122 / 465
第3章 エルグレドの旅 編
第 115 話 落ちこぼれのエルグレド
しおりを挟む
「 姉様。戻りました」
エグザルレイは森の中に切り 拓かれた広場に建つ一軒の家の扉を開いた。「家」と言っても、簡易な板を壁として組み合わせ天幕を張っている移動式住居である。同じような住居が広場のそこかしこに50軒ほど建っていた。
「あら、エル。お帰り。久し振りねぇ。お休みもらえたの?」
布で仕切られた奥のスペースからミルカが顔を出し、エグザルレイを迎え入れる。
「はい。……っと、無理されずにゆっくりしていて下さい」
ミルカは、まるで服の下に毛布を丸め隠し持っているかのような大きなお腹を両手で抱え、ヨロヨロと歩いて来た。
「無理するなって言ってもねぇ……横になったままってワケにもいかないでしょ。お茶は自分で 淹れてね」
落ち葉や 干草を積み上げ布を被せている「ソファー」に、ミルカはゆっくり腰を下ろすと大きく息を吐き出す。
「ふぅ、重い重い……これが命の重みってやつねぇ……」
「……しばらく会わない間に、かなり大きくなりましたねぇ……バロウさんは?」
エグザルレイは 義兄の所在を尋ねながら、焚き場に置いてあるお湯を取りに行く。
「メノウ 婆さんを送りに行ったわ。お分けする鹿肉が重たいからって。もう、いつ生まれてもおかしくないんですってよ」
ミルカは愛おしそうにお腹をさする。
「私がお母さんかぁ……やっぱりまだ実感無いなぁ……」
エグザルレイは2つの木の器にそれぞれ茶葉を浮かべてお湯を注ぐと、両手にもってミルカのそばに座った。
「私だって……まさかこんなに早く『おじさん』になるとは思ってもみませんでしたよ」
そう言ってお茶の器を1つミルカに渡す。ミルカは弟が淹れたお茶を美味しそうに一口飲む。
「……命を 紡ぐって大変な事なのねぇ」
そう言うと目を閉じて微笑んだ。
「でも、 俄然やる気が湧いてくるわ……。この子のためにも、この平和を守らなきゃって……ね」
エグザルレイは姉の決意の表情を笑顔で見つめ頷く。すぐに戸板が開き、1人の男性が入って来た。
「ただい……おっ! エルくん、お帰り」
「あ、バロウさん。おじゃましています」
ミルカの夫バロウはグラディーの戦士ではあるが、エグザルレイと同じく細身のしなやかそうな身体つきをしている。戦士とは言っても役割がそれぞれに有り、バロウは前線で敵と剣や槍を用いて戦うよりも「治癒《ちゆ》法術」を用いての後方支援を専門としていた。
バロウは自分で焚き場横の 樽から水を木のコップに汲み、エグザルレイの隣に腰を下ろす。
「そこでジャスラくんに会ってね、少し立ち話をしてたんだが……エルくんはまた『悪邪の子』としての名を広めて来たんだって?」
バロウは 義弟の戦果報告を喜びながら話しかけた。しかし、その話にミルカが割って入る。
「ちょっと! 何それ? エル……あんたまた……」
「バロウさん!」
エグザルレイは 口裏を合わせる間も無くミルカに戦果報告をした義兄に向かい、 慌てて声をかけたが時すでに遅しだった。
「あんたねぇ……この間の前線でも作戦を無視して1人でエグデンの兵達を相手にしたって……姉ちゃん、あの時言ったよね? ここで一緒に生きていくために来たのに、あんたが先に死んじゃったら……」
ミルカは 無鉄砲な弟に対する怒りだけでなく、自分が語る言葉からエグザルレイの死を連想して悲しくなってきたのか、涙をボロボロと流しながら声を詰まらせる。バロウも「しまった!」という表情で急いでミルカの 傍に寄って抱き寄せ、エグザルレイに「すまない!」という侘びの表情を見せた。
「姉様……すみません。御心配をかけて……。でも、今回の防衛線はそれほど大きな戦いでも無かったですし……『法術兵』もいませんでしたから……」
ミルカは弟の言い訳がましいお詫びを聞くと、バロウの胸から顔を離して睨む。
「……法術兵がいてもいなくても、あちらの兵だってあなたや戦士達と同じように武装してるのよ? あんたは『4本の 牙持つ悪邪の子』なんて呼ばれてるかも知れないけど、結局は剣も1本ずつでしか戦えないでしょ! あんたがどんなに強くったって、あいつらと同じ生身の人間、同じ武器で戦ってんだから……そんな無茶な戦いをしてたら、いつかは自分が相手の剣に倒されてしまうのよ!」
