上 下
15 / 22

第十四話 月読、そして天照

しおりを挟む

「………………え?」

 セイナは一瞬、己の目を疑った。しかし、目を瞑ってからもう一度信者を見ても、やはり彼の顔の下半分が無くなっていた。さらに驚くことに、下半分が崩れ落ちた信者の顔が、断面部から徐々に『白』に変色していくではないか。見れば血の一滴もしたたっておらず、変わって溢れるのは『白く細い粒子』のみだった。やがて、信者の崩れた顔の全てが白一色に染まり切ると、砂山のように形を崩して粉々に砕け散った。後に残ったのは、信者の纏っていた衣服と白い粒子の山だけ。

「──あれが、この教会で行われていた〝御心〟の結果だ」

 いつの間にか、セイナと同じ場所に視線を向けていたモミジが言った。

 それを皮切りにしたかのように、祈りを捧げていた信者たちの〝崩壊〟が始まった。体が『白』に染まり上がると、それが全身に広がった者から崩壊が始まり、砕けて形を失っていった。

「い、今の……何?」
「……『可能性』を全て奪われた存在にんげんの、行き着く先だ。君も、もしこの教会に友人と一緒に留まってたら、ああなっていただろう」

 セイナは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 人間が、まるで物のように崩れ去った今の光景。それがこの教会で行われていた事。

 ならばあの晩、自分が一人で逃げた後に祈りを捧げ続けていた友人は、もう──。

「……言ったはずだ。来れば必ず後悔すると」

 モミジがここに来るまでに何度も「後悔」という言葉を繰り返した。セイナとて、ある程度の覚悟はしていた。生きている友人との再会は叶わないのかもしれないと。せめてその亡骸だけでも目に焼き付けておこうと。

 だが、もはやそれすら叶わないと、セイナは知ってしまった。

 ──友人がこの世に存在していた形跡は、もはやセイナの記憶の中にしか残っていないのだと。

「う……うぅぅぅぅ……」

 もはや限界だった。セイナは目から涙を零し、嗚咽を漏らしながらモミジの体に顔を埋めた。

「少女よ、嘆く事はない。彼らは女神様の復活に殉じたのだ。むしろ、女神様のために身を捧げられた栄誉を誇るべきであろう」

 先ほどまでモミジの憤怒に気圧されていた司祭が、今はまるで悦に入るように語っていた。己の言葉を微塵も疑わず、心の底から正しいと信じている様子だ。

(──助けてやれなくて、すまない)

 モミジは言葉にせず、だが心の内で懺悔する。自分がもっと早くこの街にたどり着けていれば、あるいはこの悲劇は食い止められたかもしれない。もしかしたら、セイナの友人を助ける事も可能だっただろう。

 ──〝たられば〟の話にすぎない。悲劇はすでに現実となり、この場には涙を流す少女がいる。故に、モミジは安易な贖罪を口にしなかった。

 それでもモミジは再び怒りの宿る視線を司祭に向けた。

 司祭は怯まない。むしろ、己の優位を確信したような自信に溢れたものだった。

「コクエモミジ。どうやら貴様は我々が想像していたより遥かに知っているようだな。ならば、この場で行われていた儀式も当然、心当たりがあるのだろう?」
「この建物の外側がわは改築されてるだろうが、もともとは旧時代から残る数少ない施設の一つだ。〝精錬〟を効率的に、かつ非人道的手段で行うためのな」

 寸分の間もなくモミジの口から出た答えに、司祭はやはり驚くも表情は崩れない。

「そこまで知り得ているのならば、私がこの場に留まっていた意味も分かるであろう?」
「〝精錬〟の大半が完了して、ここは既に役目を終えてる。でもって、あんたは俺をこの場に足止めするための囮ってところか」
「……その知識量と洞察力は、反逆者でありながら驚嘆に値するな。あのまま封印騎士団に残っていれば、聖騎士の位にたどり着けたものを」

 司祭は哀れみを向けながら、懐から平たい長方形の物体を取り出した。《魔晶石》が嵌まり込んでいる事から、あれも《魔導器》の一種か。

「貴様が破壊した古代の《魔導器》を解析して造られたものだ。明確な情報を送る事は叶わぬが、単純な信号であるのならば遠く離れた場所に送信することができる。そして、貴様の言葉を借りるなら、これは〝子機〟だ」

