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第7章 それぞれのクエスト 編
第 430 話 腑抜け
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「え?……エ……シ……ャー?」
成者の剣を 掴み、エシャーの蘇生を期待する笑みを浮かべ振り返った篤樹は、困惑の笑顔を張りつけたまま心の声を洩らす。その動揺した篤樹の姿に、エシャーは満面の笑みでうなずき応えた。
「エシャー……お……お前……え?」
「ゴメンね、アッキー。ビックリさせちゃったね。あのね……」
エシャーはやわらかな笑みを浮かべ、申し訳なさそうに小首をかしげる。語る言葉が終わるのも待たず駆け寄った篤樹は、正面からエシャーを強く抱きしめた。……と同時に「エシャーを抱きしめられている」という感触に、ますます感極まって行く。
「エシャー? エシャー! ホントに……ビックリした……エシャー……エシャー!」
破裂しそうなほどの思いを、篤樹は適切な言葉に乗せて発することが出来ない。ただただ、エシャーがここに居ることに……こうして抱きしめ、言葉を交わし合えることに、喜びの感情が全身から溢れ出す。
「ちょ……アッキー……痛いよ……」
エシャーは篤樹の力強い 抱擁に困惑しつつも、嬉しそうな声で訴えた。
「あ! ゴメン……怪我してんの……に……」
思わず直情的な行動をとってしまった事を自覚し、篤樹は急に恥ずかしくなると、エシャーの 華奢な身体を包んでいた両腕を解き一歩下がる。エシャーの身体は……怪我一つ無い。傷跡どころか、着ている服にも、顔にも髪にも……草葉の1つ、汚れの1点さえ付着していなかった。
「ううん! ちょっと強過ぎただけだから……」
エシャーは胸元に畳んでいた両手を伸ばし、篤樹の左右の手を正面から握る。篤樹も自然にエシャーの手を握り返した。身長差20センチほどの2人は正面から互いの顔を少し上下に向け合い、改めて笑みを浮かべる。
「あのさ……」
平常心が戻り始めた篤樹は、なんとなく気恥かしさを誤魔化すような口調でエシャーに尋ねた。
「あれだけの怪我がこんなに早く治っちゃうなんて……どんな魔法を使ったワケ? 心臓だって止まってたし、手足だってさ……大体『木霊』になりかかってたじゃん? あんな状態から……ホント、ビックリだよ! これも『小人の咆眼』の力とかなの?」
自分なりの推察を織り交ぜ尋ねる篤樹の言葉に、エシャーは困ったような、申し訳無さげな苦い笑みで小首をかしげる。エシャーの少し寂し気な態度に違和感を覚えた篤樹は、高ぶっていた感情を飲み込み、口を閉ざす。
「あのね……」
篤樹が「聞く姿勢」を整えた事を感じ取り、エシャーは自分を奮い立たせるように、いつもよりも明るい声で語り始めた。
「レイラのおじいちゃんに教えてもらったの!」
得意気な種明かしの笑みではない。無理矢理に作ったエシャーの笑顔を、篤樹はジッと見つめる。突然、篤樹の首筋にゾクリと悪寒が走り、鳥肌が立った。頬までがジンジン痺れるような不安に襲われる。
「……レイラ……さんの……って……ウラージさんから? エルフの……治癒魔法か……何かを?」
この状況……篤樹は不安を掻き立てる「仮説」に思い当たってしまう。しかし、その「仮説」が、全くの的外れであって欲しいと願い、篤樹はあえて「エルフの治癒魔法」という単語を口に出し、エシャーと繋ぐ手に力を込めた。
まさか……そんな……
「治癒魔法じゃ……無いよ」
エシャーは篤樹の瞳に浮かんだ「怯え」を読み取る。しかし、ここで無意味な嘘をつく時間も意味も無い。篤樹の手は不安に震え始めている。エシャーは両手で篤樹の手を包み直し、続きを語り始めた。
「教えてもらったのは……『残思伝心』の使い方だよ……。あの時……レイラが持って来た果物に混じってた『あの実』を食べちゃったの、私かもって思ったから」