エグザルレイはもう口答えをせずに黙って頷くしか無かった。 臨月を迎えているミルカの感情をこれ以上逆撫でしないようにと反論を飲み込む。バロウもそんな義弟の思いを感じ取り、何より、自分の失言が原因であることを詫びる気持ちで口を挟む。
「ミルカ……メノウ婆さんが言ってただろう? 気持ちを落ち着けて……ほら、お腹の子がビックリして飛び出して来てしまうよ」
「……まったく……エルの馬鹿……こっちにおいで……」
気持ちを落ち着けたミルカが弟を呼ぶ。エグザルレイは言われるままに近寄ると頭を下げた。ミルカは軽く拳を 握るとその頭を軽く小突く。
「すみません……無理な戦い方は……しませんから……」
エグザルレイは姉を安心させるように笑顔で優しく誓う。でも心の中ではこれからも『無理だと判断しないで』戦い続けるのだろうと感じていた。
「すまなかったね、エルくん。僕の言い方が悪かったから……」
バロウはエグザルレイに謝る言葉でミルカに「 大袈裟に言っただけ」だと安心を促す。
「でも……」
バロウは一連のやり取りが再燃しない事を肌で感じると言葉を続けた。
「エグデンの法術兵は……最近、数も 術種も新しく増えて来ているらしいから、法術兵がいる場合にはくれぐれも注意するんだよ」
「……はい。心得ています」
エグザルレイは義兄の忠告に素直に答える。
「ねえ、バロウ……エルにも治癒魔法をもう一度教えて上げてくれない? せめて自分の応急治癒程度は出来たほうが……」
ミルカは心配そうに眉をひそめて夫に提案した。
「う……ん……どうする? エル君。また……やってみるかい?」
バロウはエグザルレイの意志を確認するように尋ねる。
「えっとぉ……姉様の気持ちも分かりますし、身に付けられるならそれに越したことはありませんが……もう、イイですよ……私は。傷には……薬草もありますし……」
あまり面白くない声でエグザルレイは返事を返す。しかしミルカはしつこく提案を続ける。
「だからぁ、あんたはそんな簡単に 諦めないの!……何さ、コツが 掴めりゃ出来るようになるって!……あと…… そりゃあ適性なんかも必要かも知れないけど……でも、なんとかなるわよ!」
弟を 励ますように語るミルカを、エグザルレイは 寂しそうな笑顔で見つめる。その様子にバロウが口を開いた。
「ミルカ……エルくんだってキチンと覚えようと頑張ったんだよ。……でも……今は法術の学びに時間を 割くだけの余裕は無いわけだし……何より彼の剣術は戦士隊の 要だから……。この戦が落ち着いたら、いずれまたの機会に……な?」
バロウは後半エグザルレイに語りかけるように顔を向けた。エグザルレイも苦笑いをしながら頷く。
「すみません……。剣術と体術は、幼い頃に師匠に手ほどきを受けたあの短時間で『自分の身に成る』と確信を持てたんですが……法術はどうにも……」
「いやいや、僕に法術指導の力が足り無いからだよ。ホントにすまない……」
バロウが詫びる言葉を受け、ミルカも自分の提案がやっぱり無茶な注文だったと理解したように溜息をつく。
「……素質の問題なら仕方ないかもねぇ……エルは何でも出来る子って思ってたから……ま、それじゃアンタはとにかく無茶な戦いをしない事と、これからも剣術・体術を 磨いて『怪我をしない戦士』になりなさい!……あと、薬草は毎回しっかり新しいのを準備してね」
「素質の問題というか……」
バロウは法術訓練を諦めているエグザルレイを励ますために言葉をつなぐ。
「ユーゴが見出した魔法術は『素質』よりも『理解と応用』だから……それを言えばエルくんこそ、その素質に 溢れてはいると思うんだ。……これはやはり僕自身の『教える能力』が弱いからだと思うよ。僕が法術を学んだ方は、本当に教えの上手な方だったんだ。僕は彼女の教えでこの治癒魔法を体得出来たんだし……エルくんだって法術についても良い師匠に出会えれば、きっと素晴らしい法術士にだってなれると思うよ」
「……そんな……かいかぶりはやめて下さい……私は……師匠の剣術と体術で……大丈夫です」