 司祭が持つものが子機であるのならば、親機はどこにあるのか。

「街の支部に〝親機〟が設置してある。貴様がこの教会に来た時点で、信号は送信してある」

 司祭の勝ち誇った笑みを契機にしたかのように、モミジは教会の外を包囲するような魔力の高まりを感じ取った。

「……時間稼ぎか」
「『担い手』に至っていない聖騎士とはいえ、それを退けるほどの猛者だ。そのような相手に、たかが司祭である私が抗えるはずもない。この場での私の役割はまさしく〝囮〟だよ。貴様をこの場に留め、支部の騎士たちの包囲網が完了するまでのな」
 
 司祭の持つ子機の《魔晶石》が光を放った。

「もう一度信号を送った。二度目の信号は、攻撃開始の合図だ。この教会もろとも、貴様をこの世から葬り去る為のな」

「証拠隠滅と邪魔者を一緒に消し去るつもりか。だが、この場にはお前もいるぞ」

 建物ごと──というのなら、その攻撃は苛烈を極めるだろう。見るからに戦い向きではない司祭がそのような攻撃に巻き込まれれば、生き残るには奇跡が必要になってくる。

「わが身は既に女神様に殉じている。教団に仇なす者を討てるならこの命、喜んで女神様に捧げよう」

 勝利を確信した司祭の目には、狂信者特有の光が宿っていた。

「貴様個人の武勇が優れていようとも──たとえ《七剣八刀》を有していようとも、支部の総力を結集した飽和攻撃には耐えられんはずだ。この場を貴様の死地とし、女神様に抗った罪をその身で贖ってもらおう!」

 己の行いを微塵も疑わず、己の信ずるものために喜んで身を差し出すその狂った価値観。

「……毎度思うが、この手の輩ってどうしてこうもポンポン命を捨てたがるのかね」

 過去に〝幾度〟も似たような人間を見てきたモミジはうんざりした気持ちになった。そこに、焦りの色は欠片も含まれていなかった。

「《月読》展開」

 モミジの周囲に八本の浮遊剣が出現。

「今更剣を具現化したところで──」
月読こいつの真価は〝攻め〟じゃないのさ」

 外から伝わる魔力の気配は限界にまで膨れ上がっていた。だが、モミジは不敵な笑みを浮かべたまま、唱えた。


「護法刃展開! 《八咫の鏡ヤタノカガミ》!!」

 
 その直後、周囲から放たれた破壊の波が教会を飲み込んだ。



 
「攻撃、止め!」

 フィアースの総力を集結させた作戦を指揮する騎士が、一斉攻撃の停止を命じた。一斉砲火の焦点である教会は既に建物としての形を崩壊させた。今はもうもうと立ち込める粉塵のせいで視界が確保できなかったが、瓦礫すらも木っ端微塵となっているのは判断できた。

 指揮官を含むこの場にいる全ての騎士は、教会の中に司祭がいることは知らされていなかった。『合図があれば一斉砲火し、教会もろとも反逆者を殱滅せよ』との命令が下されただけであり、よって、教会内で行われていた非人道的な行いすら知らされることなく、教団にとって不都合な施設と〝人間〟が粉砕されることとなったのだ。

「……やったか?」

 ぽつりと、攻撃に参加した一人の騎士が呟いた。建物を跡形もなく消滅させるほどの飽和攻撃だ。反逆者が並ならぬ強さを秘めていたとしても、これほどの火力を前に耐えきれるはずもない。

 だが。

 ──残念。そのセリフは旗が立つぜ。

 立ち込める粉塵の奥から、声が響いた。決して大きくはないはずの声量であるはずなのに、この場にいる全ての者の心臓を鷲掴みにした。

 一迅の風が吹くと、粉塵が晴れた。

「……ば、馬鹿な」

 誰かの声が漏れた。

 更地になった教会跡地の中央に、黒づくめの男が不敵な笑みを浮かべていた。彼の周囲には八つの浮遊剣が等間隔に配置されており、それら全ての点が線を結び面を形作り、《魔力》の〝守護壁〟を形成していたのだ。
 