「ペロッ!」っと舌を出し、作り見せたエシャーの笑みを、篤樹は絶望的に情けない悲しみで歪んだ顔で見つめ返す。
「そん……な……」
「エルから話を聞いた後にさ……」
エシャーは篤樹の動揺を両手で包み癒すように語り続けた。
「もしも私が食べたんだったら……最後に抱きしめてくれるのがアッキーだと良いなって思ったんだ! それが、いつの日か分からないけど……その時は、絶対にアッキーと会いたいって思ったの!……こんなに早いなんて考えても無かったけど……」
エ……シャー……
篤樹はエシャーの声を認識し、その手の温もりを感じながらも、意識と肉体、感情と精神、賀川篤樹を構成する全ての部位が分離され、それぞれが哀しみの深淵に沈んでいく虚無感に包まれる。声を発することも、言葉を考えることも出来ない。ただただ、目の前に居るエシャーを、クシャクシャに歪む泣き顔で見下ろすことしか出来ない。
「いつまでも……ずっと一緒に居たかったけど……叶わないね……。でも……」
エシャーは寂しげに目を伏せ、すぐに笑顔を向け直す。
「でもね! 私、アッキーのことをずっとずっと忘れない! ずっとずっと忘れないから……だから、私の中でアッキーはずっとずっと一緒に居るよね?」
とめどなく溢れ流れる涙を頬に感じつつ、篤樹は何度もうなずいた。声が出せない……言葉が紡げない……だけど……エシャーの全てを肯定したい……
「アッキーも……ずっとずっと、私のことを忘れないでいてくれる?」
ああ……当たり前じゃん……。忘れるかよ……忘れられるはず……無いだろ……
言葉無くうなずき続ける篤樹は、エシャーに手を引き寄せられ頭を下げる。エシャーは篤樹の額に自分の額をコツンと合わせて来た。
「フィリーが言ってたエルへの想い……今、すごく良く分かるんだぁ……。ありがとう……アッキー。私と……出会ってくれて……大好きだよ……」
エシャーの呼吸を感じる……その脈動……生命……温もり……その存在を篤樹は間近に感じる。だが、寄せ合った互いの唇が触れ合うことも無く、エシャーの身体は虹色の光粒子となり空へ舞い上って行った―――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
森の中を疾走するレイラとスレヤーの眼前が唐突にひらけ、タクヤの塔を中心に 据える広場が現れた。
「レイラさん! あそこ!」
広場に飛び込んだスレヤーは、数十メートル先の地面に座り込む人影と、その人物に近付くトロル型サーガの姿に気付き叫ぶ。距離的にスレヤーの剣技では間に合わない。だが、スレヤーの指示を受けたレイラが放つ攻撃魔法で、サーガの頭部は直ちに破壊された。
「アッキー!」
座り込む人影が篤樹の後ろ姿だと2人は瞬時に認識し、勢いを落とさずに駆け寄って行く。だが、レイラとスレヤーの呼びかけにも篤樹は微動だにせず座り込んだままだった。
「おい! 大丈夫か、アッキー!」
「アッキー! エシャーは?!」
篤樹のそばまで寄って歩を緩め、2人は正面に回り込みながら声をかける。
「?! それ……」
両膝を地面に着け、力無く座り込む篤樹が手に持つ青地の服……血の染みが広がる「破れ裂けた布」となっているエシャーの着衣に気付き、レイラは手を口に当て目を見開く。
「アッキー……お前ぇ……」
2人を正面にしながら、尚、焦点の定まらない虚ろな視線で地面を見つめる篤樹に、スレヤーは静かに声をかける。レイラは状況を察すると顔を背け、肩を震わせながら嗚咽を洩らす。
「アッキー……おい……アッキー!」
篤樹の真横に片膝を地面に着け屈みこみ、スレヤーは少し語気を強めに声をかけ直した。地面の一点に視線を落としながらも、微細に震えていた篤樹の眼球の揺れが収まり、瞳孔が焦点を合わせる筋運動を再開する。
「おい! 分かるか?」
「ス……レヤー……さん?」
ようやく焦点を合わせた篤樹の視線に、スレヤーは安堵の息を洩らす。そのまま視線を篤樹が握り締める「汚れ破れ裂けた青地の布」へ向け尋ねる。