バロウの言葉を聞いても、エグザルレイは 愛想良く微笑むだけだった。
「う……ん。かいかぶりってワケじゃないんだけどな……。いつか……この地に平和が来たら、君も世界を旅してみると良いよ。ユーゴとは違う伝説の魔法術士がアルビ大陸には今も生きているらしいし、『教えに 長けた法術士』に出会えば、君もきっと、ね?」
エグザルレイの笑顔には、しかしすでに法術に対する関心の色は消えていた。
「あっ 痛っ……」
ミルカが突然声を発し、身体を簡易ソファーに横たえようとしていく。
「あ……おい……ミルカ? 大丈夫か?」
バロウがミルカを支えながら、ゆっくりと横にさせる。
「痛い……腰が……ぐぅ」
突然苦しみ出したミルカの様子に、バロウもエグザルレイもどうすれば良いか分からない。
「エル……メノウ婆さんを……呼びに行って……その前に……隣の……オルミさんを呼んで……」
「オルミさんとメノウ婆さんだね! 分かった!」
エグザルレイはすぐに家を飛び出した。
「ミルカ……ミルカ! おい……ぼ……僕は……僕は何をすれば良い?」
バロウの 狼狽ぶりを見ながら、ミルカは苦痛に 歪む顔のまま微笑を作る。
「お産の時は……たとえ治癒法術士でも……戦士でも……男は役に立たないのねぇ……腰を……押してさすってくれる……痛っ……」
ミルカに言われるがまま、バロウは指し示された腰部をさすったり押したり繰り返し、早く 援軍が来ないかと何度も扉を振り返った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「えっと……じゃあ、エルグレドさんってグラディーの戦士時代……法術は使えなかったんですか?」
篤樹は「大陸最強の法術士」との 異名を持つ現在のエルグレドが、元々魔法術では「落ちこぼれ」だったと聞き、思わず話に口を挟んだ。
「私は……どうやら法術理解がズレていたんでしょうね。何度も 丁寧に『原理』を教えてもらっても、どうしても頭の中でそれを理解し、イメージし、自分の『モノ』に出来ないままだったんです。おかげで姉や義兄には呆れられたり憐れまれたり諦められたりと……」
「んなこと言っても、理解出来無ぇモンは仕方無ぇってもんですよ、大将」
スレヤーが嬉しそうに同調する。
「法術なんてのは『ついでに』覚えられりゃ良いわけで、戦闘の基本は体術と剣術、これは 古から永遠に変わらない戦いの真理ってもんよ、アッキー」
「昔のエルはこのスレイみたいな考え方だった、ってことかしら?」
レイラがスレヤーの言葉を受けエルグレドに尋ねる。
「……まあ……スレイほど確信に満ちてではありませんが……自分の体術と剣術にはそれなりに誇りと自信を持っていましたよ。とはいえ、決して法術を 侮る事はありませんでしたが。……今ほど法術士が戦闘の専門兵として確立されていませんでしたし、法術撃のスピードももっと遅かったんです。近接戦では剣の 一閃のほうが断然速いですし、距離があれば弓のほうが速かったので法術兵をそれほどの 脅威に思っていなかったのは事実です」
エルグレドは自分の体験の記憶を確認するように頷きながら答えた。
「ただ……それはあくまでも『人間』が身に付けた法術の話です。古代魔法を用いる妖精族……エルフ族などの攻撃魔法は、昔も今も変わらず脅威ではありましたよ」
そう言うとエルグレドはレイラに笑顔を向けた。レイラは当然でしょ? とでも言うように両手を広げる。
「そんな法術嫌いのあなたが、どうして今やこの大陸最強の法術士と呼ばれるようになったのか、お聞かせ下さるかしら?」
「私もエルみたいに強くて速い法術も覚えたい!」
エシャーも興味津々に話に食いつく。篤樹も「もしかしたら俺も……」という期待を込めエルグレドを見つめた。スレヤーは余裕の微笑を浮かべたまま首を横に振る。
「そりゃ、法術も使えりゃ便利でしょうけど……俺ぁ要ら無ぇなぁ……」
それぞれの反応に、エルグレドは満足そうに微笑む。
「もちろんお話ししますよ。……ここからが今の私達にも本当に必要な情報になると思いますからね……」
エルグレドは笑顔で一同をグルリと見回すと、続きの歴史を語り始めた。
