……ハル……ミラルぅ!」

 タフカは呪縛に逆らい両腕で遥を抱きしめると、そのまま抱え上げた。

「あ…… あにさま……痛い……」

「痛い……だとぉ?……俺の苦痛を……お前は何も分かってくれてなどいないのだなぁ! 早くこの忌々しい棒を今すぐに抜け! さあっ!」

 ど……どうする?

 篤樹は右手で成者の剣を強く握り締めた。

「アッキー……今やるとあの子も……」

 そうだ……あんな組み合った姿勢のタフカに切りかかったら遥まで……どうすりゃいい? 何か手は……

 すがるような目で篤樹はエルグレドを見た。しかし、エルグレドも万策尽きている様子で焦りの表情を見せている。

「兄……さま……」

 遥は搾り出すように声を出した。

「……れ……や……」

 伝心?

 遥はタフカの顔を見る。左目は『導く者の杖』が刺さり、血が滴り流れ落ちている。だが、右目はジッと遥を見つめている。優しく……温かなその右目に遥は意識を集中した。伝心がハッキリと聞こえてくる。

「……やれ! ハルミラル! お前が今、俺を支配する権限を持っている。命令しろ! 俺に『死ね』と命令しろ! 俺は……いや、コイツは今、最大限の力を出してもこの程度の動きしか出来なくなっている。チャンスは今しかない! 俺が完全にコイツに飲み込まれる前に片を付けてくれ!……もう……終わりにしたいんだ……」

「いや……イヤや! そんな事、できんって!」

「……頼む……終わらせたいんだ。……こんな憎しみの連鎖の中で……妖精王たる者がサーガと化して血肉を貪るなど……俺は耐えられない! 頼む!」

「 あに……さま……」

 タフカの右目から涙がこぼれた。篤樹はその涙にタフカの思いを感じる。

……お別れを言ってるのか?

 遥がゆっくり篤樹に顔を向けた。ハードルのスタートラインに立つ時のような、真剣な眼差しの遥に、篤樹は並々ならない覚悟を感じとる。

「あの子……良い子だね……」

 篤樹の横でエシャーが囁いた。その頬に涙がこぼれ落ちる。

「俺……行くよ……」

 篤樹は成者の剣を、真っ直ぐタフカの背に向けて構えた。

「アッキー……私も……」

 剣を構えた篤樹の右手に、エシャーも自分の手を添える。

 心臓は……身体のほぼ中心……胸の間の硬い骨の下……外したら……ダメだ!

「賀川ぁー!」

 決意に満ちた遥の声が広場に響く。その声を合図と決めていたかのように、篤樹とエシャーはタフカの背後から心臓の位置に狙い定めた剣を、真っ直ぐ突き立てた。
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