「エシャーちゃんの……服だよな? 何があった?」
「エ……シャー……僕……僕は……スレヤーさん……エシャーが……あ……あ……ウワァぁぁ!……」
スレヤーを明確に認識した篤樹は、堪えきれず泣き声を上げる。スレヤーは太く力強い両腕で篤樹を包み込んだ。
―――・―――・―――・―――
「……ひどいお顔よ……アッキー」
レイラはハンカチを取り出すと、篤樹の顔に付着している異物を拭き除く。脈略を整える意識も働かない篤樹がとつとつと語る断片的な情報を、レイラとスレヤーは静かに受け取り、ミルベの港で別れて以降の状況を把握した。
「大将も行方知れず……か……」
軍での指揮経験豊富なスレヤーにとって「保有する戦力」というものは、戦い方を考える上で重要な情報だ。ガザル細胞を持つ最強レベルの法術士ピュート、高齢ながらもエルフ族内で最強戦士と名高いウラージの2名が失われ、全てにおいて異次元レベルの強さだけでなく「 不死者」でもあるエルグレドは「光る子ども」に連れ去られてしまっている。
その上、エシャーちゃんも 殺られ、「古の女神たち」まで捕らわれちまってるなんてよ……。サガワと黒魔龍のシバタカナを相手にするにゃ、完全に駒不足だぜ。こりゃ……詰んじまってるよなぁ……
口端に小さく笑みを浮かべつつも、スレヤーは打つ手の見えない絶望的な状況に小さく溜息を吐く。
「……湖神とミサキさんの解放が先決ね」
黙り込むスレヤーに代わり、レイラが口を開いた。負の感情を分散させるために「笑み」を選ぶスレヤーとは対照的に、その表情は冷ややかな「無」の鋭さを帯びている。
「地核への道……どっちみち、行くしか無えっすね……」
レイラの声に応じ、スレヤーは両肩を回し上体をほぐすと大きく深呼吸をした。
「よし! ほら、アッキー! 立てよ。行くぞ?」
操り手のいない人形のように、両足を投げ出し地べた座りのまま一点を眺める篤樹に、スレヤーは場違いなほど元気な声をかけ手を差し出す。しかし篤樹はその招きに応じる気配を見せない。サビ付いた関節を無理やり動かすように、小刻みに揺れながらようやく顔を上げ、スレヤーを見る。
「……イ……ヤ……です。もう……動きたく……ありません……」
「はあァ?」
かすれ声で小さく発した篤樹の主張に、スレヤーは大袈裟とも思える声量で被せた。
「馬鹿言ってんじゃ無ぇぞ、アッキー?! 動きたく無ぇ? 甘えた口をきいてんじゃねぇよ!」
「スレイ……」
たしなめようとするレイラを視線で制し、スレヤーは篤樹へ続ける。
「いつまで 腑抜けた面してここに座ってるつもりだ! 動きたく無ぇだと? 馬鹿野郎! 指先1本でも動けるうちは動き続けるのが戦う者の務めだろうが! 残されてる者の使命だろうがよ! ほら、立てよ!」
「い……イヤだーー!」
手を伸ばして襟首を掴み、強引に立ち上がらせようとしたスレヤーに向かい、篤樹は身をよじって抵抗し叫んだ。
「もうイヤだって言ってるでしょ! 僕はもうどこにも行きたくない! 戦いたくなんかない! 誰かが死ぬのを見たくないし、誰も殺したくなんかない! なんで……なんで僕がこんな目に……ピュートも……エシャーも……みんな……もうイヤだ!」
再び溢れ出す涙を飛び散らせながらスレヤーの手を振り払い、篤樹は絶叫する。
「もう放っといて下さいよ! もうイヤだって言って……」
なおも主張を続けようとした篤樹の頬に、重く硬いスレヤーの拳がめり込んだ。突然の拳撃に体勢を崩し倒れた篤樹は、頬を手で押さえ呆然とスレヤーを見上げる。
「……使えないガキに戻っちまったな、カガワアツキさんよぉ。悪ィが、俺らはやらなきゃなんねぇ事があっから……後は独りでテキトーに生き延びてくれや……」
地面に置いていた剣を拾い上げ歩き出す「赤狼」の大きな背中を、篤樹は声も出せずに見送ることしか出来ない。