エグザルレイは森の中に切り 拓かれた広場に建つ一軒の家の扉を開いた。「家」と言っても、簡易な板を壁として組み合わせ天幕を張っている移動式住居である。同じような住居が広場のそこかしこに50軒ほど建っていた。
「あら、エル。お帰り。久し振りねぇ。お休みもらえたの?」
布で仕切られた奥のスペースからミルカが顔を出し、エグザルレイを迎え入れる。
「はい。……っと、無理されずにゆっくりしていて下さい」
ミルカは、まるで服の下に毛布を丸め隠し持っているかのような大きなお腹を両手で抱え、ヨロヨロと歩いて来た。
「無理するなって言ってもねぇ……横になったままってワケにもいかないでしょ。お茶は自分で 淹れてね」
落ち葉や 干草を積み上げ布を被せている「ソファー」に、ミルカはゆっくり腰を下ろすと大きく息を吐き出す。
「ふぅ、重い重い……これが命の重みってやつねぇ……」
「……しばらく会わない間に、かなり大きくなりましたねぇ……バロウさんは?」
エグザルレイは 義兄の所在を尋ねながら、焚き場に置いてあるお湯を取りに行く。
「メノウ 婆さんを送りに行ったわ。お分けする鹿肉が重たいからって。もう、いつ生まれてもおかしくないんですってよ」
ミルカは愛おしそうにお腹をさする。
「私がお母さんかぁ……やっぱりまだ実感無いなぁ……」
エグザルレイは2つの木の器にそれぞれ茶葉を浮かべてお湯を注ぐと、両手にもってミルカのそばに座った。
「私だって……まさかこんなに早く『おじさん』になるとは思ってもみませんでしたよ」
そう言ってお茶の器を1つミルカに渡す。ミルカは弟が淹れたお茶を美味しそうに一口飲む。
「……命を 紡ぐって大変な事なのねぇ」
そう言うと目を閉じて微笑んだ。
「でも、 俄然やる気が湧いてくるわ……。この子のためにも、この平和を守らなきゃって……ね」
エグザルレイは姉の決意の表情を笑顔で見つめ頷く。すぐに戸板が開き、1人の男性が入って来た。
「ただい……おっ! エルくん、お帰り」
「あ、バロウさん。おじゃましています」
ミルカの夫バロウはグラディーの戦士ではあるが、エグザルレイと同じく細身のしなやかそうな身体つきをしている。戦士とは言っても役割がそれぞれに有り、バロウは前線で敵と剣や槍を用いて戦うよりも「治癒《ちゆ》法術」を用いての後方支援を専門としていた。
バロウは自分で焚き場横の 樽から水を木のコップに汲み、エグザルレイの隣に腰を下ろす。
「そこでジャスラくんに会ってね、少し立ち話をしてたんだが……エルくんはまた『悪邪の子』としての名を広めて来たんだって?」
バロウは 義弟の戦果報告を喜びながら話しかけた。しかし、その話にミルカが割って入る。
「ちょっと! 何それ? エル……あんたまた……」
「バロウさん!」
エグザルレイは 口裏を合わせる間も無くミルカに戦果報告をした義兄に向かい、 慌てて声をかけたが時すでに遅しだった。
「あんたねぇ……この間の前線でも作戦を無視して1人でエグデンの兵達を相手にしたって……姉ちゃん、あの時言ったよね? ここで一緒に生きていくために来たのに、あんたが先に死んじゃったら……」
ミルカは 無鉄砲な弟に対する怒りだけでなく、自分が語る言葉からエグザルレイの死を連想して悲しくなってきたのか、涙をボロボロと流しながら声を詰まらせる。バロウも「しまった!」という表情で急いでミルカの 傍に寄って抱き寄せ、エグザルレイに「すまない!」という侘びの表情を見せた。
「姉様……すみません。御心配をかけて……。でも、今回の防衛線はそれほど大きな戦いでも無かったですし……『法術兵』もいませんでしたから……」
ミルカは弟の言い訳がましいお詫びを聞くと、バロウの胸から顔を離して睨む。
「……法術兵がいてもいなくても、あちらの兵だってあなたや戦士達と同じように武装してるのよ? あんたは『4本の 牙持つ悪邪の子』なんて呼ばれてるかも知れないけど、結局は剣も1本ずつでしか戦えないでしょ! あんたがどんなに強くったって、あいつらと同じ生身の人間、同じ武器で戦ってんだから……そんな無茶な戦いをしてたら、いつかは自分が相手の剣に倒されてしまうのよ!」