 モミジが《七剣八刀》で生み出した浮遊剣──汎用多刃形態《月読》は、その名の通り複数の刃を同時に展開することで、どのような状況にも対応出来る汎用性の強い形態である。半自律性を持つ八つの剣は、敵の攻撃を察知しモミジの意識外からの攻撃すら防ぎ、またそれらを任意に操作することによって敵への間接攻撃に転ずることが可能だ。
 
 そして──《八咫の鏡ヤタノカガミ
 
 通常時は三本──あるいは四本の《月読》をもって守護壁を展開するが、八本全てを防御に集中することによって、圧倒的な防御能力を得る。形成された守護壁は、莫大な魔力量を秘めながらも、それらを効率良く最大限に威力を発揮するように展開されており、仮に先ほど放たれた火力の五倍近い威力が放たれたとして、かろうじて守護壁が小さく揺れる程度に止まるだろう。

「《八咫の鏡こいつ》をぶち抜きたかったら、《始原の理器エルダーアーク》でも持って来い。まぁ、それにしたって可能な個体は限られてるだろうが」
 
 モミジは相変わらずの不敵な笑みを浮かべたまま、《八咫の鏡》を解除した。

「………………」

 腕の中に抱えられていたセイナは、周囲に積みあがる瓦礫の山に唖然としていた。なにせ、轟音と閃光に視界が眩み、ようやく目が回復したと思ったらこの有様だ。どうしてこの状況で生き残れたのかが不思議で仕方がない。友人を失った痛みすらほんのわずかな間であっても忘れてしまうほどの衝撃だった。
 
 さらに周囲を見渡そうとするセイナの顔を、モミジは己の体に押し付けた。

「さすがに君の顔が騎士たちに割れるのはまずい。とりあえず顔は伏せておいてくれ」
「……分かった」

 モミジ自らがこの場に連れてきたとはいえ、これ以上己の事情に巻き込むのは心が引けた。

 幸いにも、セイナはボロ布をそのまま着ているといっても相違ない服装。しかも特定の保護者のいない浮浪児。髪も手入れが行き届いておらずにボサボサだ。顔さえ隠せていれば個人の特定は難しい。目の前の状況さえ切り抜ければどうとでもなる。

 包囲網は完成し、圧倒的な数の差を有していながらも騎士たちは未だに動けずにいた。勝利を確信していた攻撃が、事も無げに防がれたのだ。その動揺を抑えるにはまだ時間がかかるだろう。

 しかし、それを悠長に待っていられるほど、今のモミジは気が長くなかった。

 この場にいる騎士のほぼ全てが、瓦礫と化した教会の中で行われていた〝非道〟を知らない。これが八つ当たり以外の何物でもないと、モミジが一番よく理解していた。

「胸糞悪いもんを見せられて激しく苛立ってんだ。悪いが、お前らには俺の八つ当たりに付き合ってもらうぞ」

《月読》は状況を問わず、相手が個人であれ集団であっても過不足なく戦える形態だ。

 だが、《月読》の能力はどちらかといえば〝防御〟に偏った性質があり、攻撃力に関しては特筆した点がない。卓越した技量を持つモミジが扱えばその限りではないが、彼の保有する手札の中では最も攻撃能力が低い形態である。

 普段のモミジなら、このまま《月読》で戦っていただろう。だが、今は瓦礫と化した教会内での一幕が、彼の苛立ちを最大限にまで昂らせている。一見冷静に見える彼は、その内心に激しい憤りが渦巻いていた。

「《七剣八刀》──」

 八本の浮遊剣が、モミジの背後にまわり、面を地面と直角にする円の形に陣取る。その形を二本一対、四種類に変じていった。

 一番上は紫電を発する《雷の魔導器タケミカヅチ》。

 上から二番目は緑風を纏う《風の魔導器シナツヒコ》。

 下から二番目は氷結を纏う《氷の魔導器クラミツハ》。

 一番下は烈火を発する《火の魔導器カグツチ》。

 その名を──。

「──広域殱滅形態《天照アマテラス》──起動アクティブ!」 

 モミジは獰猛な獣さえ泣いて逃げ出す凶悪な笑みを浮かべた。
しおりを挟む

処理中です...