「行くわね……ボウヤ。ここは危険よ……早く……お逃げなさい……」
一瞬だけ向けられたレイラの優しい笑みと言葉……立ち去って行くエルフ女性の背中は、もう……何も篤樹に語りかけることはなかった。
成者の剣を 掴み、エシャーの蘇生を期待する笑みを浮かべ振り返った篤樹は、困惑の笑顔を張りつけたまま心の声を洩らす。その動揺した篤樹の姿に、エシャーは満面の笑みでうなずき応えた。
「エシャー……お……お前……え?」
「ゴメンね、アッキー。ビックリさせちゃったね。あのね……」
エシャーはやわらかな笑みを浮かべ、申し訳なさそうに小首をかしげる。語る言葉が終わるのも待たず駆け寄った篤樹は、正面からエシャーを強く抱きしめた。……と同時に「エシャーを抱きしめられている」という感触に、ますます感極まって行く。
「エシャー? エシャー! ホントに……ビックリした……エシャー……エシャー!」
破裂しそうなほどの思いを、篤樹は適切な言葉に乗せて発することが出来ない。ただただ、エシャーがここに居ることに……こうして抱きしめ、言葉を交わし合えることに、喜びの感情が全身から溢れ出す。
「ちょ……アッキー……痛いよ……」
エシャーは篤樹の力強い 抱擁に困惑しつつも、嬉しそうな声で訴えた。
「あ! ゴメン……怪我してんの……に……」
思わず直情的な行動をとってしまった事を自覚し、篤樹は急に恥ずかしくなると、エシャーの 華奢な身体を包んでいた両腕を解き一歩下がる。エシャーの身体は……怪我一つ無い。傷跡どころか、着ている服にも、顔にも髪にも……草葉の1つ、汚れの1点さえ付着していなかった。
「ううん! ちょっと強過ぎただけだから……」
エシャーは胸元に畳んでいた両手を伸ばし、篤樹の左右の手を正面から握る。篤樹も自然にエシャーの手を握り返した。身長差20センチほどの2人は正面から互いの顔を少し上下に向け合い、改めて笑みを浮かべる。
「あのさ……」
平常心が戻り始めた篤樹は、なんとなく気恥かしさを誤魔化すような口調でエシャーに尋ねた。
「あれだけの怪我がこんなに早く治っちゃうなんて……どんな魔法を使ったワケ? 心臓だって止まってたし、手足だってさ……大体『木霊』になりかかってたじゃん? あんな状態から……ホント、ビックリだよ! これも『小人の咆眼』の力とかなの?」
自分なりの推察を織り交ぜ尋ねる篤樹の言葉に、エシャーは困ったような、申し訳無さげな苦い笑みで小首をかしげる。エシャーの少し寂し気な態度に違和感を覚えた篤樹は、高ぶっていた感情を飲み込み、口を閉ざす。
「あのね……」
篤樹が「聞く姿勢」を整えた事を感じ取り、エシャーは自分を奮い立たせるように、いつもよりも明るい声で語り始めた。
「レイラのおじいちゃんに教えてもらったの!」
得意気な種明かしの笑みではない。無理矢理に作ったエシャーの笑顔を、篤樹はジッと見つめる。突然、篤樹の首筋にゾクリと悪寒が走り、鳥肌が立った。頬までがジンジン痺れるような不安に襲われる。
「……レイラ……さんの……って……ウラージさんから? エルフの……治癒魔法か……何かを?」
この状況……篤樹は不安を掻き立てる「仮説」に思い当たってしまう。しかし、その「仮説」が、全くの的外れであって欲しいと願い、篤樹はあえて「エルフの治癒魔法」という単語を口に出し、エシャーと繋ぐ手に力を込めた。
まさか……そんな……
「治癒魔法じゃ……無いよ」
エシャーは篤樹の瞳に浮かんだ「怯え」を読み取る。しかし、ここで無意味な嘘をつく時間も意味も無い。篤樹の手は不安に震え始めている。エシャーは両手で篤樹の手を包み直し、続きを語り始めた。
「教えてもらったのは……『残思伝心』の使い方だよ……。あの時……レイラが持って来た果物に混じってた『あの実』を食べちゃったの、私かもって思ったから」
「ペロッ!」っと舌を出し、作り見せたエシャーの笑みを、篤樹は絶望的に情けない悲しみで歪んだ顔で見つめ返す。
「そん……な……」