エグザルレイはもう口答えをせずに黙って頷くしか無かった。 臨月を迎えているミルカの感情をこれ以上逆撫でしないようにと反論を飲み込む。バロウもそんな義弟の思いを感じ取り、何より、自分の失言が原因であることを詫びる気持ちで口を挟む。
「ミルカ……メノウ婆さんが言ってただろう? 気持ちを落ち着けて……ほら、お腹の子がビックリして飛び出して来てしまうよ」
「……まったく……エルの馬鹿……こっちにおいで……」
気持ちを落ち着けたミルカが弟を呼ぶ。エグザルレイは言われるままに近寄ると頭を下げた。ミルカは軽く拳を 握るとその頭を軽く小突く。
「すみません……無理な戦い方は……しませんから……」
エグザルレイは姉を安心させるように笑顔で優しく誓う。でも心の中ではこれからも『無理だと判断しないで』戦い続けるのだろうと感じていた。
「すまなかったね、エルくん。僕の言い方が悪かったから……」
バロウはエグザルレイに謝る言葉でミルカに「 大袈裟に言っただけ」だと安心を促す。
「でも……」
バロウは一連のやり取りが再燃しない事を肌で感じると言葉を続けた。
「エグデンの法術兵は……最近、数も 術種も新しく増えて来ているらしいから、法術兵がいる場合にはくれぐれも注意するんだよ」
「……はい。心得ています」
エグザルレイは義兄の忠告に素直に答える。
「ねえ、バロウ……エルにも治癒魔法をもう一度教えて上げてくれない? せめて自分の応急治癒程度は出来たほうが……」
ミルカは心配そうに眉をひそめて夫に提案した。
「う……ん……どうする? エル君。また……やってみるかい?」
バロウはエグザルレイの意志を確認するように尋ねる。
「えっとぉ……姉様の気持ちも分かりますし、身に付けられるならそれに越したことはありませんが……もう、イイですよ……私は。傷には……薬草もありますし……」
あまり面白くない声でエグザルレイは返事を返す。しかしミルカはしつこく提案を続ける。
「だからぁ、あんたはそんな簡単に 諦めないの!……何さ、コツが 掴めりゃ出来るようになるって!……あと…… そりゃあ適性なんかも必要かも知れないけど……でも、なんとかなるわよ!」
弟を 励ますように語るミルカを、エグザルレイは 寂しそうな笑顔で見つめる。その様子にバロウが口を開いた。
「ミルカ……エルくんだってキチンと覚えようと頑張ったんだよ。……でも……今は法術の学びに時間を 割くだけの余裕は無いわけだし……何より彼の剣術は戦士隊の 要だから……。この戦が落ち着いたら、いずれまたの機会に……な?」
バロウは後半エグザルレイに語りかけるように顔を向けた。エグザルレイも苦笑いをしながら頷く。
「すみません……。剣術と体術は、幼い頃に師匠に手ほどきを受けたあの短時間で『自分の身に成る』と確信を持てたんですが……法術はどうにも……」
「いやいや、僕に法術指導の力が足り無いからだよ。ホントにすまない……」
バロウが詫びる言葉を受け、ミルカも自分の提案がやっぱり無茶な注文だったと理解したように溜息をつく。
「……素質の問題なら仕方ないかもねぇ……エルは何でも出来る子って思ってたから……ま、それじゃアンタはとにかく無茶な戦いをしない事と、これからも剣術・体術を 磨いて『怪我をしない戦士』になりなさい!……あと、薬草は毎回しっかり新しいのを準備してね」
「素質の問題というか……」
バロウは法術訓練を諦めているエグザルレイを励ますために言葉をつなぐ。
「ユーゴが見出した魔法術は『素質』よりも『理解と応用』だから……それを言えばエルくんこそ、その素質に 溢れてはいると思うんだ。……これはやはり僕自身の『教える能力』が弱いからだと思うよ。僕が法術を学んだ方は、本当に教えの上手な方だったんだ。僕は彼女の教えでこの治癒魔法を体得出来たんだし……エルくんだって法術についても良い師匠に出会えれば、きっと素晴らしい法術士にだってなれると思うよ」
「……そんな……かいかぶりはやめて下さい……私は……師匠の剣術と体術で……大丈夫です」
バロウの言葉を聞いても、エグザルレイは 愛想良く微笑むだけだった。
「う……ん。かいかぶりってワケじゃないんだけどな……。いつか……この地に平和が来たら、君も世界を旅してみると良いよ。ユーゴとは違う伝説の魔法術士がアルビ大陸には今も生きているらしいし、『教えに 長けた法術士』に出会えば、君もきっと、ね?」
エグザルレイの笑顔には、しかしすでに法術に対する関心の色は消えていた。
「あっ 痛っ……」
ミルカが突然声を発し、身体を簡易ソファーに横たえようとしていく。
「あ……おい……ミルカ? 大丈夫か?」
バロウがミルカを支えながら、ゆっくりと横にさせる。
「痛い……腰が……ぐぅ」
突然苦しみ出したミルカの様子に、バロウもエグザルレイもどうすれば良いか分からない。
「エル……メノウ婆さんを……呼びに行って……その前に……隣の……オルミさんを呼んで……」
「オルミさんとメノウ婆さんだね! 分かった!」
エグザルレイはすぐに家を飛び出した。
「ミルカ……ミルカ! おい……ぼ……僕は……僕は何をすれば良い?」
バロウの 狼狽ぶりを見ながら、ミルカは苦痛に 歪む顔のまま微笑を作る。
「お産の時は……たとえ治癒法術士でも……戦士でも……男は役に立たないのねぇ……腰を……押してさすってくれる……痛っ……」
ミルカに言われるがまま、バロウは指し示された腰部をさすったり押したり繰り返し、早く 援軍が来ないかと何度も扉を振り返った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「えっと……じゃあ、エルグレドさんってグラディーの戦士時代……法術は使えなかったんですか?」
篤樹は「大陸最強の法術士」との 異名を持つ現在のエルグレドが、元々魔法術では「落ちこぼれ」だったと聞き、思わず話に口を挟んだ。
「私は……どうやら法術理解がズレていたんでしょうね。何度も 丁寧に『原理』を教えてもらっても、どうしても頭の中でそれを理解し、イメージし、自分の『モノ』に出来ないままだったんです。おかげで姉や義兄には呆れられたり憐れまれたり諦められたりと……」
「んなこと言っても、理解出来無ぇモンは仕方無ぇってもんですよ、大将」
スレヤーが嬉しそうに同調する。
「法術なんてのは『ついでに』覚えられりゃ良いわけで、戦闘の基本は体術と剣術、これは 古から永遠に変わらない戦いの真理ってもんよ、アッキー」
「昔のエルはこのスレイみたいな考え方だった、ってことかしら?」
レイラがスレヤーの言葉を受けエルグレドに尋ねる。
「……まあ……スレイほど確信に満ちてではありませんが……自分の体術と剣術にはそれなりに誇りと自信を持っていましたよ。とはいえ、決して法術を 侮る事はありませんでしたが。……今ほど法術士が戦闘の専門兵として確立されていませんでしたし、法術撃のスピードももっと遅かったんです。近接戦では剣の 一閃のほうが断然速いですし、距離があれば弓のほうが速かったので法術兵をそれほどの 脅威に思っていなかったのは事実です」
エルグレドは自分の体験の記憶を確認するように頷きながら答えた。
「ただ……それはあくまでも『人間』が身に付けた法術の話です。古代魔法を用いる妖精族……エルフ族などの攻撃魔法は、昔も今も変わらず脅威ではありましたよ」
そう言うとエルグレドはレイラに笑顔を向けた。レイラは当然でしょ? とでも言うように両手を広げる。
「そんな法術嫌いのあなたが、どうして今やこの大陸最強の法術士と呼ばれるようになったのか、お聞かせ下さるかしら?」
「私もエルみたいに強くて速い法術も覚えたい!」
エシャーも興味津々に話に食いつく。篤樹も「もしかしたら俺も……」という期待を込めエルグレドを見つめた。スレヤーは余裕の微笑を浮かべたまま首を横に振る。
「そりゃ、法術も使えりゃ便利でしょうけど……俺ぁ要ら無ぇなぁ……」
それぞれの反応に、エルグレドは満足そうに微笑む。
「もちろんお話ししますよ。……ここからが今の私達にも本当に必要な情報になると思いますからね……」
エルグレドは笑顔で一同をグルリと見回すと、続きの歴史を語り始めた。
0
あなたにおすすめの小説
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