「エルから話を聞いた後にさ……」
エシャーは篤樹の動揺を両手で包み癒すように語り続けた。
「もしも私が食べたんだったら……最後に抱きしめてくれるのがアッキーだと良いなって思ったんだ! それが、いつの日か分からないけど……その時は、絶対にアッキーと会いたいって思ったの!……こんなに早いなんて考えても無かったけど……」
エ……シャー……
篤樹はエシャーの声を認識し、その手の温もりを感じながらも、意識と肉体、感情と精神、賀川篤樹を構成する全ての部位が分離され、それぞれが哀しみの深淵に沈んでいく虚無感に包まれる。声を発することも、言葉を考えることも出来ない。ただただ、目の前に居るエシャーを、クシャクシャに歪む泣き顔で見下ろすことしか出来ない。
「いつまでも……ずっと一緒に居たかったけど……叶わないね……。でも……」
エシャーは寂しげに目を伏せ、すぐに笑顔を向け直す。
「でもね! 私、アッキーのことをずっとずっと忘れない! ずっとずっと忘れないから……だから、私の中でアッキーはずっとずっと一緒に居るよね?」
とめどなく溢れ流れる涙を頬に感じつつ、篤樹は何度もうなずいた。声が出せない……言葉が紡げない……だけど……エシャーの全てを肯定したい……
「アッキーも……ずっとずっと、私のことを忘れないでいてくれる?」
ああ……当たり前じゃん……。忘れるかよ……忘れられるはず……無いだろ……
言葉無くうなずき続ける篤樹は、エシャーに手を引き寄せられ頭を下げる。エシャーは篤樹の額に自分の額をコツンと合わせて来た。
「フィリーが言ってたエルへの想い……今、すごく良く分かるんだぁ……。ありがとう……アッキー。私と……出会ってくれて……大好きだよ……」
エシャーの呼吸を感じる……その脈動……生命……温もり……その存在を篤樹は間近に感じる。だが、寄せ合った互いの唇が触れ合うことも無く、エシャーの身体は虹色の光粒子となり空へ舞い上って行った―――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
森の中を疾走するレイラとスレヤーの眼前が唐突にひらけ、タクヤの塔を中心に 据える広場が現れた。
「レイラさん! あそこ!」
広場に飛び込んだスレヤーは、数十メートル先の地面に座り込む人影と、その人物に近付くトロル型サーガの姿に気付き叫ぶ。距離的にスレヤーの剣技では間に合わない。だが、スレヤーの指示を受けたレイラが放つ攻撃魔法で、サーガの頭部は直ちに破壊された。
「アッキー!」
座り込む人影が篤樹の後ろ姿だと2人は瞬時に認識し、勢いを落とさずに駆け寄って行く。だが、レイラとスレヤーの呼びかけにも篤樹は微動だにせず座り込んだままだった。
「おい! 大丈夫か、アッキー!」
「アッキー! エシャーは?!」
篤樹のそばまで寄って歩を緩め、2人は正面に回り込みながら声をかける。
「?! それ……」
両膝を地面に着け、力無く座り込む篤樹が手に持つ青地の服……血の染みが広がる「破れ裂けた布」となっているエシャーの着衣に気付き、レイラは手を口に当て目を見開く。
「アッキー……お前ぇ……」
2人を正面にしながら、尚、焦点の定まらない虚ろな視線で地面を見つめる篤樹に、スレヤーは静かに声をかける。レイラは状況を察すると顔を背け、肩を震わせながら嗚咽を洩らす。
「アッキー……おい……アッキー!」
篤樹の真横に片膝を地面に着け屈みこみ、スレヤーは少し語気を強めに声をかけ直した。地面の一点に視線を落としながらも、微細に震えていた篤樹の眼球の揺れが収まり、瞳孔が焦点を合わせる筋運動を再開する。
「おい! 分かるか?」
「ス……レヤー……さん?」
ようやく焦点を合わせた篤樹の視線に、スレヤーは安堵の息を洩らす。そのまま視線を篤樹が握り締める「汚れ破れ裂けた青地の布」へ向け尋ねる。
「エシャーちゃんの……服だよな? 何があった?」
「エ……シャー……僕……僕は……スレヤーさん……エシャーが……あ……あ……ウワァぁぁ!……」
スレヤーを明確に認識した篤樹は、堪えきれず泣き声を上げる。スレヤーは太く力強い両腕で篤樹を包み込んだ。
―――・―――・―――・―――
「……ひどいお顔よ……アッキー」
レイラはハンカチを取り出すと、篤樹の顔に付着している異物を拭き除く。脈略を整える意識も働かない篤樹がとつとつと語る断片的な情報を、レイラとスレヤーは静かに受け取り、ミルベの港で別れて以降の状況を把握した。
「大将も行方知れず……か……」
軍での指揮経験豊富なスレヤーにとって「保有する戦力」というものは、戦い方を考える上で重要な情報だ。ガザル細胞を持つ最強レベルの法術士ピュート、高齢ながらもエルフ族内で最強戦士と名高いウラージの2名が失われ、全てにおいて異次元レベルの強さだけでなく「 不死者」でもあるエルグレドは「光る子ども」に連れ去られてしまっている。
その上、エシャーちゃんも 殺られ、「古の女神たち」まで捕らわれちまってるなんてよ……。サガワと黒魔龍のシバタカナを相手にするにゃ、完全に駒不足だぜ。こりゃ……詰んじまってるよなぁ……
口端に小さく笑みを浮かべつつも、スレヤーは打つ手の見えない絶望的な状況に小さく溜息を吐く。
「……湖神とミサキさんの解放が先決ね」
黙り込むスレヤーに代わり、レイラが口を開いた。負の感情を分散させるために「笑み」を選ぶスレヤーとは対照的に、その表情は冷ややかな「無」の鋭さを帯びている。
「地核への道……どっちみち、行くしか無えっすね……」
レイラの声に応じ、スレヤーは両肩を回し上体をほぐすと大きく深呼吸をした。
「よし! ほら、アッキー! 立てよ。行くぞ?」
操り手のいない人形のように、両足を投げ出し地べた座りのまま一点を眺める篤樹に、スレヤーは場違いなほど元気な声をかけ手を差し出す。しかし篤樹はその招きに応じる気配を見せない。サビ付いた関節を無理やり動かすように、小刻みに揺れながらようやく顔を上げ、スレヤーを見る。
「……イ……ヤ……です。もう……動きたく……ありません……」
「はあァ?」
かすれ声で小さく発した篤樹の主張に、スレヤーは大袈裟とも思える声量で被せた。
「馬鹿言ってんじゃ無ぇぞ、アッキー?! 動きたく無ぇ? 甘えた口をきいてんじゃねぇよ!」
「スレイ……」
たしなめようとするレイラを視線で制し、スレヤーは篤樹へ続ける。
「いつまで 腑抜けた面してここに座ってるつもりだ! 動きたく無ぇだと? 馬鹿野郎! 指先1本でも動けるうちは動き続けるのが戦う者の務めだろうが! 残されてる者の使命だろうがよ! ほら、立てよ!」
「い……イヤだーー!」
手を伸ばして襟首を掴み、強引に立ち上がらせようとしたスレヤーに向かい、篤樹は身をよじって抵抗し叫んだ。
「もうイヤだって言ってるでしょ! 僕はもうどこにも行きたくない! 戦いたくなんかない! 誰かが死ぬのを見たくないし、誰も殺したくなんかない! なんで……なんで僕がこんな目に……ピュートも……エシャーも……みんな……もうイヤだ!」
再び溢れ出す涙を飛び散らせながらスレヤーの手を振り払い、篤樹は絶叫する。
「もう放っといて下さいよ! もうイヤだって言って……」
なおも主張を続けようとした篤樹の頬に、重く硬いスレヤーの拳がめり込んだ。突然の拳撃に体勢を崩し倒れた篤樹は、頬を手で押さえ呆然とスレヤーを見上げる。
「……使えないガキに戻っちまったな、カガワアツキさんよぉ。悪ィが、俺らはやらなきゃなんねぇ事があっから……後は独りでテキトーに生き延びてくれや……」
地面に置いていた剣を拾い上げ歩き出す「赤狼」の大きな背中を、篤樹は声も出せずに見送ることしか出来ない。
「行くわね……ボウヤ。ここは危険よ……早く……お逃げなさい……」
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