キャンピングカーで走ってるだけで異世界が平和になるそうです~万物生成系チートスキルを添えて~
サメのおでこ
ファンタジー
手違いだったのだ。もしくは事故。
ヒトと魔族が今日もドンパチやっている世界。行方不明の勇者を捜す使命を帯びて……訂正、押しつけられて召喚された俺は、スキル≪物質変換≫の使い手だ。
木を鉄に、紙を鋼に、雪をオムライスに――あらゆる物質を望むがままに変換してのけるこのスキルは、しかし何故か召喚師から「役立たずのド三流」と罵られる。その挙げ句、人界の果てへと魔法で追放される有り様。
そんな俺は、≪物質変換≫でもって生き延びるための武器を生み出そうとして――キャンピングカーを創ってしまう。
もう一度言う。
手違いだったのだ。もしくは事故。
出来てしまったキャンピングカーで、渋々出発する俺。だが、実はこの平和なクルマには俺自身も知らない途方もない力が隠されていた!
そんな俺とキャンピングカーに、ある願いを託す人々が現れて――
※本作は他サイトでも掲載しています
ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~
一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。
しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。
流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。
その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。
右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。
この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。
数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。
元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。
根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね?
そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。
色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。
……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!
酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ
天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。
ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。
そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。
よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。
そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。
こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~
あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。
彼は気づいたら異世界にいた。
その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。
科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる